第二十八話 佐村マサタカという男
エレベーターから降りて来る、ルナとマサタカ。
向こうからは、雹吾と虚子のいるベンチは暗すぎて、こちらのことは見えないようだ。
雹吾と虚子は、息をひそめる。
ルナは、マサタカに向けて手を出した。
マサタカが、おどけたようにルナに言う。
「なに? また手でも繋ぐ?」
「違う。スマホ返して」
ルナが本気になれば、マサタカからスマートフォンを取り戻すことなど、赤子の手を捻るようなものだ。
しかし、ルナは手加減ができない。
腕力を行使すると、マサタカは間違いなく大怪我をしてしまうだろう。
ルナも、こんなことで、暴力沙汰など起こしたくはないのだ。
マサタカが、左手に持ったスマートフォンをルナに見せる。
「話を聞いてくれたら、すぐに返すよ」
「なに、話って」
「俺と、付き合って欲しい」
暗がりにひそむ、雹吾と虚子が、息を呑む。
ルナは、毅然とした声色で告げた。
「私には雹ちゃんがいるから、ダメ」
「俺は、山ン本さんを幸せにする。後悔はさせないよ」
「私は雹ちゃんがいいの」
「神野君とも付き合って、俺とも付き合えばいいじゃん」
「ここはレッドじゃないから。
それに、佐村君のことは、そんな風に見れないよ」
ふたりの会話を聞いていた雹吾は、凍り付いていた心が、すこしずつ溶けていくのを感じる。
マサタカが左手に持っているのは、ルナのスマートフォン。
電話を切ったのは、ルナじゃなかったのかもしれない。
マサタカは、右手で顔を覆った。
「そっか……。
君も、そういう事を言うんだね……」
マサタカの声が震え出す。
「く、くくく……」
なにか、様子がおかしい。
雹吾は、すぐに飛び出せるように、構える。
「くくく、ふふふ……」
「どうしたの、佐村君?」
「ふふっ。ふふふふふ」
虚子も、異常を感じたようだ。
もし、マサタカがルナに危害を加えるようならば……。
雹吾と虚子は、臨戦態勢へと入る。
「ふふふっ!ふふふふふっ!」
ルナも、何かがおかしいと感じたのか、一歩下がる。
マサタカは、右手で顔を覆っているため、表情がわからない。
そして、マサタカは……。
「ふぐうううっ! ふえええええん!
まただよぉ! またフラれたぁっ!
何なんだよぉっ!
おかしいだろ! 俺が好きになる人、みんな彼氏持ちとかさぁっ!
ふええええええんっ!」
マサタカは、滂沱の涙を流しまくり、その場に泣き崩れた。
★
談話室では、ヘイムダルが厳めしい表情で、待ち構えていた。
一組と三組の生徒たちも、談話室の外から、何事かとこちらを見ている。
雹吾は虚子と一緒に、ルナとマサタカを連れて、エレベーターで降りて来たのだ。
雹吾に支えられたマサタカは、まだえぐえぐと泣いている。
直立不動のヘイムダル。
その脇に立つ、フギンとムニン、右美と左美。
黒野が雹吾の後ろに控えている。
そして一組の学級委員長である恵比寿君が、お腹を押さえて椅子に座っていた。
ヘイムダルが、口を開いた。
「事情は分かりました」
そう、今日起きた全ての事を、全員が暴露したのだ。
ムニンの撮影していた一部始終をも公開されて。
ルナが、雹吾と虚子を、チラチラと見る。
「雹ちゃん、虚子ちゃんとずっと一緒にいたんだ……。
そのお洋服も、雹ちゃんに……」
つい先ほど、神社の暗がりから現れた雹吾と虚子。
仲が良さそうに手を繋いでいた。
それを見たルナは、その場に倒れそうなほど、ショックを受けた。
「ひょ、雹ちゃん、浮気、してないよね……?」
右美と左美が、同時にルナを指差す。
「おまいう」
「雹吾様を放っておいて、佐村君と手を繋いでどっかいったの、お嬢様が先だから」
「うぐっ……。」
右美と左美の正論に、何も言えなくなるルナ。
ルナは、本当に自覚していなかったのだ。
自分の行動によって、雹吾がどれだけ傷ついたのかを。
雹吾と虚子が手を繋いでいるのを見て、実際に自分も体感するまでは。
「雹ちゃん、その、ごめんなさい……。
わたし、すごい嫌なことしちゃってたかも……」
雹吾は、まだ暗い目で、ルナに念押しする。
「その、本当に佐村君とは何も無かったんだよね?」
「ない! なんもない!
電話切ったのだって、スマホ取られただけだもん!」
それは、この共有スペースビルの一階で起きたことのため、目撃者が多数いた。
雹吾はてっきり、女子寮のルナの部屋にふたりきりでいると思ってもいたが、寮にいるときはルナひとりだったことも、虚子が証言した。
全ては、雹吾の想像の上での出来事だった。
でも仕方なかったのだ。
嫌が応でも、邪推してしまう材料が、全て揃ってしまっていたのだから。
ヘイムダルが、改めて、雹吾に向き直る。
「雹吾様。お嬢様との婚約は、その、破棄されますか?」
その言葉に、ルナは発狂したかのように、雹吾に縋り付く。
「いやぁっ! 雹ちゃん、やだぁ! 雹ちゃんのお嫁さんになるのっ!」
「お嬢様はお黙りください」
雹吾は、思案する。
ルナのことは好きだ。
でも、同じようなことがあれば、しんどい。
「正直なところ、また繰り返されたりしたらって思うと、ちょっと……」
「もうしない! もうしないからぁ!」
「本当に、もうしない?」
「これからは、ちゃんと雹ちゃんだけを見ます!」
雹吾の目の前で、涙を流すルナ。
その上で、結論を出した。
「それなら、破棄はしない」
ヘイムダルは、こころなしか、ほっとした様子。
ルナが、泣きながら雹吾に抱き着いた。
「ごめん! ごめんなさあい!」
「証拠とか証言があったから良かったけど、もしなかったら、たぶんルナちゃんの言う事、信じられなかったかも」
「うう……。絶対にもう変な事しないもん……」
人間とは、割と簡単に、人間不信になるのかもしれない。
そんなことを思いながらも、ルナを抱きとめる雹吾。
そして、ゆらりと立ち上がる、背の高い人影があった。
佐村マサタカ。
「……神野君。
神野君は、この国の王子様になったんだよね?」
「うん。この前からだけど」
そして、それを聞いたマサタカは、
その場にしゃがみこみ、
見事なまでの、土下座を決めた。
「お願いしますぅ!
大和の国に、多夫多妻制をっ!
せめて、多夫だけでもっ!
なんでか、俺が好きになる人はみんな、彼氏持ちばっかりなんだよおおっ!
俺だって、彼女が欲しいんだあああっ!
他に彼氏がいたっていいからああっ!
ふえええええんっ!」
大号泣しながら、床に頭をつけるマサタカ。
あまりの必死さに、雹吾はちょっぴり引いた。
つい先ほどまでは、佐村マサタカは、他人の彼女に横恋慕ばかりする、悪質な男だと思っていた。
でも、一皮むいてみれば、恋愛勝率ゼロパーセント。
負け通しの、かわいそうな男だった。
恵比寿君の言った、マサタカの過去が頭に蘇る。
『キスもまだしたことがない』
今までは信じられなかったが、このマサタカの姿を見て、それはきっと真実なのだろうと思う雹吾。
疑似的ではあるが、失恋の辛さは、先ほど知った。
失恋し続けているマサタカの辛さは、どれほどの地獄なのだろうか。
雹吾は、マサタカに声をかける。
「あー、一応、父さんには話してみるよ。
でも、法律を作るのは貴族院だから、父さんは提案することぐらいしかできないけど」
このグリーンの日本でも、三権分立は機能している。
ブルーの日本とは違い、国ごとによって法律が違うのだが。
国王である悪五郎は、大和の国の行政権を担っているが、新たに法律を作る立法権は無いのだ。
立法は、貴族たちの議会である貴族院が権限を持っている。
それでも、一縷の望みを掴んだマサタカ。
土下座をしていたマサタカは、顔を上げ、目を潤ませている。
「し、神野君……!」
雹吾の手を取り、感涙を流すマサタカ。
「困ったことがあったら、何でも言ってくれ!
いくらでも力になるよ!
親友よ!」
その圧に、雹吾はまた少し引いた。
そして、多夫多妻に期待している人間が、ここにもひとり。
虚子。
もしかしたら。
もしかしたら、雹吾の第二婦人の座を狙えるかもしれない。
いや、狙って見せる。
虚子としては、ルナのことは、蔑ろにする気は無い。
三人で、幸せな家庭を作りたい。
もしかしたら、もっと妻が増えるかもしれないけれど。
それでも、構わない。
きっと、うまくできるはず。
そのためには、まずは多夫多妻制度を、大和の国に導入されることが絶対条件となる。
なお、レッドへの移住は、様々な法律が絡み、非常に厳しいのだ。
だから、この大和の国での、多夫多妻制が必要なのである。
(お願い……! 雹吾君のパパ! 多夫多妻制を!
国王として独裁政治になったっていいから!)
三権分立を根本から覆すような、虚子の願い。
しかし、それほどまでに強い願い。
虚子は、今日の様々な出来事で自覚していた。
神野雹吾に、恋をしている。
どうしようもないほどに。
身も心も、何もかもを捧げてもいいくらいに。
かくして、全ての想いは雹吾へと集約する。
(明日あたり、父さんに相談してみるかなぁ)
そんなことを、のんびりと考えている雹吾の裏では、ヘイムダルたちが、ルナへのお説教タイムに突入していた。
特に、右美と左美が、ルナを責める。
「佐村君ももちろん悪いけどぉ、一番悪いのは、ルナお嬢様なんだからねぇ?」
「……はい」
「あれ、マジでその場で婚約破棄されても仕方ないようなこと、してたんだからぁ」
「……はい」
ヘイムダルが、仁王立ちをしている。
「ルナお嬢様には、貞操観念というものを、根本から叩き込む必要がございますな」
「うっ。お、お手柔らかに、お願いします……」
「ダメです」
「……はい」
その日、ルナは夜通し、婚約者とは何たるものかの再教育を施され、翌朝にはぐったりしていた。




