第二十七話 こんな時、映画やアニメの主人公だったら
宙に浮かんだ虚子が、窓ガラスの向こう側で手を振っている。
とても幻想的で。
すごくきれいだと、思ってしまった。
雹吾は、窓を開けて、虚子を見上げる。
「えへ、雹吾君、来ちゃった。
は、入ってもいい、かな?」
「え、あ、う、うん……」
虚子のためにカーテンをどけると、虚子が乗っていた銀色の板がはじけて、幾つかの銀色の玉になった。
「あ、これ、アームズオーブ?」
「うん。スケボーみたいな形にしたら、空を飛べるんじゃないかなって思って試したら、飛べちゃった」
「こんな使い方もできるんだね」
銀色の玉となって宙を旋回しているアームズオーブは、虚子のスカートの腰に集結し、銀色のプレートとなる。
プレートには『大石』の姓が刻まれていた。
雹吾は、顔に涙の跡がついているかもしれないと思い、虚子から顔をそむける。
「ど、どうしたの? 虚子。
こんな時間に」
すると雹吾に、虚子が抱き着いて来た。
大きめの胸が、雹吾の身体に当たる。
虚子からは、ふわりと、いい匂いがした。
「た、大した用事じゃないんだけど……。
ただ、お喋りしたかっただけ。
ダメだった?」
虚子が、雹吾を見上げる。
縦長の瞳孔が、きらきらしていて、とてもきれい。
「ほら、別に変な事するわけじゃないし?
雹吾君にはルナちゃんがいるの、わかってるから……」
何気ないその言葉に、ルナとマサタカが手を繋いでいる場面がフラッシュバックし、心が鋭く切り裂かれる。
雹吾は、引き攣った笑顔で、ぽつりと呟いた。
「ルナちゃんは今、佐村君と一緒にいるよ。
電話でそう言ってた」
驚きで目を開く、虚子。
「え、そ、そう、なんだ……」
「なんで一緒にいるのって聞いたら、電話切られるし。
かけても繋がんないし。
折り返しも来ないし」
「え、それ……」
「完全にクロでしょ」
「……かも」
虚子は、悪戯っぽく笑う。
「でも、私と雹吾君も、傍から見たらクロだよね」
「……はは。そうだね。俺もルナちゃんも浮気者だ」
「ルナちゃんたちも、お喋りしてるだけかもよ?」
「そうかもね。
でも、そうじゃないかも。
なんかもう、わかんねえや」
疑心暗鬼が、頭から追い出せない。
心の中は、もうぐちゃぐちゃだ。
こんな時、映画やアニメの主人公だったら、まるで完全無敵のように行動して、かっこいいセリフを言って、ヒロインを連れ戻して、ハッピーエンド。
雹吾だって、そんな風に動きたい。
でも、色んな感情が、嵐のように雹吾の中に渦巻いて、自分の気持ちも身体も、全然思い通りに動かない。
どんなにルナを信じようとしても、今日、雹吾を置いて、マサタカに手を引かれて行ってしまったルナの姿が、脳裏にこびりついている。
その後で、夜半にふたりきり。
電話も途中で切られてしまった。
そんなの、今、おとりこみ中だって言っているようなものじゃないか。
妄想だとわかっていても、ルナに覆いかぶさるマサタカの姿が、勝手に心に描かれる。
人を信じるって、こんなにも難しかっただろうか。
本当は、ルナとマサタカの間には、何もないと思いたい。
でも、現実に起きていたあらゆる状況が、雹吾の希望を否定するのだ。
鼻の奥が、つんとする。
虚子の前で泣きたくなんてなかったが、我慢できないかも。
なんて無様な男なんだろう。
他の人は、こんな時、どうしてるんだろうか。
ヒカル君だったら、きっと悩まずに行動できるのだろうか。
すると、虚子が、雹吾の手を握る。
「ねえ、一緒に夜の空中散歩しない?
共有スペースの屋上の神社まで」
虚子が、スカートの腰に付いた、銀のプレートに妖力を込めると、十個の銀色の玉へと形を変える。
そして、全ての銀色の玉が、ベランダに集結すると、大きな長方形の、銀色の板へと変化する。
「これ、二人乗り用の空飛ぶボード」
虚子は、ボードに足を掛けて、前方に乗る。
「雹吾君、私に掴まって」
雹吾は裸足のまま、虚子の後ろに乗った。
そっと虚子の腰のあたりの服の裾を握る、雹吾。
「雹吾君、それじゃ危ないよ。
もっと、ぎゅってして」
雹吾は、虚子を後ろから抱きしめる。
柔らかくて、いい匂いのする虚子。
雹吾は自身の妖術で飛行できるし、雨雲に変化できる肉体は、ここから落下した程度では傷一つつかないのだが、それはあえて言わなかった。
今はただ、虚子に触れていたい。
雹吾は自嘲する。
自分だって、浮気者じゃないか。
ふわりと浮かぶ、銀のボード。
ボードは、隣のビルの屋上にある、神社を目指す。
四月の終わりの、まだ肌寒い風が、雹吾たちに吹き付けた。
空を見れば、満天の星空。
虚子の蛇の髪の毛が、雹吾の肌に触れる。
さらさらしてて、気持ちよかった。
ボードのスピードは思いのほか速く、あっという間に神社に到着した。
そういえば、自分はいま裸足だったと思い出す雹吾。
しかし、銀色のボードが変形し、そのまま雹吾と虚子の靴になる。
虚子が、自慢げに言う。
「アームズオーブ、便利だよね。
色々できちゃう」
「すごいね」
「雹吾君からの初めてのプレゼントだもん。
大事にするね」
本当に虚子には、救われてばかりだ。
雹吾は虚子と手を繋いで、神社のすぐそばにある、ベンチに座る。
「ねえ、雹吾君」
「うん?」
「私ね、ルナちゃんのこと、信じてる」
「……うん」
「でもさ、もし本当に、あの一組の男子と浮気してたらさ……」
「……」
「あー、その、ね?
わ、わた、私がそばに、いてあげるから、ね?」
「……」
すると、雹吾の手に、ぽつりと温かい雫が垂れた。
気が付かない内に、流れていた、雹吾の涙。
その言葉をきっかけに、せき止められていた感情が、決壊してしまった。
なにか、気の利いたことでも言わなければ。
でも、なにも言う事ができず、ただ涙だけが、ぼろぼろと流れて来る。
女の子の前で、こんなにメソメソ泣くなんて、男としてどうなんだろうか。
ああ、かっこわるい。
だけど、虚子はただ、一緒にいてくれた。
数分ほど泣いていたら、ようやく落ち着いて来た雹吾の心。
先ほどまでと比べて、驚くほど平静になれた。
虚子がハンカチをポケットから取り出して、雹吾の涙を拭いてくれた。
雹吾は決意する。
「……俺、ルナちゃんと、話すよ。
もし、佐村君との仲がクロだとしても、本当の事を知るべきだと思う」
「うん、それがいいよ」
「虚子」
「なに?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
虚子は、ニカッと笑う。
虚子もきっと、悩まずに行動できるタイプなのだろう。
ああ、他人が羨ましい。
自分は何て臆病なのだろうか。
「虚子はさ」
「うん?」
「悩み事とか、あるの?」
「あるよ。メッチャある」
「えっ。なんか意外」
「そう?」
「なんか、悩むくらいなら、即行動な人だと思ってた」
虚子は、笑う。
すこし寂しそうに。
「全然そんなことないよ。
何するにも、すごい悩んでる。
本当は行動したいのに、色んな事考えすぎて、身体が全然動かなかったりとか、しょっちゅうだもん」
「あ、今の俺、それだ」
「ふふ。おんなじだね」
虚子は、ベンチに座ったまま、ぱたぱたと足を揺らす。
「ねえ、雹吾君」
「ん?」
「ここが、レッドだったら良かったのにね」
「なんで?」
「レッドだったら、彼氏彼女がいっぱいいることなんて普通だから、こんなことで悩まないでいいから」
「たしかに」
レッドだったら、ルナは雹吾ともマサタカとも付き合って、誰とも喧嘩せずに、幸せに過ごせるのだろうか。
雹吾にも、ルナ以外の彼女ができて、ルナが忙しい時には、別の彼女に癒して貰えるかもしれない。
そう、たとえば、虚子とか。
「……」
自分は、何と言う事を考えているのだろうか。
これでは、ルナのことなんか責められはしない。
なんで、こんなことになっているのだろう。
その時、電子音が鳴る。
神社から少し離れた場所にある、幾つかのエレベーターのうちの、ひとつ。
それが、この屋上に到着した、お知らせの音。
そして、エレベーターが開いた。
雹吾と虚子は、息を呑む。
エレベーターの中からは、ルナとマサタカが、ふたり一緒に歩いて出てきた。




