第二十一話 命をかけるべきもの
大石虚子は、薔薇の花束を花瓶に移し、水道の水を注いだ。
本当は茎に付いているはずの棘は、全て落とされていて、滑らかな手触り。
葉っぱが一枚だけ、ステンレスのシンクにひらりと落ちた。
胸が、ドキドキする。
まるで、かけっこをしたあとみたい。
頬が、熱をもつ。
今、鏡を見たら、きっと真っ赤だ。
間違えて、石化の瞳を起動しないといいけれど。
頬が緩んで、口元が勝手に笑みの形をつくる。
傍から見たら、ニヤニヤしてて気持ち悪いだろう。
でもきっと、止めたくっても止まらない。
「うーろこちゃん」
背中をちょんと、つつく指。
振り向けば、小柄なサイクロプスの治癒師の女子、斑鳩莉々が立っていた。
「うかれるのは仕方ないけど、よくないよ、あれ」
「……あれって?」
「その花束。ルナちゃんが受け取ろうとしてたの、横から取ったでしょ」
「えっ? わたし、そんなことしてた?」
自覚していない自分の行動を指摘され、初めて自覚する。
言われなければ、全く気が付かなかった。
恥ずかしさで、ますます顔が熱くなる。
(あ~、わたし、ヤバいな……)
大石虚子は恋をしていた。
よりにもよって、婚約者がいる相手に。
ここがレッドだったならば、多夫多妻が認められているため、第二婦人の座を狙えるかもしれないのに。
なんでレッド以外の異世界は、どこも一夫一妻なのだろうか。
約束された失恋に、胸が締め付けられるように苦しくなる。
「ごめんね、莉々ちゃん。ルナちゃんには後で謝っておくから」
花瓶を脇に置き、両手を合わせて莉々に告げた。
でも、また同じような事が起きれば、同じことをしてしまいそうな自分がいる。
盲目になっているのは分かってはいるが、心が勝手に全力疾走しちゃっているのだ。
莉々は、やさしく虚子の肩を叩いた。
「ま、まあ、気持ちは分かるよ。すっごく。
私も、ヒカル君の彼女の一人になるつもりだし。
でもほら、レッド人同士と、そうじゃないのだと、違ってくるじゃん?」
「……うん。わかってる、つもり」
虚子は目を伏せる。
レッド人は他の異世界人と比べて、寿命が短い。
グリーン人やイエロー人は、千年以上生きる人もいるし、ブルー人だって病気や怪我が無ければ、八十年から百年弱ほど生きられるらしい。
魔王として覚醒した雹吾やルナも、きっと千年を超えて生きるのではないか。
それに比べて、レッド人は五十歳から六十歳前後で寿命を迎える。
だからレッド人は、恋愛に命をかけるのだ。
多夫多妻が認められているのも、子供を残して親が死別することも多いから。
あいにく虚子の父母は、互いのみを愛していたため、ふたり揃って交通事故で亡くなったあとは、虚子は孤児となってしまったが。
そういったケースも含めて、レッドは児童養護施設がきちんと整備されている。
虚子は、毎日を全力で生きていた。
友人の麻子や夏美は、とても長く生きるだろう。
でも、自分のタイムリミットまでなんて、あっという間だ。
だから、好きなことを全力でやりたい。
好きなものを全力で掴み取りたい。
好きなひとを全力で愛したい。
おばちゃん先生だって、もうそんなには長生きできないだろう。
きっちり大学を出て、きっちり就職をして、早く安心させてあげたい。
そして、本当ならば、雹吾を紹介したい。
この人が旦那様だよって。
莉々が、くるりと背後を見せて、歩き去る。
そして、何度か心配そうに虚子へと振り返りながらも、談話室に戻って行った。
この世の中は、シンプルなようで複雑で、でもやっぱりすごく単純だ。
雹吾には他に彼女がいるから、自分にチャンスは来ない。
突き詰めて考えれば、ただそれだけの話。
虚子の視界が、揺らぐ。
いつのまにか、ちょっぴり泣いていた。
ああ、このシンプルな世界が、もっとシンプルになればいいのに。
ルールなんて何もなくて、ルナも私も、雹吾のもの。
たったそれだけで、みんながハッピーになれるんだけどなぁ。
虚子は、花瓶に生けられた薔薇の花束を眺める。
(あなたはいいね。無条件で、みんなから愛されるんだもの)
虚子は薔薇の花びらを一枚ちぎって、息を吹きかけ、飛ばす。
薔薇の花びらが、ひらひらと、濡れたシンクの中の、水滴の上に舞い落ちた。
★
(雹ちゃん、本当に王子様になっちゃったんだぁ)
ルナは寮の廊下を歩きながら、先ほど悪五郎から言われた事実を噛みしめる。
雹吾は魔王の息子であり、また、雹吾自身も魔王として覚醒し始めてはいるが、魔王とは強大な力を持つ者への一種の称号であり、実際に人々を統べるかどうかはまた別の話。
しかし、ここに来て、現実に民を統べる国王の王子となった。
ルナは、純粋に嬉しかった。
今までは、くちさがない者たちが、内閣総理大臣の娘の婚約者が、魔王の息子とは言えど、ただのブルーの一般人であることを、事ある度に揶揄してきたのだ。
ルナ自身は、雹吾が貴族だろうが平民だろうがどうでもよかったが、これで雹吾を叩く者が少しでも減るのは、ありがたい。
ルナは廊下をスキップする。
すると、廊下の角に差し掛かろうというところで、角からやってきた集団が、ルナにぶつかった。
「きゃあっ!」
「うおっ!」
「あいたっ」
当然、ルナの強靭な肉体は、びくともしていない。
倒れたのは、ぶつかって来たグループの人たち。
ルナは、倒れた内のひとりの、一つ目の女子に手を差し伸べた。
「ご、ごめんなさい! ぼーっとしてて……」
「う、ううん。私たちの方こそ、ちゃんと前を見てなかったから……」
すると、モノアイの女子が、ルナを見て目を丸くする。
「さ、山ン本さん!? 三組の!」
「う、うん。そうだけど……」
はて、どこかで会ったことがあるのだろうか。
首を傾げるルナ。
もしかしたら、ヒカルのハーレムの一人かもしれない。
モノアイの女子は、興奮が冷めないまま、ルナの手を握りしめる。
「私、一組の入江って言います!
ヒカル君と! ヒカル君とお近づきになりたいの!
一組と三組で、合同イベント何かやらない!?」
やはり、ヒカル関係だったようだ。
入江さんは、もの凄い圧力でルナの答えを期待していた。
ルナは、困った顔で、記憶を模索する。
「あー、そ、そうだね。
んーと……。
あ、そうだ。ゴールデンウィーク、大蛇プラザにみんなで遊びに行くから、一組と三組、合同でってのはどう?
私の一存で決められないから、これからみんなと相談してみないと、何とも言えないけど」
「是非お願いしますぅ!
みんなもそれでいいよねっ!?」
一組のメンバーは、入江さんの魂の叫びに押され、ただ頷くばかり。
入江さんはガッツポーズを決めて叫ぶ。
「いよっしゃあああっ!
そうと決まれば、山ン本さん!
連絡先交換しよ!」
ものすごい速さで、スマートフォンを取り出す入江さん。
ルナは、その気迫の凄さに、やや気圧されながらも、チャットの連絡先を交換した。
すると、背の高い、日に焼けた男子が、爽やかな笑顔でスマートフォンを差し出してきた。
「一組の佐村マサタカです。
生粋のブルー人だよ。この学校じゃ珍しいでしょ。
山ン本さん、俺とも連絡先交換しよ」
「え? あ、うん」
その場の流れで、佐村君とも連絡先を交換する羽目になったルナ。
佐村君は、純粋に嬉しそうだ。
「やった。美人の友達ができた」
佐村君の隣の三つ目の男子が、佐村君にチョップする。
「山ン本さん、婚約者いるからな?
しかも最近魔王に覚醒した奴だからな?」
「うん、知ってる。
でも嬉しい」
佐村君は、あくまで爽やかな笑顔。
そして一組のメンバーは、ルナに手を振りながら去って行く。
特に、入江さんが熱烈な視線を送りながら。




