第十六話 笑名 村咲
笑名 村咲は、今日から二十歳になる優男。
グリーンの成人は二十歳である。
今日の誕生日を迎えると共に、村咲がこの孤児院の院長となったのだ。
役所の担当者は、淡々と書類手続きを進める。
村咲の隣には、昨日までの院長である太った男が、脂汗を垂らしながら、身体を震わせていた。
担当者が村咲に書類を渡す。
「終わりました。これで名義変更は完了です」
「ありがとうございます」
仕事を終えると、さっさと退散する役所の担当者。
応接間に残されたのは、村咲と元院長の二人だけ。
「さて」
村咲が立ち上がると、元院長が、ビクッと身体を震わせる。
院長が、涙目になりながら、村咲に懇願した。
「た、頼む。助けてくれ。
俺が、俺たちが悪かった。
命だけは……」
村咲が、口を三日月のように吊り上げ、笑みを作る。
「ヒッヒッヒ。
そうでした。
名義変更に協力すれば、命だけは助けるって話でしたね」
今、この孤児院には、村咲と、村咲の恋人の菫と、元院長の三人しかいない。
他の連中は、既に村咲が殺した。
死体は、孤児院の裏手の庭に、雑に埋めてある。
村咲が、笑う。
「ヒッヒッヒ。
そんなの、嘘だよ。
助ける訳ないだろ」
そう言って村咲は、自分の能力の封印を解除する。
元院長の太った身体が、茄子のような紫色に膨れ上がった。
「がっ、はっ。
た、たしゅけ……」
目や耳や鼻から、毒々しい色に変わり果てた血液が、流れ出す。
元院長は、応接室のソファから転げ落ち、藻掻き苦しむ。
息を吸っても酸素が取り込めないのだ。
「お、ねが、い……」
倒れた元院長の頭を、村咲は踏みつける。
「安心しろ。
すぐに、全員、後を追う事になる」
そう、全員だ。
この大和の国の全員を、殺す。
村咲の心は、恋人の菫に対する愛と、それ以外の全ての人間に対する憎しみしか感じなくなっている。
村咲の靴の裏では、元院長が茄子色の皮膚になって事切れていた。
「……なんだよ、もう終わりか」
村咲の能力は、強力無比ではあるが、苦しめたい相手もすぐに死なせてしまうことだけが欠点だと、村咲は思う。
この男も、後で適当に埋めるとしよう。
これで、この孤児院には、村咲と菫の二人きりとなった。
村咲は応接室を出ると、孤児院の廊下を歩き出す。
この孤児院には、屈辱の思い出しか無い。
だからこそ、この孤児院を拠点にするのだ。
憎しみを忘れないために。
村咲は、廊下の突き当りのドアをノックする。
中から、入室を促す、か細い声がした。
「入るよ、菫」
村咲がドアを開けると、白いベッドの上に座る、痩せた女性がいた。
村咲の恋人の菫。
同い年の二十歳だ。
菫の身体は、病魔に蝕まれている。
年端も行かない頃から、長年、この孤児院のあらゆる人間に嬲られてきた、菫の肉体。
父親が誰か分からない子を、何度も妊娠しては、何度も堕ろした。
何の力も持っていない孤児の村咲では、菫を助けることはできなかったのだ。
あの時の絶望を思い出すと、今でも吐きそうになる。
挙句の果てに菫は、グリーンで問題になっている、致死的な性病に感染した。
早期から治療を始めていれば助かったはずの菫の命だが、この孤児院の奴らが金のかかる検査などするわけがない。
気づいた頃には、もう手の施しようがない状態だった。
当然、菫の身体を弄んでいた奴らも同じ病気にかかっていたが、そいつらがこの世に存在していること自体が村咲には我慢がならず、村咲の能力が開花したと同時に皆殺しにした。
村咲は、菫の髪を撫でる。
村咲は、菫と身体を重ねたことはない。
病気の感染のこともある。
だが、本当の理由は、菫が怖がるのだ。
菫を乱暴し続けてきた、男たちを思い出してしまうのだろう。
しかし、村咲はそれでもよかった。
村咲は、菫を愛している。
髪を撫でるだけでいい。
手を繋ぐだけでいい。
村咲は、そっと菫の手を握る。
菫の目は、暗闇そのものであった。
そして、村咲の目も、また同じ。
「菫。もうすぐ僕たちの夢が叶うよ」
「ほんと?うれしい」
村咲と菫の夢。
それは、この大和の国で、最後の人間になること。
村咲たち以外の人間が滅びたこの国で、どこかの適当な家を拝借し、お喋りでもしながら、ふたり一緒に最後の時を過ごす。
そして、村咲と菫は、そのままふたりで死ぬのだ。
ふたりの死体は朽ちて、風に吹かれて、混ざり合う。
もしそれがかなうならば、なんて幸せなことだろう。
それは、本当ならば到底かなうはずもない、愚かで退廃的な夢だった。
つい数週間前にあの男が来て、村咲の魔王としての能力を開花させるまでは。
『解錠屋』
コートについたフードを目深にかぶった男は、そう名乗った。
アンロッカーは、かぶったフード越しに頭を掻いて、村咲に告げた。
「あっしはですねぇ。眠っている魔王や邪神の才覚を、強制的に目覚めさせることができるんでさぁ」
アンロッカーは、飄々と言う。
手に持った、銀色の鍵を村咲の胸に差し込んで。
痛みや苦しみは全く無かった。
そのかわりに、胸の奥から、力が湧き上がってくるのを感じた。
村咲は問う。
なぜこのようなことをするのかと。
「いやあ、だって、見たくありませんかい?
魔王や邪神の、バトルロイヤル。
これぞ、ザ・エンターテインメントでさぁ。
え?あっし自身ですかい?
いやいや、あっしは弱いですぜ。
そこらの一般市民にも負けますわ。
あっしができるのは、封印されている力を解錠するだけでさぁ」
そして、ふと目を離した隙に、いつの間にかいなくなっていた、アンロッカー。
村咲に残されたのは、妖怪『ひょうすべ』の、毒の魔王としての力。
アンロッカーが言っていた、他の魔王や邪神とやらには、興味は無かった。
でも、計画の邪魔となるのならば、喜んで対峙しようではないか。
村咲は自問自答する。
きっと、僕の心はもう壊れているのだろう。
この世の不条理と、辛すぎる運命に、こねくりまわされ、正常な形の人間の心など、とっくの昔に無くなっているのだろう。
なにせ、菫を乱暴した奴らだけではなく、菫以外の、全ての人間が等しく憎いのだから。
ふたりだけの世界が欲しい。
たとえそれが、屍山血河の果てにあるとしても。
★
大蛇学園の寮は、同じ高さの三つのビルから成り立っている。
左が男子寮。
右が女子寮。
中央のビルが、男女関係なく使える共有スペースだ。
生徒の親が雇っている護衛や執事やメイドも、この寮で暮らしている。
そして、中央の共有スペースビルの屋上には、小さな神社と鎮守の杜が作られていた。
雹吾は、ルナの手を取って、鎮守の杜を歩く。
ふたりとも、ソーダ味のアイスキャンディを齧りながら。
赤い鳥居の両側には、満開の桜が咲いていた。
「雹ちゃん、なんか、なつかしいね」
「うん。小さい頃は、よく来たよね。神社」
ふたりは、桜の根元に備え付けられている、ベンチに座る。
頭上からは、雹吾とルナを祝福するような、桜吹雪。
「ねえ、雹ちゃん。憶えてる?」
「何を?」
「私たちの、ファーストキス」
その言葉を聞いて、一気に体温が上がった気がした。
ルナの頬も赤く染まっている。
「もちろん、憶えてるよ」
憶えているどころではない。
まだ小学校の低学年の時、戯れにした、キス。
雹吾はたびたび、幼少の頃の甘い記憶の中のルナに、恋をし続けていたのだ。
まさか、高校生になって再会できるとは、夢にも思っていなかったが。
ルナはアイスを、ひとくち齧って、雹吾を見つめる。
「あの時も、満開の桜の木の下だったよね」
「うん。懐かしいな」
「はい、雹ちゃん。問題です」
「ん?」
「今、雹ちゃんがすべきことは、なんでしょうか」
真っ赤な頬で、質問するルナ。
今の話の流れで、わからない訳がない。
だけど、高鳴る心臓が邪魔をして、行動に移すのに大量の勇気が必要だった。
ルナの肩を抱きよせる雹吾。
アイスを食べているくせに、顔が熱くてたまらない。
そして、ルナの唇に、そっとキスをする雹吾。
恥ずかしくて、すぐに離してしまったけれど。
ルナが、呟く。
「冷たいね」
今の今まで、アイスを齧っていたのだ。
ふたりの唇は、冷えていた。
「雹ちゃん、あっためて」
そう言って、ルナは雹吾の唇にキスをする。
突然のできごとにびっくりして、思わず離れそうになる雹吾。
しかし、アイスを持っていない方のルナの手が、雹吾の身体をがっちりと捕らえて離さない。
雹吾も、あらためてルナの肩を抱き直し、キスを続けた。
長い、長い、キスを。
満開の桜の木の下で。




