第十一話 曇天の魔王
双頭の狼、オルトロスの大群が、雹吾に迫る。
暗闇で良く見えないが、足音から察するに、百匹以上はいるだろう。
あまりにも危険すぎて、大蛇学園の教師陣すらまともに探索ができない、ダンジョンの地下五階。
今、その地下五階の牙が、雹吾たちに襲い掛かる。
だが、雹吾は落ち着いていた。
自分の身の内から湧き上がる、力。
魔王として目覚めたばかりだが、この力があれば、オルトロスの大群にすら負けない。
雹吾は、両手を広げる。
黒い羽織の背中の『神野』の文字が、金色に輝く。
すると、両手の指先から、肉体が雨雲に変化する。
青い雷を迸らせて。
ゴロゴロと、空気を切り裂き、雷鳴が響く。
完全に雨雲へと変化した雹吾の両腕が、大きく横に広がる。
オルトロスの集団をせき止めるように。
オルトロスたちは、困惑の目を見せるが、たかが人間の小僧一匹の力など、大したことがないと判断したのか、広がり切った雨雲に、速度を緩めずに突っ込む。
だが、双頭の狼たちが、黒雲に触れた途端、青い電流が弾け、一瞬で黒焦げになった。
勢いがついてしまったオルトロスの集団の先頭は、即死する同胞の姿に戸惑うも、ブレーキが効かず、次々と雲に触れては感電死してゆく。
先頭の二十体ほどが炭と化し、ようやく群れの勢いが止まった。
オルトロスの第二陣は、雹吾の腕が変化した雨雲の恐ろしさを理解したのか、雲には触れず、雹吾本体へと跳びかかってきた。
しかし、雹吾の身体は、人間の形を保ってはいるが、その性質は既に雷雲のそれである。
オルトロスの牙や爪が雹吾に触れる端から、その部分が雲となり、触れたオルトロスたちを焼き焦がす。
当然、雲に変化している雹吾の身体は、無傷。
そして、雹吾の腕が変化した雨雲が、さらに上に広がり、オルトロスたちの頭上を覆い始めた。
そこから、ぽつりぽつりと、振り出す雨。
それはすぐさま、滝のような大雨となり、百を超えるオルトロスたちを、ずぶ濡れにする。
ゴロゴロと頭上の黒雲から聞こえる、不吉な音。
オルトロスたちは、野生の勘で危機を感じ取ったのか、身を反転させ、しっぽを向けて逃走する。
オルトロスは頭がいい。
この判断は賢明であった。
ただし、逃げ出すにはもう遅かったが。
天井近くの積乱雲から、大きな雷が落ちる。
まるで、天から光のハンマーを振り下ろされたかの如く。
あまりにも眩しすぎる光。
あまりにも恐ろしい雷鳴。
雷は、濡れた地面を伝播し、百以上のオルトロスたちの身を焦がす。
雹吾の背後で全てを見ていた、一年三組のクラスメイトたち。
雹吾の妖術は、凄まじいの一言。
誰もが、逃げることすら忘れ、茫然としていた。
また、教師陣や凄腕の護衛たちは、周囲への警戒は解かずとも、雹吾の技に目を見張るばかり。
地下五階に広がっていた黒雲が、高速で雹吾の身体へと収束してゆく。
そして、あっという間に人の姿へと戻った雹吾の目の前には、百を超えるオルトロスの死骸が横たわっていた。
これこそが、雹吾の秘めた力の一端。
まだ魔王としては目覚めたばかりで、力の一部しか引き出せてはいないものの、それでもなお、圧倒的な力。
雹吾は、その身に『晴れ』以外の天候を宿す。
『曇天の魔王』
雹吾は振り向き、その場の面々に告げる。
「とりあえずは危機は脱しましたが、まだまだ多くの猛獣の気配がします。
あと、近くにいる中にも、一匹だけ別格のやつがいますね。
今のうちに帰還しましょう」
その言葉を聞き、我に返る生徒たち。
すかさず、塀無樽の作った、地下二階までの直通の階段を登り始める。
学級委員長のトロルの松村君が、巨体でみんなを避難誘導していた。
「慌ててはいけないよ!
転倒事故で死ぬ人だって多いんだ!」
ダンジョンは、ひとつの階層が非常に巨大である。
地下五階から地下二階までの階段は、かなりの長さだ。
数回、野衾が飛来してきたが、ドラゴンの増田先生の火炎放射や、傾国先生の出刃包丁で撃退されていた。
生徒たちが地下二階まで上がるのを見届けると、教師陣と雹吾は、階段へと向かう。
その時、その場に居た全員の背筋に、一気に鳥肌が立った。
何かが来る。
教師陣は、息絶えたオルトロスの群れの向こう側を見る。
暗闇の中から、ゆっくりと、巨大な影が姿を現した。
見上げるほど大きな、白い毛の、猿。
蛇の形の尾が、九つ。
長い年月を生き、途轍もない妖力を持ってしまった、大妖怪。
九尾の鵺だ。
巨大な白毛の鵺が、口を開く。
「あなや。何やら騒がしいと思うたら、久方ぶりの人間であるか。
人の肉は、量が少ないながらも、なかなかの珍味でな。
どれ、我が食ろうてやろうぞ」
九尾の鵺は、そう言うと四足歩行で、洞窟の岩を砕きながら、雹吾たちへと駆け寄って来る。
ヘイムダルが、地面に手を突くと、鵺の眼前に、大きな石の壁が生えた。
だが、九尾の鵺は、いとも簡単に石の壁を砕く。
雹吾が、右手を帯電した雨雲に変化させ、鵺に放つ。
凄まじい雷鳴と共に、鵺の表面に、青色の電流が走る。
しかし、鵺には傷一つ付かない。
鵺は笑う。
「ほほほ。くすぐったいのう。
我が結界に、その程度の妖術が通じると思うかえ」
結界。
鵺の体表をよく見ると、半透明の何かに覆われていた。
おそらく、あれが九尾の鵺を守る結界。
傾国先生が叫ぶ。
「総員、退避ぃっ!」
その場の全員が、ドラゴンの増田先生の背に乗る。
ヘイムダルは、生徒たちが登った後の階段を、猛獣たちが使えないよう、わざと崩壊させてから合流した。
幸いなことに、雹吾以外の生徒全員と、教員の半数は、既に地下二階まで退避済みだ。
増田先生は、翼をはばたくと、牽制として一度だけ鵺に火炎を吹き、地下二階まで続く穴を、飛んで逃げた。
増田先生の背に乗った雹吾が後ろを見ると、鵺が火炎をものともせずに、大きく跳躍し、大穴の空いた地面を通り抜け、地下四階、そして地下三階へと、飛び移って来るのが見えた。
傾国先生が、サングラスに付属された通信機能を使い、地下二階に退避済みの職員へ叫ぶ。
「全員、地上に逃げな!でっかい鵺が登って来てるよ!」
途端に地下二階から生徒たちの悲鳴が上がる。
雹吾は焦っていた。
このままでは、九尾の鵺が、地上まで登って来てしまう。
そうなれば大惨事だ。
奴が地下にいるうちに、決着をつけなくてはならない。
しかし、雹吾の雷も、増田先生の火炎も、鵺の体表の結界に阻まれて効かなかった。
一体どうすれば……。
その時、雹吾の耳に、聖剣の声が聞こえた。
誰も抜けない、聖剣の声が。
「傾国先生!サングラスを貸してください!」
「なんだい、急に!」
「大至急、ルナちゃんに確認したいことがあるんです!」
雹吾は、半ば奪うように傾国先生のサングラスを取り、装着した。
「ルナちゃん!?そこにいる!?」
数秒後、通信機器を渡されたルナが、応答する。
「雹ちゃん!だいじょうぶ!?」
「だいじょうぶって言いたい所だけど、かなりマズい!
ルナちゃんたちは、地上に逃げて!」
「雹ちゃんはどうするの!?」
「何とかする!
ルナちゃん、教えて!
魔王になった今の俺に、…………はできると思う?」
「えっ。で、できると思うけど、そんなこと聞いてどうするの?」
「それができるなら、切り札があるんだ!」
雹吾はルナとの通信を終えると、サングラスを傾国先生へと突き返し、雹吾たちを乗せた増田先生に叫ぶ。
「増田先生!お願いがあります!
俺を、聖剣のところに連れて行ってください!
聖剣なら、あの鵺の結界も斬れる可能性が高い!」
「聖剣!?君も抜けなかったんだろう!?」
「俺は抜けません!でも、抜けるかもしれません!」
「な、なにを言っているんだ!」
「……を、……します!」
「そんなことができるのかい!?」
「わかりません!でも、魔王の力が使えるようになった今の俺なら、出来る気がします!」
増田先生は、それだけ聞くと、大きく翼をはばたいた。
「わかった!行こう、聖剣の間に!」




