二十八 ぼ
「僕はアゲハに着いていくよ。どこに行きたいとか、何をしたいとか思いつかないし。ていうか、僕を連れ出したんだから責任取ってほしいし」
「……っ」
「それでアゲハはさ、これからどういう計画を立ててたの?」
僕の言葉に、アゲハは面食らったように呆けて、でもすぐに満面の笑みに変えて。矢継ぎ早に今後の計画を聞かせてくれた。
「——まるで新婚旅行みたいだな」
アゲハのこれからの行動計画を聞いていた先生が、ボソリと呟いた。珍しく僕も同意した。
「安心して着いて来てね、れん。絶対に後悔させないし、絶対に幸せにしてみせるから」
「楽しみにしてるよ」
相変わらず甲斐性のない僕だけど。
まあ、まだ付き合ってるワケじゃないし、ましてや結婚しているワケでもないから、まだ見せなくてもいいんじゃないかな。
「幸せだなあ。またれんと一緒になれて」
「そんなに?」
「うん。——そっか。そういうことだったんだ」
何かを悟ったように、アゲハは目元に涙を浮かべた。
「最初からこうしていれば、れんを傷つけることはなかったんだね」
ごめんね、れん。ごめん。
涙を拭いながら、でも鮮やかな決意を浮かべて。
「これからは、いいお嫁さんになる」
「……うん。楽しみにしてるよ」
「よろしくね、れん」
これからの未来を想像して、破顔するアゲハ。
そこらのモデルやアイドルよりもよっぽど綺麗な顔が、突如として歪んだ。
——ゴツン。
「あ?」
「ん?」
軽い衝撃が背中から前へ駆け抜ける。と、ほぼ同時に鈍い音。赤信号で止まっていたこの車に、後ろの車両がぶつかってきたようだった。
幸いにも勢いは落ちていたようで、どこか怪我をするようなことはなかったが……。
「いったあ……誰? 殺す」
「クソ、どこの誰だよ突っ込んできやがったのは……。ぶち殺してやる!」
先ほどまでの柔らかな表情が激変し、怒りに体を震わせたアゲハと先生。
僕は後ろの車両に乗っている人が無事でいますようにと祈った。血の気の多い二人に、本当に言葉通り殺されてしまわないか不安だった。
まあ、人通りの多いこんな場所で派手に動くようなことはしないはずだから。
「おいてめえ、どこ見てやが——あ、ちょなんだそぶッ」
車を降りて、後ろの車両の運転席を叩いていた先生の胸へ腕が伸びた。
か細く白い腕。
そんな腕に似つかわしくない釘打ち機をしっかり先生の胸元に当てた運転手は、迷いなくトリガーを引いた。
「!?」
ばしゅん。
実際にそんな音は聞こえなかったけれど、先生は苦しそうに悶えて、さらに五発ほど顔面に向かって釘が発射され、先生は倒れた。
僕は呆然とその様子をサイドミラーから見ていた。アゲハは、運転席へと飛び込んでアクセルを踏んだ。
横断歩道を渡っていた数人のサラリーマンっぽい人が車体の上を転がっていく。僕は、映画で見たことがあるなと呆けていた。
「チッ、本当にしつこい!! しつこいしつこいしつこぃッ!!」
アゲハは信号を無視してエンジンをふかす。
左右に激しく揺れる僕。
窓の外はパニックで、人が次から次へと車体の上を転がっていく。その後ろを、一台の車が追いかけてきていた。パトカーの赤いサイレンが響く。
「どうしていつもこうなの!? どうしていつもうまくいかないの!? どうして、どうして!! やっとれんと一緒になれたのに! やっとれんと……うまく生きていけると思ったのに……ッ!!」
左手を後部座席に伸ばし、いつの間にか握りしめていた拳銃が轟音を鳴らす。
耳がきーんと痛む。ついで鼻腔を刺す火薬の匂い。
三発ほど撃ちながら器用にクラクションを響かせて、アクセルをベタ踏みするアゲハ。
すごい。なんかアクション映画でも見ているかのようだ。
僕は飛びそうになる意識の中でそんなことを思った。
「どうしよう、どうしようどうしようどうするどうすれば逃げられるくそくそくそ!!」
後続車にタックルされ、僕は顔面を運転席のシートへぶつけた。鼻血が流れる。
アゲハは、涙を流しながら親指の爪を噛んで必死に打開策を考えていた。
「……アゲハ」
その姿を見て。
胸が、苦しくなった。
僕はシートベルトを外して、運転席にいるアゲハへと腕をまわした。
「ねえ、アゲハ。僕ね、絵を描くのが好きなんだ」
「……れん?」
「好きなだけで、真面目に描いたことないけど。小さい時に下手って言われてから、描く気にならなくて。でも絵を描くのは好きなんだ」
アゲハの首筋に顔を埋める。ごつん、ごつんと後続車がタックルを仕掛けてくる。崩れそうになる態勢を何とか維持しながら、僕はアゲハに語りかけた。
「アゲハって美術部の部長でしょ? だからきっと、絵を描くのが上手いんだろうなあ」
「れ、れん?! うれしいけど、今はそれどころじゃ——切り抜けたらいっぱいお話聞くから!」
「僕に絵の書き方、教えてよ」
「だから、れん……!」
気がつくと、僕は両目から涙をこぼしていた。それに気がついたのか、アゲハは言葉を呑み込んだ。
「その代わりに、家事をがんばるよ。今はまだ全然できないけど、勉強するから。アゲハが安心できるような家を僕が作るよ」
「な、に言ってるの……そ、そんなの、しなくていいよ。私がやるから、これから、逃げ切ったらきっと……!」
もう無理だよ。だって警察もいるし。人もいっぱい轢いてるから。それにほら、前からもパトカーが来てる。
もう逃げられない。逃げられないから、逃げられないなら。
「僕、アゲハみたいに綺麗な人と一緒にいられて、うれしかったよ。嫌なことはいっぱいあったけど」
「れん……やめて。どうしてそんな話するの!?」
「でも、友達としては大好きだよ。違うな」
アゲハの頬に、僕は唇をつけた。
「——好きだよ、アゲハ」
本心か、はたまた今の状況がそう錯覚させているのかはわからない。
けど、アゲハを救ってあげたいという気持ちだけは。
「一緒に暮らそう。ずっと待ってるから。ずっと。だから、もうやめよう」
「れ、ん」
「僕も、一緒に罪を償うから。だからさ、一緒に——」
瞬間、凄まじい衝撃が車体横から襲いかかってきて、僕は意識を失った。




