二十七 僕。
「………」
ごくりと、その場の誰かが生唾を呑み込んだ。
僕か。丹代さんか。あるいは、サラマンダーちゃんの中身からか。
得体の知れない恐怖が、下から駆け上がってくる。
途端に、重みが増してくる。
サラマンダーちゃんによる物理的な重みと、精神的な負荷。
僕は、震える声で言った。
「だ……だれ……?」
サラマンダーちゃんの無機質な目が、僕を見た。
冷汗が、変えたばかりのシャツに張り付いた。
サラマンダーちゃんはゆっくりと僕のうえから起き上がると、背中部分を弄った。
もぞもぞと、茶色の毛並みが揺れる。
数瞬後、サラマンダーちゃんが取り出したのは、一丁の拳銃だった。
警察が使ってるのと同じような。
引き金に指を入れられるように、グリップを握れるように、右手だけ中の人の指が突き出ていた。
白と黒色のネイル。
忘れるはずがない。
あの日——デパートのベンチで、僕の手の甲に突き刺した、ネイルチップだ。
「……あ、あげ……は」
僕の震える声音に反応したサラマンダーちゃんが、僕を一瞥する。
けれど、すぐに視線は丹代さんへ向かった。
右手の、拳銃とともに。
「ハロー、丹代さん。叫んだら殺す。動いても殺しまーす。部長命令。黙ってそこで見ててね」
「……っ」
「本当は殺してやりたいけど、私のれんを汚したおまえらを殺してやりたいけど、れんの前だからやらないよ。命拾いしたね、このクソビッチども」
言って、サラマンダーちゃんの頭部を片手で脱ぎ捨て、素顔を晒したアゲハは、銃を丹代さんに向けたままその場で着ぐるみを脱ぎ捨てた。
露わになるアゲハの肢体。
丹代さんとは違って、アゲハは中に学校の制服を着ていた。
「さあ、れん。お家に帰ろう? 悪い魔女の家から、一緒に逃げよう?」
「アゲハ……」
「怖かったでしょう? 辛かったでしょう? 可哀想に、れん。まるで男の子のように扱われて……可哀想なれん」
差し出されたアゲハの手。
僕は、恐るおそるその手を握って、立ち上がった。
瞬間、頬に彼女の手のひらが炸裂した。
デジャブ。
昔も、こんな風に叩かれたっけ。
「心配したよ、れん」
「……ごめん」
「行こ」
「……うん」
熱を帯びた頬を抑えて、僕は頷いた。
丹代さんの歯軋りの音が、廊下に響いた。
*
アゲハが僕の手を引く。サラマンダーちゃんの衣装を脱ぎ捨てたアゲハは片手に拳銃を握ったまま、ゆき先輩の敷地を抜ける。
「アゲハ……元気だった?」
僕はどこかズレた質問を彼女に投げかけた。
アゲハは、少し怒ったように言う。
「死にそうだった。れんが居なくて」
「……そっか。ごめん」
「いいよ。また会えて嬉しい。もうどこにも行かせない」
手のひらを潰す勢いで握ってきたアゲハ。痛くて僕も死にそうだ。
ゆき先輩の敷地を抜けると、いつかの黒い車が待機していた。運転席には、案の定岡部先生がサングラスを掛けてニヤニヤと待っていた。
「よお。よろしくやってたか?」
「先生……相変わらずアゲハの奴隷ですか?」
「お、言うようになったねえ。少し強くなったか?」
「どうですかね……」
僕とアゲハが車に乗るのを見計らって、先生はアクセルを踏んだ。
「まあ俺を恨んでくれるなよ。俺にだって生活があって家庭もあるんだ。悪いとは思ってるが、まああれだ。理解してくれ」
「れいかを週一で買ってたとは思えない強情さね。あー、気持ち悪い」
「お嬢、俺とアンタは穴兄弟みたいなもんだろ」
「はあ? 用済みになったら埋めてやるから覚悟しておけよ」
「俺がどれだけお嬢に貢献してきたと……まあいいや。めんどくせえ」
アゲハが運転席を蹴りながら罵倒して、先生がタバコに火を着けた。
なんでだろう。
この雰囲気が、状況が、僕はとても安心できた。
「れん。れんはこれからさ、どうしたい?」
「え?」
「ほら、えっと……」
アゲハはバツが悪そうに頬を掻く。
「当初の予定なら、海外に飛んで世界一周してさ、どこか落ち着いたところに拠点を構えて二人でゆっくり楽しく過ごそうと思ってたんだけどさ。れんが嫌がることは、しないって決めたから」
「……アゲハ」
僕は、苦笑してアゲハの頭を撫でた。
「成長したね」
「む……うれしくないけど、うれしいな」
はにかんで、僕の頬に擦り寄るアゲハ。そんな姿を、バックミラー越しにチラ見していた先生がぼそっと呟いた。
「いつか三人でやりてえな……」
アゲハ。頼むからこの人はどこか遠いところで消してほしい。
「大丈夫。今日限りで縁を切るから」
「そんな冷たいこと言うなよなー」
繁華街に差し掛かる。
いつかのデパートのように、街にはたくさんの人がいて、楽しそうに、幸せそうに買い物をしていた。
子連れの妊婦や家族の姿を見て、母さんは元気にやってるかなあ。とか、これからどうしようかなあ。とか思考を巡らせた。
「アゲハに着いていくよ」
「え、え?」
じーっと僕の横顔を見つめていたアゲハが、驚いたように口を開けた。




