十三 アゲハと。。
総ての支度が終わり、久しぶりに外へ出た。
人気のない通路をエレベーターまで手を繋いで歩く。
首輪から伸びる鎖はアゲハの手首にぐるぐると巻き付けられていた。
「あ、ないとは思うけど大声で助けを呼んでも無駄だから。最上階と下の階には誰も住んでないし、通りすがりの人に助けを求めてもそんな恰好じゃネタにしか思われないよ」
無人云々はともかく、確かに彼女の言う通り誰も助けてはくれないだろう。
首輪と犬耳を白昼堂々身に着けたメイドコスの男を、街中を歩く人間が相手にしてくれるはずがない。
むしろ逃げる。僕ならそうする。
程なくして高層マンションから出た僕たちは、玄関前に停まっていた車両に乗り込んだ。
「よう。久しぶりだな、玖楽。きょうもとんでもなく可愛いぜ」
「せ……先生……っ?」
運転席に座っていたのは、保健体育の先生だった。
名前は、岡部。
「いやあ、ほんっと相変わらず舐めまわしたくなるような体してんなあ。本当に男か? ちょっと触ってもいいよな?」
「岡部、早く車出して」
「へい、お嬢様」
サングラスにダークスーツを着込んだ岡部先生は、アゲハの一声で車を発進させた。
知り合いが急に現れて、もしかしたら……なんて考えも頭を過ったが、難しそうだ。先生もきっと、アゲハに逆らえない。
「ん? 舐める?」
隣で棒付きキャンディを口に咥えていたアゲハが、首を傾げた。
「いや」
「遠慮するなよ~?」
「ん、んぐぅっ!!?」
アゲハは桜色の唇からキャンディを引き抜いて、唾液で濡れた瑞々しいそれを僕の唇に押し込んできた。
「私ね、甘いものを口に入れていないと死んじゃうの。そういう病気。家の中ではれん——じゃなくて、れいかの唾液を固めた氷を舐めてたけど、外には持ってこられないでしょ? 溶けちゃうし」
僕の知らないところで恐ろしいものが製造されていた事実に鳥肌を粟立たせながら、いい加減に鬱陶しくなってきたキャンディを投げやり気味に砕いた。
薄いストロベリー味。苺が嫌いになりそうな今日この頃。
「できるなら一分置きにれいかとキスしたいんだけど、そこはほら、TPOを弁えてるから」
「昼休みの廊下でとつぜん唇を奪われましたけど、あれは弁えていると言えるのでしょうか」
「うん。大丈夫だよ、誰も居なかったし」
「TPOって人が居る居ないの話でしたっけ?」
しかもがっつりクラスメイトや同学年の人間に見られていたし。
教師が居なかったことが幸い……いや、それこそが不幸だ。
その場に教師が居れば、特に生活指導の先生が居れば、こんな状況にはなっていなかったかもしれない。
「お、あのカップルは絶対に不倫カップルだな。くぅ、羨ましいぜ」
運転席のこの男は、きっとあの場に居たとしてもあてにならないなと確信した。
「ねえ? いい加減さ、敬語やめない? 他人行儀っぽいよ。つぎ敬語使ったら釘——」
「——到着したぜ、お嬢さん方」
アゲハの恐ろしい宣告を遮って、車が停車した。
しかし目もくれず、アゲハは片目をパチリと閉じて言った。
「わかった?」
ドアが自動で開く。アゲハの諭すような笑顔に、僕は黙って頷いた。
「ん~~~! 久々に来たぁ。都内じゃここが一番大きいよね!」
「そう……だね」
「ふふっ」
眼前に大きく広がっているのは、ゾンビゲームなんかで舞台になりそうな大型ショッピングモールだった。
マスコットキャラクターの狐か猫なのかよくわからない容姿をした『サラマンダーちゃん』が、休日イベント実施中の看板を掲げて子どもたちに囲まれている。
「んじゃ楽しんで来いよ。帰る時は電話してくれ、お嬢」
「さ、行こ♪ 私アナスイの服みたい」
先生の言葉を無視してアゲハは手を……ではなく、何故か鎖を引っ張りながら歩き始めた。
周囲の視線が刺々しいものに変わっていく。
休日ということもあり、人の数が尋常ではない。
恥ずかしさと悔しさに顔を赤らめながら、僕は鎖を握った。
ジャリジャリと音を立てて鳴く鎖。
この鎖を断ち切れば、僕とアゲハを繋ぎとめる糸も切れるのだろうか。
楽しそうにはしゃぐアゲハの横顔を眺めながら、そう思った。
思っただけで、僕にそんなことをする器量はきっとない。
この数日で、僕は僕に愛想を尽かしたし、あってなかったような自信もジェンガのように儚く崩れ去った。
僕は一体、何者なのだろうか。
と、思考が哲学寄りに傾いた頃。アゲハがブランドものの下着を持ってきた。
「ねえ、こっちとこっち、どっちが似合うかな?」
「い、一応聞いておくけど……誰用?」
「決まってるじゃん。キミのだよ」
「……右で」
「う~わ、エッロぉ! 黒色って人妻っぽくて興奮するよねえ!」
「………」
そんな調子で、アゲハの買い物に僕は付き合った。
僕が似合うと適当に言った服をアゲハはかごに詰め込み、アゲハは僕に似合うと真剣に選んでくれた指輪をプレゼントしてくれた。
「結婚指輪……ふふっ」
ひとつ三〇万もする指輪をふたり分、カードで一括購入したアゲハは嬉しそうに指先でそれをなぞった。
その姿を店員さんは微笑ましく見ていた。さすが高級店のスタッフさん。多様なセクシャリティにも偏見の目がない。
……って、待てよ。それだと僕は僕が女だと認めたことになるんじゃ……?
「あ、懐かしいね。ゲームセンターっていつぶりだろう」
鎖がジャリンと音を発し、アゲハは嫌がる僕の心情などかまわず若者たちの群れへ突っ込んでいった。
ドン引きする男子高校生。
見ないフリをする子連れの親子。
眉間にしわを寄せた店員さん。
そして、笑顔で女装男子を引っ張り回すお嬢様。
率直に悪夢だった。だんだんと慣れ始めている僕自身にも嫌気がさしていた。
こんなところを、クラスメイトの誰かにみられたら……万が一、母さんと鉢合わせたら。
なんて最悪を想像していると、すぐ隣から怒声が飛んできた。
「ねえ、れいかちゃん!! これぜったいおかしいよ!?」
「え、ちょ、なにやってるの!?」
ガンガンガン。
UFOキャッチャーにキレて蹴りを入れはじめたアゲハを羽交い締めして、奇行をやめさせる。
涙目になってUFOキャッチャーを指差すアゲハは、どうやらクマさんのキーホルダーが欲しかったようだ。
周囲の視線が痛々しいものから、温かみのある視線へと……若干だけど変わった。主に、男子高校生。
「ゆるせない、離してコイツぶっ壊す」
「まってまって、みんな見てるからそんなことやめてッ」
「じゃあ一人でプリクラとってきて」
その流れもおかしいだろ、とは聞き入れてもらえず。
どんな気まぐれか、アゲハは鎖を手から離して僕をプリクラ機の中に押し込んだ。
「うぅ……っ」
羞恥心に耐えながら、僕は律儀に指定されたポーズでカメラに目線を向けた。
今が逃げるチャンスだよなあ、とか頭の中でぼんやりと考えるけれど、あのアゲハが何にも手を打っていないはずがないし。
もし逃げるのに失敗したら今度こそ殺されるかもしれないから、今はやめておこう。
「うわあ」
ただでさえ鏡にうつる僕は美少女にしかみえないのに、プリクラ補正と指示されたポーズが絡まって、僕の顔はもはや二次元だった。
「ニヤニヤしちゃって、そんなに自分がかわいい?」
「ど、どうでもいいでしょ。僕が僕のことをどう思っていようと」
「うんうん、そっかそっかぁ」
「やめろその母親が息子を見るような目」
「じゃ、切ったら半分ちょうだい」
「……わかったよ」
渋々女子高生の輪の中に飛び込んで備え付けのハサミでプリクラを分割した。




