十二 アゲハと。
ベッドから飛び起きて、知らない部屋でぐっすりと眠っていた事実に恐怖する。
ここはどこ?
誰の部屋?
違う、どうして僕はここに……思い、出した。
音楽室。
血に濡れたゆき先輩の姿を。
「っ、せ、先輩は……うぐっ!」
脇腹に痛みが走り、息が止まる。
身に着けた覚えのないネグリジェを捲って脇腹を確認してみると、なるほど道理で痛いワケで、皮膚が青紫色に変色していた。
打撲じゃすまされないような色だ。
どうしてこんなところを怪我しているんだ?
ていうか、なんで僕がネグリジェを着せられてるんだ?
誰の趣味だよ。
まあ可愛いからいいんだけど。
もう何が何だか判らず混乱する僕の目に、希望が映り込んだ。
出口。
扉。
僕は縋るように出口へ向かって走り、祈るようにドアノブに手を掛けた。
『なにを考えているんだ!?』
刹那、怒声。
続けざまに少女の悲鳴と、鈍い音がドア越しに響いた。
思わずドアノブに掛けようとした手が止まり、そっと壁に張り付いて耳を澄ました。
悲痛でいて痛々しい声が否応なく鼓膜を震わせる。
『い、痛い、やめてお父さん……痛いよぉ!』
『おまえは一体何を考えているんだアゲハ! かの――彼を連れ込んで、これから家で飼うだと!? 正気かおまえ!?』
ドスッと鈍い音が振動で伝わり、少女の悲鳴と呻き声がドアを透けて届く。
それから約三十分の間、男の怒声と暴力は止まらなかった。
ドアに背を預けて、僕は黙ったまま少女のすすり泣く声を聴く。
——アゲハ。
お父さんと呼ばれた男は、確かにアゲハと呼んでいた。
つまりここはアゲハの部屋で、僕はここに拉致されてきたということだ。
それを、お父さんに見つかった……のか。
当たり前の反応だと思う。実の娘が男を誘拐してきたのだから。
けど、そうなんだけど幾らなんでもやり過ぎじゃないか。
啜り声がなくなり、ドアの向こう側で動く気配を感じた僕は急いでベッドに戻ると布団をかぶった。
ややあって、部屋へと入ってきたアゲハは、机の上に何かを置くと僕の名を呼んだ。
「れん……ご飯だよ」
返事はせず、寝たふりを貫き通す。
アゲハの声は、弱々しい鼻声だった。
「れん……ぐす」
鼻を啜りながら布団に潜り込んできたアゲハが、僕の胸に顔を埋めて体を震わした。髪の毛から柑橘系の甘い匂いがする。
「れんは、お父さんが思ってるような人間じゃないよ。優しくて、可愛くて、メンタル弱いけど、私の惚れた大好きな人だよ」
涙で濡れたレースの布が肌に張り付く。
顔面を擦りつけて泣くアゲハを、僕は抱きしめた。
「れんぅ……私、絶対負けないから。絶対、お父さんになんか負けないから……」
彼女の強い決意を聴いて、僕は彼女の歪みの一端を知った。
僕は、彼女をどうしたいのだろう。
頭に過ぎった、彼女を助けてあげたいという気持ちについて考えながら、アゲハの背中を撫でる。
より一層体を震わせすすり泣くアゲハ。
彼女の匂いと体温に包まれながら、僕は再び訪れた睡魔に堕ちていった。
*
「れんはこういうのが好きでしょ? あーでもこれも可愛いなぁ。いやこっちにしようか? ん~、迷うなぁ。ねぇ、れんはどっちが好み?」
アパレルショップよろしく沢山の洋服類が納められた一室で、僕は着せ替え人形にされていた。
カラフルな色彩を放つまるで花畑のような部屋で、アゲハはとても楽しそうに洋服を選んでいる。僕の。
次々とワンピースやオシャレアイテムを取り出しては僕に似合うかどうかを訊いてくる光景はまるでデート前夜のようで、しかし安易に僕は喜べない。
理由は単純にして明快。
彼女が選んでいる服は、僕がこれから着ていく衣装なのだから。
それ以前に僕はアゲハに監禁されていて、知覚している限りでは二日も経っている。
母さんは元気にしているだろうか。
ちゃんと警察に届けを出してくれていますか?
僕はそれだけが心配です。早く助けにきて。
「ねえ聞いてる? これなんかどうかな? リズリサの新作。れんはこういうガーリーなファッションが似合うと思うんだけど。童顔で低身長だし。ロリ系で行こうよ!」
薄桃色に散らばったラッピング柄のスカートと肌触りのよさそうなふわふわしたニットを僕の体に合わせながら、黄色い声を上げるアゲハ。
年相応のかわいらしい笑顔を浮かべて、「これに決めた~♡」とハンガーから服を抜いた。
「じゃ、着替えよっか。はい脱いで~」
「……無理」
「知ってる。自分で脱がなくていいよ、私が脱がせてあげるから」
なんの躊躇いもなく穿いていたホットパンツを降ろされ、黒いショーツが露わになった。
下着まで女物だ。
言うまでもなく、ニヤニヤと楽しそうに笑うこの変態女のせいだった。
「やっぱり肌きれい~。スッベスベー。その下着も似合ってるよれん。とってもイヤらしぃ……。はむ、ンチュぅぅッと。はい、足上げてー?」
恥辱に唇を噛みながら、アゲハの指示通り片足を上げる。右足からするりとスカートが上がってくる。
スカートが両足をすり抜けると、アゲハは頬を紅潮させて布のなかに潜り込んだ。
そのなんとも言えない気持ち悪さに前屈みになってスカート越しにアゲハの頭を抑えた。
「んぅぅぅ、いい匂いする……赤血球がね、れんの匂いを体中に運んでってるよ……わかる? 私の赤血球、今すごい喜んでる。発情期みたい。ふふ、ふふふふふふふ」
「……っ」
どんな環境で過ごしたら、こんなにも気持ち悪くなれるのだろうか。逆に尊敬してしまう。
「すぅぅぅぅぅ、ふぅぅぅぅぅぅ……あー……これを芳香剤にして売り出したらきっとミリオンセラーだよ」
人の股間に顔を埋めて深呼吸を終えた変態は、荒い鼻息のままスカートの中から這い上がってきた。
丁寧に内腿から足の親指までを舌でなぞりながら。
「次はニットだね、でもでもその前にちょっと舐めたい……」
「………」
空気に晒されている僕の腹を十二分に味わったアゲハは、ようやくニットを着させる気になったようで、ブラジャーの中から鍵を取り出した。
ちなみに、アゲハの部屋着は下着だ。
僕を誘惑するように、劣情を誘う桃色の下着を身につけている。
「いい? 少しでも妙な真似したらデートはお預けだからね? ね?」
「………」
「返事は?」
「……はい」
ちらりとアゲハが逸らした視線の先に置いてある凶器と、アゲハのショーツに挟まっている幾つかの五寸釘が僕に脅しをかける。
カチャりと手錠を外され、一日ぶりに束の間の自由を手に入れた。
彼女の目を盗んで脱走を図ったことへの罰として、僕は手錠を強要されていたのだ。
手際よく僕にニットを着させ、フリルが沢山ついたガーリーな首輪を嵌められた僕は忌々し気にアゲハを睨みつけた。
「うん、素敵。似合ってるよ、れいか」
僕が、おじさんやお姉さんと会うときに使っていた名前で呼ぶと、アゲハは首輪から伸びた鎖を勢いよく引っ張った。態勢を崩した僕は、半ば辟易しながらアゲハの胸に飛び込んだ。
豊満な肉の塊に歓迎され、きめ細やかな肌が酸素の吸入を阻害する。
「よしよし、いい子だねぇ。好き好きちゅっちゅー♡」
「んぐ……っ」
頭部にキスの嵐を受けながら、アゲハの胸にしがみついて唇を守る。一度唇を許してしまえば、彼女は止まらないからだ。
ようやく訪れた好機を、逃すわけにはいかない。
「さって、私も着替えよー。服、選んでくれるよね?」
無言でうなずいた僕は、適当に服を見繕う為にアゲハから離れた。




