習作2:未タイトル(お題:独り暮らしの部屋に帰ると、トカゲが寛いでいた。何処から入った!?)
微ホラー?
今日も今日とて終電コース、発泡酒数本、ビジネスバッグ下げて家路を辿る。重い足取りでアパートの三階まで上がり、玄関を開ける。待っていたのは仕事の重圧からの解放感、の筈だった。
いつもなら電気を点けるなり、靴を脱ぎ捨て、鞄も発泡酒もそこらへんに放り出し、ベッドにダイブしていた。でも今夜に限って、玄関から一歩も動けない。
だって、私のベッドにオオトカゲが堂々と鎮座しているんだもの。
え、なにこれ。これ、なんぞ??
たまりにたまった眼精疲労、遂に幻覚まで見るようになったの??
蛇に似た目は明らかにこちらの動向を窺っている。鱗の色よりも黒々しく長い舌をべろんと伸ばし、黒い巨体は床へドスン!、飛び降りた。重量ある質量、音は幻覚や幻聴の域を超えてる。
てことは、やっぱり、本物、なのね……。どうでもいいけど、夜中にこんな大きな音立てたら、苦情がきちゃう……。
思わず頭を抱えたくなって、思考力が戻りつつあることに気づく。とりあえず、まずは靴を脱いでから考えよう。
床を這う巨体をおそるおそる跨ぐ。踏んだりしたらたまったもんじゃない。
「ぎゃあ!」
なんて、思った矢先に早速オオトカゲの尻尾の先を踏んづけてしまった。生々しい感触がいよいよ本物だと決定付ける。踏まれた尻尾を鞭のようにしならせ、オオトカゲはのそり、私を見上げた。さっきと違って、目が三角に見えるのは気のせいだと思いたい……、けど。
ぐわぁっと大きく開かれた口、剥きだされた鋭い歯。や、やっぱり怒ってるぅー?!
緩慢な動きから一転、やたら素早い動きで私の足を狙ってくるんだけど?!
「え、やだやだ、こっちこないで!」
終電コースのサビ残帰り、明日はきっと始発乗らなきゃなのに。床を駆け回り、ベッドに飛び乗り、すぐに飛び降りて、洗面所に駆け込む。ガラスの扉越し、オオトカゲは何度も何度も体当たりする度、凄まじい音と大きな黒い影が映り込む。
なんで六帖ワンルームのそう広くない室内で、得体の知れないオオトカゲと追いかけっこしなきゃいけないのさ?!
オオトカゲは懲りずに、更にガラス扉に体当たりをかましてくる。ちょ、割れたらどうすんのよ?!
誰が飼ってたのか知らないけど、躾なってなさすぎ!
オオトカゲは一向にガラス扉への体当たりをやめてくれない。下手したら、本当にガラスが割れるまで続けるつもりかもしれない。いやいや、それは困る!
異常事態に次ぐ異常事態。一周回って冷静になってきた。二〇年以上前に流行ったアニメの、逃げちゃダメだってセリフを唐突に思い出す。私が見たのは、たぶん再々放送だった気がするけど。
勇気を振り絞ってガラス扉を勢い良く開く。ちょうど体当たりするタイミングと被ったみたいで、オオトカゲの巨体が私の顔面にぶつかった。
「んぎぃゃあああぁぁああああぁぁ!!!!!」
両隣の部屋から怒鳴り声と共に壁を叩く音が、意識の片隅に届く。ごめんなさいごめんなさい、それどころじゃないんですぅ!
気を抜くと失神しそうになりながら、びちびち暴れ回るオオトカゲを抱え上げる。うっ、鱗の手触りが生々しいし、首ももげそうだし、前が見えない……!オオトカゲが首から下げるドッグタグに彫られた、トカゲの影の下に『NAITO KAGAYA』がやたら視界にちらついてくる。やっぱりペットじゃない!と憤りながら、勘のみを頼りにふらふらと玄関に向かう。
「ふんっっ!」
前のめりに頭を突き出し、渾身の力でオオトカゲを外廊下へ放り出す。速攻で玄関に鍵をかければ、予想通り、玄関扉にも体当たりをかまし続けている。でも、玄関扉は鉄製だから、破壊するのは不可能。
安心した途端、どどどっと疲れが押し寄せる。ごはんはもういいや、楽しみにしてたビールも飲む気が失せちゃった。シャワーは明日の朝浴びよう……。
私は全ての思考を放棄すると、着替えることもなく泥のように深い眠りにつくことにした。
そして翌朝、私はチャイムの音で目が覚めた。
お隣さんが苦情を申し立てにきたのかなぁ、それともオオトカゲの飼い主かなぁ。申し訳なさ半分、うんざりした気分半分でよろよろ起き上がる。手で隠し切れない大あくびをひとつして、乱れた髪をぐしゃぐしゃ引っ掻いて玄関扉を開ける。
「朝早くに申し訳ありません」
「…………」
外廊下に立っていたのは、お隣さんでもオオトカゲの飼い主らしき人でもなく。
厳つい風貌の壮年の警察官だった。
「実は、この辺りに連続婦女暴行犯の目撃情報がありまして。昨夜深夜未明、こちらの部屋から激しい物音や悲鳴が聞こえてきたという証言も」
「……えっ、と……」
「この男に見覚えありませんか」
『この男に見覚えありません』
即答したって別に良かった。写真の男はネットのニュースでしか見たことない。
でも、だけど……。
「……すみません、写真を、もっと、よく見せてもらってもいい、です、か」
差し出された写真を震える指先で、見やすい位置まで持ち上げる。
手入れされてないボサボサの茶髪。不精髭。どろりと据わった目つきに粘着質な欲が滲んでいる。
そんな男の風貌よりも私が釘付けになったもの――、否、釘付けにならざるを得なかった。
男の首には、トカゲの影、『NAITO KAGAYA』が彫り込まれたドッグタグが下がっていた。
(了)