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心臓の歯車

作者:Veilchen
 きりきり、きりきり。

 私の一日はその音で始まる。アデルお嬢様が私の発条(ぜんまい)を巻く音だ。強靭な竜の髭に、さらに焼きを入れて鍛えた発条が巻き上げられて、矯まった動力が全身の歯車を回し始める。身体の中心から、徐々に手足の先の方へ。鋼の関節を隠すために白い手袋を嵌めた指先がぴくりと動き、俯いた姿勢から首を真っ直ぐに上げて。その一連の動作は、血の通った人間が伸びをするようなものだ。

 そして目蓋を開けて絹の睫毛を震わせて。翠の水晶の眼球に、私はお嬢様のお顔を映す。

「おはよう、グレイス」
「おはようございます、お嬢様」

 輝く金の髪に、青空の色の目、ふっくらとした頬と唇。人はアデルお嬢様のことを香り立つ薔薇とでも評するだろう。五十年に渡ってこの家に仕えた私は、人間らしい語彙も蓄積しているのだ。

「今日もとてもお美しいですね」
「ありがとう」

 機械人形オートマトンの言葉に微笑んでくださるお嬢様の心を、私が完全に理解できる訳ではない。けれど今の主であるこの方の笑顔は、私の歯車の動きを滑らかにする。人の、主のために尽くす――そのためにこそ、私のあらゆる機巧は造られた。仮初に宿った魂――と呼べるなら――でも、誇りを感じることはできるのだ。



 燦燦と日差しが降り注ぐ中庭に椅子とテーブルを出して、アデルお嬢様は手を忙しく動かしている。針を持つ指先が描き出す華やかな刺繍は、婚礼のための意匠だ。ただし、私が最初にお仕えしたレオノール大奥様やお嬢様のお母様のシェリー奥様がしていたような、ご家族やご友人のためのものではない。

「今日中に納品しないといけないの」

 機械が発達した今でも、人は人が作り出したものを尊ぶ。特に、お嬢様のように身分ある――あった――者の手によるものを。私が作られてから時代は変わって、この屋敷もすっかり寂しくなったけれど、失われゆくものにこそ、人は価値を見出すらしい。

「あまり根を詰められませんよう」

 私が代わって差し上げることができれば良いのに。でも、年月を経て錆びつき始めた私の手指では細い針を摘まむことも糸を小さな穴に通すこともできない。私にできることと言ったら、歯車の音をきりきりと響かせながら、お茶を淹れて差し上げることくらいだ。

「グレイスのお茶は美味しいわ」
「恐れ入ります」

 お嬢様のお褒めの言葉に、私の歯車は調子よく回る。練習をした甲斐があるというものだ。かつての私は、奥様やお嬢様たちと同じく給仕される――無論、私には形だけ――側だったから。銀のカトラリーや白磁の茶器と同様、私は当家の財産であり、人と変わらぬ滑らかな受け答えで来客を楽しませ驚かせるための存在だった。社交辞令に過ぎないだろうけど、お嬢様たちの姉妹かと思った、と言われたことさえある。
 でも、この屋敷に客を招く機会は絶えて久しい。ご家族も一人、またお一人とこの家を離れ、使用人もついに誰もいなくなった。残ったのは私だけ。だから、本来私のものではない役目も覚えなくては。

 アデルお嬢様が針を動かすうちに日は傾いて、中庭には夕闇が迫り始める。幸いに今日の分の仕事は終わったようで、お嬢様は針と糸を片付けながら疲れたらしい目を擦っている。

「そうだわ、グレイス。明日は発条を巻いてあげられないの。ごめんなさい」
「お仕事ですか」
「ええ。オルコット商会の午餐の会に呼ばれているの」

 そのような席もまた、お嬢様のような没落した名家の令嬢が重宝される場だった。確かな身元に、礼儀作法を弁えているから。あの家の、と名前を出せば、その場の話題にもなるだろう。客を案内して上着を預かったり飲み物の好みを聞くような召使いの役目、お嬢様には相応しくないはずなのだけど――これも、時代の変化、ということらしい。

「お支度をお手伝いできなくて、申し訳ございません」
「大丈夫、そのために髪も切ったのよ?」

 金の髪を(うなじ)でばっさりと切ったアデルお嬢様の姿は、ウォルター坊ちゃま――お嬢様の叔父君――の声変わりの頃に似ている。妙齢のお嬢様が少年のような髪型をしているところを見たら、レオノール大奥様などはさぞ嘆かれるのだろうけれど。お嬢様は、最近の流行りだから、と笑われる。



 きり……きり、きり……きり。

 夜が更けると、発条が切れかかって私の動きは鈍くなる。人間が眠気に襲われるようなものだ。その時刻になると、アデルお嬢様は私の胸を開いて歯車を一つ一つ磨いてくださる。

「今日もありがとう、グレイス」
「とんでもないことですわ」

 内部の機巧をむき出しにされて身動きが取れない私は、ただ、お嬢様が柔らかい布で歯車の汚れを拭きとっていくのを眺める。
 主要な関節には、魔力をよく蓄える純度の高い月晶鋼を。肌の表層に近い部分は、自然な血色を演出するように薔薇綺髄を使って。負担の大きい箇所には、黒々とした輝きの真金剛を惜しみなく。
 高価で貴重な素材の数々を、更に最高の職人の精緻な技で削り出した歯車たちは、私が長年に渡ってこの家に仕え続けることを可能にしている秘訣だ。長い歳月の間に喪われた部品もあるけど、できなくなった動作もあるけど、テーブルに広げられた歯車はまだ十分な数があった。少なくとも、アデルお嬢様がこの屋敷を去られるまでは持つだろう。

「ずっと元気でいてね、グレイス」
「もちろんです、お嬢様」

 人形に対しても優しく語りかけてくれるアデルお嬢様。私の最後の主。歯車の最後の一つまでも、この方のために。
 かち、と。歯車が止まる瞬間の静かな振動を感じながら、私は毎夜のごとく決意を固める。



 きりきり、きりきり。

 ああ、発条を巻く音だ。お嬢様が起こしてくださる。また一日が始まる――

「始めまして、グレイス」
「貴方は……?」

 だが、目を開けた瞬間に映ったのはお嬢様の眩い笑顔でない、見知らぬ男の顔だった。私は首を傾げようとしたけれど、その動作もとうの昔に喪われたものの一つ。首筋のあたりが軋む感覚がしただけだった。

「オルコット商会のロバートと申します。機械人形を主に取り扱っていて――アデル嬢から、貴女を買い取りたいと」
「お嬢様?」

 ロバートと名乗った男の目が向いた先を見れば、お嬢様はひどく青褪めた顔色をなさっていた。

「グレイス、私――」

 お嬢様が何事か言う前に、ロバートは穏やかな声で遮った。無礼とまでは言わないが、いかにも商人らしい如才ない語り口だった。

「見事な細工の歯車が時たま出回るもので。よく手入れされていたし――持ち主の機械人形がどこにいるのだろうと、ずっと探していたのですよ。やっと辿り着くことができました」
「私の、歯車ですか」
「ええ、最近はあちこちの鉱床が枯れ始めていて。質の良い魔鉱は手に入りづらいのですよ」

 歯車でできた私の脳に似た機巧は、それで大体の事情を察した。

 喪われた私の歯車。高価で貴重な素材。私が主人たちのために捧げたもの。
 最初は大奥様がご病気の時に、小指の関節の歯車を。それから、戦争で食料が足りない時に鎖骨の辺りのをひとつ。戦後の不況の時には(くるぶし)のを。その後も、ひとつずつ、何かしらの機能と引き換えに。ご家族が共に暮らせるということ、屋敷を保つことができるということは、私の幾つかの些細な仕草よりもずっと大事なことだった。皆様は喜んでくださったし、私も感謝と労いの言葉に満足していた。その歯車たちのいずれかが、回り回ってロバートの手に渡ったのだろう。

「グレイス、私は……貴女が動かなくなってしまうのが嫌。もう私しかいないのに、身体を削ってもらうなんて。だから、もっと大事にしてくれる人がいるなら……」
「最高級の機械人形は、もしもの時のための財産でもあるものです。決して、気に病まれることはないのですよ」

 訳知り顔のロバートの言葉などどうでも良い、私はただ、頭の歯車が回るきりきりという音を聞く。ガタの来た私にできることと、私の代価を天秤に掛ける。答えは――最も小さな歯車が一巡する間さえ待つまでもない。

「お嬢様、それなら私は行きましょう。お嬢様はずっと健やかに過ごされますように」

 鬘にするために無惨に切られたお嬢様の髪を、私はそっと撫でた。肩より上には上がらない腕で、各所の歯車に無理を強いる軋みは人が感じる痛みのようなものだろうか。
 涙を浮かべながら手放した美しい髪の束。慣れない外での仕事。全て、私の歯車をこれ以上切り売りしなくても良いように。私との暮らしを望んでくださるのは嬉しいけれど、人形のために人が泣くなどやはり間違っている。

「ありがとう、グレイス。分かってくれると信じていたよ。アデル嬢も、良いですね?」
「……ええ」

 お嬢様が小さく頷いた隙を逃すまいとするかのように、ロバートは素早く何枚かの書類を取り出すとお嬢様に署名を強請った。記された数字を盗み見て、私は密かに安堵する。ロバートは真っ当な商人ではあるらしい。

「あの……記念に何かしてあげても良いですか……? 次の人が、嫌がらないなら……」
「前の持ち主に大事にされていたというのは、アンティークの人形にとっては()になります」

 お嬢様の怖々とした申し出に頷いたのも、商人の良心なのだろう。裁縫道具を取りに走ったお嬢様が、弾む息と震える指を抑えながら私の胸元に刺繍を施す間も、ロバートは黙って見守っていた。

「グレイス。今まで、ありがとう」
「私こそ。このお屋敷にお仕えすることができて、私はとても幸せでした」

 人形に幸せも何もないのだろうけど、私の陶器の唇は滑らかに人間らしい言葉を紡いだ。否、これは真実だ。人形は嘘を吐けないのだから。



 きり、きり……きり、きり。

 ロバートは門の外に機械の馬車を待たせていた。生身の馬とは違う規則正しい振動は、私も経験したことがある。だが、歯車への響き方が以前と違う。違和感がある。

「私は壊れてしまったかもしれません」
「一体どこが? 鑑定には自信があるが」

 ロバートに訴えると、彼は不思議そうに首を傾げた。

「この辺りの歯車が軋んでいます。いつもと、違う……」

 それは、お嬢様が薔薇の刺繍をしてくださった辺り。胸の真ん中から少し左に寄ったところ。人間ならば心臓の位置。そこの機巧が、どうもうまくかみ合っていない。

「人形にも気のせいということはある。長年暮らした屋敷や主と別れるのだから、寂しくても当然だろうさ」
「寂しい……?」

 私はお嬢様の不利益にならないよう、自身の故障を正しく申告しようとしたのだが。ロバートは軽く笑っただけだった。

「眠りなさい。次の主人が決まるまで、アデル嬢の夢を見れば良い」

 言うと同時に、ロバートは何かしらの装置を弄ったらしい。私の歯車の動きが急に止まり、反動であちこちが軋んで身体が捻じれるような感覚が全身に響いた。それもすぐに収まって、私の意識――のようなもの――は眠るように停止するけれど。

 心臓の歯車の軋みは、ずっと止むことはなかった。

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