吉原門外の変・6
「さあさあこれなるは、上州茂吉と申しまするは、ご存知のおかたもござりましょうが、赤城の山の麓を発ってウン十里、吉原廓に面を張って、江戸っ子の腹を満たして参りましたが、本日をもって江戸をおさらば、江戸をおさらばいたします。名残惜しむは見返り柳、八丁畷に空っ風、故郷でかかあが待ってござれば、天下分け目の隅田川。花のお江戸の華と申せば、火事と喧嘩と大食い合戦。われこそ天下の西瓜食いよと、腕に覚えのもののふあらば、いざいざ、名乗りを上げられませ!」
初夏の緑の水田に、朗々と響く梅之助の口上。他の茶屋の客も通りすがりの者も、なんだなんだと面白そうに集まってきた。
江戸の名物、西瓜の大食い合戦をここでやろうというのだ。
「俺ぁ、親父さんをひいきにしてたんだよ。寂しくなるねえ」
「初物かい?よくこんなに揃えたね」
「俺ァ、西瓜がなにより好物だ。一丁食いまくってやるぜ」
方々から声が上がり、たちまち茂吉の茶屋の前に人だかりができた。大食い参加者が四人と、それを取り巻く見物客だ。
その見物人の外側に。
「おいでなすったぜ」
弥九郎が刹那に耳打ちする。茂吉も黒山の人だかりから、迷わずその顔を見とめた。
小袖の緋牡丹も鮮やかな、河内屋の六佐である。
うしろに十二、三歳の娘を三人連れている。着飾ってはいるが目は虚ろで、可愛らしい頬っぺたには生気もない。さんざん仕込まれて、逃げる気力も奪われているのだとわかる。
急遽出現した人だかりのせいで前に進めず、苛立つ様子の六佐を、梅之助がにこやかに扇子で誘った。
「さあ、西瓜の仇はもういないか、もういないか? そこの牡丹の兄さん、いい面構えだね。いやいや貴方ですよ。西瓜食いそうな面してる。どうです、ここで男を上げて行かないかい? いいとこ見せりゃあ、それ、そちらの娘さんがたも、惚れ直すこと間違いなし!」
明らかに女衒とその連れだが、娘たちの不憫な姿に、見物客らは「兄さん、勝負勝負」「男見せなよ!」と囃し立て、合戦の土俵に放り込んだ。
売られる娘の運命に変わりはあるまいが、せめて女衒をからかってやれ、という客の同情心だった。
見栄っ張りの江戸者は、こうなるとあとには引けない。六佐は渋々、西瓜の大食い合戦に加わることになった。
「よっしゃ、俺も」意気揚々と、弥九郎が六佐の隣に腰かける。
「しなびた胡瓜みてえな男に負けてられっかよ」
弥九郎が挑発すると、ぎろりと六佐もにらみ返す。
名乗りをあげた六人の前に、大人の頭ほどもある西瓜が切られて並べられた。
「さあさあ、隠れござらぬ貴賤群衆の、いずれ劣らぬ大食い揃い。見届け人は深川の、長尾本道医がおつとめなさる。弁天様が頬を染め、あずき洗いも振り返る、花のかんばせ、玲瓏玉の如し。西瓜場所に口上、あ、口上ぉぉ」
梅之助の扇子が刹那の前でひらひらとひらめくと、見物に寄っていた茶屋の娘たちが、はあっ、と桃色の吐息をついて頬を染めた。
役者絵のようないい男が、涼しげな顔で腕組みをして控えている。
日頃は吉原通いの、にやついた男衆しか見ないので、娘らは西瓜そっちのけで美しい医者に注目した。
まさか自分に人目が集まるとは思っていなかった刹那は、梅之助を一度にらむと、こほんと咳払いをひとつ落とし、いやいや開会を宣言する。
「存分に腹を病めば良い!」
あ、迷惑なんだな、と全員が察した。
『腹が病んだら俺に任せろ』ではなく、『勝手にしろ、俺を頼るな』の言い方だ。立ち会い医はやけくそだった。
太鼓持ちは医者の恨みがましい視線を見なかったことにしている。図太い。
「では、よいかなよいかな皆々様、参るぞ参るぞ。西瓜大食い場所、待ったなし。はっきよーい……残った!」
梅之助の扇子が振り下ろされ、六人が一斉に西瓜にかぶりついた。
見物客は金でも賭けているかのような盛り上がりで、「行け、行け」「種は飲み込め!」などと勝手な野次を飛ばす。
弥九郎は時おり隣の六佐に、ぷぷっと種を飛ばし、機嫌の悪さを助長していた。
一つ目の西瓜を食べ終わる頃には味の単調さに飽きが来て、全員、食べる勢いが削がれてきた。参加者のひとりが茂吉に「おい、塩をくれ」と怒鳴る。すると次々に、俺も、俺もと塩に手が延びた。
「おい、俺も塩だ!」
六佐が怒鳴る。弥九郎に負けまいと目がぎらついている。
「へい、ただいま」
茂吉が、焼き色をつけた竹筒を六佐の横に置く。
心の臓がどくん、どくんと破裂しそうなほどに脈打つ。
自分が騙した男だなどと、思いもしないのだろう。乱暴に竹筒を掴み、六佐は食いかけの西瓜にざらりと中身を振りかけ、しゃぶりついた。
味が変わって勢いづき、他の参加者も手と口周りを汁でべたべたにしながら二個目の西瓜に手を着けていく。
「だめだあ、小便、小便」
突如、弥九郎が叫んで西瓜の皮を放り投げた。床机をけたてて走り出すと、茶屋の裏手に回り、一段下の田んぼの堰に悠々と小便を垂れだした。
「なんでえ、口ほどにもねえ奴だな」
六佐と見物客がどっと笑う。
「決まり手は、見かけ倒し、見かけ倒しぃぃ」
梅之助も節をつけて客を笑わせる。
三個目の西瓜にかかる客もいる中、六佐に異変があった。
弥九郎と同じく血相をかえて茶屋の裏手に回ったが、そのまま堰へ下りていくと激しく嘔吐を繰り返し、腹を下し始めた。「やだあ」茶屋の娘たちが笑って眉をひそめる。
何かしらの効果とみた梅之助が刹那にすり寄る。
「あれ、なに?」
「利尿作用のある薬を、塩と一緒に詰めた」
目眩や浮腫にも効くとされる白朮、健胃に処方する水芹など、利尿の生薬は多い。糖尿の患者などに用いるが。
「……芹に似た、毒芹というのがある」
江戸では見ないが田舎の山に自生する野草の名だ。芹とは違い、竹のような節のある太い根茎を持ち、全体に毒がある。芹と同じ場所に生えていることもあり、下痢嘔吐、神経錯乱を引き起こす、危険な野草のひとつである。
「暗殺に持ってこいだね。証拠が残らないし、残ってても芹と間違えたと思わせられる」
「……根茎を乾燥させたものを少量、水芹と混ぜた。塩の中に芹の味が混ざっても、大して分からない。検死されても水芹しか注目されないだろう。実際、利尿作用は本当だしな」
「利尿作用、だけ?」
「西瓜が持つ効能に薬を上乗せしただけだ」
夏の水菓子の代表である西瓜は、たっぷりと水分を含むため利尿効果が高い。取りすぎると腹を冷やす。
単独だと不自然な西瓜の大食いも、大人数でやれば目くらましになる。
刹那と茂吉の企みを察し、何かしらの一助になればと西瓜を手配した梅之助の策が功を奏したのだった。
「今、奴は利尿作用が効きすぎてる状態だ。体中の水気が失われて、最悪の場合、命を落とす」
「最悪の場合……」
「……助かれば助かる。罪人を生む必要はない」
目の前で弱っていく仇を見れば、復讐心も少しは晴れよう。どうしても茂吉に人殺しをさせたくなかった刹那の配慮だった。
他人を救うことを何よりも優先する『医者』の刹那に、梅之助は寂しげに笑う。なぜその救いを、自分自身には向けないのかと。
大食いは、四個目の西瓜が勝敗を決めた。六佐と弥九郎は脱落、三人は三個をたいらげたが、四個目に手をつけられた者はいなかった。
最後に残った鳶職人の男は、四個目の一切れを飲み込んだところで「まいった」と唸った。
「勝者、とびの山、とびの山ぁぁ」
梅之助から適当な勝ち名乗りを受けて、男も一目散に茶屋の裏手に駆けていった。
「終わったよ、茂吉さん」
刹那は、仇に薬を盛ったあたりから放心している茂吉に声をかけた。
噛みしめた歯は、やり遂げた復讐への興奮か、しでかした殺人への後悔か。はたしてその背に安堵は乗っているのか。
刹那は未来の自分を見る心持ちで、燃え尽きた男を見つめた。
「古今無双、江戸一番の西瓜狂いなりぃ!」
「よっ、西瓜かついだ布袋さま!」
勝者となった鳶の男を集まった皆がもてはやす中。
「うあああー!!」
突如、茂吉が叫んだ。喜びにも恐怖にも聞こえた声を残し、西陽を背に堤から走り去っていった。
茶屋の下、田んぼの堰には、牡丹柄の小袖が水に伏せたまま、とうに動かなくなっていた。
少々お下品なネタだったなぁと書いてから気付きました……次からは自重します。すみません。
梅之助の長台詞は、歌舞伎のういろう売りからのぱくり。




