蓬莱の玉の枝・12
(崑崙山、蓬莱、龍宮……)
どれも不老仙人の住む聖域の名である。加えて、庶民は一生かかっても見ることすらない舶来の果実、茘枝。
(そうか、この料亭を仙境に見立ててるんだ)
刹那は、改めて龍宮のつくりを思い起こす。
料亭の前を流れる川。次郎吉は三途の川といったが、ここが仙境なら、あれは崑崙山のふもとを流れる『弱水』の見立てだ。
浮く力が弱い川、弱水は、泳いで渡ることが叶わない。仙境崑崙山が昇るに難いと言われる由縁である。
太閤秀吉が長寿を求め心臓を食べたとされる虎は、敷物に。椀の蒔絵は、蓬莱島へと旅した仙女の持つ花籠。
不老不死への憧憬が、しつこいほどに、この料亭には込められているのだ。
(……本丸は、あの襖の奥か……?)
刹那の視線の先には、崑崙山。
龍宮に踏み入ってから、亀以外の者に遭っていない。あの女は仲居であり、まさか料理まで亀の手によるものではあるまい。
板場には料理人が、奥には料亭の主がいるはず。
その奥とは、崑崙山の襖の向こうではないのか。
(覗く価値はある……賭けだけれど)
意を決し、刹那は部屋の前の敷板を踏んだ。
「おかえりですか」
すぐ脇から、亀の声がして驚いた。
能面のような顔は変わらず、刹那の早鐘のような心音だけが耳をうるさくさせている。
気取られるな。刹那は慣れぬ作り笑いで応えた。
「どのお皿も、大変結構なものでした。腹ごなしに少し、この見事な襖を見て回りたくて」
「お連れさまのお姿がごさりませぬが、どちらへ」
「申し訳ございません。連れは魚に弱くて、さよりを食べて発疹を出し、癇癪を起こして先に帰りました。かかりは、私が預かっております」
「左様でございますか」
荒れた部屋を見ても変わらぬ能面。怪しんでいるのかどうかも怪しい。
刹那は、吹き抜けをぐるりと囲む襖絵を見回し、亀に尋ねた。
「これらの襖も見事な筆ですね。奥の襖はおそらく仙人の住む山。周りの部屋も、全て仙境ですか?」
「あちらから泰山、衝山、嵩山、恒山……。お客さまがおられる部屋は、華山の襖にござります」
切り立った岩山を縫う金色の霧。人を寄せ付けない神聖な霊場である。
「一階には菖蒲や虎、二階の襖は大伽藍……。だんだんと世俗から離れてゆくのですね。不老不死を目指して」
刹那の言葉を詰問とは捉えなかったのか、亀の返事はない。龍宮の趣向でもあり、わざわざ説明するのも無粋ということか。
しかし刹那の目的は、趣向に隠された殺人である。
「虎の心臓よりは手に入れ易かったでしょうしね。あの椀の目玉は」
「……蓬莱の玉の枝のことで、ござりましょうや」
初めて、亀の返事が遅れた。
蓬莱の玉の枝の正体を、亀は知っている。
焦ってはいけない。どくんどくんと跳ねる鼓動を抑え、刹那は静かに亀の顔の変化を見定める。
「奇妙な番付があると聞き及びました。黄泉料理屋番付、とか……。龍宮は、その番付に載る料理屋だそうですね。どのような料理で星を取られたのですか?」
「この龍宮は、不老長寿を切に願う方々をお迎えいたします料理屋でございます。人魚のお造り、金丹を炊いた香の物、天の甘露……。腕の確かな料理人が自ら考え、産み出した一品にござります」
「吉次という男は、どんな料理人でしたか」
材料も気になるが、今はそこではない。刹那はここに来た目的を、口にした。
亀は応える。
「あい。龍宮の主もたいそう気に入った、蓬莱の玉の枝を産み出しました者にござります」
竈門の火が爆ぜるのと、ふたつの刃が火花を散らすのが同時であった。
「梅、こいつらっ」
「ただの料理人じゃないよ、弥九郎。『刀を持った侍』だ」
二十畳はあろうかという龍宮の板場である。土間には竈門がいくつも据えられ、大鍋が湯気をあげている。
黒漆塗の膳、酒樽などが隅に積まれた板の間。
見張りを警戒して勝手口から侵入した梅之助と弥九郎は、不審者に驚く料理人……ではなく、黒い羽織袴に口元を隠す黒い面頬、介錯人とは真逆の色を纏った男たちに囲まれた。
男らの手には包丁。つい今しがたまで魚を捌いたり、青菜を切ったりしていたものだ。
しかし動きは侍のもの。ただ刃物を持っただけの素人ではない。
「菜切衆という、包丁使いの武士がいると聞くけど、彼らのことじゃないかな」
背中を預ける弥九郎に、梅之助が語りかける。抜き身の刀と目は、黒尽くめからは外さない。
自分を囲むのが三人、弥九郎を囲むのが三人。柱も壁もある室内は、刃渡りの長い刀を振り回すには不利である。
「メシ作れる侍ってことか?」
「江戸詰め武士の闇鍋じゃないよ。主君に出せるほどの料理を作る、そっちの腕も確かな侍ということ」
「つまり?」
「この料亭の主は、舌の肥えたどこぞの殿さまだね」
梅之助の口を封じるように、包丁を振り上げた三人が襲いかかった。
刀相手とは間合いが違う、超接近戦。
梅之助は受けることはせず、弥九郎の背をばねにして土間に滑り降りた。板の間にさくりと、重い包丁が突き刺さる。
かすっても大ケガする状況というのに、侵入者たちの会話はのんきなことに、まだ続いていた。
「舌の肥えたってんなら隣の若さまだろ。藩の金で贅沢三昧、てめえが気に入った料理屋をてめえで番付してるって噂だぜ」
「それでも足りずに自分で料理屋作っちゃった、と。なるほどね、新しい料理の案を持ち込ませるための『膳いくさ』か」
「値の張る材料の奪い合いになるだろうな」
「そのうちゲテモノも食べそうだよね。シラスの目玉とか」
「人の目玉とか、な」
弥九郎を囲む三人が、包丁を振りかぶる。
弥九郎は丸腰である。剣術の心得はないため、そのへんのものを取って喧嘩するのだが、さすがに茶碗や飯びつで包丁を相手することはできない。が。
「へえ、まさかの当たりかよ?」
にやりと笑う。黒尽くめの男らは、歯噛みして固まった。
侵入者が手にしたのは、賓客への饗応に使う主家の家紋入りの器。家臣である彼らが絶対に刃を向けられない相手である。
「前畠家の皆さま、ですか」
「……!!」
ただの賊としか見ていなかった男らに、主家と龍宮の繋がりを看破されようとは、菜切衆らは思いも寄らなかった。
「てことは、都合悪りィことを請け負う奴が要るな」
「吉次って男を殺した方法……いや、隠した方法、かな」
行き過ぎた美食への執着で、早くから隠遁させられた若君がいる。
前畠家の現藩主の八男、名を魚彦というが、まな板の上で死にたいと、本人がつけた名である。
江戸で生まれ育った魚彦は、聡明にして好奇心にあふれた幼子であった。領地から送られてくる塩鮭、干鰯、鯖節……それらの味の虜になった。
ほどなく、魚彦専属の料理人を前畠家は抱えることとなる。剣の腕も、料理の腕も立つ者たちは菜切衆と名付けられた。
魚彦、十二歳。真珠を酢に溶かし、飲んだ。異国の傾城美女の真似だという。
魚彦、十三歳。人間の女の母乳で育てた猪を食したいと言ったとき、父は気味悪がりながらも整えてやった。
魚彦、十五歳。遅くに玉のような姫を授かった父と母に、魚彦は言った。
「赤子の肝は不老長寿の薬と申します。どうか私に食させて下さいませ」
母は悲鳴を上げ、以来、魚彦は妹に会えなくなった。四ツ谷の藩邸から遠く離れた本所の外れに屋敷を与えられ隠遁、表舞台から姿を消した。
しかし、荷を商う者らの目には留まる。
時おり本所の前畠屋敷に運び込まれる舶来の漢方、高価な食材、珍品奇品。前畠さまは江戸一の美食家であると、密かに知られていった。
「前畠さま。我らと美食の高みを目指しましょうぞ」
常人と同じ食では満足できぬ、舌も目も肥えた『大通』と呼ばれる豪気の者らは、前畠魚彦を盟主とし、選ばれた者だけの料亭『龍宮』を造り上げた。
食を極めたその先の、不老不死を叶えるために。




