蓬莱の玉の枝・11
金屏風の白虎に睨まれながら、刹那は笹さよりに箸を伸ばす。
敷いた笹の緑が透きとおるほど薄く切った白身のさよりは、酢塩で〆められていて、噛むと染み出る魚の旨味がいっそう引き立っている。
「ん、これ美味しいです」
「どれ?」
「さよりの酢締め」
「あー、俺かますの方が好きだから」
「かますも美味しいですけども」
こんなに手の込んだ魚料理は食べたことがなかった。素直に驚いた。
煙にむせびながら七輪で焼いたかますも美味いのだが、何の違いかこちらの方がより美味いと感じる。人の金で食う飯だからだろうか。
次郎吉はといえば、ありがたみもなく茶碗蒸しをかき込んでいる。
江戸の料理といえば鰹節だが、これは昆布だけで取ったまろやかな優しい出汁。海老と帆立が軟らかなたまごに包まれて、目にも鮮やかな彩りである。
刹那が苦笑いを向けた。
「もっと味わって食べませんか」
「そんな暇ねえんだよ」
もう千両箱しか見えていないようだ。
覗きたい場所はいくつもあるが、まずは出された料理を平らげなければ怪しまれる。そんな食いっぷりである。
「このあと、もう一品出てくるんですよね」
「それまでここから動くなってこったろ。待ってられるかよ。俺が中座しても、あんたがいれば十分だろ。厠に行ったとでも言っといてくれよ」
「それは構わないですけど……私もひとつ、気になるところがあるんです」
次郎吉が、茶碗蒸しの匙を止めた。探るような目つきになる。
「ここの前庭に、小さい川がありましたよね」
「あァ、三途の川か?」
龍宮城かと思う前に、次郎吉が極楽かと言ったのは、池ではなく川が流れていたからだ。
「川の流れは、右手……前畠さまの屋敷の方から、左手の法恩寺の方に流れていました。でも、私たちが竹垣沿いに歩いてきたとき、水の音を聞きましたか?」
「水の音ぉ?」
提灯を追いかけることに夢中で、周りの景色など次郎吉は見てもいない。見たところで真っ暗だったが。
しかし橋を渡った覚えはない。匙を咥えながら、道々を思い起こす。
「川は見なかった……と思うぜ」
「ええ。庭の川の水は、どこから流れてきたんでしょう?」
「……!」
川が消えているのだ。
生け簀を持つ料亭は川の傍に建つ。柳水亭がそうである。川の水を引き込んで庭に巡らせ、また川に戻す流路を作っている。
大名屋敷の庭園などは、湧水のところもあるが、流れの先には当然、川がある。
龍宮には、どちらもない。
「この龍宮は、南は私たちが歩いてきた木立、東は前畠さまの屋敷、西は法恩寺です」
「じゃあ、法恩寺の境内に川が流れてるか、龍宮の北に川でもあるんだろ」
「もちろんそうかもしれません。でもそうすると、この料理も少し、腑に落ちない」
「料理?」
「川魚がないんです」
川の水を引き込む目的は、生け簀で川魚を飼うこと。そうして新鮮な鮎を使った鮎飯や、鯉の洗いなどを名物料理とする。
庭には水を引き込んでおきながら、龍宮は、生け簀を作るつもりがないことになる。
「鯛、あわび、さより、海老……。確かに全部、海のものだな」
「知り合いの料亭は、鯉や鰻を出してたはずなので。龍宮だから海のもの、と言われれば、それまでなんですけど」
ここまで贅を尽くしながら、新鮮な魚を使わないことが、刹那にはちぐはぐに見えた。
(それに、水路があるなら、吉次が川に浮かんだこととも繋がるのだけど……)
駕籠かきたちは、横川に人が放り投げられたと言ったが、誰が見た話なのか。
龍宮から横川までは、あいだに法恩寺を挟んでいる。吉次が龍宮で死んだ、または殺されたとしたら、誰かが法恩寺の敷地をえっちらおっちら、男の死体を抱えて運ばねばならない。
誰がそんな目立つ真似をするというのか。
庭の曲水では、大の男が流れるには足りない。ここが吉次殺しに関わっているなら、もっと水量が必要だ。
しかし、柳水亭で認められなかった男が、龍宮で腕を振るいたいと思うのは、不思議ではないと思えた。おそらくここに、吉次は来たのだ。
次郎吉が匙を卓に置き、にやりと笑う。
「探るのは千両箱のありかと水の出どころ、ってこったな」
「はい。どこかに、もっと大きな水の流れがあるかもしれない」
龍宮の水が庭の小川だけなど、水のもちぐされだ。客の目に触れないところに、別の水がある。刹那はそう感じた。
「お待たせ致しましてござります」
そのとき、部屋の外廊下に、亀が現れた。
ふたりを案内したときと変わらぬ、能面のように白い美貌を伏せて指をつき、頭を垂れる。
「今宵の一品にござります」
吹き抜けの洋灯を映した椀物がふたつ、漆塗りの膳に乗っている。
刹那と次郎吉は、椀の蓋の蒔絵が、卓に乗っているものより遥かに輝いていることに目を見張った。
それほど、椀の中身が別格だということ。
「これが……」
刹那の期待は高まる。吸い寄せられた目が離せない。
「あい。『蓬莱の玉の枝』でござります」
冥賀の品にふさわしい名であった。月の民かぐや姫が、求婚してくる貴族に求めた人外の地のひと枝。
金銀でできた木に、実は白玉(真珠)。仙境に生える宝――それに値する料理である、と。
亀が、ふたりの前に椀を置く。
さすがの次郎吉も、好奇心に唾を飲み込んだ。
「浦島の次はかぐや姫か。どれどれ」
花籠の蒔絵の蓋に手をかける。刹那も緊張気味に、それに倣った。
「うお、こいつぁ……!」
次郎吉が瞠目する。
蓋を開けた瞬間に香る、甘ったるくみずみずしい果実の香り。見たこともない水菓子であった。
屑まんじゅうに似た半透明な小粒の団子の中に、胡麻餡のような黒い種子。これが玉なら、枝にあたるのは御種(高麗)人参。
名君と名高き八代将軍から種子を頂いたことで御種人参と呼ばれるようになった、元は舶来の超高級生薬である。
薬に疎い次郎吉でさえ、この椀の価値に身震いした。
「こいつぁすげえや!」
嬉々として箸を伸ばしたところを……横から伸びてきた手が、それを阻んだ。
刹那の左手が、次郎吉の椀の上に被さる。
その手は一瞬で離れ、亀が振り返る頃には、静かに卓の上に置かれた。
「ごゆるりと」
顔色も変えず頭を下げ、亀は去る。
顔色が変わったのは、刹那の方であった。
もともと白い顔が、血の気が引いたように青白い。椀の中身を、信じられないといった目で睨みつけている。
「何だよ……?」
絶品料理を邪魔されたいらだちではなく、冷静に見えていた相棒の変わりように、次郎吉は素直に心配した。
「腹でも痛くなったのか? 生ものだしな」
「……次郎吉さん」
言うべきか。
刹那は逡巡した。
説明しないと彼も納得しないだろう。箸を阻んだ理由を。
しかし言えば、怒り狂うかもしれない。危険なことに巻き込むかもしれない。吉次のことは、次郎吉には伝えていないのだから。
願いをこめて、刹那が重い口を割る。
「次郎吉さん、……落ち着いて、聞いて下さい。絶対に今は怒らないで」
「だから何をだよ?」
「……これは、……人の目玉、です」
ひと呼吸おいて、驚愕が頭を突き抜けた次郎吉は、飾ってあった白磁の壺に胃の中身をすべてぶち撒けた。
刹那も同様のことがしたかったが、取り乱す次郎吉を抑えるために、何とか息を整える。
「……!……!!」
声を上げず、次郎吉は部屋の調度に当たり散らした。舶来の大皿を叩き割り、壁の絹の幕を破る。
が、暴れすぎて亀が戻ってくれば、盗みを働く前に龍宮を追い出されるだろう。どこに用心棒が潜んでいるか知れないのだから。
次郎吉は、歯の隙間から怒気を噴き出し、やっと己を律した。
おぞましい椀の中身は、正体を現したように強く白が濁る。
見られている気になって、次郎吉は蓋を閉じた。
「……まさか、先に食べたものも、ってこたぁねえよな」
「……そう、願いたいですね」
最低限の狼藉で止まった次郎吉に、刹那は希望を述べるしかできなかった。
「おそらくですが、生薬に茘枝という、唐の時代から知られる樹果があります。生薬は実を乾燥させたものなんですが、もしかしたらこれは……生の茘枝に見立てたものなのかも。あの甘い匂いは、本物の茘枝を果汁だけ使った贅沢、かもしれません」
「……生薬は医者だから分かるとして、目玉って……見たことあんのか? 本物」
「私の師匠が千住にいます。深川からは、小塚原を通らなければならない」
千住大橋の手前にある小塚原町には、仕置場と呼ばれる処刑場がある。晒し首と、首を斬られた死体がそこに放置されているのだ。
江戸で悪さをするとこうなるぞ、と旅人に見せつけるためである。かの解体新書の絵図は、ここで描かれた。
刹那はここを通るのが嫌で、遠回りな日本堤を通るのだ。
「晒し首、か……」
「……はい」
次郎吉は、それ以上言わない刹那の見た目玉を想像し、再び吐き気をもよおした。
「何が蓬莱の玉の枝だよ。やべえだろ龍宮。そういう奴らのための料亭かよ」
「……どうします? 千両箱」
過去、この料理に舌鼓を打った客らは、どういった顔で帰ったのだろう。何も知らなければ美食に満足し、再来を約定するのかもしれないが。
次郎吉の鼻息は荒い。
「盗るに決まってんだろ。妙なもん食わせてくれた礼に、あるだけの金盗ってやらぁ」
「……気をつけて」
吉次を殺した確証は、まだない。
が、それだけでは足りない龍宮のさらなる闇を知ってしまった。
刹那は次郎吉から、かかりの十両を預かり、廊下へ消える相棒を見送った。
次郎吉が出ていった先には、熟したスグリのように垂れ下がる紅い洋灯。吹き抜けの間を、知らない赤が照らす。
吹き抜けを挟み対岸にある襖の画は、和のものではない山水図――仙境、崑崙山であった。




