蓬莱の玉の枝・9
もと来た道を戻っていた駕籠かきたちは、法恩寺門前へと角を曲がったところで。
「うおおっ!?」
足を引っかけられ、勢いよくもんどり打った。
たったいま七不思議から逃げてきたのに今度は何だ、狸かムジナかと顔を上げると。
「しーっ」
転ばしておいて静かにしろという侍と、
「もっとおとなしく転べねえのかよ」
無茶を言ってくるチンピラがいた。足を引っかけたのは、おそらくこいつだろうに。
「なあ。あいつら、どこに向かったんだ?」
チンピラが駕籠かきを逃がすまいと、がっしりと肩を組む。まさか物取りかと駕籠かきは身構えたが、声色は案外落ち着いたものだった。
「し、知らねえ」
「ここまで運んできといてか?」
「法恩寺向こうまでって、頼まれただけだ。本当だ!」
「ふーん。で、ずいぶん身なりのいい野郎だったが、どこの誰だ?」
「野郎の方は、日本橋のボンボンだ」
野郎ときいて、駕籠かきは迷わず次郎吉の身を明かした。間違っても、もうひとりの方を野郎と呼ぶ気はしない。
「連れは知らねえ。深川の誰とか……」
「ああ、そっちはうちの家主だからいいんだけど」
侍が説明を引き取った。駕籠かきふたりは目を見合わせる。慌てて懐を探り、一分銀の包みを突き出した。
「これ、その連れから預かったんだよ、帰りの足代だって。ここで待ってろって!」
「けど俺らぁ見たんだ。ありゃあ、送り提灯だぜ! だのにあいつら、提灯を追うって……俺らぁ止めたのにっ!」
「も、もしかしたら、今ごろ……」
「ば、馬鹿言ってんじゃねえっ」
駕籠かきらは心配のあまり泣きそうだ。
包みの裏に『三養堂』の名がある。刹那がもしものときのご祝儀に持ち歩いているものだ。
佐治施療院のお得意さまが、心付けとして置いていくものと同じ形をしている。刹那はこれをマネしているのだが、実はみかじめ料であることは知らない。
もしかしたら『山吹色のまんじゅう』を本当にまんじゅうだと思っている可能性もあるが、誰も指摘しない。刹那はそれでいい。
「送り提灯、ねえ……」
チンピラが渋い顔をする。七不思議を不思議と思ってない顔だ。
じっとしゃがんで話を聞いていた侍が立ち上がる。一分銀の包みを駕籠かきの手に握り返して。
返ってきたことに駕籠かきはぽかんと口を開けた。本所の御家人ならとうにネコババしている。深川は、どうやら違うようだ。
「分かった。あの子が戻るまで待ってておくれ。――弥九郎」
「まったく、慣れねえ着物でどこ行くかと思えば……まさかの『龍宮』かよ」
『吉次という人を殺したか?』
それは、柳水亭の者を殺した犯人がまだ捕まっていないことを指す。
刹那に訊かれたあと、すぐに弥九郎は動いた。
柳水亭の隠居こと柳谷幸三郎は、佐治陣内、いや、侠客『戸隠安陣』とつながる、刹那の世話人のひとりである。
やくざ者ではないが、病人怪我人に貧富の区別をしない陣内の人柄に惚れ込み、千住の施療院と深川三養堂をつなぐ橋渡しの役目をしている。
みかじめを包みで渡すお得意さまのひとりでもある。
そこの奉公人が殺された。
義理を結んだ柳水亭の者だ。やくざ者らには、身内が殺されたに等しい。
「まあ、板長よりてめえのが腕がいいのにって、周りに不満たらたら漏らしてた奴みてえだけど」
「うわ最低」
その夜、千住に走った弥九郎は、師匠と兄弟子たちに調べたことを報告する。食い気味に捨松が切り捨てた。
身内に手を出されたら、やくざ者は必ず報復する。ただし、手を出されるようなことを身内がしていたなら別である。
同情する気もなさげに、茶をすすりながら黒熊が訊く。
「どこでくだ巻いてやがったって?」
「本所の白柄組の賭場。一攫千金狙って、まずはレイシ……レイチ? だかいうのを買う金がいるとか何とか」
「茘枝核か? 安くはねえが、そんなもん薬種問屋に行きゃあ買えるだろうに」
黒熊の疑問に、「いや」と、考えこむ素振りの鉄山が口を挟む。
「料理人なんだろ。だったら欲しいのは生薬とは限らねえ。生、なんじゃねえのか」
「生の茘枝? 冗談でしょ!?」
捨松が素っ頓狂な声を上げた。
「薩摩や長崎になら、あるかもしれねえがな」
「持ってくる途中で腐っちゃうよ。舟でも使う気かねえ?」
「その金あったら別のもん買えらぁ」
唐の楊貴妃が好んだといわれる茘枝は、乾燥させた種子が茘枝核という生薬である。気を巡らせるとして、慢性胃痛や腹痛に用いる。
しかし生となると、海の向こうのはるか南国でとれる果実であり、とても江戸で手に入るものではない。
唐の国の皇帝は、寵愛する楊貴妃のために、数百里はなれた南国に早馬を走らせ、たった三日で茘枝を届けさせたという。
人馬を犠牲にしたこの所業が民の怨嗟を呼び、乱が起き、楊貴妃は逃亡中に暗殺された。
薬はからっきしな弥九郎は話に付いていけず、壁際の大蔵にこっそり尋ねる。
「レイシって、キノコじゃなかったですっけ」
「……霊芝、ってのもあるな」
大蔵はそばにあった紙に『霊芝』『茘枝』とつづった。どちらもレイシと読む生薬である。
霊芝はなんか見たことある。弥九郎が「なるほどー」と鳴いたが、大して分かってないことを大蔵は知っている。
「生の茘枝がそもそもどこで買えんのかは知らねえが、料理人ならそっちを欲しがりそうなもんだ」
「でもそいつ、柳水亭をくびになったんだよね。一攫千金って何?」
「これだろ」
と、小上がりで煙草をふかしていた陣内が、しわくちゃの引札を戸棚から取り出した。
どこぞの高級料亭と思われる屋敷の絵図と場所、そして右の端には『龍宮の宴 不老長寿の膳いくさ』と大書されている。
料理人らを招いて腕を競わせ、料亭が一等と認めた者に大金を約束する、とある。
まさに吉次が柳水亭の板場で手に入れたものと、同じ引札であった。
「ちょいと師匠、何ですこれ」
「何かは俺もいま知ったんだよ。月見の頃だったか、様子のおかしい板前が来ただろ」
「ああ、あれね」と、捨松が膝を打つ。
その男は箕輪の料理屋の腕のいい板前だったが、激しい錯乱状態で、戸板に縛りつけられて運ばれてきた。
包丁と引札を握りしめて離さず、自分の包丁で負った傷を陣内が縫ったのだ。そのとき握っていた引札を、気になって取っておいたという。
「景気がいいだけの話ならめでてぇが、そこら辺にばら撒いた引札ってわけじゃあなさそうだ。弥九郎の話も合わせりゃあ、こちらさん――龍宮は、きっちり人を選んで渡してる」
「亀がちゃんと、浦島太郎に見えるとこで虐められてるんですね。いいことあるわよ〜って」
言いながら、捨松は舌を出した。承認欲求の強い浦島太郎を、亀は狙って誘い出しているのだ。そして、もてなされるのは乙姫の方。
「きな臭ぇな。吉次って野郎のために自切りは御免だが、放っておいたら死人が出る。――弥九郎」
龍宮の忍び寄る暗黒面を懸念し、陣内の出した答えは。
「龍宮に客として潜れ。膳いくさってのが何なのか、できる限り探ってこい。梅はまぁともかく……刹那は巻き込むなよ」
まさか翌日、刹那がその龍宮に真っ先に巻き込まれてたとは思わなかったのだが。




