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蓬莱の玉の枝・8

「お、送り提灯……っ!」


 屈強な駕籠かきふたりが顔を見合わせ、震えあがる。


「見ちまった、見ちまったよおおお!」

「あの世に連れてかれちまうよおおお!」


 あれは、そこまで剣呑な話だったのか。

 楽しげな怪談だったので話半分に聞いていた刹那は、怖がらなかったことを少しだけ反省した。


 よく弥九郎も話すのだ、怪談に似たものを。

 だんだん重くなる赤子を預けられたけど普通に抱っこしてたので母親がバツの悪い顔で帰ってったとか。

 おでん屋の親父が目鼻がなかったから味しみしみの大根と竹輪で目鼻をつけてやったとか。

 オチがまったく恐怖に結びつかないので、刹那は怪談に耐性がついているのだ。さぞ怪談聞かせ甲斐のない奴だと思われただろう。


「騒ぐなよ。前畠さまの屋敷の前だぜ」


 次郎吉は動じることもなく、木立に浮かぶ提灯に挑戦的な目を向ける。

 法恩寺の右手の道は、上賀前畠家の屋敷がそびえる以外はただただ暗い。周囲には押上村の田畑が広がっている。江戸の外れと言ってよい。

 こんなところに寺は分かるが、料亭などどこにあるのか。


「な、なあ、旦那がたよ。用があんのは法恩寺なんだよな?」

「それか前畠さまになんだよな? いくら金もらっても、こんな寂しいとこに放っぽりだして帰ったんじゃあ、俺らの夢見が悪くならあ」


 既に駕籠かきふたりは尻尾を巻いて逃げ出したい様子で、けれども気の良さから、七不思議と対面中の刹那と次郎吉の身を案じている。

 次郎吉はニヤニヤと笑った。


「いや、俺も用事はこの辺らしいってことしか知らねえんだ。ひょっとしたら、あの提灯かもなぁ」


 駕籠かきたちは「ひいっ」と顔色を無くす。

 そうだったのか。刹那も初耳ではあったが、ここは成り行きに任せた。


「お前ら帰っていいぜ、ご苦労さん。じゃあ刹那さん、行こっか?」

「はい」

「ちょっと待てってえ!」

「少しは怖がってくれってえ!」


 帰れと言ったのについてくる屁っぴり腰のふたりを引き連れ、刹那と次郎吉は提灯へと歩を進めた。


 寺を囲むのは林と、高い竹垣であった。二十間ほど先で提灯は竹垣をぼんやり照らしている。

 ゆらり、提灯が揺れた。

 駕籠かきたちはすくみ上がる。

 風に吹かれたのか、持つ人が動いたのかは分からない。提灯の灯りはせいぜい、持つ人の足元を照らすくらいの明るさしかないからだ。


「やめろってえ! 戻ろうぜ旦那あ!」

「俺もうやだ、大声出しちゃうぅ!」

「いや、だから帰っていいって」


 半ベソでぐいぐい袖を引っぱる駕籠かきを、次郎吉が面倒くさそうになだめていると。


「あ、消えましたね」


 駕籠かきに気を取られているうちに、向かっていた提灯がなくなったことに刹那が気づいた。

 

「恥ずかしいんでしょうか」

「お前らのせいだからな」

「ああいう提灯なんだってえ!」


 そういえば、灯りが着いたり消えたりするんだったか。

 刹那は少し考えると、人のいい駕籠かきたちに心付けを手渡す。懐紙を折りたたんで包んだ、一分銀である。

 駕籠かきは驚き、次郎吉も目を丸くする。


「だ、旦那、こんなもん、もらえねえよ」

「いえ、お願いがあるんです。私たちが戻るまで、待っていてほしいのです。法恩寺の山門の前で」


 料亭のことは出さずに、ここから離れろと伝える。山門まで戻れば、夜鳴き蕎麦の屋台も辻番の灯りも見える。ここほどの恐怖はないはずだ。


「遅くとも、朝までには戻れると思います。もし戻らないときは」

「待ってるよ、待ってっから!」

「戻らねえ話なんかすんじゃねえよ!」


 ぎゅっと懐紙を握りしめ、健闘を祈りながら、駕籠はもと来た道をとって返す。

 懐紙には三養堂の名前を入れてある。何かあれば深川に走ってくれるだろう。

 次郎吉が待ちかねたように口を開いた。


「いいのかい? あんな持ち金を見せたあとだ。俺が追いはぎになるかもしれねえぜ」

「それはないと思いました。貴方がほしいのは、こんな端金(はしたがね)じゃないでしょうから」


 刹那は静かに、次郎吉の目的を看破する。


「貴方の狙いは、龍宮にあるだろう大金ですよね」

「へえ……」


 次郎吉の声が一段低くなる。ぎろり、刹那を睨みつけた。


「何で分かった?」


 剣呑な声。ずい、と身体を押し出す。刹那を竹垣に追い詰め、退路を塞ぐ。

 やくざ者の恐喝のまねごとだ。見慣れたものだが多少は怖い。が、悟られるわけにはいかない。

 迫ってくる顔を止めるため、刹那は次郎吉の胸を拳で突いて制止した。


「この着物です。樟脳の匂いがする」


 それは次郎吉のものではないと思えた。

 つんと鼻をついた樟脳の匂いが、大切に仕舞われていた誰かの着物であることを語っていた。


「樟脳は、主に薩摩や土佐国で作られる高級な虫除けの薬です。その価値は金、銀に並ぶともいわれる。そんじょそこらの家にあるはずがないんです」


 庶民の入手は極めて難しく、大店の主人、もしくは大名屋敷でしかお目にかかれないほどのものなのだ。

 いくら日本橋の生まれでも、店にも関わらない放蕩息子からする匂いではない。


「盗品、でしょうか」

「当たり」


 次郎吉は、にやりと残酷な子供のように笑う。

 藍色は闇に溶け込む。

 もしかしたらこの男、今から行く『龍宮』で盗みをはたらくつもりやもしれぬ。そう思った。


「俺を突き出すかい?」

「いえ、まさか。どんどんやっちゃって下さい」

「ど、どんどん?」


 命乞いでもしてくるかと思っていた次郎吉は、きょとんとした。この医者、目が本気だ。


「ちょうど私も、町方に恨みが募ってるところだったので。どんどん盗んで町方の仕事増やして、忙殺してやって下さい」

「俺、あんたを囮に使うつもりなんだけど。断ったら殺すぞーとか、カッコいいこと言おうとしてたんだけど」

「役に立てるなら喜んで。それに、私もただでは殺されませんよ」


 悪意などまるでない顔で、刹那はふわりと笑う。


「私がこの手に、何も持ってないと思いますか?」

「――!!」


 次郎吉が飛び退いた。

 胸に当たっていた刹那の拳は、殴るときの形ではなく、握った小指が胸に沿っていた。着物のはだけた、心の臓の上に。


(鍼か!)


 次郎吉は戦慄する。

 鍼の知識を悪用したなら、痛みを感じることなく、こちらが殺されている。明日、いや数刻後に突然死ぬこともあり得るのだ。


「……おっかねえ兄さんだな。ナメてた」

「嘘ですよ。何も持ってないです」


 ぱっと刹那は手を開くが、次郎吉は信じない。

 この男、非力なくせに肝の座り方が尋常でない。まるで……


「やくざ者みてえだな、あんた」

「とんでもない。ただの医者ですよ。まあ、医者のお手本は選り取り見取りでしたけど」


 桜餅片手に侍を煙に巻く外科医とか、不良患者の関節をミシミシいわせる外科医とか、「いい子でちね〜えらいでちね〜」と本当に言う小児医とか、寝てるのかと思うほど無言の鍼師とか、金を踏み倒そうとする患者にお尻ぺんぺんする番頭とか、色々。


「それで、このまま龍宮行きでかまわねえってことか?」

「ぜひとも」


 次郎吉は苦笑して、今さらながら連れを眺める。

 役者のような白い顔。儚げな美貌、虫も殺せぬ優男にみえて頭は切れる。加えて、豪胆。

 料亭内で自分が消えても、取り乱すことなく囮をまっとうしてくれるだろう。

 おもしれー男だ。


「んじゃあ、龍宮探し、再開するか」

「あの提灯に訊けたらよかったですけどね」


 送り提灯ぽいものが浮かんでいたあたりまで来ると、竹垣の向こうの林がいっそう繁みを増しているようだった。

 法恩寺の敷地だろうが、林の手入れなどはしていないのだろうか。


「竹垣……」


 ふと刹那は、佐治施療院で聴いたまじない歌を思い出す。

 はしか、疱瘡の子供が運ばれてくると、刹那や小さい見習いの小僧は別部屋に隔離された。不安にしていると、捨松が歌ってくれたのだ。


「昔より、約束なれば芋はしか、病むとも死せじ神垣の内……」


 神垣の内。

 この中にいれば死ぬことはないよ、と子供を安心させる……不死を願う歌。

 はっとした。


「次郎吉さん、龍宮は、この中です」

「中って、ここからは入れねえだろ!」

「入るんです」

「どうやって!?」


 次郎吉は、強行突破の気配を察した。

 ぐ、と刹那が竹垣を押す。みしり、軋みはするが、開くことはない。

 しかし押したことで、竹垣のほんのわずかな隙間から、内側の様子が見えた。次郎吉が顔を押しつけて、しかと目にする。


「あれは……!」


 林の奥へと、ぽつり、ぽつり。灯りが続いていた。飛び石に小さな行灯が置かれているのだ。

 

「どなたか、いらっしゃいますか?」


 刹那が竹垣の内に声をかける。

 かたん、と音がした。

 (かんぬき)を外した音とわかる。

 二畳分ほどもある竹垣の扉が、ゆっくりと開かれた。

 提灯を手に立っていたのは、闇に浮かび上がるほど色の白い、美しい女であった。

 小鳥の鳴くような声が、ふたりを出迎える。


「人形町の次郎吉さま、お連れさま。ようこそ龍宮へ」



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