吉原門外の変・4
「さあさあこれなるは、上州茂吉と申しまするは、ご存知のおかたもござりましょうが、赤城の山の麓を発ってウン十里、吉原廓に面を張って、江戸っ子の腹を満たして参りましたが、本日をもって江戸をおさらば、江戸をおさらばいたします。名残惜しむは見返り柳、八丁畷に空っ風、故郷でかかあが待ってござれば、天下分け目の隅田川。花のお江戸の華と申せば火事と喧嘩と大食いでございますれば皆の衆、われこそ天下の西瓜食いよと、腕に覚えのもののふあらば、いざいざ、名乗りを上げられませ!」
初夏の緑の水田に、朗々と響く梅之助の口上。他の茶屋の客も通りすがりの者も、なんだなんだと面白そうに集まってきた。
江戸の名物、西瓜の大食い合戦をここでやろうというのだ。
「俺ぁ、親父さんをひいきにしてたんだよ。寂しくなるねえ」
「初物かい?よくこんなに揃えたね」
「俺ァ、西瓜がなにより好物だ。一丁食いまくってやるぜ」
方々から声が上がり、たちまち茂吉の茶屋の前に人だかりができた。大食い参加者が四人と、それを取り巻く見物客だ。
その見物人の外側に。
「おいでなすったぜ」
弥九郎が刹那に耳打ちする。茂吉も黒山の人だかりから、迷わずその顔を見とめた。
小袖の緋牡丹も鮮やかな、河内屋の六佐である。
うしろに十二、三歳の娘を三人連れている。着飾ってはいるが目は虚ろで、可愛らしい頬っぺたには生気もない。さんざん仕込まれて、逃げる気力も奪われているのだとわかる。
急遽出現した人だかりのせいで前に進めず、苛立つ様子の六佐を、梅之助がにこやかに扇子で誘った。
「さあ、西瓜の仇はもういないか、もういないか? そこの牡丹の兄さん、いい面構えだね。いやいや貴方ですよ。西瓜食いそうな面してる。どうです、ここで男を上げて行かないかい? いいとこ見せりゃあ、それ、そちらの娘さんがたも、惚れ直すこと間違いなし!」
明らかに女衒とその連れだが、娘たちの不憫な姿に、見物客らは「兄さん、勝負勝負」「男見せなよ!」と囃し立て、合戦の土俵に放り込んだ。売られる娘の運命に変わりはあるまいが、せめて女衒をからかってやれ、という客の同情心だった。
見栄っ張りの江戸者は、こうなるとあとには引けない。六佐は渋々、西瓜の大食い合戦に加わることになった。
「よっしゃ、俺も」意気揚々と、弥九郎が六佐の隣に腰かける。
「しなびた胡瓜みてえな男に負けてられっかよ」
弥九郎が挑発すると、ぎろりと六佐もにらみ返す。
名乗りをあげた六人の前に、大人の頭ほどもある西瓜が切られて並べられた。
「さあさあ、隠れござらぬ貴賤群衆の、いずれ劣らぬ大食い揃い。見届け人は深川の、長尾本道医がおつとめなさる。弁天様が頬を染め、あずき洗いも振り返る、花のかんばせ、玲瓏玉の如し。西瓜場所に口上、あ、口上ぉぉ」
梅之助の扇子が刹那の前でひらひらとひらめくと、見物に寄っていた茶屋の娘たちが、はあっ、と桃色の吐息をついて頬を染めた。
役者絵のようないい男が、涼しげな顔で腕組みをして控えている。日頃は吉原通いの、にやついた男衆しか見ないので、娘らは西瓜そっちのけで美しい医者に注目した。
まさか自分に人目が集まるとは思っていなかった刹那は、梅之助を一度にらむと、こほんと咳払いをひとつ落とし、開会を宣言する。
「良い子の皆は、真似をせぬように!」
あ、迷惑なんだな、と全員が察した。半ばなげやりの立ち会い医であった。立ち会いを振った太鼓持ちは医者の恨みがましい視線を見なかったことにしている。図太い。
「では、よいかなよいかな皆々様、参るぞ参るぞ。西瓜大食い場所、待ったなし。はっけよーい……残った!」
梅之助の扇子が振り下ろされ、六人が一斉に西瓜にかぶりついた。
見物客は金でも賭けているかのような盛り上がりで、「行け、行け」「種は飲み込め!」などと勝手な野次を飛ばす。
弥九郎は時おり隣の六佐に、ぷぷっと種を飛ばし、機嫌の悪さを助長していた。
一つ目の西瓜を食べ終わる頃には味の単調さに飽きが来て、全員、食べる勢いが削がれてきた。参加者のひとりが茂吉に「おい、塩をくれ」と怒鳴る。すると次々に、俺も、俺もと塩に手が延びた。
「おい、俺も塩だ」六佐が怒鳴る。弥九郎に負けまいと目がぎらついている。
「へい、ただいま」
茂吉が、焼き色をつけた竹筒を六佐の横に置く。
心の臓がどくん、どくんと破裂しそうなほどに脈打つ。
自分が騙した男だなどと、思いもしないのだろう。乱暴に竹筒を掴み、六佐は食いかけの西瓜にざらりと中身を振りかけ、しゃぶりついた。
味が変わって勢いづき、他の参加者も手と口周りを汁でべたべたにしながら二個目の西瓜に手を着けていく。
「だめだあ、小便、小便」
突如、弥九郎が叫んで西瓜の皮を放り投げた。床机をけたてて走り出すと、茶屋の裏手に回り、一段下の田んぼの堰に悠々と小便を垂れだした。
「なんでえ、口ほどにもねえ奴だな」
六佐と見物客がどっと笑う。
「決まり手は、見かけ倒し、見かけ倒しぃぃ」
梅之助も節をつけて客を笑わせる。
三個目の西瓜にかかる客もいる中、六佐に異変があった。
弥九郎と同じく血相をかえて茶屋の裏手に回ったが、そのまま堰へ下りていき、激しく腹を下し始めた。「やだあ」茶屋の娘たちが笑って眉をひそめる中、何かしらの効果とみた梅之助が刹那にすり寄る。
「あれ、なに?」
「利尿作用のある薬を、塩の変わりに詰めた」
「利尿作用、だけ?」
「西瓜が持つ効能を上乗せしただけだ」
夏の水菓子の代表である西瓜は、たっぷりと水分を含むため暑い盛りは重宝されるが、取りすぎると腹を冷やす。
単独だと不自然な西瓜の大食いも、大人数でやれば目くらましになる。
刹那と茂吉の企みを察し、何かしらの一助になればと西瓜を手配した梅之助の策が功を奏したのだった。
「検死されても毒とは思われない。今、奴は利尿作用が効きすぎてる状態だ。体中の水気が失われて、最悪の場合、命を落とす」
「最悪の場合……」
「……助かれば助かる。罪人を生む必要はない」
目の前で弱っていく仇を見れば、復讐心も少しは晴れよう。どうしても茂吉に人殺しをさせたくなかった刹那の配慮だった。
他人を救うことを何よりも優先する『医者』の刹那に、梅之助は寂しげに笑う。なぜその救いを、自分自身には向けないのかと。
大食いは、四個目の西瓜が勝敗を決めた。六佐と弥九郎は脱落、三人は三個をたいらげたが、四個目に手をつけられた者はいなかった。最後に残った鳶職人の男は、四個目の一切れを飲み込んだところで「まいった」と唸った。
「勝者、とびの山、とびの山ぁぁ」
梅之助から適当な勝ち名乗りを受けて、男も一目散に茶屋の裏手に駆けていった。
「終わったよ、茂吉さん」
刹那は、仇に薬を盛ったあたりから放心している茂吉に声をかけた。
噛みしめた歯は、やり遂げた復讐への興奮か、しでかした殺人への後悔か。はたしてその背に安堵は乗っているのか。
刹那は未来の自分を見る心持ちで、燃え尽きた男を見つめた。
「古今無双、江戸一番の西瓜狂いなりぃ!」
「よっ、西瓜かついだ布袋さま!」
勝者となった鳶の男を集まった皆がもてはやす中、
「うあああー!!」
突如、茂吉が叫んだ。喜びにも恐怖にも聞こえた声を残し、西陽を背に堤から走り去っていった。
茶屋の下、田んぼの堰には、牡丹柄の小袖が水に伏せたまま、とうに動かなくなっていた。
陽が落ち、吉原に向かう客で賑わう堤で、梅之助と弥九郎は主が消えた茶屋を畳んでいた。鍋や火鉢などを乱雑にまとめながら、弥九郎がわめく。
「俺はわざと負けてやったんだよ! 茶屋のうしろで小便するように仕向けたのは俺だろ」
「そうかなぁ。お前さんと私は、皆より先に西瓜食べてたから、単に一番小便近かっただけじゃないの?」
「俺が負けるべくして負けたってのか、てめえ」
「ま、手柄には違いないと思うけどね」
「手柄だろ、大手柄だ」
「ところで弥九郎」
塩の竹筒や茶碗を風呂敷に包んで背負い、梅之助が不必要に声を張る。
「帰りは花川戸を通ろうか」
「おう」
それは弥九郎にではなく、隣の茶屋にたむろする連中に聞かせるためのものだった。
日本堤から永代橋、深川に向かうには、屋形船の行き交う隅田川添い、花川戸を通るのが一番近い。
浅草寺の荷揚げ場や蔵などが建ち並ぶ一帯は、夜には人通りがまばらな寂しい通りである。辻斬りも多かった。
「見てたぜ、てめえら」
荷物をがちゃがちゃ鳴らしながら帰路についていた梅之助と弥九郎は、花川戸で浪人の集団に囲まれた。日本堤の茶屋からずっと尾行してきた連中だった。
六佐と共にいた、河内屋の用心棒だ。人数は五人。
梅之助は、狭い茶屋に隠れるため大の男が鮨詰めになっていた後ろ姿を思いだし、口元が緩んだ。それを挑発ととったらしい男が、激昂して刀を抜く。
「てめえ、毒を盛りやがったな!」
「毒ではないらしいよ」
「とぼけるな!」
「ずっと見てたんでしょう? 何であの人を、衰弱するまで放っておいたんです」
浪人達は言い返せなかった。腹を下している男に誰も近づきたくなかったのと、騒ぎを起こせば吉原大門にある面番所から、十手持ちが飛んでくるからである。
そのせいで六佐を見殺しにした。奉行に六佐の身元が割れて悪どい女衒であることが知れれば、河内屋に手入れが入ることになる。
浪人達の食いっぱぐれは決定的だった。その腹いせの襲撃なのだ。
「ひとの不幸が飯の種……医者も一緒だけどね」
梅之助の自嘲的な独り言に反応することもなく、浪人達は次々、刀を抜いて距離を詰めてくる。錆びた刃に映る屋形船の灯りが美しかった。
「梅」
弥九郎が、持っていた荷物の中から、細長いすまきを差し出す。
梅之助がその中に手を突っ込む。浪人達の耳に、鯉口を切る音が聞こえた。
「!!」
一瞬であった。
すまきの中から清水が迸ったかのように滑らかな銀線を描き、梅之助の刃が浪人のひとりを袈裟懸けに斬っていた。
肩口から血を噴き上げ、何が起きたかも知ることなく男は絶命した。
浪人達は皆、弥九郎の方を警戒していた。体格もよく、六佐に喧嘩を売った度胸もある。連れの方は単なる幇間程度にしか見ていなかったのだ。
その太鼓持ちが一刀のもとに、武芸自慢を斬り捨てた。浪人達が明らかに狼狽する。
「私も、刀を持つことが許される身分に生まれた」
『私も』は浪人達への同調だったが、梅之助の言葉など彼らの耳に入ってはいない。白刃の次の動きをひたすら凝視していた。
「刀を持つ者は、刀を持てない者のためにこそ刀を振るうべきだ。……他の人は知らないけどね。私はそう思っている」
梅之助の声は柔らかく、決して威圧はしていない。なのに浪人達は、うすら寒さを覚えた。
他人に恐怖を与えるのみで、自分が恐怖させられることを知らない武芸自慢たちは、今すぐ目の前の恐怖を葬り去りたかった。多勢に無勢など、もう誰の頭にもない。
「私が人を救えるのは、人を斬ることでのみ。だから、迷いはないよ」
来る、と思ったときには遅かった。
ひとりは刀を構える前に喉を一文字に裂かれた。続いた男は刀を弾き飛ばされ、眉間を貫かれる。
残りふたりも刃を交えることすらさせてもらえず、首を飛ばされた。
流派も型もあったものではない。確実に絶命する急所だけを狙った殺人剣。
『人斬り』。刹那の前では絶対に見せない、梅之助のもうひとつの顔である。
血生臭い花川戸とは対照的に、何艘もの華やかな屋形船が舳先の提灯もゆらゆらと、隅田川を上ってゆく。行き先は浅草か、吉原か。
梅之助が刀の血を払う。土に染みてゆく赤に、西瓜の色を思い起こし、弥九郎は珍しく寂しげに呟いた。
「あの親父、どこまで行ったかなァ……」
大川で土左衛門が上がったと刹那が聞いたのは、五日後のことだった。
見物人の話では、腹にしっかりと位牌を巻きつけて、女物の着物の端切れで両足首を縛った男だったという。
安い女郎が着るような、花火の柄の端切れだったので、見物人は「宿場の女郎と心中した男だろう」と噂していた。
「位牌の字も流れちまってて、ほとんど読めねえが……なつ、って書いてたらしいぜ」
眉を歪めて、その一報を刹那に知らせた弥九郎は「お前に教えていいもんか、迷ってよ」と、自分はもっと早く知っていたことを漏らした。
「身元がわからねえってんで、奉行所が顔見知りを探してる。お前、行くか?」
「……ああ……」
自分が行くのが筋であるとは、頭ではわかっている。けれど。
奉行所の土間でむしろに横たわっているのは、未来の自分だ。本懐を遂げ、満足な死に顔をしているはずの茂吉に、刹那は合う勇気がなかった。合わせる顔がなかった。
茂吉は全てを捨てて本懐を遂げた。自分に同じことができるのか?
死ぬことに臆病になっている自分に。
「……俺は、命根性の汚い奴だな……」
刹那の頬を涙が伝う。梅之助や弥九郎と生きることと、本懐を遂げることをずっと天秤にかけている。
答えを先延ばしにし続けている。卑怯なほどに。
「何が、生きるよすがだ……」
いつも勝ち気な幼なじみが、無力感と自己嫌悪に打ちのめされる姿に、弥九郎は慌てた。
「ええ!?あっ、えーと、ほら、泣くな! 俺が行ってくるから! お前はよくやったから! 自分のせいで死んだなんて思うんじゃねえぞ!」
あたふたと自分の袖で涙を擦り、頭をぐしゃぐしゃと撫でて、弥九郎は三養堂の戸口からまろび出た。
初夏の永代橋の下、うろうろ舟が西瓜を載せて川を上って行った。
少々お下品なネタだったなぁと書いてから気付きました……次からは自重します。すみません。
梅之助の長台詞は、歌舞伎のういろう売りからのぱくり。