刹那の間に・2
夜半、二ノ宿が騒がしい。
二階の八畳間ふたつのあいだの襖を開け放ち、慌ただしく布団が敷かれた。
二ノ宿は児医者の宿である。運ばれてくる怪我人は、下は十、上は十四ほどの男児ばかりで、痛い怖いとわあわあ泣いている。
他の部屋に泊まる子供が何人か、襖をそろりと開けて様子を伺うが、走り回る下働きの小僧が「こら、ガキは寝てやがれ!」と一喝した。
「黒熊さん、布団が足りねえ!」
階段をどたどた駆け降りて、小僧こと弥九郎が叫ぶ。まだ十二歳とも思えぬ腕力で、階下から何度も往復して布団を運んでいた。
手際よく布団を並べるが、何せ怪我人の数が多い。
「大蔵さんとこからも借りてくらぁ!」
「おう、なるべく静かにな!」
宿の主である黒熊は、大柄の体をすり減らさんばかりに奉公人らと一緒に走り回る。
三ノ宿へと飛んでゆく弥九郎のあとに、鉄山が顔を出した。
「熊、うちにも回せ。いま部屋を空けさせる」
「悪りいな、鉄!」
鉄山は陣内が施術する診療棟と自身の一ノ宿、二ノ宿を走り回り、指示を飛ばしていた。
子供たちは打撲傷が大半で、骨が折れている者も数人いた。
剣術道場での稽古中の事故と聞いて、陣内は険しい顔つきになる。
「事故? そんな可愛いもんじゃねぇよ。明らかに殺しにかかってる。木刀じゃなかったら死んでるぜ。余程の手加減をした手練れの仕業よ」
節郎は、診療部屋で陣内の手伝いを言いつけられた。見習いといえど緊急時である。寝入り端を叩き起こされた。
佐治施療院に住み込みで医者見習いを始めて三つ月になる。
手拭いを煮沸消毒したり、洗濯ものを畳んで片付ける程度の仕事だが、可愛い顔と、歳に似合わぬ落ち着き、そして何よりも素直さと働きぶりが医者や患者たちにも可愛いがられていた。
診療部屋に最後に運ばれてきた子供を見て、節郎はぞっとした。
死んでいると思った。診療台に寝かされても、ぐったりと動かない。
顔にも体にも痣や裂傷が無数にあり、着ているものは損傷してぼろぼろだった。
幸い、命に関わるほどの傷はなく、陣内が処置をし二ノ宿へ運ばれていった。
最後の子供に沈痛な顔で付き添ってきた初老の侍は、用人の雄島重左衛門と名乗った。
「我が主は御家人、雲居藤兵衛と申す。梅之助さまは御次男であらせられます」
「お武家のせがれが、何だってこんな目に?」
診療部屋の隅の小上がりに通された重左衛門は、陣内の問いにしばらく言い澱んだが、やがて眉間に皺を寄せながら重苦しい口を開いた。
「先に運ばれた子供らの怪我は、全て梅之助さまとの立ち会いによるもの。しかし何とぞ、事故として口をつぐんで頂きたく……」
「おいおい、俺は手練れの人斬りの仕業と思ってたんだが」
驚く陣内と重左衛門のふたりに、節郎は茶を運んできた。そしてそのまま、ちょこんと陣内のうしろに座る。
自分と同じ歳くらいの梅之助が何故あんな酷いことになっているのか、理由を知りたかった。
「我が主が師範をつとめます剣術道場は、梅之助さまはじめ旗本、御家人のご子息が大勢通っておられます。しかし、小普請組の我が雲居家を侮る者も多く……梅之助さまはいつも稽古相手がおりませんでした。そして師範が所用で留守にした本日の夕刻、門弟たちが梅之助さまに勝負を申し込んだのだそうです。『貧乏御家人の剣術より、自分たちの剣の方が優れている』と……。師範の許可もないため梅之助さまは断ったそうですが、その断り方が……『道場は剣術だけでなく心技体を鍛えるところだ。私は師範から、貧乏人に喧嘩を売る侍になれとは教わっていない』と……」
重左衛門は深刻な中にも、梅之助の啖呵を心地よく思うはにかみを見せた。陣内もにやりと笑う。
「剣も口も達者なせがれだな。俺は好きだぞ」
鼻っ柱を折られた生徒たちは顔を真っ赤にして、梅之助に一対一の勝負を挑んだ。
負けるとは微塵も思っていなかった。
梅之助は剣術や兵法だけでなく、医学の本を読むのが好きだった。
人の体の急所はどこか、非力な自分がどこを斬れば一撃で相手を殺せるかを、父と兄との稽古で常に考えて戦っていた。
結果、道場は修羅場となった。
梅之助の木刀で腕を折られる者、首に喰らって失神する者、腹を突かれて胃液をぶちまける者があふれた。
「助けて、殺される!」
恐怖で逃げ出した数人が外に助けを求め、重左衛門が駆けつけた時には、梅之助は五人から袋叩きにあっていた。
「梅之助さま! やめよ、お前たち!」
それでも怯まず、梅之助は一人ずつ確実に仕留め、全員を床に沈めた。
助けを求めた者たちから経緯を聞いた重左衛門は、全員の家に使いを走らせた。
たった一人の年少者に二十人で挑んで負けたなど、恥でしかない。
全ての家が、小人目付に知らせず事故として処理することに同意したのだった。
「負けなかった、んですか」
陣内のうしろで聞いていた節郎は、思わず口を挟んでいた。
あの梅之助という子供を素直にすごいと思った。
貧乏御家人の息子と侮られるくだりでは唇を噛みしめ、二十人との勝負を制したところでは目を輝かせていた。
ふたりの親父は咎めることもなく、興奮気味の子供に笑いかける。
「そなたは医者見習いかな。いくつになる?」
「十、です」
「梅之助さまもだ。怪我が治るよう、世話して差し上げてほしい」
「え、私が……ですか」
「坊主が治療しろって言ってんじゃねえ。友達になれって言ってんだ」
陣内が慈しみの笑みで「梅之助に着いててやれ」と促す。実は心配で仕方ない節郎の胸の内を見抜いていたのだ。
「はいっ」
師匠のお墨付きを得て、節郎は跳ねるように立ち上がった。
診療部屋の中の手拭いと水桶、ついでに小上がりの戸棚から陣内秘蔵の桜餅をひっつかんで、二ノ宿へ走る。
(助けたい。あいつは絶対に助けたい)
節郎の内に、復讐とは別の一途な感情が生まれていた。
節郎が去った診療部屋で、陣内と重左衛門は無言で茶をすする。
「それで、何故わざわざ千住まで?」
陣内が一段、声を落として訊いた。医者の問診のそれではなかった。
「江戸に骨接ぎの医者がいないわけでもねえでしょうに」
「患者の人数が多い。それに、町中では人目に付きますからな」
夜とはいえ大量の怪我人を運んで行くさまは確かに人目につくが、この男が言うのはそこではないと、陣内は勘づく。
「ほう、ここなら、誰が人目に付かねえと?」
「梅之助さまを狙う刺客が、です」
重左衛門が真っ直ぐに陣内を見た。白い作務衣の医者は、肩を揺らして愉快そうにくっくっと笑う。
「こいつは酷い。お武家さんはか弱い医者に、刺客を追い払えと仰る」
「佐治陣内どの。私の郷里は信州でして、とある噂がございましてな」
重左衛門は、目の前の男から発せられる、笑みに隠れた獣のような威圧をびりびりと感じていた。
怪我の発端は自分たちの息子の愚かさであっても、小普請組の子に恥をかかされたと憤る家は、ひとつふたつではあるまい。
面子を保つため、刺客を使って梅之助を始末しようとするだろうと、重左衛門は考えた。
仮に家一軒につき刺客ひとりとすると、刺客は二十人。梅之助を守れる者は父、兄、用人の自分だけである。
用心棒を雇う金などは貧乏御家人にあるわけがない。
重左衛門は、千住の佐治施療院、佐治陣内の正体に賭けた。
「風変わりな侠客がいたと、耳に挟んでおります。その侠客が仕切る区域は盗みも人殺しもなく、赤子も安心して道を歩けると。怪我人、病人が出たなら、その侠客一家に縋れば、ただで治療をして貰えたと」
「………」
「侠客の名は、戸隠安陣、と聞き及んでござる。それがしは、貴方ではないかと考えております」
聞き終えると陣内は、ふーっと長く息をつき、診療部屋の廊下にひかえていた男を呼んだ。
「聞いたか、鉄。こちらのお武家さん、俺の首に縄かけに来やがった」
「はい」
濃い藍染めの作務衣の男は、まるで陣内の影かのように暗闇から滑り出て、鋭い目付きで脇差しを抜いた。
重左衛門は慌てて平伏する。
「ご、誤解でござる! そんなことは一切、考えておりませぬ! 梅之助さまをお守り頂きたい一心! 安陣どの、いや陣内どのの医者としての腕に縋りたい、それだけにござる!」
「だろうよ。四の五の言わず治療しろ、さもなくば奉行に届け出るぞ、そんなところだ」
「誓ってそのようなことは!」
「そのようなことはないって証がねェんだよ。全員治療する分の金子は? 払えんのか? ねェなら腹切る覚悟でもあんのか? 俺と俺の可愛い息子たちを利用しようってんだ、見返りあって当然だろう」
「……心得申した」
ここがどんな輩の縄張りか。梅之助さえ無事であれば。覚悟の上で訪れたのだ。
重左衛門は身を起こし、畳に太刀を置く。
「恥ずかしながら金はござりませぬ。されば、お庭を拝借つかまつります」
脇差しを手に戸口へ向かう。陣内が眉をひん曲げた。
「お庭を、じゃねェよ。うちは医者だぞ、縁起でもねえ」
場所を移すよう言われ、重左衛門が『はて、ではどこで』と考えたところで、
「お師匠、鉄兄さん」
と、廊下から若い男の声がした。
診療部屋に現れた柔和な優男は、脇差しを握る重左衛門を見とめて呆れた顔をする。
「またですか師匠。どうせ腹切らせる気なんかないくせに。兄さんも遊んでんじゃないよ」
「え?」
重左衛門は張りつめていた気持ちが崩され、間の抜けた顔でふたりを見やる。
鉄山は口元を覆って笑いを堪え、老医師は膝を打って呵呵大笑しだした。
「いやあ、はっは、見事に引っかかってくれた。俺ァ、お武家さんにこれをやるのが楽しみでよ」
「まったく人が悪い。すまないね、お武家さん。狐に化かされたと思って許しておくんな。あんたもすぐ腹を~とか言うもんじゃないよ。命を大事にね」
師匠である陣内に古女房のような口をきく男は、重左衛門に笑いかけると、「おいでですよ」と続ける。
未だ騙されたことに頭が追いつかない生真面目な用人に代わり、鉄山が応えた。
「何人だ、捨松」
「水沢口に五、六人。今のところはね」
そこまで聞いて、ようやく重左衛門にも緊張が走る。
早くも刺客が寄越されたのだ。
陣内に目配せして場を離れようとした鉄山と捨松に、慌てて重左衛門が尋ねる。
「ま、待たれよ! ではここは、安陣どのの縄張りではないのか。それがしの勘違いであったのか?」
腕っぷしの強い侠客が揃っていると思っていた。
本当にただの医者に刺客の相手を押し付けてしまったのかと青くなる重左衛門に、捨松がにこりと笑う。
「そう思って頂けたら、助かるんですがねえ」
施療院の主は畳の上で、煙管をぷかりとさせていた。




