刹那の間に
家族続々。
「お、桜餅じゃねえか。刹那が来てるのか」
外科医、佐治陣内は、目を輝かせて、くたびれた白い作務衣を脱ぐより先に、皿に取り分けた桃色の餅菓子に手を伸ばす。
この可愛い菓子が爺の好物である。
ひと口で半分をぱくりとやる。桜の葉を練り込んだ皮の澄んだ香りと、こし餡の控えめな甘さが、仕事疲れの五臓六腑に染みわたる。
「ええ、今、宿の方に行ってますよ」
洗濯済みの包帯を武骨な手で手際よく畳みながら、弟子の鉄山が応じた。
陣内と同じ作務衣姿だが、こちらは濃い藍染めだ。
佐治施療院は、老医師・佐治陣内が千住宿の北端に構える大医院である。
専門は骨折や脱臼などの外科で、鍼やあんま、児医者も備える。
貧富の別なく、たしかな治療をしてくれると評判を取り、江戸だけでなく近郊の村からも、大八車や戸板に乗って患者が運ばれてくる。
陣内の四人の弟子が、それぞれ敷地内に宿屋を持ち、泊まりがけで治療を受けることができた。
四十を迎えたばかりだが、陣内の一番弟子でいぶし銀の風格を持つ鉄山は、若くして一ノ宿を任せられた男である。
「鉄、昨日の怪我人らァは、どうしてる」
包帯の山を見て、陣内は昨日、大量に運び込まれた患者を案じた。やくざ者同士の抗争があったのだ。
療養は、一ノ宿がまとめて引き受けた。
「ほとんどが大した怪我じゃありません。人数多い分、怪我人も多いってとこですね。今日は刹那にも手伝ってもらおうかと思ってます」
「やくざの療養にか? 危ねえ真似さすんじゃねえぞ?」
一つ目の桜餅を食べ終えると、陣内は心配性な爺の顔になり、やくざに囲まれる可愛い孫を案じた。
「師匠の甘やかしすぎも、どうかと思いますよ?」
鉄山は雑用の手を止め、苦笑いの中に慈しみの篭った眼差しを宙に向ける。
「刹那ももうガキじゃない。俺の布団に潜り込んで泣くことも少なくなりましたし」
「鉄兄さんっ!!」
ちょうどそこへ、烈火のごとく顔を火照らせて刹那が踏み込んだ。
ここへ来たばかりの頃の恥ずかしい思い出の暴露が、運悪く聞こえてしまったのだった。
陣内は目尻に皺をよせて、孫を迎える。
「おう、坊主。桜餅ありがとよ」
「それはいいです。それより今の、少なくなったって何ですか! だいぶ昔にやめたでしょ!」
「ああ、最近はご無沙汰だな。いつでも来ていいぞ?」
「もうしませんよ!」
「あの頃は可愛かったんだがなあ……」
生真面目な弟弟子をからかうのは、鉄山の悪い癖であり愛情表現でもある。
二つ目の桜餅を味わいながら、陣内は神妙な様子で諭す。
「坊主、可愛いのも大概にしろよ? やくざは可愛いくて無防備な奴が大好きだ。甘い文句で誘ってくるおじさんには気をつけるんだぞ」
「先生は俺がいくつだと思ってるんですか」
「弥九郎と梅は元気か?」
「梅はともかく、弥九郎は相変わらずです。まったく、どこの賭場にいるんだか。あ、お茶いれます」
「おう、濃いので頼む」
少し変わった祖父と孫の会話を聞くともなしに聞きながら、鉄山は淡々と包帯を畳み終わると、鈴を鳴らして見習いの小僧を呼んだ。
小僧は自分の仕事だった包帯畳みを、一ノ宿の主である鉄山がやってくれていたことに恐縮し、ぺこぺこと頭を下げる。
「俺んとこのついでにやっただけだ。各々に持ってってやんな」
小僧を労い、包帯の山を手渡す。
もう一度ぺこりと頭を下げて、小僧は二ノ宿に走っていった。
小僧の出ていった出入口の柱に数本、横に刻まれた傷がある。刹那と梅之助、弥九郎の背比べのしるしである。
ふたつ上の弥九郎がいつも飛び抜けてでかいので、ほかのふたりが悔しがっていつの間にか止めてしまったものだ。
柱の傷を見るたび、鉄山はこわもての頬を懐かしく弛めるのだった。
千住宿で母と引き離された子供。
荷物持ちとして酒合戦見届け役の陣内に同行していた鉄山も、その現場に居合わせていた。
(あの野郎、ぶっ殺す)
全身の血が沸き立った。
鉄山もまた幼い頃、母と引き裂かれた過去を持っていた。
盗み癖で奉公先をくびになり酒浸りになった父が、働き者の母と、産まれて間もなかった妹を酔いに任せて殴り続け、死なせた。
畑から戻った鉄山は激昂し、ふたりの亡骸の傍らで大いびきで寝ていた父を叩き殺した。
死に場所を求めてさまよううちに、陣内に辿り着いた。
医者として生きる道を見出だした鉄山だが、女に暴力を振るう輩を見ると、父へ向けたと同じ憎悪が腹の底でざわめくのだ。
鉄山の手が懐の道中脇差しを掴む。
その手を、陣内の杖がびしりと打った。
「やめとけ。ありゃァ谷中の札付きだ。かかわったら戦になるぞ」
腕の二重線の刺青は、墨刑。遠島帰りの元受刑者の証拠である。
手段を選ばないゴロツキを多く抱えていることで、谷中の女衒屋は有名だった。
鉄山は脇差しを抜くことを断念した。
生きるに困った女が遊女になるのは、何も珍しくはないことだ。そう自分に言い聞かせ、激を治めた。
「それに、まだどっちも生きてる。生きてると互いが分かってりゃあ、いつか会えることもあるだろ」
「あの子供、預かるおつもりで?」
「お前のことは拾っといて、あのちびは捨てるって選別は、俺はしねェな。なァ、鉄」
「はい」
陣内が自分に優しさを、居場所をくれたように。
自分と似た境遇の子供に温かく優しくあろうと、家族になろうと、鉄山は心に決めた。




