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冥途土産灸据所

おちゃらけ回です。BLのつもりで書いてはいませんが、ふんだんに出て参りますのでご注意下さい。

 明け方の月が残したわずかな涼気を、お天道様がギラギラ笑って吹き飛ばしていく。

 まだ朝飯の前だというのに空は連日、いやになるほどの青さ。今日も暑くなりそうだ。


「ひやっこい、ひやっこーい」


 早朝から声を張っている水売りの男が、ふと鼻をかすめた芳香に歩を緩めた。

 三養堂と書かれた小さな看板の表店。通りに面した連子窓から、モグサの匂いが薫ってくる。


「お、そうか、今日は……」


 あれの日か。

 暦に添えられていた絵を医者の前で思い出して、水売りは心が浮き立った。

 ここの家主は人見知りだそうで、棒手振りに声をかけるのも苦労しているとは、裏の長屋のおかみさんたちの噂だ。水売りも顔を思い出せない。

 深川は埋立地で、江戸市中のような水道井戸がない。飲み水は水売りから買う必要があるのに、だ。

 同じ客商売だろうに大丈夫か、と他人事ながら思っていたが、こんな時分から仕事を始めているとは、なかなか働き者だ、と三養堂の印象を改める。

 今日は江戸っ子が医者に押し寄せ、もっと熱く、もっと熱くと賑わう日である。


「医者の稼ぎ時、灸すえ日だからな」


 夏は八月二日、冬は二月二日のこの祝日を、江戸の人々は楽しみにしている。

 この日に灸をすえると良く効くというが、こじつけのようなもので、一種のお祭りである。

 改革だ贅沢禁止だと、何かと上から抑えつけられてきた庶民は、とにかく何でも「今日は◯◯の日」にして騒ぎたいのだ。


「前に行った冬木町のとこは、じじいだったからなあ……」


 水売りの苦い思い出である。

 若い娘が灸をすえている貼り紙につられて入った医者は、禿げ上がった年寄りだった。だいたいの医者はそんな偽広告で客を引く。じじいは何度も火のついた灸を裸の背中に落とし、客の怒号が飛んでいた。


「今日はここにすっか」


 水売りは仕事終わりを三養堂で過ごすことに決め、天秤棒を威勢よく担ぎなおした。




 北と西を堀が流れる深川蛤町。三養堂は川風を入れるため、連子窓と戸口を全開にしている。


「お灸、お願いできるかい?」


 それでも水売りが訪れた時分には、裸の男たちが汗だくでたむろしていた。暑さに加え、熱と戦っているからだ。

 全員が土間の中心を睨みながら腕組みし、憤怒の形相で肩から煙を噴いている。燃えてる仁王像博覧会のようだ。


「いらっしゃいませー。おひとり様ですかあ?」

「茶店かよ」


 たすき掛けに白の前垂れをつけた若い幇間(ほうかん)風の男に、やたら朗らかに仁王茶屋に出迎えられる。やくざ風の派手な着物の男が渋顔で、すかさず突っ込んだ。


「こちら、本日のお品書きでございまぁす。ご注文が決まりましたら、お声をかけて下さぁい」


 いや茶店かよ。

 幇間が書きつけをぴらりと一枚よこした。茶店の娘をまねた接客が非常に楽しそうである、あるのだが。

 この医者、普段からこうなのだろうか。

 じじい医者とは別の意味で、水売りに一抹の不安が浮かんだ。

 お品書きには、

『並』生姜灸など 子供年寄りにおすすめ 長尾刹那

『上』一寸変わった灸など 挑戦者歓迎 雲居梅之助

『特上』熱波地獄 (おとこ)の中の漢は試すべし  弥九郎

 とある。


(なるほど、仁王は『特上』の文句に踊らされたわけだ)


 漢の中の漢と書かれたら、大工や臥煙(がえん)(火消し)などは引き下がるわけにはいかないだろう。江戸の『三大いい男』を自負する者たちである。

 弥九郎という施術の男は、サンマでもあぶるように燃えるお灸をぱたぱたと団扇で扇いで、裸の男たちを悶絶させている。そして我慢比べを生んでいる。


「おい、『上』はやめとけよ」


 壁際の床几に腰かけ、水売りがどれにしようか迷っていると、ぱたぱたされている仁王のひとりが歯を食いしばりながら助言してきた。意外とおせっかいだ。自分は燃えてるのに。


「なんでだい?」

「灸の下敷きに、こんにゃくだの大鋸屑(おがくず)だのを敷きやがる」

「なんでだい!?」

「知らねーよ」

「とにかくやめとけ。『特上』よりタチが悪りいぞ」


 仁王が数人、ひそひそと声を揃える。

 闇の人体実験でもしてるんだろうか。こんにゃくはともかく、大鋸屑はお灸の火で本気で炎が出ると思うんだが。

 『挑戦者』の意味が分かる。できればやりたくない。


「営業妨害でーす」

「ぅあっちいいぃ!!」


 幇間の男がにこやかに、おせっかいを焼いた仁王たちに大鋸屑をぱらりと撒いた。火が出た。大カチカチ山だ。


「大鋸屑はすぐ熱くなるからせっかちな人向きで、こんにゃくは温石(おんじゃく)と一緒で長くお灸を楽しみたい人向きなんですーう」

「理由あったのかよ!」


 全員が、カチカチ山になった男らも、弥九郎の突っ込みに唱和した。

 とりあえず拷問癖でないことは分かった。よかった。

 『上』も『特上』も嫌なら『並』しかない。

 いちばん無難だが、子供年寄りと同じものなのが、男盛りの水売りには物足りなく感じた。というか両極端だな、と若干思った。


「んじゃあ、まあ、俺は『並』で」

「ありがとうございますーう。『並』おひとりさま入りましたーあ」


 ついたての裏に声を張った幇間が『上』の雲居梅之助なら、裏で「それ、言わなきゃ駄目なのか」と微妙な返事をよこしたのが、家主の長尾刹那だろう。

 団扇で扇がれてる仁王たちに裏切り者を見る目つきで睨まれたが、わざわざ金を払って見栄の張りあいをしにきたわけではない。

 水売りは「じゃ、俺は涼んできますんで」と軽口を叩きながら、ついたての裏へと回る。

 板の間に並んだ枕に、先客の男がふたりいた。その枕元で手をつき、出迎えた青年。


「……いらっしゃいませ、旦那様」


 水売りはたたらを踏んだ。

 花のかんばせ、とはこういう顔のことか。

 楚々とした佇まいに、清涼な目鼻立ち。肌は江戸の娘たちよりも白く透き通り、雪をまとう睡蓮のような雰囲気を持つ青年。

 初めてまじまじと見る家主は、そこらの娘や婆、そっちの気のない男でもドキリとしてしまうほどの、高嶺の花の美貌だった。

 用意された台詞の、あまりの言いたくなさに歯ぎしりしてはいたが。


「あ、おう。灸を頼まぁ」


 水売りは分かりやすく緊張した。今日は灸以外で医者を訪れる者などいない、灸を頼むは余計だった。

 しかし茶屋の娘と違い、『太夫』に気安くなどできようか。

 どうぞ、と太夫の白い手に促され、空いている枕の前で袖を抜く。緊張を見透かされたくなくて、水売りは余裕をつくろった。


「しっかし旦那様なんて、男が男に言うもんじゃあねえよ。勘違いしちまわぁ」


 悪くはないけど、というのは笑って飲み込んだ。

 仁王が言ったなら気色悪りィとでも返している。この医者になら、嬉しくなくはない。水売りは新しい扉を開きかけていた。

 医者は羞恥に耐えるように、顔を上げない。


「……灸すえ日は、患者を旦那様と呼んで接待するものだと聞きましたので……」


 うわあ(だま)されてる。

 でもそこがいい、と水売りは訂正をやめた。

 枕をあごの下で抱えてうつ伏せに寝転ぶ。紙を紐で巻きつけた枕は畳表と同じ、青いイグサの匂いが爽やかだ。

 医者は気を取り直して、手拭いを水で濡らして固く絞ると、汗ばんだ水売りの背中を拭く。


「どこか気になる痛みはございますか?」

「ああ、肩と、背中だな。水売りしてるもんで、痛みっつうか張りがあるっつうか」

「承知しました」


 応える声はきりりとしつつ、優しい。

 寝そべった背中と肩、首すじに、背骨に沿って一対ずつ、薄切りの生姜をぺたりぺたりと貼り付けていく。戯れのようでくすぐったい。


「冷たくはございませんか?」

「んーん、気持ちいいひやっこさだぜ」

「まれに(かゆ)みが出るかたがいらっしゃるので、不快でしたらお申し付け下さい」

「おうっ」


 細かく心地を聞いてくる甲斐甲斐しさに、水売りはお大尽(だいじん)にでもなった気分だった。

 やっていることはお灸なのに、二の膳三の膳付きでお酌でもされているようだ。鼻の下も伸びる。


「おい、俺ら、あんなの聞かれたか?」

「あれ本当に『並』か?」


 背後で仁王がそんな会話をしているが気にしない。優越感にたっぷり浸る。

 乾燥させたモグサを小山の形にして、生姜の上に置く。熱くなりすぎないための工夫である。

 小さな火鉢にあった種火をモグサに移すと、白い煙がすうっと昇った。

 極楽だ……。

 じんわり温められた生姜もツンと香ってくる。極上の癒やし空間だ。水売りは気持ちよく蕩けていく。


「熱すぎたら、仰って下さい」

「お〜~~」


 首と肩の付け根にすえられた灸の熱さが気持ちいい。体の隅々まで拡がってゆく熱は、箱根の名湯にでも浸かっているような心地だ。

 水売りは重労働である。早朝に起きて、江戸市中の銭亀橋で上水を汲み、舟で本所深川へ運んで売り歩く。極太の天秤棒を乗せる肩は、がっちりと硬くタコのようになっている。

 肩は仕事の要だ。労ってやらないと、バチが当たるというもの。

 じじいの灸とは大違いだ、と水売りがゆるみきった顔をごろりと医者の逆側に向けた。


「……え、なに?」


 先に寝ていたふたりの客。


「…………」

「…………」


 じっ、と四つの目が無言で睨みつけてくる。

 粋なチンピラ風の若衆と、ざんばらの白髪をぴしりと撫でつけた爺。

 いずれも眼光が半端者でない。が、なにぶん灸の最中なので、寝そべったままガンを付けられても迫力には欠ける。


(相手にしないでおこう)


 仁王のように我慢比べでも挑まれているのだろうか。しかし乗って得があるでなし、と水売りは再び顔を医者の方に向ける。


「熱いですか?」


 頭を動かしていたのを気にしたようだ。


「いやあ、平気の平左よ」


 むさくるしい野郎より美人を見るに限る。また顔がゆるんだ。


「俺ぁ三日にいっぺん、ここの裏の長屋を回ってるんだが、こんないい灸すえ所だったとは知らなかったよ。灸すえ日、前からやってたかい?」

「いえ、……初めて、です」


 びくりと肩を震わせて、言葉少なに医者が答えた。

 おや、灸をあてるまでは饒舌だったのにと、水売りが不思議に思う。ああ、そういえば。


「人見知りだってきいてるが、理由はそれかい?」

「え? ……は、はい」


 先ほどとは人が変わったようにどぎまぎしている。太夫は影を潜め、田舎から出てきたばかりの素人娘のようだ。

 だがそれもいい、と水売りはうなずく。

 田舎者っぽさを歓迎されているとは露知らず、医者は一生懸命に言葉を繋ぐ。


「患者さんだと思えば、病気のことは、喋れるんですが……お灸は暇だから、世間話をするかたが多くて……。初めての人と話すのが、その……苦手で……なので、申し訳なくて」

「そんなときゃァよぉ、刹那ちゃんっ!」


 寝そべったままの若衆が突然、声を張り上げた。


「俺の名を手のひらに書いて飲みなっ!そうすりゃあ、怖いものなんてなくなるぜっ!」

「誰だよてめえ」


 突然、会話に割って入られ、水売りはいらだちもあらわに噛みついた。

 若さ溢れるきらきらとした眼差し。明らかに恋する男の横槍だ。新しい扉をすがすがしいほど全開にしている。

 若衆は寝そべりながらも鼻息荒く、枕の上で顎を突き出す。


「江戸いちの侠客の名前、知らねえってのかい?」

「知らねーよ」

「私も無職に興味ないです」


 医者も水売りに同調した。若衆は撃沈したが、医者のけんもほろろな物言いからして、知った顔なのだろう。

 侠客と言えば格好はつくが、いわれてみれば無職である。


「あれ、顔見知りかい?」

「顔見知りといいますか……」


 ちゃん付けで呼ばれた医者は不快を隠さず、銭なし男をソデにする花魁の目付きで若衆を見下す。


「うちの者に喧嘩で負けて、怪我を手当てした私に言い寄りだして十日目の迷惑客です」


 初対面ではないからか、遠慮なく相手をこき下ろす。ついでに水売りとのぎこちない会話が解消されていた。

 撃沈した若衆だったが、医者に客と認識されていることは嬉しかったらしい。すぐさま得意顔に戻る。


「花川戸の助六たぁ、俺のことよ! 負かした郎党は三十余人、吉原の揚巻も俺にぞっこんときてる。そこのデカいのより俺の方が断然、男前だろ、刹那ちゃんっ!」

「あーはいはい、男前男前」

「金ヅル金ヅル」


 ついたての陰から団扇のチンピラと幇間の、これ以上ないほど投げやりな相槌が飛んできた。


「負かしたっつっても、おでんの早食いじゃねえか」

「熱いの平気なんだよバーカ!」

「あと、お座敷の尻相撲が強いんだっけ」

「相撲にかわりねえだろうが!」


 男前ってなんだろう。

 水売りは、よく吠える小さい犬を思い浮かべていた。大きな犬に凄まれると尻尾を巻くやつだ。

 侠客、すなわちやくざ者は、面子(メンツ)を何より重んじる連中である。喧嘩に負けたなら、仲間を集めて相手の郎党を皆殺しにするくらいのことは平然とやる者らだ。

 喧嘩の負けを棚上げしたうえ、手当てした医者に一目惚れ、当人らがいる三養堂の上客になるとは、何と平和的な侠客だろうか。

 煮ても食えない面子など、恋する男の前には越えられる壁でしかないのだ。


「ふふ、色ぼけた小僧が江戸いちの侠客など、笑止千万」


 また誰か何か言い出した。

 水売りは、助六の奥で寝そべる白髪爺を見た。肩を揺らして笑っている。


「てめえ、喧嘩売ってんのか!」


 助六も噛みつく。髪も髭も真っ白の爺だが、腰まで降ろしている着物はやけに豪奢で、眼力に妙な迫力があった。


「いや、それがしはお主と違って、医者の御仁に恋慕の情を押し付けるまねなどしたくないのでな」

「あれも常連?」


 なんだか分かりきった匂いがするが、水売りは医者に聞いてみた。医者は、はっきりと下着泥棒を見る目をしていた。


「先ほど言った喧嘩のあった賭場で無一文になって、一晩の屋根を貸してから私を見守ると言いだして十日目の迷惑客です」

「迷惑この上ねえな」


 水売りは心から医者に同情した。この美人は、どうも変な客を呼び寄せてしまうようだ。


「なに、刹那どのへの一宿一飯の恩を返しているだけにすぎぬ。朝の身支度から湯上がりまで、刹那どのを陰からお護りしておるのだよ」

「むっつりだよな」

「何かの達人っぽく見えるむっつりだよね」


 金ヅルふたり目は、新しい扉の隙間から覗き見する助平爺だった。強めの犯罪臭がする。


意休(いきゅう)と申す」


 むっつり爺は名乗った。

 ふたり共に、今日は朝から三養堂に駆けつけ、ひたすら灸を貪っていたのだろうと想像できる。

 旦那様と呼ばれて、いったい何枚金子を弾んだのだろうか。金ヅルとはいえ、医者も難儀なことだ。


「爺てめえ、俺の刹那ちゃんになに変態行為しようとしてんだよ、ああん?」

「当たって砕ける心意気はあっぱれだな、若いの。それがしには真似できん幼稚さだ」

「おもてに出ろい!」

「望むところ」


 とはいったものの、恋しい人が背に乗せたお灸が消えるまでは、動く気はないらしい。そろそろ生姜の焦げる匂いがしているが。


「一緒にされたくねえ……」


 ふたりの恋の鞘当てに巻き込まれたくはないが、気に入った医者と縁を結びたいのは水売りも同じだ。

 なにを土産に、医者とお近づきになるか。

 水売りは勝算がある。侠客も何かの達人の爺も持ち得ないものを、俺は持ってるじゃないか。

 終わった灸と生姜を瓶に捨て、背中をはたいている医者に、水売りは商談を持ちかける。


「ところで先生よ、あんた人見知りで棒手振りも捕まえられねえってんなら、水はどうしてんだい?」

「水、ですか?」


 いきなり話を振られ、元の初対面対応に戻った医者は、どぎまぎと体を拭く手拭いを入れた水桶を見たが、おそらく違うことを察して、奥の土間を指した。


「井戸水を、蒸留してます」

「蒸留ぅ!?」


 水売りの声がひっくり返る。

 深川に水道井戸はないが、まれに井戸を持つ屋敷や長屋はある。塩が溶けているので飲み水には向かない。

 しかし沸騰させて蒸気を集めれば、真水になる。

 三養堂は、土間に井戸を持つ希有な店なのであった。


「でも、沸騰させるための薪や炭の(つい)えは、ばかにならないので……できれば、水売りから買いたいと、思っています」

「そのひとことが欲しかったっ!」


 水売りは我が意を得たりと膝を打つ。


「俺が回ってきてやるよ。一日置きでも三日置きでも構わねえ。それで、合間にちっと灸をすえてくれたら、言うことなしだ」


 にかりと笑えば、医者の大きな黒い瞳が驚愕をもって輝いた。嬉しい、と語る笑みに後光がさしている。

 その眩しさに助六と意休もまた、鼻の下を伸ばす。

 医者は深く深く、頭を下げた。


「はい、どうぞ宜しくお願い致します、旦那様」


 診療所が、しんとなった。

 まだ騙されてる。それもあるが。

 恥じらいを含んだ嬉しさと、水売りに気を使わせた申し訳なさから来る控えめな微笑が、これから床入りする遊女と同じ台詞で炸裂したからである。

 『旦那様』の使いどころが最適に悪かった。


「〜~ッ刹那ちゃ」

「ハイお触りは禁止ですーう」

「お前はいつまでそれやんだよ」


 暴れ牛のように身を踊らせて医者に抱きつこうとした助六を、幇間が刺股(さすまた)で封じた。

 同じく懐から大金を出そうとした意休を、突っ込みを入れながらチンピラが踏み潰す。

 水売りの鼻先三寸で空を裂く、幇間の神速の刺股さばきには、声ほどの可愛らしさは微塵もなかった。水売りは腰を抜かした。


「正体見たり、だな。無一文ってのは芝居だろ」


 老人を足蹴にすることをいささかも躊躇わず、チンピラがにやりと笑う。


「そんな上等なもん羽織っといてよく言うぜ」

「お主も人が悪い。無一文が嘘と知って、それがしに一宿一飯の恩を売ったのか」


 踏みつけられてもなお、意休の余裕は崩れない。歴戦の図太さを見せている。

 水売りは何がなんだか混乱しながら壁に身を寄せたが、ふと隣を伺えば、医者があきれた眼差しでなりゆき任せにしている。

 よくある喧嘩沙汰なのだろう。止めもしないところは、あきらめなのか信頼なのか。


「七場所の姐さんたちから、白髪のお大尽がしつっこくて困ってるって愚痴を聞かされててよ。ふんじばってくれと頼まれてたんだ。……で、そのお大尽が来た日には、決まって出るらしいぜ。『橋の弁慶』がよ」


 ()ッ、と客の全員が、預けていた荷物の置き場を振り返る。

 板場の壁際、行李(こうり)にひとまとめに置いていた仁王たちの荷はどうやら無事だが。


「あーーっ!!」


 助六がやられたらしい。行李に顔を突っ込んで逆さまにして、振っても梨の(つぶて)

 『橋の弁慶』は、刀ばかり狙って盗みをはたらく賊の名前である。武士の太刀から旅人の道中脇差まで、気に入ったとみれば盗んでいくことで有名だった。

 正体不明、神出鬼没と言われていたが、まさか堂々と灸に興じていようとは。


「ああ、いたずら坊主みたいな若作りした男が一度入ってきてたね。あれが仲間か」

「手下にござるよ」


 止めなかったのか、という全員の視線を無視した幇間に、意休は不適に笑うと、年寄りと思えぬ体さばきでやくざの足から逃れ、仁王のあいだを一足飛びで土間へと降りる。


「さて、売ればいくらになることやら」

「返せ俺の刀っ!」


 助六が飛びかかるもひらりとかわし、意休は医者に接吻を投げる真似をみせると、路地へと飛び去った。助六もまた、医者に片目をつむって後を追う。

 飛んできた接吻と目配せは、医者に裏拳で払いのけられた。




「なんで逃がした?」

「金ヅルだろ」

「泳がせとこうよ」


 医者か借金取りかみたいな会話を交わしながら、三人の医者は散らばったモグサを掃除する。泥棒と子犬が去った跡は、嵐が過ぎたようだった。

 ほとぼりが冷めたら、またあの泥棒は現れるのだろう。遅くとも二月二日には。


「あ〜~そこ、そこ、気持ちいい〜……」


 腰を抜かした水売りは、巻き込んでしまったお詫びにと腰や肩を揉まれながら、灸すえ日だけは三養堂を避けようと心に誓った。またあんなのには会いたくない。

 骨に沿って、ぐ、ぐ、と指を入れる。相当な力を込めているらしく、体が揺さぶられるたびに背中の上で「んっ、んっ」と何とも艶かしい声が漏れている。


「悪ぃなぁ、板の間を、陣取っち、まって」

「いえ、うちが、負わせたような、もの、ですし」

「まぁ、俺には、棚ボタだけど、よっ」


 仕事に障っては大変だからとの医者の厚意に遠慮なく甘え、水売りは今度こそ極楽を味わっている。

 明日から一日置きで水を買うと約束も交わしたことだし、と幸せな眠気に包まれそうになる。


「凄い、がちがちに、硬い、ですね」


 眠れはしないのだが。



実在の人を登場させる気ないけど、歌舞伎のキャラならいいかなって…。『助六所縁江戸桜』より助六と意休に登場いただきました。でも歌舞伎はほぼド素人です、すみません。

助六を侠客?にしちゃったけど多分侠客ではない…のかも。意休が泥棒なのは拙宅の設定です。歌舞伎本編とは別キャラですのでなにとぞ。

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