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寝子屋敷・4

 明くる日。深川正覚寺裏の蛤町は、朝から物々しいことになっていた。

 獰猛な目つきで『診療所 三養堂』の小さな看板を睨む四人のゴロツキ。今にも押し込みに入らんとニヤニヤしている。

 博打に負けた腹いせか、喧嘩に負けた腹いせか、はたまた無茶な治療をされた腹いせか。


(いずれにせよ原因はあいつだろう)


 今朝は居るはずの原因男のでたらめな強さを知っているので、近所の面々はとばっちりを警戒しながらも、このあとも負けるだろう押し込み強盗を、丁稚と一緒に店の前に箒をかけながら見物している。

 ゴロツキのひとりで薄汚れた縞木綿の男は昨晩、湯屋帰りの女を犯して廃寺に戻るところを呼び止められた。


「深川の三養堂を襲ってほしい。医者だ」


 声は若い。笠で顔を隠してはいるが、身なりはどう見ても武士だ。重そうな巾着を懐でチャリンと鳴らす。


「襲うだけかい?」

「これを、見える所に仕込んでくれればいい。謝礼は弾む」


 小さな包みを渡された。

 前金は結構な額だった。縞木綿の男は、医者への押し込みなど楽な仕事だと博打仲間も誘った。もちろん謝礼もふっかけてやるつもりである。


「行くぞ!」


 鼻息荒く、診療所へと踏み込んだ。

 と、足が何かのつっかえ棒を蹴った。ガタンと音がして、頭の上から糸の束が大量に降ってきた。


「何だ、こりゃあっ!?」


 蜘蛛の巣のように暴れるほどに絡まっていき、ゴロツキ全員の身動きを封じる。

 細かい升目に無数に区切られたそれは、深川の漁師が使う漁網であった。破れてしまったものを、いつか何かに使うかもと梅之助が貰っておいたのだ。

 喧嘩相手であれば反撃もできようが、腕を振ろうと喚き散らそうと、魚より図体のでかい男共はまったく抜け出せない。

 罠、というのが弥九郎の性に合わなかった。

 ひと暴れしたかったのだろう。ぶつくさ言いながら、つっかえ棒で手前の男の顔をゴリゴリしている。


「まどろっこしいな。入ってきた奴から叩きのめしゃあいいだろうが」

「私たちがいるときならいいよ。せっちゃんひとりだと、散らばったら面倒だろう?」

「あー、そりゃあまあ」

「だから、纏めてから叩きのめせばいい」


 梅之助が考案した、効率よく叩きのめせる刹那用の罠である。

 網の一端は天井の滑車の鈎に取り付けてあるので、上げ下げできるし取り外しも簡単。そのまま番小屋にお届けできる。


「てめえら、それでも医者か!」

「どっからどう見ても医者だろうが」

「失礼しちゃうね。こんなに医者っぽくしてるのに」

「ふざけんなボケっ!」

「普通の医者は吊り天井なんかしねえよ!」


 叩きのめされることが確定し、ゴロツキの塊は罵詈雑言の宝庫と化した。

 縞木綿の着物の男が主犯であると、梅之助の目は見抜いていた。

 網に絡め取られて全員が暴れてはいても、その男は網を退けるのに左手しか使っていない。右手は何かを守るため、不自然なまでに懐から出ることがなかった。

 男の懐までの間を妨げるものを、梅之助の刀が貫いた。手前の男の、ふくらはぎ。


「ぎゃああああああ!!」


 突如として響いた悲鳴に、遠巻きに見物していた町人たちは、びくりと肩を揺らした。

 何ごとかと気にはなったが、触らぬ神に祟りなしと聞かなかったことにした。

 弥九郎が刺された男を覗き込む。博打で身を崩したどこぞの親父だろう、さして喧嘩ができるようには見えない。


「そいつが頭か?」

「いや、これは見せしめ」


 さらりと物騒な宣言をする梅之助である。


「押し込みで医者に入ろうなんて、ねえ? うちに来るということは、金以外の用だろう?」


 江戸の医者もピンキリで、中には天井裏に隠した謝礼の重みで天井が抜けた者もいるというが、それは極一部の話。

 うちが貯え抱負に見えるのかい、と梅之助は眉を下げて笑う。

 ゴロツキ共は完全に混乱していた。

 こんなのは聞いていない。医者に押し込んで、何故やくざと侍が待ち構えているのか。

 いつの間に自分たちは、食う側から食われる側になったのか。

 大の男が泣き叫ぶのをやかましいと眉を寄せながら、弥九郎は一人ひとりと目を合わせる。金無し宿無しの寄せ集めなのは明らかだった。


「使い捨てにはいいカモだな。遊ぶ金渡しゃあ尻尾振って駆け回るんだろ」

「そうだね、まずはその遊ぶ金を渡した雇い主のことから聞こうかな」


 にこりと笑った梅之助の視線は、最初から縞木綿の男に向いている。男もそれを察したのか、顔を背けた。


「し、知らねえ! 俺は誘われただけだ!」


 ふくらはぎを貫かれた男が、白状したから抜いてくれと涙でぐちゃぐちゃの顔で懇願してくる。

 俺も俺もと、次の餌食になりたくない奴らが唱和する。縞木綿の男の沈黙が最後に残った。


「……知らねえ。俺も、ここを襲えと言われただけで、相手が誰かなんざ聞いちゃいねえ」

「どこの誰かなんて名乗ったとも思わないよ。身なり、言葉使い、顔の特徴、そういうのを知りたいんだけど」


 言え。

 柔和な顔の内に、明確な殺意がある。

 ず、と刃が更に奥へと沈む。絶叫が気絶で途絶えた。切っ先は縞木綿の脇腹まで、あと一寸もない。

 いつ刺さるか、いま刺さるか。

 殺気を隠さない刃に、男の目は釘付けになる。

 この侍は迷わない。一息で来る。嫌な汗がじっとりと体を濡らす。


「庇う義理があるんだね」


 冷たく梅之助が結論づけた。刃の妖気がぎらりと光る。限界だ。庇う義理などあるものか。


「ぶ、武士だ! 若い武士だ! 本所で金を渡されて、これを、深川の三養堂に仕込めと、それだけだ! これが何かは知らねえ! 本当だ!」


 言って、網の破れ目から右手に握っていたものを差し出した。

 珍しいギヤマンの、小さな蓋付き器。弥九郎が受け取って開けてみると、中身は白い粉だ。

 ずるん、と刀がふくらはぎから抜け、男は再び悲鳴をあげて、そして気絶した。


「へえ、こいつがそうか。で、これをあっちにも仕掛けときゃあ」

「猫のこともある。今度こそ、せっちゃんを犯人にするつもりだね」

「まあ、そうはならねえけどな」


 中身の正体を知っている口ぶりのふたりに、縞木綿の男は低く唸ってうなだれた。この押し込みも三養堂にとっては手の内だったのだ。そしておそらく、あの武士すらも。


「神妙にしろい! ここの医者が毒を扱うってえ投げ文が……あったんだが……」

「お、いいとこに来た。毒ならこれだよ」

「本当、いいとこに」


 実にいいところに現れた岡っ引きに、ふたりはギヤマンの器と漁網の塊をまとめて押し付けた。





 同じ頃。


「あああ、何をなさいます、おやめくださいまし!」


 本所の医者、薬種問屋など、地黄丸を売り出した店に無法組のチンピラが押しかけ、帳場を占領していた。

 弥九郎の厳命で金目のものには目もくれず、誰にいつ、どんな薬を処方したかを書きつけた帳面をひたすら漁っている。

 騒動の大元である満月庵でも、主の皆川満月が顔を赤く青くさせながら宙を飛び交う帳面に悲鳴を上げる。


「な、何が、何がお望みでっ!?」

「うちの頭が知りてえんだよ。地黄買ってった奴らの名前をよ! てか多いんだよ畜生!」


 数枚、紙をめくっては文字数の多さに目をしかめ

「おい誰かこれ探せ!」と、ぽーんと手の空いていそうな男まで飛ぶのである。店の財産をこうも雑に扱われ、満月庵は泣きそうだ。


「お探しのものは、仰って下されば私どもが見つけます! 何を探したらようございますか!?」

「ああ、そんなら助かるわ。地黄と一緒に、チンピ、とかいうのを買ってった奴を上げてくれや」





 信三郎は、女将の見舞いにと足を運んだ柳水亭で、懇意の女中から思いもよらぬ話を聞いていた。

 女将の二匹の猫を『殺した』犯人が捕まっていないというのだ。


「毒を盛られたのではないのか?」

「いいえ、先生が言うには、間違って蜜柑の皮……ええと、陳皮? を食べてしまったんだろうと。私たちも、猫には毒だなんてそんなの知らずに先生を疑ってしまって、悪いことをしました」


 見抜いたのか。信三郎は内心で舌打ちをする。医者が隠居の毒殺を企てたと、大騒ぎになることを期待したのに。

 あの若造、大層な信頼を寄せられている医者のようだ。


 女将に色目を使われて、主の酒宴を抜け出して床を共にした。元花魁の色香に虜になった。

 逢瀬を重ねるうち、子がほしいと言われてぎょっとした。それだけなら、まだよかった。


「信三郎様はお若いのに、随分と早くて……ふふ」


 嗤われた。

 遊女ごときに、下賤の者に。

 そんなはずはないと、強壮のために地黄を求めた。


「お武家様、毎度、ありがとう御座います」


 医者も嗤っていた。

 男として赦せるものではなかった。

 その日、見知った仲の女中が離れから出てくるのが見えた。隠居が夏風邪を患い、伏せったのだという。湯飲みと急須、菓子の皿、『あさ』と書かれた空の包み紙が盆に乗っていた。

 これだ。

 思いついた外道の行いに、体が震えるほどの愉悦を覚えた。


「主に土産を持参している。菓子好きだろう、持っていっておあげなさい」


 女将への土産であった菓子を女中に持たせ、盆を預かった。女中は礼を言って離れに戻っていった。

 空の包み紙を懐に隠す。

 凄まじい笑みが浮かんだ。



「もう、子は望まないことに、しました」


 志づ香の告げた言葉に、信三郎は焦りと怒りに満ちた。

 それは猫を殺す鬱憤晴らしができるのが今日までということ、そして、この女を殺せるのが今しかないということでもある。

 よくも簡単に捨ててくれるものだ。これだけ貢がせて、利用しておいて。

 恫喝が喉まで出かかり、笑みで抑えつける。


「そうですか。ではこれからは、体を労るといい」

「はい。ずっと、叶う夢だと思っていたのに、あきらめてみると、長く病んでいた胸のつかえが取れたようです」


 美しく儚く笑う彼女は、礼もなければ謝罪もない。男の虚しさなど考えてもいない。

 その決断をさせたのは例の医者の若造であろうか。威嚇にも引かない、黒い大きな瞳が思い出される。


(どこまで邪魔をしてくれるのか)


 しかし今ごろ、袋叩きなり輪姦なりされているだろう。いい気味だ。

 今日も懐に猫の毒、陳皮を忍ばせている。それとは別の、もうひとつの包み紙を取り出す。白い粉である。


「これは我が藩秘伝の散薬で、気血を補います。病み上がりの身によいと思い、持参しました」

「まあ、そんな大変なものを……ありがとうございます」


 藩の中には独自の調合を編み出し、お留め薬とでもいうべき秘薬を作る藩がある。

 門外不出のそれを持ってきてくれた信三郎に、志づ香はとろけるような笑みで礼を言った。

 うやうやしく、包み紙を唇に運ぶ。

 信三郎の口の端が上がってゆく。


「飲んではなりません」


 隣室の襖がすらりと開き、信三郎は驚きと苦々しい視線を向けた。

 刹那と、柳水亭の隠居の姿がそこにあった。


「旦那様……」 

「志づ香、先生は全てお見通しだよ。やめておきなさい」


 間男を前にしてもなお、隠居の声は優しかった。ただし優しさは間男に向けたものではない。


「そちらの薬、頂戴いたします」


 ずかずかと部屋に踏みこんだ刹那は、敵意むき出しの男には目もくれず、志づ香へと手を伸ばす。

 志づ香には二択が迫られた。何度も床を重ねた男と、子を望むことを止めた医者。信用に足るのはどちらか。

 旦那が信じる方、に決まっていた。

 包み紙をそっと刹那に渡す志づ香に、信三郎は激昂した。


「何故止める!」

「これが毒だからです」


 二の句が継げずただ睨みつける信三郎を、同じほどに睨みつけ刹那は断言する。 

「伊勢の水銀ですね」

「……」


 男は答えない。肯定の証拠だった。

 伊勢国は古来より、伊勢白粉(いせおしろい)で利益をあげてきた。白粉の原料は水銀であり、伊勢はその水銀の産地であった。

 時代が下ると産出量が減り、安価な白粉に市場を奪われるが、水銀は梅毒の薬としての需要を掴んでゆく。

 人体には毒という最大最悪の欠点を、一部の者以外には知られないままに。


「猫もこの毒で死んだのだと、それを私が仕込んだのだと、そういう筋書きとお見受けします」


 不倫に耐えかね女将を毒殺、猫はその実験台だった、と。

 薬の包み紙をくすねたのは、隠居の主治医にそういう罪を被ってもらう予定だったからだ。柳水亭の刹那によせる信頼が、信三郎には予定外だったのだ。

 計画に不備を認めない男は、まだ弱輩の医者を舐めていた。胸を反り、虚勢を張る。


「まさか。そんなはずはない。それが毒なわけがない」

「ではお武家様がこれを飲んでみて下さい」

「我が藩秘伝の薬を愚弄するのか」

「四の五の言わず、お飲みなさい」

 ずい、と腕を突き出してくる。


 武士である自分に今、あるまじき返答をされたのだが、信三郎は気づかない。

 藩の名を、武士の身分をチラつかせれば町人は皆、平伏する。支配階級の者はそうして威厳を保つのだ。それが当たり前だった。

 身分のゴリ押しが効かない相手など、信三郎は初めてだった。

 それでも武士は引くことはできない。町人より上であるという、意地を通さねばならないからだ。哀しい生き物である。


「女郎上がりが、私をあなどるからだ! 大人しく悦んでおれば良いものを、要らぬひとことが気に障り気に障り気に障り、腹わたが煮えくり返っておった! いつか、いつか殺してやろうと……!」

「武士というのは、刀で人を殺めるのだと思っておりました」


 毒だと認めたも同然なので、刹那は淡々と白粉を包みなおし、薬籠にしまい込む。触れただけで毒素に蝕まれるので、保管は厳重だ。

 女将は蒼白になっていたが、隠居が肩を抱き、もう大丈夫、との声に小さく頷いている。

 目の前の大きな駄々っ子は、泣くこともできず我儘を叫び、地団駄を踏む。生まれと見栄が彼を大きな赤子にしてしまったのだ。

 人を斬ったこともないのだろう、腰の大小に手が伸びることもなかった。あわれとすら思う。


「薬で人を殺めるのですね」

「黙れ!」


 医者を毛嫌いしていた男は、自ら汚物になり下がった。




 目付が駆けつけ、信三郎は従った。

 自分ひとりの責任であり、大久保家には何の関わりもないことを念押ししていた。

 刹那は隠居と女将、柳水亭の奉公人らに礼と謝罪を繰り返され、うまく笑顔を作れないまま帰っていった。長く放っておかれた深川の患者に引き寄せられているようだった。

 騒ぎも落ち着いた八畳間の離れ。隠居は縁側で煙管を吹かす男の背に、にやにやと笑いかける。


「出番なかったねえ」

「ない方がいいでしょうよ」


 苦笑いで応えたのは、千住の佐治施療院、一ノ宿の主、鉄山である。いつもの診療用の作務衣ではない路考茶色の単衣が、燻し銀の男によく似合っていた。


「梅がのほほんと『荒事があるかも』なんて言うから来てみりゃあ」

「そこは血相変えて、とかじゃないのかい?」

「あいつは血相なんか変えませんから」


 刹那が巻き込まれた面倒を察し、千住に走った、もとい歩いた梅之助は、刹那には内緒でもしものときの用心棒を乞うたのだ。のほほんと。


「俺が出てたら、毒ではしゃいでたガキ、小便漏らしてたかもしれませんよ?」

「そりゃあダメだ。志づ香の布団が臭くなる。いかんいかん。出番なくてよかった」


 隠居は真顔で取り消した。

 ぎっくり腰をおして戸棚の桜餅を漁っていた隠居への鉄山の形相は、正しく殺し屋であった。

 隠居が鉄山に茶を勧める。こん、と煙草盆に火を落とす。

 共に、三養堂の三人の成長を見守ってきた仲である。武士に気圧されることなく相対したかつての少年の姿に、しみじみと、あるいは襖の陰で目を細めていた。


「まだヒヤヒヤしますけどね」

「いやあ、誰かさんに似て、男は度胸、じゃないかね?」

「多分、一緒にいる奴らの悪影響ですよ」

「悪いのかい」

「うしろに百万の味方がいる、そんな顔してましたから」


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