Sweet×Bitter×Vampire02
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バルコニーで夜風に当たり、しばらく目を瞑ってから部屋を振り返った。
掃き出し窓から部屋のほとんどを見渡せる。大きなソファにローテーブル。デスクにカウチソファ。壁を隔ててテーブルセット。大きな鏡のあるパウダールームのようなところもあって、キングサイズのベッドのある寝室は隔離されたところにある。
実は、フェリックスさんは要人用のもっと豪華な部屋を用意してくれた。でもそれは流石に気が引けて断った。それで用意されたのがこんなに素敵なスウィートルームだったので、断らなかったらどんな部屋が用意されていたんだと戦々恐々とする。一般庶民にはこれだけでも身に余る。
今アイゼンバーグはどうしているのかというと、彫刻のように眠っている。ひとしきりアタシの唇を堪能した後、微睡み、眠ってしまったのだ。しかも夜なのに目が覚めない。
目覚めないアイゼンバーグに怖くなって、ついさっきフェリックスさんに電話した。フェリックスさんは、アタシという存在が出来て安心して眠れるようになり、ようやく身体を休められたためだろう、と言った。アイゼンバーグの生活にはずっと休みがなかった。太陽が出ていても襲われることを警戒して、きっとどこか陽の当たらないところで隠れていただけで眠ってはいなかったのだろう。それがアタシという眷族を得て、ようやく休めたのではないかとフェリックスさんは推測した。それを聞いて嬉しかった。アタシという存在が彼の役に立っているような気がする。
「あれ」
ふと、ピリリとした気配がすることに気づいた。これは吸血鬼の気配だ。一体全体誰の気配だろうと思って見回してみると、黒いコウモリが上の階のバルコニーにぶら下がっていた。まさか。
コウモリと目が合った。真っ赤な目をしている。
「……デイン?」
問いかけると、コウモリは羽根を広げて落ちてきた。たちまち無数のコウモリが集まって来て大きな塊になり、コウモリたちはあっと言う間に人の形を作った。
「よう。相変わらず可愛いな」
にこっと笑うデイン。開口一番に褒めるなんてさすがは赤の吸血鬼というところか。
「ありがとう。中でお茶でも飲む?」
部屋を指す。するとデインは少し驚いた顔をしてから首を振った。
「いや、お茶は飲まねぇ。吸血鬼だからな。ホノカの血をくれるってんなら喜んで入るけど。というか、ホノカって警戒心がほとんどねぇよな。大丈夫かよ。それでやってけんのか? 何かすげぇことになってるみてぇだけど」
アタシは左目を触った。正確には左目にしている眼帯を。とりあえず見た目だけでも特徴を隠しておいた方が良いというフェリックスさんの提案から、黒い左目を隠している。能力もろもろについてはどうなっているのか分からないが、これから探っていこうとフェリックスさんは言ってくれた。アタシの身体の解明に協力してくれるらしい。つくづく良い人だ。
「その下は黒いだろ?」
「!」
驚いてデインを見る。するとデインは「全部見てたからな」と答えた。
「わりぃけどほとんど最初から見させてもらった。途中、ホノカの血の匂いでおかしくなりそうだったから離れたが……。だいたいのことは把握してる。ローザンヌとアイゼンバーグの両方と契約するとはな。ホノカは黒の吸血鬼なのか? 青の吸血鬼なのか? それとも両方、もしくはどちらでもねぇのか?」
アタシは黙った。分からなかったからだ。ローザンヌとだけ契約していた数十分の間は、確かに彼のものになってしまったという感覚があった。しかし今はそれがない。いや、正確にはアイゼンバーグに対してそれがないのだった。
ローザンヌは海の底に沈んでいる。アタシが沈めた。離れているけれど、どこにいるかが何となく分かる。繋がっていることが分かるのだ。たぶんこの感覚はアタシが黒の吸血鬼、ローザンヌの眷族だから感じるものだろう。でも、アイゼンバーグとはそういう繋がりを感じないのだった。このことはまだみんなにも話していない。言うタイミングを逃しただけなのでいつか言うつもりではある。でも、言うのが怖かった。特にアイゼンバーグに言うのが怖い。もしかしたらアイゼンバーグもアタシと同じで繋がりを感じていないのかもしれないが、アタシだけが感じていなかったらどうしようと不安になっている。もしアタシだけが感じていないのなら、アタシの不良だ。中途半端な存在だからかもしれない。それがどうにか出来るものとは思えないが、アイゼンバーグはがっかりするかもしれない。アタシは彼をがっかりさせたくなかった。
「言いたくねぇならいいけど」
デインはぐいぐい来るように見えてそうではない。押してみるけど応えないとなるとすぐに引く。どうでも良いと思っているわけではないみたいだけど、しつこくない。アタシが不快になることをしたくないという気持ちが伝わってくる。根は悪い人じゃないというか、真面目で良い人そうだ。
「俺の顔、見るの好きか?」
じっと見つめすぎていたのかもしれない。デインは不思議そうな顔をしている。
「ううん。ちょっと考え事をしていただけ」
首を振るとデインはふぅんと呟いた。
「俺はホノカの顔見るの好きだけどな。ずっと見ていたいくらいだ」
にっと笑うデイン。すごいな。ここまで自然にこういう言葉が出てくるなんてすごい。もはや尊敬の領域だ。しかもいやらしくない。
「デインってモテそう。彼女いたりするの?」
そこまで親しくもないのに聞いてしまった。長くおしゃべりしたことがあるから、いつの間にか距離が縮まったのかもしれなかった。
「いねぇよ。それに俺はモテねぇ。女はみぃんな俺じゃなくて彼奴のことを愛しているからな」
彼奴というのはたぶんブランのことだろう。デインはブランのことを王様とかご主人様などと呼ばないようだ。それから、この表情。デインはブランのことを話題に出す時、ちょっと暗い顔をする。
「なぁ」
呼ばれたので何、と聞き返した。デインは話しにくそうに口を閉じていたが、ややあってゆっくりと口を開いた。
「ホノカが黒と青の吸血鬼になったことを彼奴に……赤の王に話したら、どうなると思う?」
真っ直ぐにアタシを見つめる赤い瞳に肺がぎゅっと締まった。
「それは分からないよ。アタシよりデインの方が詳しいんじゃないの?」
脅しともとれる言葉だ。でも何故かデインが脅しているとは思えなかった。「そうか、とうだよな」と視線を落として呟いた彼の表情が妙に暗かったからかもしれない。
「なぁホノカ。俺たちの城に来る気はねぇか? 何ならアイゼンバーグも一緒でもいいぞ。青の王なら彼奴も無下にはしねぇはずだ。なぁ、俺たちの城に来いよ。必ず幸せにするから」
アタシはすぐ首を振った。
「行かない。あそこはアタシの居場所じゃない」
デインは一度ぐっと唇を結んでから長く息を吐いた。
「……分かった。無理強いはしねぇ。だが、これだけは言っておく」
これまでどこか曇っていた真っ赤な瞳に光が点った。
「彼奴は、赤の王は、基本的に女の嫌がることをしねぇ。だが、諦めもしねぇ。彼奴はホノカをご所望だ。ホノカが手に入るまで彼奴は絶対に諦めねぇ。ホノカが自ら俺たちの城に来るよう策を練るはずだ。どうしようもねぇ状態になる前に俺たちの城に来いよ。彼奴は女には優しいが、男には容赦がねぇからな」
待ってるぞ。
最後にそう言ってデインは身体の輪郭を闇に溶かし、無数のコウモリになって飛び去って行った。
彼はアタシを脅しに来たのではなかった。攫いに来たわけでもない。彼は忠告しに来たのだ。
彼も赤の吸血鬼のはずなのに、どうしてそういうことをしてくれるのかは分からない。女性に優しいという赤の王ブランボリーの眷族だからデインも女性に優しいのかもしれない。
アタシはバルコニーの手すりに腕を乗せた。風に当たりながら、デインの言葉を反芻する。
必ず幸せにする、か。ときめく言葉だ。それもデインのようなカッコイイお兄さんに言われたらその気がなくても転がってしまいそう。それなのにアタシの心は少しも揺らがなかった。それだけアタシはアイゼンバーグのことが好きなのだろう。出来ることならアイゼンバーグに言われたいものだ。そして、アイゼンバーグと一緒に幸せになりたい。あの人じゃなくて。
瞬きするコンマ何秒の間に黒い目の吸血鬼の姿が浮かぶ。ゆっくりと沈んでいく彼の姿が、鮮明に。身動きの取れない水の中で、彼はアタシを真っ直ぐに見つめていた。その瞳が名残惜しいような気がして心が晴れない。アタシは彼のことが嫌いなはずなのに。吸血鬼の絆の所為なのだろうか。アタシは黒の吸血鬼だから。
そっと眼帯を触った。
これからアタシはどうなってしまうのだろう。ご主人様と契約したら解決するはずだったのに、更なる問題が発生してしまった。青の吸血鬼だから発生する問題ではない。黒の吸血鬼だから発生する問題でもない。アタシは青と黒の吸血鬼だから。また中途半端な存在になってしまったから、問題が二倍にも三倍にもなっている。いつかこの問題は解決するのだろうか。何十年、何百年経っても解決しないのだろうか。それさえも、分からない。
アタシは幸せになれるのだろうか。平凡な幸せを手に入れられるのだろうか。不安になる。早くこれからどうするか話し合わないといけない。
早く目を覚まして、アイゼンバーグ。お願いだからアタシを一人にしないで。




