Lonely×Blue×Vampire05
隣の扉の前に立ったハイネグリフは扉を軽くノックした。中から「入りたまえ」というフェリックスさんの声が聞こえてくる。この部屋は防音室ではないらしい。
「貴方がこの部屋から出て来る時は決断出来ていることを祈ります」
「うん」
アタシは頷いてハイネグリフが開けてくれた扉から部屋に入った。
部屋はさっきまでいた部屋に似ていた。図書館のように本棚が並んでいるところが違うだけで、床や壁は同じようだ。
フェリックスさんは本棚の間に立ってこちらを見ている。それだけで絵になる。
背中で扉が閉まる音がした。アタシは震えそうになる足を踏み出し、本棚の間に立つフェリックスさんに近付いた。鼓動が少し速い。貫禄のあるフェリックスさんと二人きりだから緊張する。それから、これから何を言われるのか分からなくて不安でもあった。
アイゼンバーグに拒否されたアタシを、フェリックスさんはどう思っているのだろうか。
「ホノカ君。立ち話でも構わないかね?」
「はい、大丈夫です。ここに移動したのはアタシがみんなの前で上手く話せなかった所為ですから」
フェリックスさんの唇が真一文字に結ばれる。それから一度薄く開いたけれど、言葉は出てこなかった。言うのを躊躇っているみたいだ。
「……ホノカ君。これからする話は、青の王アイゼンバーグのプライベートな話だ。本来なら本人ではない私がする話ではない。しかし、君には知っておいてもらいたい。私の友人、孤独な王、アイゼンバーグのことを」
ややあってフェリックスさんは言葉を選びながら話し始めた。彼の知る、アイゼンバーグのことを。
アイゼンバーグは東欧で生まれたそうだ。純系吸血鬼は突然変異のように生まれるらしく、もともとそうであったのか、人の腹から産まれたのかなど起源については本人でも分からないらしい。だから己が血を吸わなければ生きられない化け物であることに気づき、吸血鬼としての自我を手に入れた時が吸血鬼の生まれた時なのだとフェリックスさんは言った。
青い目を持って生まれた吸血鬼アイゼンバーグは、生まれながらの王、青の吸血鬼となった。彼は生まれてから何十年かは他の吸血鬼や人間たちにも存在を気づかれなかったそうだ。人間が吸血鬼の存在に勘付いたら否応なしに騒ぎ立てられ、魔女狩りのようなことが行われると、フェリックスさんは悲しそうな顔で言った。経験があるらしい。しかしアイゼンバーグの存在はずっと気づかれなかったので騒ぎにはならなかったそうだ。それは彼が派手に人間や家畜を襲うことがなく、行動範囲が広かったのでまとまった噂が立たなかったからだろうとフェリックスさんは言った。それから、こうも言った。
「アイゼンバーグは味覚が他の吸血鬼たちと圧倒的に違うのだ。我ら黄の吸血鬼は五感が乏しいが、乏しいだけであってないわけではない。時に人間の血も甘美なるものに成り得る。だが、アイゼンバーグは味覚だけが異常なのだ。彼にとって血は食えたものではない味がするそうだ。人間らしく表現するなら泥水だろう。味覚が異常だから彼は進んで血を飲まず、気づかれなかったのだろうと私は推測している」
唯一口にできるものが泥水に等しいなんてあんまりだと思った。黄の吸血鬼よりも酷いだなんて。それでも生きるために飲まなきゃいけないのだから残酷だ。生きようとしているだけなのに拷問のようなものではないか。
「それでも不思議なもので、噂は立った。私はその噂を聞きつけて彼に会いに行ったのだ」
フェリックスさんは続けた。
「初めて出会った時の彼は人間に紛れて教会にいてね。それもまた酷く疲れている様子だった。彼は私に気づくと逃げたが、私が何もしないつまらない吸血鬼だと知ると逃げるのをやめた。逃げるのをやめてもこちらの話にはあまり耳を傾けなかったが、時間をかけたら話してくれるようになってね。そこで私は彼という友を得て、味覚に関する話を聞いたのだ」
すごいな。フェリックスさんって根気強い。それからやっぱりお節介なんだろうな。きっとアイゼンバーグを放っておけなくて、世話を焼いたんだろう。
「彼は味覚の他にも話してくれた。眷族についてだ。その時私にはサンダージャック、ハイネグリフ、レオとは別の眷族がいたのだが、その私の眷族を見て、彼は唐突に話してくれた」
フェリックスさんに今の三人以外の眷族がいたことに軽く驚いた。フェリックスさんは何百年と生きているみたいだから、その間にいろいろな出会いと別れがあったのだろう。それにしても、フェリックスさんはアイゼンバーグといろいろな話をしたんだな。それだけフェリックスさんはアイゼンバーグと仲良くなったんだ。
「彼は言った」
フェリックスさんの話は続く。
「何度か眷族を作ろうと試してみたことがあると。己の皮膚を裂いて血を分け与えたが、しかし、ただの一人も眷族はできなかったと。皆目の前で死んでいったそうだ。どんなに美しい女性も、どんなに強い男性も、老若男女問わず、彼の血は全ての人間を殺した」
ドクン、と心臓が波打った。
「吸血鬼にとって眷族とは、王にとって眷族とは、己の身を守るための盾や鉾ではない。家族でも恋人でもない。血を分けた分身、己自身だという者も多いが、私は、そうではなく、唯一孤独を埋めてくれる存在だと思っている。あまりに尊い存在のため、何かしらの名をつけることが出来ないと私は思うのだ」
唯一孤独を埋めてくれる存在。家族でも恋人でもないけれど、孤独を埋めてくれる存在。それはたぶん、王様だからそう思うのだろう。純系吸血鬼は数多の人間の中にぽつんと独りきりで生まれる。最初は己が何者かも分からないかもしれない。それなのに周りの人間たちとは圧倒的に違うことだけが分かる。
人間と吸血鬼はあまりにも違う。人間は周りのものと違うものを独りぼっちにする。吸血鬼は、王様は、自分だけが違う存在だということを毎日突き付けられ、眷族が出来なければずっと独りぼっちなのだろう。
「主従契約の始まりは吸血鬼が人間に血を与えることだ。吸血鬼が望まなければ始まらない。しかし、アイゼンバーグは、彼がどんなに望んでも、誰一人として手に入らなかったのだ。彼は真に孤独な王だ。誰も彼に寄り添うことが出来なかった。何百年もの長い間、彼はずっと独りなのだ」
あぁ、胸が震える。
「それって、とても、寂しいですね」
「あぁ」
フェリックスさんは悲しそうな顔で頷いた。
何故か自分のことのように悲しくて寂しい。期待を裏切られ、欲しいものが手に入らず、たった独りで生き続けるしかないなんて。どうしてカミサマはアイゼンバーグにそんな仕打ちをするんだろう。独りでいられる人なんていないのに。
「それが積み重なることで彼は次第に歪んでいったのだろう。食の喜びもなく、寄り添う者もいない彼にはこの世界は息苦しいことこの上なかったはずだ。そんな彼が何の喜びもないこの世界で唯一見つけたのが、戦いによる高揚感だった。戦いのスリルが、彼にとっては唯一心が躍るものだったのだろう」
縋れるものが戦いしかなかったから、アイゼンバーグは好戦的になったというフェリックスさんの仮説。それは真実のうちの一つであるように思えた。今の彼を形作っているのは、間違いなく彼の過去だ。フェリックスさんの推測だけで彼の全てを語ることは出来ないが、彼の一面を語るには十分だろう。
なんて、辛い話だ。どうしてこうも悲しいことになるのだろう。
「初めて会った時の彼は、怖くて、嫌なやつでした。フェリックスさんの言う通り好戦的で、人のことを家畜か何かだと思っているようなやつで、アタシは怖がったり苛々したりしっぱなしでした。彼はそうとしか生き続けられなかったのかもしれませんね。でも、彼、アイゼンバーグは、アタシを最後まで見捨てないでいてくれたんです。アタシの命を守ってくれたのは彼だけでした。そして、ちょっと歪んではいたけれど、アタシに血を飲ませて、吸血鬼にはなりたくないというアタシの願いを叶えようとしてくれた。たぶん、根は良いやつなんですよ」
最後にアタシは吸血鬼にならないことを願った。アイゼンバーグは必ずみんなが死んでいた自分の血を飲ませて、アタシを人間のまま死なせてくれようとしたんだ。おかしな解釈だけど、アタシの願いを叶えてくれようとしたことにかわりはない。
アタシはひょっとしたら彼のことを買いかぶりすぎているのかもしれない。彼もみんなと同じようにアタシを殺そうとしたたけなのかもしれない。でもアタシは、ずっとアタシを守ってくれた腕を知っている。優しい声を知っている。用済みになったアタシのところへ来てくれたことを知っている。彼にどんな意図があったのかは分からない。それでもアタシはアタシの理想を信じたかった。彼にはまだそういう心が残っていることを信じたかった。
「アタシは……彼に、拒絶されました。そんなアタシが考えるには厚かましいと思いますが……。アタシ、彼には幸せになってもらいたいと思います。彼のためにアタシが何か出来るなら、したい」
ハイネグリフがそんなことより自分のことを考えろ、なんて言いそうな言葉だなとふと思った。でも、フェリックスさんの話を聞いてアタシはそう思ったのだった。戦うことでしか楽しめない彼を、どうにかして楽しませてあげたい。他のもっと素敵なことで満たしてあげたいと思った。
「ホノカ君。君は、とても優しい子だね」
「そんなことありません。誰もが思うことですよ」
フェリックスさんはゆっくりと首を振った。
「人というものは君が思っているよりも遥かに許容範囲が狭く、攻撃的な者が多いのだ。こうである、こうでなければならないと決めつけ、当てはまらないものは容赦なく捨てて怒りもする。ホノカ君のように全てを、己を殺そうとした者まで受け入れ、その者のために何かをしてあげたいと思う者は稀だ。なかなか出来ることではない。誇って良い」
「ありがとうございます」
素直に受け入れた。フェリックスさんに褒められると、お父さんに褒められた時のように嬉しい。それにそうかもしれないなんて思ってしまう。
「そんなホノカ君に頼みたいことがある。ひょっとしたら、これはホノカ君だけにしか頼めないのかもしれない。君のような存在が青の吸血鬼の野良としてこうして私の目の前にいることは奇跡だ。きっと、孤独な彼に唯一与えられた祝福なのだろう」
ホノカ君、とフェリックスさんはもう一度アタシの名を呼んだ。金色の目でアタシを真っ直ぐに見ながら、両手を肩に置いて。
「彼を、孤独から救ってやってくれ。青の吸血鬼である君なら出来る。君なら彼に寄り添うことが出来る。主従契約の完成はとてつもない喜びだ。血を分けた眷族ができる喜びは何にも勝る。眷族がいるということは生を満たしてくれる。主人となる吸血鬼にとって眷族とはそういうものだ。私は彼にその感情を知ってもらいたい。そしてそれを他でもない君にお願いしたいのだ。君のような優しい子に、彼の傍にいてほしい」
目にじわっと涙が浮いた。
「出来ることならそうしたいです。アタシもアイゼンバーグがいい。彼と一緒にいたいです。でも、彼は……」
「アイゼンバーグは混乱しているだけだ。主人にも眷族が自分のものであるという強い感情がある。契約途中であるなら尚更強く惹きあうのだ。私は何度も経験しているが、アイゼンバーグには初めてのことだ。戦いでしか動かなかった心が初めて別のことで動いた。諦めていた幸福が突然目の前に現れた。その事実に困惑しているだけなのだ。分かってやってくれ」
アタシは唇をぎゅっと締めた。フェリックスさんの言う通り、アイゼンバーグが初めての感情に困惑しているだけなら、整理がついたらアタシを受け入れてくれるものなのだろうか。それなら嬉しい。その望みが少しでもあるなら、まだ頑張りたい。ここで逃げてしまったら、アタシは一生後悔する。
「アタシ、頑張ります。どうにかアイゼンバーグに分かってもらえるように頑張ります」
アタシの気持ちに答えてくれなくても良い。ホントは彼も同じ想いならとても嬉しいのだけれど、そこまでは望めない。ただほんの少しだけでいいから、彼に戦い以外のことで満足感を得てもらえればそれでいい。吸血鬼の主従契約がフェリックスさんの言うような感情を与えてくれるなら、アタシは彼に味わわせてあげたい。孤独を埋める極上の愛ってやつを。
「ありがとう、ホノカ君。ありがとう」
どこか泣きそうな顔で、フェリックスさんはアタシの右手を両手で覆った。ごつごつした大きな手は温かかった。フェリックスさんはとても良い人だ。友達として相手のことを想い、ここまで真摯に向き合える人なんてそうそういない。アタシはホントにこの人に出会えて良かった。アイゼンバーグのことをこの人に教えてもらえて良かった。
「お礼を言うのはアタシの方です。アタシを助けてくれてありがとうございます。アイゼンバーグのことを教えてくれてありがとうございます。この恩は一生返せないかもしれませんが、取りあえず、精いっぱい頑張ります」
今アタシに出来ることはなんとかアイゼンバーグとの契約をもぎ取ることだ。フェリックスさんのためにも、彼のためにもなると信じて。




