Hot×Cold×Vampire02
少し抵抗はあったが、その場に屈んで液体の染みこんだ土を人差し指で押してみたらちょっと指先が湿って赤くなった。ということはそんなに時間が経っていないはずだ。
それから、あとは血飛沫の様子とかで判断していたような気がする。でも目の前にある液体の跡は飛び散ったというより上から零したみたいな、べっとりとしたほとんど円形の跡だった。これでは分からない。まぁ飛沫だったとしてもアタシには分からない気がするけど。
視線を上げてハイネグリフを盗み見てみたが、ハイネグリフはまだぶつぶつ独り言を呟いて考えを整理している最中だった。完全に自分の世界に入っている人を邪魔してはいけない気がする。
アタシは立ち上がり、腰に手を当てて身体を伸ばした。これ以上考えてもアタシの頭ではどうにもならない気がする。足りない分は身体を動かして稼ぐ性分だが、ハイネグリフを置いていくわけにもいかない。レオにも離れるなと言われた。ここは彼の考えがまとまるまで待った方が良さそうだ。考えるのは彼に任せておこう。適材適所だ。邪魔しちゃ悪いし、急かさずこのまま彼が決断するまで少し休憩することにしよう。
真っ暗な空を見上げ、目を横に流した。
濃紺の空に疎らな星が煌めいている。一際濃い影を落とす建物たち。高い電柱から伸びた電線の上には鳥らしきものが乗っている。
いや、鳥……ではないかもしれない。乗っているというか、ぶら下がっているようだ。あれは鳥じゃなくて、コウモリなのではないか?
じっとコウモリらしき影を見つめていると、どこからかもう一匹飛んできて先にぶら下がっていたコウモリの隣にぶら下がった。なんか並んでいるのが可愛いななんて悠長なことを思っていたらもう一匹、もう一匹……と途切れることなくコウモリたちが集まって来た。
気持ち悪っ!
最初は一匹だったコウモリが何十という塊になり、うじゃうじゃと飛び回りだした。すごく気持ち悪い。コウモリが気持ち悪いのではなく、集まっているのが気持ち悪い。それに何かおかしい。適当に飛び回っていたコウモリたちが一つに固まり始めた。
小さなコウモリの形が、何か、大きな……人のような、形に……。違う! ようなじゃない! あれは人だ!
「ハイネグリフッ!! ねぇちょっと何か来たよ!!」
「何ですか。服を引っ張らないでください。伸びるでしょう」
カーディガンをぐいぐい引っ張るとハイネグリフは鬱陶しそうな顔で振り返った。そのまま口を動かしてアタシに文句を言おうとしたが、異様な気配に気づいたのかそれ以上続けず、視線を電線の上に投げた。
「!」
電線の上に真っ黒な人影が立っている。と思った瞬間、人の姿が溶けて液体でも垂れるように電線から落ちた。地面に落ちた黒い塊はすぐににゅっと伸びて今度こそしっかりした人の形をとり、ゆっくりとこちらに近付いてきた。
月光にさらされたその顔には見覚えがあった。紫頭で目鼻立ちのはっきりしたお兄さん……。
まずい! 目、隠さなきゃ!
アタシは咄嗟にハイネグリフの後ろに隠れて彼の背に顔面を押し付けた。引っぺがされることも案じて彼の腰を掴んで固定してぎゅっと目を閉じる。アタシには前科がある。絶対に目を合わせるなと言われていたのに誘惑に負けてブランを見てしまったという前科が。今度はそうならないように万全を期した。
「……貴方もこの匂いに誘われてやって来たんですか、デイン。相変わらず目が多いくせに行動は鈍いですね。すでにこの辺りには青の王の姿はありませんよ。貴方のことですからそんなことは分かっていると思いますがね。とんだ宝の持ち腐れです。良い目を持っているのですから、もう少し頭を使ってその能力を有効活用したらどうですか? 私ならそうして降りてきて時間を無駄にするのではなく、この場所を中心に捜索範囲を広げますよ」
「うるせぇ。お前こそ相変わらずぶっ飛んでるな。お前がまだお喋り野郎ってことは、アイゼンバーグも遠くには行ってねぇか」
この声、覚えている。やっぱりコウモリになるお兄さんだ。赤い目で、気を失うと暴れまくるという、大変危険なお兄さん。
赤い目ということは赤の吸血鬼ってことだ。デインというお兄さんは、ブランの眷族なのだろうか。あの女所帯にしては珍しい。
「今はまだ近くにいるとしても、こうして会話している間に青の王は遠くへ行ってしまいますよ。彼は待ってくれません。素早いですから、早く追いかけないと見失います。さっさと追いかけて行ったらどうです。そろそろ成果を上げて帰らないと、赤の王は貴方に失望するのではありませんか? 捨てられて死んだとしても私は驚きませんよ。ただでさえ、女好きで男嫌いの彼が貴方のような男を仲間に入れているのは珍しい。その特別扱いに甘んじていると堕落しますよ」
「……別に俺は甘んじてるわけじゃねぇ。それに失望ならもうされてるから、今更どうってことねぇよ」
デインはため息交じりに言った。諦めの滲む声だった。あまりにも暗い声だったので気になってハイネグリフの背から少しだけ顔を浮かせてお兄さんを盗み見た。
うわ、最悪だ。まずいと思ってすぐに顔をハイネグリフの背に押しつけた。
盗み見るつもりだったのに、ばっちり目が合ってしまった。あぁもう、どうしてアタシってこう同じ失敗を繰り返してしまうのだろうか。ブランのことがあったから今度はそうならないように注意していたはずだったのに。
でも聞いて欲しい。言い訳をさせてもらうと、デインがこっちを見ているとは思わなかったんだよ。ハイネグリフと会話しているから、ハイネグリフの方を見ているものだと思っていた。そしたらじっとこっちを見ていたというわけだ。以上、言い訳終わり。
「そいつ、見覚えがある。……あの夜のやつか? 俺たちが血を飲ませた……生きてたのか」
どぎまぎしているとデインの驚いたような声が聞こえてきた。また生きていたことを驚かれている。みんなに驚かれるから、こうして生きていられたことそのものが奇跡だったのだと自覚した方が良いのかもしれない。
「さすがは赤の吸血鬼ですね。普段は乏しい記憶力も女のことになると途端に増すらしい。近付いてきたのも女の匂いを嗅ぎつけたからですか? 至高の血の匂いよりも、貴方にはどこにでもいる女吸血鬼の匂いの方が魅力的というわけですか」
「なぁ。前から思ってたんだが、俺、お前に何かしたか? 慣れ合うつもりはねぇけど、喧嘩するつもりもねぇんだけど。そんな突っかかってくんなよ」
「私も貴方とやり合おうとは思っていませんよ。思ったことを口に出しているだけです」
それにしたって口が悪すぎるだろうと突っ込みたい。言いたいことを飲み込めとは言わないが、もう少し相手のことを考えて発言したり言い方を変えたりした方が良いのではないか。ハイネグリフには配慮が足りない。たぶん相手がデインじゃなくてアタシだったらキレている。
「そうかよ。俺も気が長い方じゃねぇからあんま煽んなよ」
そう言ってからデインは「ま、そいつが気になったってのはその通りなんだが」と付け加えた。ドキ、と心臓が跳ねた。
「そいつってお前らの仲間か? 黄の吸血鬼なのか?」
アタシはぎゅっとカーディガンを持つ手に力を込めた。ブランに会う時はフェリックスさんがフォローしてくれたけど、アタシのことを嫌っているハイネグリフはフォローしてくれるのだろうか。




