Hot×Cold×Vampire01
夜の闇が完全に街中を支配している。高層ビルの類はなく、高いものといえば工場の煙突くらいだ。アタシとハイネグリフはほとんど高さが同じ家々の屋根の上を飛び移りながらアイゼンバーグを探していた。鬼ごっこの時からどうして吸血鬼は屋根なんかを移動するのだろうと思っていたのだけど、こうして街中をあちこち走ってみて分かった。まだ遅くないからか家には明かりが点いている。道路に降りるとその光に照らされて目立った。人の形のものが道路を高速で移動していたらニュースに取り上げられてしまうだろう。だからあまり光が届かず、比較的見つかりにくい屋根の上を移動するのだ。人間からしてみれば夜の闇の中に吸血鬼という化け物が紛れ込んでいるなんてぞっとする話だろうけど、気づかなければその恐怖もない。吸血鬼としても気づかれたくないのだから、納得の移動方法だ。
ふと視線を右に流すと距離は少しあるが真横にハイネグリフがいた。ハイネグリフはほとんど音を立てずに移動する。吸血鬼もどきになったアタシの耳でもあまり音が聞こえないのだから、人間たちには全く聞こえないのではないだろうか。
かくいうアタシも音の鳴りやすいトタン屋根や崩れかけの瓦屋根を移動したりして経験を積み、音を立てずに動けるようになってきたところだった。
少しずつ人間からかけ離れていっている。いや、もう人間ではないことは分かっているし、自覚しているはずなのだけど、ついつい以前と比べてそう思ってしまう。
いつかこれが当たり前になるのだろう。たぶんきっと近いうちに吸血鬼の常識がアタシの常識になる。
漠然とした不安が湧いてくる。自分が人間でないことを体感する度、不安が大きくなってくる。アタシがアタシじゃなくなってしまうようで……。アタシ、このまま完全な吸血鬼になってしまっても良いのだろうか。身体が吸血鬼になっても心だけが取り残されて中途半端な存在になってしまうのではないだろうか。
そんなことを考えながら屋根の上を走っていて気づいてしまった。
「……血の匂いがする」
風の中に鉄が錆びたようなにおいが混じっている。
足を止めてアタシは匂いのする方へ視線を向けた。人間だったら絶対に気づかなかったはずの匂いに気づいてしまい、少しだけショックだった。
「どうやら風上の方から流れてきているみたいですね。この甘やかで芳しい理性を逆なでするような匂いは青の王のものに間違いありません。距離はざっとみて一キロから二キロといったところでしょうか。視覚的にも障害物が多く、気配を感じるにも距離がありますが、風に乗った匂いを感じとることのできるギリギリの距離です。レオならきっと気づかないでしょうね。これだけ離れていれば青の王や他の吸血鬼たちもこちらに気づくことはないでしょうが、いつまでも留まっているとは思えません。逃げられる前に行きますよ、小娘」
「う、うん」
急にめちゃくちゃ喋るな!? そういえばハイネグリフは血の匂いを嗅ぐと饒舌になるんだったっけ。こうして改めてみると変な特徴だ。顔が良い分変人っぽさが際立つような気がする。
「何をもたもたしているんですか。よもや連日に渡る不休の捜索で疲れたとは言わないでしょうね。これからさらに苛酷になることが予想されます。もう体力が残っていなかったとしても絞り出しなさい。それとも吸血鬼として生きることを諦めて化け物として死ぬことを選んだんですか? それならそれで私は一向にかまいませんし、むしろ面倒なことが減るので万々歳なのですが、最後の最後で巻き込まれるのはごめんこうむりたいので早々に撤退させていただきます」
ハイネグリフは言葉の多さにあっけに取られて動けないでいたアタシにそう吐き捨て、アタシを置いて屋根を蹴った。瞬きする間に遠く離れていってしまう。
「ま、待ってよ! 置いてかないで!」
アタシは慌てて屋根を蹴った。
だんだん匂いが濃くなってくる。
匂いのする方へ向かっているのだから当然なのだが、人間の時にこれ程まで匂いに敏感になったことがなかったので不思議な気分だった。さすがにアタシにはまだこの匂いがアイゼンバーグの血なのかどうか判別することはできないけど。
隣の屋根に飛び移った。
もう、だいぶ近い。たぶんこの周辺に匂いの元がある。
屋根から降りたハイネグリフに倣ってアタシも道路に足をつけ、注意深く辺りを観察しながら匂いの元を探した。ここまで近くなると逆に匂いが濃すぎてどこからしているのか分からない。目で探すしかなさそうだ。
「相変わらず頭が痛くなるくらい良い匂いですね、青の王の血は。久しく嗅いでいなかったので忘れかけていましたが、こうして再び嗅いで思い出すと様々な記憶も同時に蘇ってきます。また面倒な鬼ごっこに巻き込まれるのかと思うと反吐が出そうになるほど嫌気がさしますが、マスターの御命令ですから仕方ないと割り切るしかありませんね。あんな礼儀知らずの青二才など放っておけば良いのに、マスターも人が善い」
独り言がすごい。
見てはいけないもののような気がしてちらちら確認することしかできないが、とてつもなく気になる。誰に話しかけるでもなくずっと喋り続けているのは、こんなにも濃い血の匂いを嗅いで理性を失いつつあるからだろうか。独り言の中にいくつか聞いてみたい内容があるけど、口を挟んで良いものなのか決めあぐねる。そもそも息継ぎなしに話していて言葉の切れ目がないので口を出しにくいというのもある。呼吸がいらないってこういう時に重宝するんだなぁ。
ぶつぶつ独り言を呟くハイネグリフに無言でついていき、小さな公園に入った。首を少し動かすだけで端から端まで見渡すことができる。ブランコと鉄棒、それからベンチがあって、今にも切れそうな街灯がブランコを照らしていた。
ハイネグリフはブランコとベンチの間へ向かっていく。迷うことなく進んでいくので匂いの元が分かっているようだ。
「あ……血だ……」
どうやらハイネグリフの鼻はアタシの鼻より優秀らしい。ハイネグリフが足を止めたその先に血の跡を見つけた。土の上に赤黒い液体が染みた跡がある。
「ここですね。思ったより出血量は多くないようです。やはり前線を離れていたので勘が鈍ったようですね。予想ではもう少し出血しているはずだったのですが、これくらいならすぐに獲物を探しに行かなくても良さそうです。しばらくは持つでしょう。ということはここを離れた後、青の王は……」
よし、とりあえず無視しよう。ハイネグリフの話に耳を傾けて全部聞いていても基礎知識がなくてよく分からないから疑問ばかり増えるし、増えた疑問が解消されることもないのできりがない。レオがいてくれたらレオに質問できたのだけど。レオは当たり前のようにアタシが聞かずとも説明してくれたし、質問しても必ず答えてくれた。何より質問しやすかった。そういう点においてもレオと行動したかったが、今更仕方がない。ここは割り切ろう。ハイネグリフが自分の世界に没頭しているのだから、アタシだって自分の世界に没頭したって良いはずだ。そうしよう。
そう思ってぐるりと辺りを見回した。
アイゼンバーグの姿はない。つまり、この少ない手掛かりから彼が次にどこへ行ったのか探らなければならないということだ。
えぇと、こういう時、どうすれば良いのか。刑事ドラマとかの現場検証ってどういうことをやっていただろう。
頭をフル回転させて今まで見たことのあるサスペンスドラマを思い起こした。そうしてあるドラマで湿り具合からいつ液体が染み込んだのか予想していたことを思い出した。やってみよう。




