Hello×Yellow×Vampire03
フェリックスさんが音を立てずに扉を開いた。そのまま先に入るよう促され、部屋に入った。
一番手前の白いベッドの上にハイネグリフが横たわっていた。長い金髪を広げ、色のない顔をして、固く目を閉じて、微動だにしない。呼吸をしていないらしく胸も上下しないので、生きているのかさえ疑わしくなる。
胸が痛んだ。自分がやったわけではないのに、何故か申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ハイネグリフは一度ここで見た時から少しも回復していないのだろうか。
「話の続きをしよう」
フェリックスさんがアタシの隣に立った。左隣にはレオがいる。サンダーさんは……扉の前に立っている。
「ホノカ君がどの吸血鬼か仮説が立った。十中八九、正しいだろう」
「それじゃ、全員確かめなくてもよくなったってことですね」
こくりと頷くフェリックスさん。しかしその表情はどこか沈んでいるように見えた。
「君は……青の吸血鬼だ。あの青の王の眷族だろう」
「青の……吸血鬼……」
それはつまりアイゼンバーグがアタシのご主人様ということだ。
胸の奥がじんわり熱くなった。アタシ、嬉しいんだろうか。ご主人様が誰か分かって、不安要素が一つ消えたから? それともアタシのご主人様がアイゼンバーグだから?
「我ら吸血鬼を虜にするその血の匂いや味は紛れもなく青の吸血鬼の特徴だ。まだ不完全だからか、付随する効果はそれほど高くないようだがね」
そういえば青の吸血鬼の血はすごく美味しいらしいってレオが言っていた。さっきアタシの血を舐めたレオは美味しいって言ったから、フェリックスさんがそう考えるのも頷ける。
「ホノカ君。君を青の吸血鬼と見越して、一つ頼み事をしたいのだが良いかね?」
「はい。アタシに出来ることなら」
二つ返事で了承すると、フェリックスさんは複雑な表情をした。
「……我が眷族、我が友ハイネグリフにホノカ君の血を分けてやってもらえないだろうか」
「え……」
アタシが正式な判断を下す前にフェリックスさんはたたみかけるように続けた。
「見た通り、ハイネグリフは瀕死の重傷を負って今も目を覚まさない。身体の傷は回復しているように見えるが、我ら黄の吸血鬼は回復力が乏しく、目に見えない傷が身体の中に残っているかもしれない状態だ」
目に見えない傷……。
ハイネグリフに視線を移した。もしかしたら、ハイネグリフはその目に見えない傷の所為で目を覚まさないのかもしれない。今も苦しんでいるのかもしれない。
胸が締め付けられるように痛くなる。
「そこでホノカ君。君の、青の吸血鬼の血が我々吸血鬼にもたらす効果を利用したいのだ。我々吸血鬼を強化し、さらには治癒能力も高めてくれる青の吸血鬼の血なら、彼を目覚めさせることが出来るかもしれない」
アタシの血でハイネグリフが目を覚ますの?
ぱっとフェリックスさんを見てからすぐに視線をハイネグリフに戻した。
アタシが彼に血をあげれば、彼は目を覚ますかもしれない……。だから、サンダーさんはアタシが逃げないようにしていたのだろうか。このままではいつ目を覚ますか分からない大事な弟にしてあげられる唯一の方法なら、絶対逃がしたくはないだろう。アタシだって弟がそんな状況になったら何が何でも逃がしたくない。協力を渋るようなら土下座だってする。
「ホノカ君を道具のように扱うのは私も不本意だが、君が良いと言うのならば、ハイネグリフを助けてやってくれないだろうか。……どうかね?」
フェリックスさんはもう一度アタシに問いかけた。そんなの一択しかない。
「……やります。やらせてください」
頷いて答えた。するとまたフェリックスさんは眉間に軽いしわを寄せて複雑そうな顔をした。どうしてそんな顔をするのかアタシには分からない。
アタシは疑問に思いながらも今はハイネグリフを助けるのが先だと判断してゆっくりとベッドに歩み寄り、枕元に立った。
綺麗な顔だ。生気のない人形のような顔。金色の長いまつげに紙のように白い肌。形は良いが色は青みがかった唇。いくら綺麗でもこんなに生気のない顔は嫌だ。もっと生き物らしい、様々な表情が見たい。できることならアタシは彼の笑顔が見たい。それからサンダーさんやレオ、フェリックスさんが喜ぶ姿も。
吸血鬼の食べ物になるのはごめんだ。でもアタシの血を与えれば誰かが助かるのなら、アタシは喜んでそうする。そこに迷いはない。
サイドチェストに見事な金のバラの装飾のされた短剣が置かれていることに気づき、手に取った。アタシが同意することを見越して置いてあったのだろうか。だとしたらアタシのことをよく分かっている。
短剣の歯を左の手の平に強く押し当て、目を瞑って素早く引き抜いた。鋭い痛みが手を貫き、錆びた鉄の匂いが立ち込めた。
「う、わ……ヤバ」
レオの呟く声と、後ろからごくりと喉が鳴る音が聞こえてきた。振り返ってみると目を大きくして口元と鼻を覆っているサンダーさんがいた。アタシにはそれが臭いものに対する態度に思えてならず、軽くショックを受けた。
「サンダージャック、レオ。出ていなさい。ここは私だけで見届けよう」
サンダーさんはフェリックスさんに目を合わせただけですぐに出て行った。あのサンダーさんが、無言。レオも後を追うように「ごめん」と小さく言って出て行った。鼻から口をパーカーの袖で隠して。
アタシの血ってそんなにも臭いの? フェリックスさんは平気なの?
「ホノカくん、続きを」
「あ、はい」
促されて自分の手に向き直った。手の平に赤い筋が出来ていて、赤い液体を滴らせている。
いつの間にか液体がハイネグリフの頬に落ちていた。ハイネグリフは動けないから、アタシが動いて彼に血を飲ませてあげないといけない。
アタシは左手の側面をハイネグリフの唇につけ、絞るようにぎゅっと手を握った。
じんじんと痛む傷から漏れた液体が真っ青だった唇に紅を塗る。上唇と下唇の間に溜まった液体が口の中に消えていく。けれどもハイネグリフは目を覚まさない。まつ毛の一本も震えない。
ダメなのだろうか。アタシはまだ不完全だから、彼を助けてあげられないのだろうか。それとも、フェリックスさんは間違いないと言ったけどアタシは青の吸血鬼ではないのだろうか。
ガッ
「ぎゃっ!?」
何事!? 突然白い手に手首を掴まれた! ビックリして握っていた手を広げると、赤い何かがアタシの手の平を這った。
真っ赤な舌だ。真っ赤な唇を割って出てきた舌が手の平にできた赤い筋を舐めとり、唇が傷に押し当てられた。
「ひぃっ」
ちゅう、と音を立てて傷を吸い、唇が残らず液体を吸いとった。かと思ったら柔らかい舌がもっともっとと言うようにほとんど閉じてしまった傷を探して行き来した。
「わ、ちょっと! くすぐったい!」
ぞわぞわして思わず手を引こうとしたが、手首を掴む手が予想外に強くて出来なかった。ここで無理矢理振り払っても良いが、さっきまで昏睡状態だった人にそんなことは出来ない。でもくすぐったくてぞわぞわする!
そうこうしているうちに味がしなくなったからなのか自然と唇が手から離れた。
はぁっと熱を帯びた空気が漏れ、まつ毛が震えて現れたはちみつみたいにとろけた金色の瞳がアタシを見た。瞬間、ドキリと心臓が震えた。
ハイネグリフが目を覚ました。
アタシがじっと見つめていると、ハイネグリフは薄い唇を開いた。
「……小娘、貴方、死んだはずですよね?」
「開口一番それなの!?」
はちみつだった目が冷え、熱い唇から出て来た声は低く訝し気な声だった。




