Maria×Ash×Vampire06
背中に冷たいものが駆けていった。アタシの頭の中にある単語が浮かんだ。
男の子は……。
「約束通り、生き残ったから鍵をあげるわ。その窓からお逃げなさい」
美女が窓のある方へ視線を泳がせる。
アタシは何も言わずに美女を見ていた。美女は不思議そうな顔をしてアタシを見た。
「どうしたのかしら?」
それはこっちのセリフだ。
「どうしたのって、だって、鍵、おかしい、だって、お腹に」
口から出てくる言葉がおかしい。混乱している。だって、おかしい。なんで、男の子の腹の中にあった鍵があんなところに落ちて……。いや、違う。違う。
「どうして……どうしてそんなことを?」
この吸血鬼が男の子の腹の中から鍵を取り出したのだ。男の子の背中から手を突っ込み、彼の腹の中をまさぐって探したのだ。この吸血鬼が。
ゾッとしたのと同時に燃えるような怒りが沸いてきた。
「なんで? この子は貴方の眷族じゃなかったの?」
主人と眷族は家族なような存在だと思っていた。フェリックスさんとレオやサンダーさん。それからブランと女吸血鬼たちのようにお互いを思い合っているものだと思っていた。それなのにこの目の前の光景は何だ? どうして主人のこの吸血鬼が、眷族である男の子を殺しているんだ?
「そういう条件だったでしょう? 殺し合いをして貴方が生き残ったら鍵を渡してあげるって。殺し合いだから、この子が死なないと鍵は渡せないわ」
「そんなのおかしい! だって死ななくたって」
「おかしくなんてないわ」
アタシの叫び声に美女は声を重ねた。大きな声だったけど、荒々しく叫んだ声ではなかった。それでもアタシは気圧されて押し黙ってしまった。
「私の創ったルールを破る貴方の方がおかしいのよ。この子を死なせたくなかったのなら、貴方が死ねば良かったのよ」
じっと赤い瞳が訴えかけるように見てくる。
そんなの、そんなのアタシにはできないよ……。アタシは死にたくないんだから。アタシは唇を噛んだ。
美女はそんなアタシから視線を外し、男の子の頭を優しく撫で始めた。
「雑種はこうも脆いのね。お腹を掻き回しただけなのに死んでしまったわ」
それから美女は男の子の頭に手を添え、彼を強く抱きしめた。慈しむような表情で頬を彼の額につけ、目を閉じる。
「さようなら、私の子」
彼の目が震えたような気がした。口の端が、上がったような気がした。
「!?」
男の子の身体が揺れた。と思った瞬間、頭の先から男の子の身体が空気に溶けていった。いや、溶けているのではなく、灰になっているのだ。髪の毛の一本一本が、赤かった目が、柔らかい肉が、真っ赤な血が、全部全部、白い灰になっていく。
「うそ……」
まるで女神のような顔をして目を閉じている美女だけが形として残った。美女の周りには真っ白な灰が山を作っている。ゾッとするほど綺麗とも言える光景だった。
男の子が灰になってしまった。目の前で吸血鬼が灰になってしまった。生き物ではない無機物になってしまった。もう、この塊は話さない。笑わない。人の形さえ、していない。
「そんな……」
アタシはその場にへたり込んだ。
怖かった。こんな一瞬で灰になってしまうなんて。さっきまで生きて形を成していたものが、アタシと話していた人が、笑顔を見せていた人が、こうもあっさりと形を失ってしまうなんて。
これが死。これが、吸血鬼の死。
身体が震えた。怖い。
「ホノカ……」
心配そうなレオの声がした。レオは金色の瞳をアタシに向けていた。
「早くしないと直にブランが来るわよ」
美女がゆっくりと言う。真っ赤な瞳がアタシを見ていた。
「ブランが来る前にその鍵で鳥籠を開けて部屋を出ないと逃げられないわよ」
ブランが、来る。ここへブランが来る。
どうしよう、何も考えられない。
「あと三十秒」
「ホノカ!」
アタシは弾かれたようにレオを見た。
「ホノカ、いいか、オレの言うことに従うんだ。何も考えなくて良い」
アタシはこくりと頷いた。
「あと二十秒」
「鍵を開けてオレを出して! 急げ! ホノカ!」
アタシはレオの言う通り、急いで白い粉のついた鍵を取るとレオの入った鳥籠の鍵穴に鍵を差し込んだ。震える手で鍵を回すとかちゃりと鳴って鍵が開き、金の取っ手を引っ張ると籠の部分と底の部分が離れた。
「あと十秒」
「逃げるよホノカ! 早く! 窓に向かって走れ!」
レオの身体を抱え、アタシは窓に向かって走った。
ちょうど窓を押し開けたとき、後ろで扉が開いたような音がした。
「ホノカ」
「飛べ!」
ブランの声がしたような気がしたけど、アタシはレオの指示通りに窓から外に飛び出した。
まだ外は薄暗い。
綺麗に着地することができたアタシはそのまま地を蹴って駆け出した。こちら側は屋敷の裏のようだった。見たことのない景色が広がっている。それでもアタシは振り返らずに塀まで走り、塀の近くまで来ると飛び上がって塀の上に着地した。それからアタシは塀を飛び降り、森の中に入った。
「このまま塀に沿って門を目指して」
レオの言う通りにした。
塀に沿ってアタシは走った。冷たい土を踏み、草を踏み、門を目指した。そうしてアタシは屋敷の表にあった門にたどり着いた。
門の前には何もなかった。誰も、いなかった。
お腹がよじれるように気持ち悪くなったけど、今は、考えていられなかった。ぽろぽろっと何もしていないのに目から涙が零れた。
「……帰ろう、ホノカ。森を抜けるんだ」
レオは言った。アタシはレオをぎゅっと抱きしめた。
「ずずっ」
鼻水が出てきて、アタシは鼻を啜った。別に寒いわけじゃないんだけど、鼻水が出てきた。アタシはずるずる鼻水を啜りながら、ぽろぽろ目から涙を流しながら、裸足で再び森の中を歩き始めた。幸い、この森の中は一本の道しかなかった。この門に続いている広い道を歩いて行けば森を抜けられるはずだった。




