9-12.夏みかん
「……あの、ジャレッド・エヴァンズ助祭が? この小屋へ?」
日暮れ前に戻ってきた聖輝にことの次第を話すと、彼は目元がくしゃくしゃになるほど眉をひそめた。
「なんのために? というか、どうしてここが分かったんだ?」
「それが、何を言っているのかさっぱり分からなくて……あ、言葉が通じないって意味で、です。でも」
アミュウはそこでアモローソの方を見た。
「ナターシャと話をして、帰っていきました」
ジャレッドと面識のないアモローソは、突然訪れた牧師の正体が分からなかったらしい。アミュウが「エヴァンズ」、「スタインウッド」と固有名詞を繰り返すと、グレゴリーの関係者だとなんとなく察したようだが、どこまで分かっているか怪しいものだ。
アモローソは窓辺に座り、不安そうにアミュウと聖輝を交互に見上げる。彼女を見下ろしていた聖輝が「あっ」と声を上げた。
「そうか、あいつは斎宮の管理を担当していたんだったか……」
「ああ」とアミュウも声をもらす。なるほど、深輝がロウランドの斎宮に籠っていたころ、ジャレッドが出入りしていたと聞いていた。ジャレッドにとって、ロウランド旧城下町は縁もゆかりもない土地というわけではないらしい。
「でも、言葉の通じないロウランドへどうしてやってきたんでしょう? なんで、今なの?」
「どうせろくでもないことでしょうが、詳しい話は王女から聞かないと」
今晩の月の出は、夜中の二時過ぎだ。窓の外を見れば、斜陽が木々のあいだに差し込んで、あちこちに黄色いまだら模様を作っている。
聖輝は「散歩」とやらで、山に自生する夏みかんをいくつか採ってきていた。ごろりと黄色い玉を卓上に転がして、聖輝は器用に皮を剥いていく。ナイフが指先の一部であるかのようだ。
弾けるような芳香に、長椅子でうとうととしていたロサが薄目を開けた。
「Che buon profumo!」
「どうぞ」
聖輝は笑ってロサに向かってひと房を差し出した。身体を起こしたロサは、薄皮を剥いてかぶりつき、口をすぼめた。言葉がなくても、見れば分かる。酸っぱいのだ。
一方、食卓や台所から離れた方の壁際では、アルフォンスが毛布にくるまって横になっていた。こちらはまったく起きる気配がない。アミュウはくすりと笑った。
(眠れるときに眠るのが一番だわ)
小腹を満たしたら自分もひと眠りするつもりで、アミュウも夏みかんに手を伸ばした。聖輝は、剥いた外皮を皿代わりにして、むしった房を積み上げている。積み木のような房を倒さないようにそっと摘まんで口に運ぶと、口の中が縮みあがるような酸っぱさだった。
誰かに優しく揺さぶられ、アミュウは目を覚ました。まるでカーター邸で、イルダに起こしてもらっていた頃のようだ。薄目を開けても視界がほとんど変わらないほど暗い。真夜中だ。テーブルには、一本だけ蝋燭が灯っていた。頼りない灯りを背に受けてアミュウを見守っているのは、アモローソだった。
「……ナターシャ?」
半分寝ぼけたまま姉の名を呼ぶと、彼女は少しだけ寂しそうな表情を浮かべた。
「こんな夜中に、どうしたの?」
むにゃむにゃと訊ねてから、アミュウは徐々に覚醒していった。もう月は上ったのだろうか。言葉が通じるのか、不安に思ったのはほんの一瞬で、アモローソはすぐにはっきりとした様子で答えた。
「昼間の牧師の話をします」
アミュウがかまどに火を入れて湯を沸かすあいだ、アモローソは他の面々も起こして回っていた。テーブルに残されていた夏みかんの皮を抱えて小屋を出ると、山の端にすっかり痩せた下弦の月がかかっていた。小屋の裏手のゴミ穴に夏みかんの皮を放り込んでから、覗きこむ。暗い穴の中で、棄てられた皮の黄色がやけに明るく目を刺す。
ふとその輝きが、火口に煮えたぎるマグマのように見えた気がして、アミュウはきつく目を閉じた。
「お湯が沸いたよ」
アルフォンスに呼ばれて、アミュウは我に返った。
「先生がお茶を淹れたっていいんですよ」
「はは、アミュウが淹れてくれたほうがおいしいもの」
軽口をたたけば、アルフォンスはいつも通り笑って受け流してくれる。山で見つけたドクダミや熊笹に、さっき少しだけ取り分けておいた夏みかんの外皮を加えて煎じたら、滋味豊かな野草茶になった。
聖輝もロサも起き出して、食卓でアモローソを囲んでいる。アルフォンスは輪から離れて長椅子に座っていた。アミュウが茶の支度を整えるのを待ってから、アモローソは静かに念を押した。
「あの牧師は、スタインウッドのエヴァンズ司祭の息子なのですね?」
誰にともなく向けられた確認だったが、聖輝が頷いてみせた。
「養子に迎えたと言っていましたね。エヴァンズ氏は妻帯者ではありませんので」
アモローソは遠い目をして板壁の一点を見つめる。スタインウッドでの出来事をあれこれと思い返しているのだろう。彼女は適切な言葉を探そうとして、うまく見つけられずにいるような、歯切れ悪い口調で言った。
「父親はずいぶんと息子のことをかばっていたように見えましたが、実際にその息子と話してみると――」
「そこまで気にかけるべき相手だろうかと驚きますよね」
聖輝がずばり言いきると、笑い声をあげたのはロサだった。
「そうよね、あいつはソンブルイユでも有名な鼻つまみ者だったわ。とにかく嫌みったらしいから、みんな避けてた」
ロサが愚痴る後ろで、長椅子で茶をすするアルフォンスが渋い顔をしているのを、アミュウはしっかりと見ていた。だからロサはアルフォンスを盾にして、ひとりで小屋の中に隠れていたらしい。まるで子どもではないかとアミュウが失笑している横で、アモローソは話を進める。
「彼は、聖輝さんとナタリア・カーターを探していました」
アミュウも聖輝も、凍り付いたかのようにぴたりと動きを止めた。聖輝を探しているというのは、アミュウにもなんとなく察しがついたが、ジャレッドの口からナタリアの名が挙がるとは予想していなかった。
「それはつまり」
聖輝が続きを促すと、アモローソは「ええ」と頷いた。
「彼は私たちに、国産みを要求しています」
彼女が両手で包む茶碗の中では、野草茶が波打っている。その細かな震えを見た途端、アミュウの頭にかっと血がのぼった。アミュウはテーブルに手をついて立ち上がった。
「なんであのひとが言うの!? そんなことを頼まれる筋合いはないわ!」
事情を知らないアルフォンスとロサが目をしばたたかせているが、アミュウは構わずに続けた。
「そんなことを言いに、わざわざソンブルイユから来たって言うの? ここまで? どういう了見なの!?」
「アミュウさん、落ち着いてください」
聖輝にたしなめられ、アミュウはしぶしぶ椅子に腰かけたが、煮えくり返ったはらわたは簡単にはおさまらない。腹の底から怒りを排出するように息を吐き出していると、ロサが首を傾げてとぼけた声で言った。
「なんなの、国産みって」
聖輝は「おや」と眉を上げた。
「ご存じかとばかり思っていました。ドゥ・ディムーザン卿は何も話していなかったのですか?」
聖輝の言いぶりから微妙な皮肉の気配を感じとったのか、ロサは苛立たしげに腕を組んで反駁した。
「運命の女が鍵を握ってるんでしょ。けど、具体的な理由までは知らない。あんた、教会の常識を世間に持ち出して通じると思ったら大間違いよ。あたしは仕事で教会に出入りしてはいるけど、内部の人間じゃないんだから」
似たような経験が数えられないほどあるアミュウも、ロサに同調してうんうんと頷く。聖輝は腕を組んでしばらく考え込む。
「ドゥ・ディムーザン卿のいない場所で話していいものか……まぁ、言葉どおり、聖霊の申し子と運命の女が、不完全なドムスルミニスの代わりに、今度こそ完全な世界を産みなおすんですよ」
「ふぅん……要は世直しってことね」
ロサは自分の耳馴染んだ言葉に置き換えて受け止めたようで、聖輝も「まぁ、そんなものです」と受け流した。
「じゃあ、あのネチネチ野郎は、世直しでなにか得をするってわけ? あいつ、カリエール法王の右腕みたいな顔をしてるけど、階級は下っ端でしょ。特進でも狙ってるのかしら」
ロサは聖輝に重ねて問う。すると、聖輝が口を開く前にアモローソが思い出したように言った。
「斎王がどうこうって言っていましたが、何のことでしょうか? 斎王の体調が、とか、子どもがそろそろ生まれるとか、なんのことを話しているのかさっぱり分からなくて」
アミュウと聖輝は顔を見合わせる。さっき皮肉を吐いていた聖輝の顔から、余裕がごっそりと抜け落ちている。アミュウの内部を、冷たい汗のようなものがつぅっと通りぬけていく。聖輝とアミュウの顔色が変わったことに焦ったのか、アモローソは助けを求めるようにロサを見た。
「坊やのお姉さんはね、斎王っていって、ロウランドの斎宮で国の行く末を占う巫女姫なのよ。妊娠して、今はソンブルイユの実家にいるけどね」
御神楽家の事情をよく知らないアモローソに説明するロサの声は案外穏やかで優しかったが、それだけに、ジャレッドの発言の不気味さが浮き彫りになっていくようだ。
「……それは、あの牧師が斎王とそのお子さんを人質にして脅しているということですか」
アモローソが念を押すが、誰も答えない。答えないことが答えだった。






