9-9.かけら2
聖輝は一瞬の間をおいてから「いいえ」と否定し、穏やかな目をアミュウに向けた。
「もしもあなたにそこまでの力があるのなら、私はあなたにこの話はしませんよ。王女の代わりに自分がやると言い出すでしょうからね」
それはそのとおりだ。嫌がるナタリアを無理矢理駆り出すよりは、自分が引き受けるほうがいいに決まっている。聖輝の見立ては正確だと感じたが、彼の言い方には妙に引っ掛かる部分があった。
「私にも手伝わせてください」
試すように訊ねるも、聖輝は即座に却下した。
「だめです」
「だって、二人じゃ無理なんでしょう? 三人だったら大丈夫かもしれないじゃないですか」
「いけません」
「どうして」
聖輝に食い下がりながらも、アミュウは自分の勘が冴えわたっていくのを感じていた。聖輝は弱っている。普段の冷静な彼だったら、アミュウの出自に関して口を割ることはなかっただろう。うまく押せば、今ならもっと漏らすかもしれない。しかし、アミュウには滅多に見せない弱みにつけこみたくないという気持ちもあった。ジレンマの中で、アミュウの脳裏にふとアルフォンスの姿が浮かびあがる。
(どうしてこんなときに先生のことを思い出すんだろう)
頼りない第二の師を思いうかべながら聖輝を見つめ返していると、ふたりの姿が重なって見えた気がして、途端にアミュウは気付いてしまった。聖輝もアルフォンスも、何も言わないまま、黙ってアミュウを危険から遠ざけようとしているのだ。聖輝はアミュウを巻き込みたがらないのは、国産みが危険な仕事だからではないか。
口にしようかしまいか迷った挙句に、アミュウはやはり訊ねることにした。
「ナターシャを『巻き込んで』までやろうとしている国産みって……なんなの?」
剣を持つ者・パラケルススと、極東の旅人・ミカグラが、男性同士であったために成し遂げることのできなかった奇蹟。不完全な光の家を完全な世界にするため、来世は男女として生まれようと約束し合ったという。夫婦神の神話や「国産み」という語の持つ妖しい雰囲気から、聖霊の申し子と運命の女が男女として交わるのだろうとアミュウはなんとなく想像していたが、それは勝手な早合点だったのかもしれない。少なくとも、目の前の聖輝を見ていると、国産みが喜ばしいもの、歓迎すべきものだとはどうしても思えない。聖輝の沈黙の長さが、アミュウの不安が的中していることを何よりも物語っている。
「ねえ、何をするつもりなんですか?」
沈黙に耐えかねて重ねて訊ねると、聖輝はゆっくりと顔を上げた。しかしその視線はアミュウを通り越して、背後の斜面の上の方を向いている。ちょうど、頂上のあたりだ。
「デウスは活火山ですが、このドムスルミニスの歴史が始まってから、噴火したことはないそうです」
やっと口を開いた聖輝の話があまりに飛躍していて、思わず「え」と声が漏れてしまう。
「噴火? なんで今そんな話を……」
そう言いかけてから、アミュウははたと口を噤んでぶるぶると首を振った。目を丸くして聖輝を見ると、彼は小さく頷く。
「父や姉から聞いたことがあります。創世の時代、錬金術師パラケルススは火山の噴火口でその身を熱して材料として、ドムスルミニスの地を作ったそうです」
聖輝の声は、山間に響く鳥の音のように静かで、どこか遠いところから発せられるかのようだった。アミュウは口をぽかんと開けたまま、ただ聖輝を見つめる。
「正しい国産みの方法は、御神楽の家にも伝わっていません。何せ、成功したことがないのですから――だからパラケルススのやり方をなぞるしかない。火口をるつぼとして、聖霊の申し子と運命の女を溶かして混ぜ合わせ、世界を産む。だからアミュウさん。かけらのあなたでは、どうやっても足りないのです」
どうやって来た道を引き返したのかよく覚えていなかった。日が暮れるよりも随分前に、アミュウと聖輝は小屋に戻っていた。ロサはまだ眠っていたが、アルフォンスは起きていて、鍵を開けてふたりを出迎えた。聖輝は部屋の中を見まわしてからアルフォンスに訊ねた。
「アモローソ王女とジークはどうしました?」
「それを訊くのは野暮ってものじゃないかな」
苦笑いで応じるアルフォンスも、「それもそうか」と頷く聖輝も、どちらもロサを起こさないようにと小声だ。
「今晩の月の出は真夜中だったよね。しばらく寝てなよ」
アルフォンスはそう言って、いつもはジークフリートが寝ている長椅子を指した。
「ジークが帰ってきたら、寝る場所がなくなっちゃうわ」
うまく受け答えできているか自信がないまま、アミュウは部屋の片隅に畳んで置いてある毛布の山にうずくまる。毛布を頭からかぶってしまうと、ふたりの気配が遠くなっていく。どうやら夕飯の支度にとりかかろうとしているようだが、果たして、あの茶すらまともに淹れられないアルフォンスと台所に立てるのだろうか。
毛布の下で丸まりながら、アミュウは身震いした。聖輝は、アモローソと心中しようとしている。しかし、アモローソの側にその意思がないのは明らかだ。もしも聖輝がアモローソに国産みに挑むよう強いるとしたら、それは心中とはいえない。無理心中だ。
(でも、誰も聖輝さんを責められない)
聖輝が壊れかけの光の家を救おうとしている以上、地上の誰であっても聖輝を糾弾することはできないだろう――妹であるアミュウも、もしかしたら、父親であるセドリックでさえ、その立場にはないのかもしれない。少なくともアミュウは、聖輝が悲願のためにどれだけ苦心してきたのか知っている。
そして、もしも姫将軍としてブリランテの民を率いたアモローソが、救世の使命を放棄していると世間に知れたら、大勢の人々が彼女を責めるのではないだろうか。すこし前の、ブリランテ独立戦争の最前線に立っていた彼女だったら、そのような非難はものともせずロウランド王国再興に邁進していただろう。しかし、ピッチの死や言語の壁は、彼女に運命の女としての使命を残酷なまでに突きつけた。仮にロウランド王国が蘇ったとしても、ドムスルミニスが崩壊しては元も子もないと言い放ったのは聖輝だったが、アモローソがそのことを理解していない筈がない。だからこそ、あれだけふさぎ込み、葛藤し、涙も出ないほどに憔悴しているのだ。
今や、この小屋は最後に残された彼女の居場所なのかもしれない。
世界中の人々が彼女を責めるかもしれない。
(でも、私はナターシャを責めたくない)
きっと、いちばん彼女を責めているのは、彼女自身なのだ。どれだけ世界から必要とされても、国産みを拒否してしまう自身の心を責めているはずなのだ。夢の中でアモローソに成り代わったアミュウが、運命の女のかけらであるアミュウが、そんな彼女を責めることはできない。
(私が、代われたらいいのに)
毛布の中で、アミュウはさらに身体を丸めて膝をきつく抱え込んだ。いつかの聖輝の言葉が耳の奥に響いて鳴りやまない。
『このきなくさい物語の主人公は、私とナタリアさんです。あなたではない』
あれは幸福の食卓で聞かされた台詞だったか。カーター・タウンを遠く離れてデウス山噴火口の直下まで来ても、世界の終わりを目前にしても、アミュウは脇役に過ぎなかった。
(そんな舞台からは降りてしまえたらいいのに。私が代わってあげられたら)
耳の奥では、聖輝の言葉が際限なく繰り返されている。毛布の外では、聖輝とアルフォンスが声を潜めて調理に励んでいる。
「ねえ、このくるっとしたやつはなに?」
「さて、アミュウさんはなんて言っていたか……こごみ? だったかな」
「どうやって食べるのかな。見るからに生じゃダメそうだよね」
「あく抜きがいるのでしょうか……山菜って、灰で茹でるんですよね」
「ぼくは、都会育ちだから分からないよ」
「私もソンブルイユ育ちですよ」
「でも山育ちなんだよね」
「まぁ、それはそうなのですが」
彼らの会話を聞いていると不安が雪だるま式に膨らんでいくが、毛布をはねのけて台所に立つ気力はなかった。アモローソとジークフリートは、まだ帰ってこない。
(いっそ、帰らずにふたりで逃げてくれたら)
アモローソは、きっと逃げないと分かっていながら、アミュウは祈らずにはいられない。革命軍の手に堕ちたロウランド城から逃げたように、ジークフリートがアモローソを連れ出してくれたらいいと、本気で願っていた。






