9-6.再びアルフォンス=レヴィ・コンスタン2
「ちょっと、今さら何を言ってるの!?」
アミュウがカルミノに食ってかかる一方、ロサが思い出したようにふっと遠い目をして呟く。
「そういえば、あのときグレミヨンの手先の小娘と一緒に逃げることもできたわよね。単なる成り行きで済ますには、妙ね」
探るような視線をロサから向けられ、アルフォンスはしどろもどろになって手を振る。
「そりゃあ、アミュウが心配で……」
「そうよ! 招霊弾の爆発のあと、まっさきに私を探しに来てくれたのはアル先生だったわ」
アミュウが唾を飛ばす勢いで言い返し、アルフォンスをかばうようにカルミノの前に立ちはだかった。カルミノの背は低いが、アミュウはもっと低い。ガンを垂れるカルミノを見上げ、アミュウは視線をそらさなかった。
「――心配だと言うなら、無事を確認したあと早々に立ち去れば良かっただろう。なぜ、今の今までここにいる?」
「ああ、それなら少し想像つくかも」
ロサは目を細め、うんうんと頷いてゆっくりとカルミノのそばへ歩み寄る。
「あの爆発のあと、そこら中の精霊がいなくなって、あたしたち精霊魔術師は丸腰になった。そんなときにブリランテ勢に見つかったら、問答無用で殺されるでしょうね。でも、あたしたちと一緒にいれば、万一のときはアミュウが止めてくれるって算段だったんでしょ」
カルミノは目に浮かべた侮蔑の色を深め、声を上げて笑った。ロサも一緒になってクスクスと笑う。
「弟子に守ってもらうつもりとはな、情けない」
「先生を馬鹿にしないで!」
一歩も退かずにアミュウはカルミノを睨み返す。すると、カルミノの顔から笑みが潮のように引いていく。アミュウには彼が傍らのロサに目くばせするのが見えたような気がしたが、咄嗟に身を引くことができなかった。
「アミュウ!」
「アミュウさん!?」
わけも分からず床に転がったアミュウの口から悲鳴が漏れた。ロサが横からアミュウを引きずり倒し、馬乗りになって後ろ手に押さえつけているのだ。直接見ることはできなかったが、すぐそばにいるアルフォンスや、椅子から立ち上がった聖輝が動けずにいるのを見れば、ロサがナイフを手にしているであろうというのが想像できる。
「静かになさい」
腕を押さえるロサの力が強くなる。背にかかる体重も重くのしかかり、首から上しか動かせない。必死で首をひねって聖輝の方を見ていると、鈍い音とともに、アルフォンスのうめき声が上方から降りかかってきた。
「見くびるなよ、学者風情が」
カルミノの膝がアルフォンスの鳩尾に沈んでいる。身体を折りたたんでせき込むアルフォンスへ向けるカルミノの声色は鋼のように冷たかった。実際、滑るように袖口から取り出したアイスピックのような暗器をアルフォンスの喉元に突き付けている。
「この場でお前を殺すことなど、造作もない。覚えておけ」
そう吐き捨てたカルミノはアルフォンスから離れ、武器を収めた。アミュウの背中にのしかかるロサの身体が離れていく。聖輝が駆け寄ろうとして椅子を蹴倒してしまい、大きな音が響き、アモローソの肩がびくりと跳ねる。ジークフリートは彼女の肩にポンと触れてから、剣の鞘を抜いた。長椅子の脇に立てかけてあったはずだが、いつの間に手に取っていたのだろうか。
カルミノは一歩一歩、ジークフリートに近付いていく。アモローソを背にかばい、ジークフリートは険しい表情で剣を構える。
「先に抜いたのはそっちだぜ」
アミュウの蓮飾りの杖は炊事場に立てかけたままで、聖輝の手元にワインの瓶はない。聖輝が歯を食いしばる音が聞こえた。アミュウは上体を起こした姿勢のまま動けず、立ち上がれずにいる。
緊張感がじりじりと空気を焦がす。しんと静まり返った夜は圧縮され、淀み、密度と粘土を増して七人にまとわりつく。クビキリギスのか細い声が、やけにはっきりと耳の奥で鳴っていた。
先に矛を収めたはカルミノのほうだった。
「今ここでお前さんとやりあうつもりはないさ。そんなにお姫様を守りたいなら、とっとと傷を治してクーデンへ行くことだな。お姫様を狙っているのは、俺たちだけじゃない」
ジークフリートの目が点になる。カルミノはさっき聖輝が蹴倒した椅子を起こし、どっかりと座りこんで地図を広げ、何事もなかったようにロサと話し合いを始めた。ブリランテ偵察の計画を立てるらしい。
肩透かしを喰らった格好のジークフリートは、ため息をついて剣を鞘に納めた。不安そうに寄り添うアモローソに微笑みかけてから、アミュウたちの方へとやってくる。
「大丈夫だったか」
「ええ……」
「やっぱあいつ、とんでもねえな」
ジークフリートは声をひそめるが、カルミノの耳に届いていない筈がない。アミュウがはらはらしていると、ジークフリートは肩を落としてもう一度ため息をついた。
「ジークこそ大丈夫ですか?」
聖輝が眉をひそめると、すぐにジークフリートは顔を上げた。しかしその表情は浮かない。
「平気だよ。ただ、姫殿下を狙うやつがほかにもいるってのは、あのおっさんの言うとおりなんだよな……」
アモローソがショールの生地をぎゅっと握りしめるのを見て、アミュウは自分の心臓が握られるような心地を覚えた。彼女の不安が痛いほど伝わってくる。
聖輝は難しい顔のまま頷いた。
「姫将軍として目立ち過ぎましたね。正体はともあれ、その存在は連合軍側にも広く知られることになってしまった。ジュリアーニ卿はもとより姫将軍に懐疑的でしたし、領主の息子が亡くなった今、ブリランテ領主がどう考えているか、知らずに行動するのはたしかに危険です」
「結局、クーデンの様子を見てくるしかねえんだよな」
観念したようにジークフリートが天井を仰ぐ。板葺きの屋根や梁には染みが広がっていて、ここに来てから雨が降っていないことに感謝するしかない。
アモローソも聖輝もアルフォンスも、ここから動くことができない。テーブルの地図を囲んでカルミノとロサが話し合っているが、きっとカルミノがブリランテへ行っている間は、ロサがお目付け役としてここに残ることになるだろう。
(自由の利く私が、ジークと一緒にクーデンへ行った方がいいんじゃないかしら……)
アミュウがちらりとジークフリートへ視線を送ると、彼は首を横に振って寂しそうに笑った。
「姫殿下を頼むよ」
優しい微笑みだったが、彼は明確にアミュウを突き放していた。アミュウを撃ちぬいたその言葉は、貫通して聖輝をも貫いたらしい。かつて聖輝が単身でカーター・タウンを離れようとしたときには、聖輝はジークフリートにナタリアの護衛を依頼する側だった。すっかり逆転した立場に、聖輝も感じ入るところがあったらしい。
「もちろんです」
翌朝、明るくなるとすぐにカルミノは山を下りていった。まだ西の空に下弦の月が残っている時間帯だった。あと数日で半月というところだ。
カルミノを見送ったあと、アルフォンスとともに沢へ水を汲みに行く。
「蹴られたところは痛みますか」
藪を突き進みながらアミュウが訊ねると、アルフォンスはへらりと笑って「まあ、多少は」と答えた。
「あのひとが警戒するのはもっともだと思うよ。アミュウを盾にしてるみたいに言われたのは心外だけどさ」
踏み固められただけの細い道には、オオバコやオヒシバ、メヒシバがはびこっていて、靴裏に柔らかい感触がある。カーター・タウンの森に戻ったようで懐かしかったが、アミュウの心は晴れなかった。
昨晩、あれだけカルミノに詰め寄られても、アルフォンスは口を割らなかった。彼がソンブルイユ軍に戻ろうとしないのをおかしいと感じているのは、カルミノたちだけではない。
(グレミヨン卿の手先みたいな立場に甘んじていた先生が、どうして今になって逃げるような真似をしているのかしら)
その疑問は、ロウランド城下町への道中からずっとアミュウの胸にもやもやと渦巻いていた。はじめからはっきりと自覚していたわけではないが、昨晩のひと悶着で、焦点が合ったような気がする。カルミノの指摘したとおり、アルフォンスには軍に戻れない理由がある。そしてその理由には、恐らく――危険だから、なのだろう。
(誰が、あるいは何が危険なのかはわからないけど、先生は私を守るために矢面に立ってくれている節がある。たぶん、私にも危険が及ぶような理由があるんだわ)
先導するアルフォンスの背中を、アミュウはぼんやりと眺める。訊ねたところで、アルフォンスは答えないだろう。今まで何度もはぐらかされてきた。
沢の水を汲んでいるときに、アルフォンスはぽつりとつぶやいた。
「まあ、でも、そう見えちゃうのは仕方ないよね。ごめんね、アミュウ」
唐突な発言だったのと、水音が響いていたのとで、アミュウにはアルフォンスが何を謝っているのかピンとこなかった。しゃがんだままぽかんとしていると、アルフォンスは眉を八の字にして言った。
「なんでもない」
はじめて見る師の消沈ぶりに、アミュウの心にさざ波が立った。アルフォンスが、今にも消えてしまいそうに見えたのだ。






