9ー2.ホウキとハタキと雑巾と
小屋の中は長いあいだ使われていなかったらしく、乾燥してうっすらと汚れていた。土間の奥へとカルミノが全員を招き入れるあいだに、ロサが燭台に灯りをともす。いつ使ったのかわからない短い蝋燭が残っていたのだった。二人はひとしきり何やら言い合っていた。
アミュウはぐるりと部屋を見渡す。この人数が集まっても窮屈でない程度の広さがあり、机がひとつと丸椅子があった。部屋の端には長椅子もある。燃料の薪と乾いた水瓶、生活に最低限必要な道具類と、数枚の毛布があった。そよ風荘と同じような、カルミノの隠れ家なのかもしれない。
ロサに何かを言い置いて、カルミノは小屋を出ていってしまった。どこへ行くのだろうと不安になったが、ロサに訊ねることもできない。ロサは小屋の窓を開けはなし、アミュウとアモローソにホウキを押し付け、聖輝に雑巾を投げつけた。そしてアルフォンスに水瓶を持たせたかと思うと、その手を引く。
「Forza, andiamo!」
自身もバケツを持ち、アルフォンスを引き連れてどこかへ行ってしまった。
「水汲みでしょうか……?」
アミュウの呟きに、聖輝が苦笑した。
「掃除しろ、ということでしょうね。まったく、言葉が通じないというのに、人使いが荒い」
振り返ると、ホウキを手にしたアモローソがきょとんとした顔で突っ立っている。その隣では、ジークフリートがとぼけた顔で頭を掻いていた。アミュウも思わず吹き出した。
「さあ、ジークは軟膏を塗りなおすわよ。ほら、ナターシャも掃除して。きれいにしないと、立って寝ることになっちゃう」
二人にアミュウの言葉が通じている気配はないが、言いたいことはなんとなく伝わったらしい。アモローソはおずおずと部屋を掃きはじめ、ジークフリートは大人しく服をまくり上げた。聖輝はからからに乾ききった雑巾でしばらく戸棚を撫でていたが、やがて諦め、どこかからかスカスカの羽根バタキを見つけ出して掃除しはじめた。もうもうと埃が舞い上がり、誰からともなくくしゃみの連鎖が始まる。聖輝がブリランテで調達した覆面をかぶると、アミュウは思わず笑ってしまった。すると、ジークフリートもアモローソも腹を抱えて笑い出した。
ロサとアルフォンスが水を持ち帰ると、二人とも絶句して、もう少しでせっかく汲んできた水をこぼすところだった。
「不審者がいるかと思ったよ」
アルフォンスが笑う背後で、ロサが無言でナイフをしまう姿を、アミュウは見てしまった。確かに、ハタキを振り回す覆面男性がいたら、誰だって身構えるだろう。刃物を取り出すのも、無理からぬことだ。
床を拭きあげたところで、何やら大きな布袋を抱えたカルミノが帰ってきた。街で食料を調達したらしい。彼はロサとあれこれ言い合いながら鍋に湯をわかし、布袋の中の黄色い粉をざらざらと流し込んだ。かまどの前に椅子を持ってきて、鍋をかき混ぜ続ける。そうして、あちこち動き回って立ち働くロサに時おり話しかけていた。とうもろこしの甘い香りが部屋に充満する。
アミュウが興味津々で鍋を覗きこむと、手で追い払われてしまった。頬を膨らませていると、背後から近づいてきたロサに両手で思い切り頬を挟まれ、つぶされる。
「ぶっ」
蛙のつぶれたような声が漏れた途端、聖輝とアモローソが吹きだした。
「Nanu?」
既に毛布にくるまって長椅子に横になっていたジークフリートが、半身を起こしてこちらに不審な顔を向けている。
「ちょっ……何するのよ!?」
声を荒らげるアミュウを無視して、ロサはバケツの水で雑巾を洗いはじめた。
「あ……アミュウさんも、か、顔を洗った方が、いいですよ……」
聖輝が腹をよじりながら言うと、ケラケラとロサが笑った。アミュウははっと気づいて鞄に飛びつき、手鏡を取り出す。曇ってほとんど見えないが、頬がまっ黒になっているのはなんとなく分かった。
「ロサ!!」
アミュウが怒鳴りつけると、煤で真っ黒になったバケツの水を捨てに、ロサは小屋の外へと逃げていった。
鍋をかきまぜるカルミノの単調な動きを眺めているうちに、アミュウはいつしか机に突っ伏して眠ってしまった。ふと目を覚ますと、部屋の中は真っ暗だった。腕がしびれてじんじんと痛む。肩には毛布がかけられていて、アミュウは自分がすっかり寝入っていたことを知った。何せ、戦闘が三日続いた上に、山を登ってここまで来たのだ。体力の限界はとうに超えていた。
部屋を見回すと、暗がりの中にぼんやりと影が浮かび上がる。窓からほのかな月明かりが差し込んでいるのだ。みな毛布にくるまって雑魚寝をしていた。長椅子で寝ていたはずのジークフリートも、いまは床に転がっている。窓側には聖輝とアルフォンスが、土間側にはロサが眠っていた。
机の上には、木の椀と匙があった。触れてみると、すっかり冷めている。カルミノの手料理を食べ損ねたと知ったアミュウは、はたと手を引っ込める。カルミノは、どこにいるのだろうか。そういえば、アモローソの姿も見えない。
アミュウはそっと立ち上がり、扉を引いて土間へ出てみた。
土間の一角でなにかがごそりと動いた。息を呑んだアミュウが闇を見つめると、麻袋の上にカルミノが座っているのだった。番をしていたらしいが、今は眠っている。
(みんな疲れているのよね……突然、話せなくなっちゃったんだもの)
思えばロサにしても、普段の彼女とは様子が違うようだった。無理に明るく振舞おうとしているのが見え見えだ。
カルミノを起こさないよう、忍び足で小屋の外へ出てみると、小径を挟んだ向こうの木々の隙間から、月明かりを受けて銀色に光る斜面が見えた。山を吹き下ろす風に葉が翻るたび、星のようにちかちかとまたたくのだ。振り返れば、山小屋の奥に見えるデウスの山頂からわずかにそれて、下弦の月がのぼっていた。
はっきりと影の落ちる小径を、アミュウはのぼってみることにした。坂道はロウランドの古城の方向へ伸びている。もしも自分がアモローソだとしたら、かつての居城を見てみたいだろうとアミュウは考えた。






