9-1.ロウランドへ
「Bene, andiamo a ロウランド」
地面に広げた地図を指で叩いてカルミノが言った。アミュウには相変わらず彼が何を言っているのか分からないが、かろうじて「ロウランド」の地名だけは聞き取れた。彼の人差し指が山中の旧ロウランド城下町を示していたからだ。きっと、ロウランドへ行くことを提案しているのだろう。
地図を囲んでいるのは、カルミノ、アミュウ、聖輝、そしてアルフォンスの四人だった。カルミノが何を言いたいのか、聖輝にも伝わったらしい。
「落ち着ける場所で休むとしたら、ロウランドしかありません」
「ええ、そうね」
アミュウも頷く。アルフォンスは何も言わなかったが、反対する様子でもない。アミュウたちの言葉がカルミノに通じているわけではなさそうだが、賛成の意は汲みとったようだ。地図を畳んで背負い鞄にしまうと、ロサに声をかけに行った。
ロサはといえば、輪から外れて下生えの中にうずくまっていた。フェルナン・マニュエルとの一戦があった場所からそう遠くないところに、林檎の木がつぼみを膨らませているのを見つけた。その根元にナイフで墓穴を掘っているのだ。
ピッチの小さな遺骸はロサのレース編みのハンカチーフに包まれていた。ロサは、ナイフのまだ刃こぼれしていない部分で赤い尾羽を根元からいくつか切りとり、長いあいだ親指でレースの間から覗く頭を撫でていた。カルミノはじっと彼女を待つ。普段短気なカルミノが、このときばかりは辛抱強かった。
さらに離れたところでは、アモローソとジークフリートが座りこんでいる。ジークフリートの胸の火傷には、先ほどアミュウが軟膏を塗ったばかりだった。傷に障らないよう革の胸当てを外した彼は、クーデンへの道中でカードゲームに興じた姿となんら変わらず、てらいのないように見えた。しかし、すぐ隣のアモローソと合わせて見れば、やはり彼は騎士なのだ。鎧を脱いでも、姫だけの騎士なのだった。アモローソがぼんやりと視線を向ける先で、ロサがピッチを埋葬する。土をかぶせ、墓石を積み、花を手向けるロサを、アモローソは静かに眺めていた。
林檎のつぼみは濃いピンク色で、あと一週間も経たないうちに咲きそうだった。花が開けば、墓を明るく彩るだろう。秋に赤い実がみのれば、きっとピッチは喜ぶはずだ。
やがて立ち上がったロサに、カルミノが声をかける。小柄な彼は、下から見上げるようにして彼女になにか二言、三言話した。ロサはこくりと頷いて、林檎の木のもとを離れた。
林の中を歩いていくカルミノたちの後を、聖輝が追う。アルフォンスも歩き出した。アミュウも一歩踏みだしながら後ろをちらりと見やると、ジークフリートの手を借りてアモローソが立ち上がるところだった。
口を開く者がいなかったのは、言葉が通じないからだけではない。全員が消耗しきっていて、深く芯から疲れていた。
カルミノは道なき道を先導する。林はやがて森になり、傾斜がついてきた。坂はそれほどきつくないが、でこぼことした木の根や下草の棘、小枝が煩わしい。カルミノは歩きやすい場所を選んでいるようだったが、それでも怪我人を連れて歩くのは難儀だった。
(ロウランド旧城下町出身だって言ってたっけ)
ホステル・ヴェレヌタイラでカルミノが話していたことを、アミュウは思い出す。山中の森はどこを見ても似たような景色が続き、林冠に覆われ空も見えにくい。森歩きに慣れているはずのアミュウでさえ方向感覚を失ったが、カルミノは大して迷いもせずに、梢の合間を縫うように進んでいく。もしも土地勘のある者がいなければ、連合軍の拠点となっているクーデンを超えて、街道を進まなければならなかったところだ。山中を進むよりも、よほど危険が多いはずだ。
青葉に隠れてはいたが、それでも日が高くなったのだと気づく頃、カルミノはみっつ目の小川の手前で立ち止まり、ロサになにか話しかけた。ふたりはしばらく話しあったあとで、適当な木の根元に腰掛け、ビスケットを取り出した。昼食にするつもりらしい。
カルミノが手にしているのは、おとといアミュウが救護所でもらったばかりの品だった。彼はその場にいる全員に――ソンブルイユ軍所属のアルフォンスにも――ビスケットを配った。
「ぼくがもらっちゃっていいのかな」
じっとビスケットの包みを見つめ、アルフォンスが遠慮がちにつぶやく。
「もちろんです。元気出して歩かないと」
すぐさまアミュウが答えたが、ほかの者は怪訝な目線を寄越しただけだった。彼が何を言ったか分からずにいるのだ。彼とあまり長く話すと、いらぬ疑惑を呼びかねないと気付いたアミュウは、小さくため息をついた。
食後、聖輝がアルフォンスになにかを差し出した。
「その格好で騒ぎになってはいけません。これを着てください」
確かに、アルフォンスの身に付けているソンブルイユ軍の装備は目立つ。精霊魔術師の部隊は珍しいから、装備品だけですぐに所属が分かるというものではないが、人目を避けるに超したことはない。
木陰で着替えてきたアルフォンスは、シャツの袖をまくり、トラウザーの裾を折っていた。アミュウが思わず吹き出すと、アルフォンスもへらっと苦笑いを浮かべた。久しぶりに見た師の笑顔だった。
(うん。やっぱり、アル先生に軍隊の格好なんて、似合わない)
裾あまりの服だろうがなんだろうが、このほうがずっといいと、アミュウは思った。
ロウランド城下町へつながる山道に出たのは、日が暮れる直前だった。周囲がどんどん暗さを増していき、気が気でなかったアミュウは、ようやく道らしい道にたどり着いてほっと胸をなで下ろした。
はっきりと「街に着いた」という感覚がないまま、ぽつぽつと建物が見えはじめる。山間のわずかな土地を利用した畑の倉庫や、家畜の小屋などだ。木を切り開いた土地に斜陽が差し込み、赤く照らされた小屋の奥から牛の声が聞こえてくる。だんだんと道沿いに民家が並ぶようになり、町へと至った。出歩く人の姿はあまり見かけない。盆地にゆるゆると吹き込む風が、葉擦れと鳥の音を運んで、人々の暮らしの音と溶け合った。
城下町というからには、かつて栄えていた時代があったのだろうが、今のロウランドに往時の名残はない。森の街カーター・タウンの雰囲気に似ていると感じたあと、むしろスタインウッドの寂れ具合に近いと、アミュウは思い直した。町の辺縁は木造建築が多いが、中心部は石造りの建物だらけになる。そういうところはラ・ブリーズ・ドランジェにも似ていた。
(そうか、石造りの建物だけが、革命で燃え残ったんだわ)
カルミノに続いて町を歩きながら、アミュウは思い至る。アモローソ王女の夢の中で城を燃やした戦火は、城下町にも広がったのかもしれない。山の中腹にひっそりと姿を現したロウランドの街並みからぽつんと取り残されたように、ロウランドの古城が佇んでいる。遠目に見ても、石造りの壁が風化して崩れ落ちそうだった。
アミュウは景色を眺めるふりをして、こっそりと後ろを歩くアモローソを振り返った。モスリンの衣装を脱いで、今はロサから借りた服を着ているアモローソは、無表情のまま機械的に足を運んでいた。その遠い目が何を映しているのか、あるいは何も視界に入っていないのか、その顔からは分からない。
中心部を通りすぎて、ふたたび町外れの林の中に入ったところで、カルミノは足を止めた。木々に埋もれそうな小屋がある。
「É qui」
そう言って彼は小屋の扉の錠前に、どこからともなく取り出した鍵を差し込んだ。きしんだ音を立てて扉が開くと、中は真っ暗で、ほこり臭い空気が流れ出してきた。






