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月下のアトリエ  作者: 志茂塚 ゆり
第八章 軍靴、蒼天に響けば

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8-29.朝鳥の音なく空に

 やがて遠くからアミュウを呼ぶ声が聞こえてきた。むくりと身体を起こすと、アルフォンスが走ってくるのが見えた。聖輝ではないのかと思ってぼんやりと眺めているうちに、アルフォンスがすぐそこまでやってきた。


「大丈夫? 怪我はない?」

「ええ……先生こそご無事のようで何よりです」


 話しているうちに、アミュウにもだんだんと現実感が戻ってきた。立ち上がり、周囲を見回す。相変わらず、穴だらけの草原だ。あちこちに煙が上がっているが、雨が火の手を抑えているのか、先刻までの勢いはないようだ。

 アルフォンスは、じっとヴォマーノ川を見つめていた。日は上りそうで上らない。薄暗い中で判然としないが、顔色が悪いようだ。

 遅れて、聖輝とロサが姿を現す。聖輝はふらつくロサに肩を貸していた。


「ちょっと、さっきのは何だったのよ……頭が割れそう」


 ぐったりとした表情でロサがうめく。精霊の存在に鈍感なアミュウでさえ、魔力切れを起こしそうなほどなのだ。精霊魔術師にとって、これだけ急激に大気中の元素エレメントが減少すれば、相当の負担になるはずだ。ロサは聖輝の肩にぶら下がるようにもたれかかっていたが、仕方のないことなのだろう。胸のうちに生じかけたもやを、アミュウは振り払った。


「リゼットさんは?」

「慌てて本陣のほうへ戻っていきましたよ」

「かわいいお仲間に逃げられちゃったわね、センセイ」


 ロサが聖輝の返事にかぶせて、アルフォンスを揶揄する。やめておけばいいのに、青い顔で息を切らしていた。アルフォンスは、顔を曇らせたまま、黙っている。交互に二人の顔を見ながら、聖輝が思案顔でつぶやいた。


「さっきの爆発は、なんだったんでしょうか……あのあと、全員のオーラが急減したように見えますが」

「招霊弾です」


 アミュウが答えると、聖輝が目を丸くした。


「それって……新聞に載っていた、あの?」

「ええ。カルロさんが言っていました」

「……死の武器商人、カルロ・リッチ……ジークに、三角貿易の片棒を担がせていた男。その資金を元手に禁輸兵器を入手して、ブリランテ領主の息子に売りつけた……」


 考えこむ聖輝に、ロサも頷いてみせる。


「だとしたら、そいつもあの放蕩息子も、相当したたかね。精霊の根こそぎ消えたこの辺じゃ、この先しばらく精霊魔術は使えないわ。ねぇ、センセイ?」


 ロサが視線を流した先には、悄然としたアルフォンスがいた。ソンブルイユ連合軍側の人物はこの場に彼ひとりしかいないのだと、ようやくアミュウは気付かされた。そして、精霊魔術が使い物とならなくなった今、アルフォンスは丸腰も同然だ。


(そんな中、私を探しに来てくれた……)


 自然とアミュウの体はアルフォンスの前に出る。ロサがため息をついて言った。


「別に、すぐにセンセイをひっ捕まえようっていうんじゃないけど。どうせこの様子じゃ、連合軍の本陣はぺしゃんこでしょ」


 ぺしゃんこという言葉を聞いて、反射的にアミュウは目を伏せた。


「ドメニコさんとカルロさんが……」

「何? 放蕩息子が死んだの?」


 驚くロサのすぐ脇で、聖輝の顔が険しくなる。彼の渋面を見て、アミュウにもなんとなく聖輝が何を懸念しているのか、分かってきた。


 ブリランテ領主の息子が討ち死にしたとなると、後継者の問題が必ず浮上するはずだ。領主お気に入りの姫将軍が正式にブリランテを統治する未来も、充分にあり得る。

 アモローソの存在の重みが増せば、この戦争で鍵となっているもうひとりの人物、ラファエロ・ジュリアーニ司教もまた、重みを増すのは必然だろう。彼はアモローソの行動に懐疑的だ。ふたりが衝突することになれば、法王派としての御神楽家は、非常に難しい舵取りを迫られることになるが、そもそもラファエロの安否が分からない。あの爆発に巻き込まれていたとすれば、彼の命は絶望的だ。


 じっと考え込む聖輝に、だんまりを続けるアルフォンス。アミュウは、不気味なほど静かになったヴォマーノ川に目をやる。不意に、ロサが聖輝の肩から離れて、山側へふらふらと歩き始めた。


「何か聞こえる……誰かが戦っている?」


 耳をそばだてれば、確かに剣戟の音が聞こえてくる。その場にいた全員が疲れ果てていたが、アミュウはいても立ってもいられず、音の聞こえてくる方へ駆け出した。




 水浸しになった平原の、ちょうど林の始まるあたりで、ジークフリートが剣を構えていた。

 荒く上下する肩から流れ落ちる赤いマントは、あちこち焼け焦げて穴があいている。彼が向かい合っているのは、農民風の男――遠目では分かりにくいが、あの髭面は確かにフェルナンだ。先日アモローソに射抜かれた腕をかばいながら、反対の手でワインの瓶を握っていた。


 見通しの良い草原を走っていたアミュウは、すぐにフェルナンと目が合った。彼が髭の下の口元をニヤリと緩めると、すかさずジークフリートが切り込む。

 咆哮とともに一瞬で間合いを詰めたジークフリートの袈裟斬りは、しかしフェルナンに届くことなく宙を掻いただけだった。後方へ跳びながら、フェルナンは腕を一振りしてワインを撒いた。そのひとしずくがジークフリートの腿をかする。残りの液体はビシャリと地面に落ちていった。

 ジークフリートに近付くと、ワインのかすった腿の布地が焼けて細く煙が上がっているのが分かった。


「ジーク! 脚が」

「来るんじゃねえ!」


 ジークフリートはフェルナンを見据えたまま、アミュウの方へ剣を振って怒鳴りつけた。彼の足元を見れば、フェルナンのワインの飛び散った場所の草がチリチリと燃えている。


(ジークがいるってことは、すぐそばにナターシャがいるはずだわ。林に身を潜めている?)


 立ち止まったアミュウが木々の合間に目を走らせていると、フェルナンは口元にいびつな笑みをたたえたまま、ジークフリートとアミュウへ立て続けに平パンを投げつけてきた。


「くそっ」


 ジークフリートの剣が平パンを打ち落とすが、一枚が彼をすり抜けてアミュウの方まで飛んできた。反応の遅れたアミュウは、結界を紡ぐ間もなくぎゅっと目をつむる。続けて腹を震わせる爆発音と、まぶたを焼く光、そして左腕を爆風が襲った。真横へと倒れていったアミュウは、自らの二の腕を抱く。じんじんと痛むが、左腕を掴んだ右の手のひらに血はついていない。不思議に思ってさっきまで立っていた場所を見ると、矢羽根が振り子のように揺れていた。矢が平パンを射落としたのだった。


「はは! そこにいましたか、姫将軍。雪辱を晴らす機会をくださるとは、実にお優しい!」


 フェルナンの高笑いが、いよいよ白み始めた空に響く。

 間髪を置かず、ジークフリートがフェルナンに切りかかった。ワインをまき散らしながら、フェルナンはジークフリートを迎え打つ。ぎりぎりのせめぎあいの中で、ジークフリートは声を振り絞り叫んだ。


「逃げてくれ、姫殿下!」


 林の中に潜んでいたアモローソが、アミュウを助けるために弓を引いた。そのためにフェルナンに居場所を知られることになったのだとアミュウが気付いたときには、フェルナンのワインがジークフリートの胸元を焼いていた。ガラス戸を爪でひっかくようなうめき声がジークフリートの喉から洩れ出る。

 アミュウはほとんど悲鳴のように彼の名前を叫んだ。


「ジーク!」


 どっと音を立ててジークフリートがその場に膝を折る。アミュウがジークフリートのそばに駆け付けるよりも早く、天へのぼる煙をかき消して、木立の陰から鋭い矢が飛んできた。今度は、さほど太くもない木の幹に隠れるアモローソの姿がアミュウにも見えた。


 フェルナンは射撃を見切っていた様子で、ジークフリートのすぐそばへと身をかわす。ジークフリートを盾にする魂胆らしい。そして流れるような動きで、腰のポケットから平パンを取り出し、アモローソの隠れる木立へと投げつけた。林から離れた場所に倒れるアミュウには、援護はとても間に合わない。


「ナターシャ!」


 アミュウの耳に、どこからともなく姉の名を呼ぶ声が届いた。はじめ、自分が姉を呼んだのだと思ったが、アミュウの喉はひりつき、限界まで息を呑んでいたため、声を上げられる状態ではない。


(誰が、ナターシャを呼んでいるの? 家族の愛称で)


 目を見開いたアミュウには、両腕を顔の前で交差して衝撃に備えるアモローソの姿が見えていた。そして白い光の尾を引いて飛んでくるフェルナンの平パンが。

 そして、木立の上からばさりと落ちてきた、灰色の影が。


 今日、閃光を見たのは何度目だろう。いくら光を浴びても、目が焼かれる感覚には慣れない。アミュウは平パンの行方を見届けようとしたが、やはり目を瞑ってしまっていた。チカチカとちらつく視界の中、足をもつれさせながら、アミュウは転がるように林へ向かう。

 肉の焦げる嫌なにおいが鼻についた。木立の根もとから空へと、煙がまっすぐに上がっていく。行軍している間は空は雲に覆われていたのに、いつの間にか晴れ間が見え始めていた。招霊弾の爆風は、天の雲をも吹き飛ばしたのだろうか。青い空が、木立の上にぽっかりと広がっていた。

挿絵(By みてみん)


お題「バレンタインデー」のワンドロです。

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