8-28.閃光はすべてを焼いて
突風を流したのは、アルフォンスだった。師の突然の登場に呆気にとられる一方で、アミュウの目に彼の姿はちぐはぐに映っていた。
(似合わない)
彼もリゼットと似たような革スーツの軍装だったが、はっきり言って衣装負けしている。それもその筈で、アルフォンスは学者なのだから、戦闘服が似合わないのは当たり前だ。なぜ学者が戦場にいるのか?
(――どこか予感はしてた。その予感を、見ないことにしてた)
ソンブルイユの工房から姿を消したアルフォンス。留守にするとアミュウに告げながら、行き先も、いつ帰るのかも、頑なに言おうとしなかった。アミュウが空間転移術の研究に関わっていたことを隠すため、グレミヨン卿に良いように使われていた。書物を焼くことまでやってのけた。そんな彼が、グレミヨン卿の姪であるリゼットと一緒にいる。
「大猫騒動のときの立役者が勢ぞろいしたってわけね、センセイ」
そう言いながらロサが立ち上がり、尻についた土を払う。聖輝はアミュウを支えていた手を離し、ポケットから平パンを取り出した。
「聖輝さん!」
聖輝を制止しようとして、ようやく声が出るようになった。アミュウは一歩踏み出して、師に問う。
「アル先生、どうしてこんなところにいるんですか?」
雨の少ないこの時期、ヴォマーノ川まではまだいくらか距離のあるこの場所、風下は炎に包まれ、一面に燃え広がっていた。今に、アミュウたちの立っているところも炎に飲まれるだろう。周囲を見まわしてから、アミュウはさらに問いかけた。
「どうしてこんなことをするんですか?」
リゼットが唾を吐く姿が遠くに見えた。やや間を置いてから、アルフォンスが口を開く。
「――それはこっちが訊きたいよ、アミュウ。クーデンにいるんじゃなかったの? 西部は危ないってあれほど言ったよね? なんでお兄さんがいるの? ジークくんは?」
質問責めに面食らい、アミュウはしどろもどろになる。
「姉が、ブリランテにいたから……聖輝さんと一緒に、あ、ロサも。ジークは姉といて」
「お姉さんが? ブリランテに? ジークくんも? 無事なのかい?」
アルフォンスの矢継ぎ早の質問がナタリアに向くと、アミュウの胸が縮んだ。アルフォンスは、アミュウの姉が姫将軍と呼ばれているのを知らない。うつむいて黙り込んだアミュウを見て、アルフォンスはおのれの発言の不用意さに気が付いたらしく、顔を曇らせた。聖輝がアルフォンスを睨みつける。
「あなたがしているのは、アミュウさんのお姉さんを傷つけるかもしれない行為です。愛弟子を悲しませるのですか」
聖輝の詰問に、アルフォンスがひるむ。後ろではロサが水の元素を集めているらしく、何やらぶつぶつと呟いているが、アミュウには精霊の気配が分からない。
「……まさか、お姉さんがこの戦いに加わっているの?」
「もっと先へ進んでいるはずです」
聖輝が前方のヴォマーノ川を指すと、アルフォンスは目を丸くして凍り付いた。冷めきった顔で静観していたリゼットがぼそりとつぶやく。
「ここより先は壊滅だよ」
考えるよりも先にアミュウの体が動いた。聖輝の前をするりと抜け出し、蓮飾りの杖にまたがってまたたく間に空に舞い上がる。
「アミュウさん!?」
聖輝の声を置き去りにして、アミュウはヴォマーノ川へと飛んだ。
上から見ると、リゼットの言った「壊滅」という意味がよく分かった。
ソンブルイユの精霊魔術師の部隊は、人数こそ少ないもののその破壊力は絶大だ。リゼットが通ってきた場所はすぐに分かった。地面が穴だらけなのだ。ロサが燃やした火の向こうには、また別の炎が広がっていて、ふたつの火元がひとつの火事になろうとしている。頬に何かがぽつりと当たった。ロサが雨を呼んだのだろうか。海側から風が吹いているのは、自然の風なのか、誰かが――あるいはアルフォンスが――巻き起こした風の名残か。山の手に目を向ければ、空がほんのりと白んでくる気配があった。上流側は、水浸しになっている。川の水を利用して精霊魔術を使った跡だろう。山側の林から、けたたましい声を立てて鳥の一群が飛びたっていった。
地形が崩れるほどの破壊の跡では、おびただしい数の人間が倒れていた。歩ける者は既に逃げだしていて、まともに動ける者はいないようだ。地鳴りのようなうめき声の合間に、あちこちから慟哭が聞こえる。
魔術学校の卒業生の多くは精霊技師となったが、優秀な者は国直属の精霊魔術師となり、こうして有事に腕を振るうという。アミュウのかつての同級生も、もしかしたら参戦しているのかもしれない。そう考えると、胸を冷たいものが下りていった。
既にその場にソンブルイユの精霊魔術師たちの姿は見当たらない。いったん拠点に戻ったのか、あるいはブリランテ方面へ進軍しているのか――アモローソの姿も見当たらない。
(ジークは一緒にいるのかしら……まさか、二人とも)
周囲は四大元素のバランスが崩れていて、少し飛ぶだけで魔力が空中に霧散していく。魔力の豊富なアミュウであっても、長くこの場に留まるのは得策ではない。河岸を探し終えたら、すぐ引き返さなければならないだろう。
焦るアミュウの目の端に、誰かの動く影が飛び込んできた。怪我をしているようで、川沿いをひょこひょこと歩いている。周囲には火がくすぶっていて、あの速度ではいずれ炎に巻かれてしまうかもしれない。その人がブリランテ側の者なのかソンブルイユ側の者なのか分からないが、見過ごすことはアミュウにはできなかった。
「大丈夫ですか」
すぐそばに降り立ったアミュウが怪我人に声をかけると、その人物は倒れ込んでしまった。
「……奴らは、悪魔だ」
上下するうつ伏せの背中から聞こえてきたのは、男の声だった。鎖帷子姿で、鎧はどこかに脱ぎ捨てたらしい。傷付いた足で移動するには重かったのだろう。
「逃げましょう、立てますか」
アミュウが手を貸そうと彼の肩に触れると、彼は自力で立ち上がろうと上体を起こす。
「あっ……」
夜闇の中、ちろちろと舐める火影に浮かび上がったのは、ブリランテ領主の息子・ドメニコだった。優面は無残にもただれて煤に汚れ、頭髪の一方は焼け焦げている。その目はヴォマーノ川の対岸を虚ろに見ていて、アミュウのことなどまるで認識していないらしい。いつも一緒にいたカルロはどこにいるのだろうか。アミュウは周囲を見回しても、目に入る限りで動けそうな者はいない。あちこちに転がっている人影は、亡骸なのか、息があるのか、近寄って注意して見なければ分からないだろう――カルロもその中の一人なのか。
傷付いた体のどこに力が残っていたのか、ドメニコはゆらりと立ち上がり、川の流れへと足を踏み入れた。相変わらず、虚ろな目で対岸を凝視している。精霊魔術で水が使われた影響か、川はずいぶんと浅くなっていた。
「これ以上進むなんて無茶です、いったん退きましょう」
アミュウの制止の声は、まるで届いていないかのようだ。瞳孔の開いた目は、いつしか血走り、ぎらついた光を放つようになっていた。アミュウは川岸でドメニコの名を呼び続けた。
「無駄だよ」
急に足元から声が聞こえてきて、アミュウは悲鳴をあげて飛びのいた。
「驚かせて悪い、嬢ちゃん……俺だ、カルロだよ」
名乗られなかったら、彼がドメニコの相棒カルロだとは分からなかっただろう。カルロの姿を見たきり、アミュウは言葉を失った。足が潰れていた。だから、地面を這っているのだ。
「坊は、とっておきを使うつもりだよ……招霊弾をな」
わなわなと震えるアミュウの足元で、カルロは頭をもたげてドメニコの後ろ姿を見つめていた。
「危ない橋を渡ってソンブルイユで手に入れた最新兵器だ……そのために、大勢の仲間を失った。海に沈んでいった仲間の顔を、今でもよく思い出す……あいつらのためにも、坊は立ち止まれない。引き返せない」
ドメニコは川の流れに何度も足を取られながら、向こう岸を目指していた。よろめきながら、それでも倒れずに進んでいく背中を、カルロはじっと見守り続ける。
「ブリランテ領主になった坊の姿を、見てみたかった……」
少しも動けないまま、アミュウもカルロとともにドメニコを見送っていた。間もなく夜が明けるという予感の中。やがてカルロは言った。
「川向うに埋めた招霊弾がすぐに爆発する。できるだけ遠くへ逃げるんだ、嬢ちゃん」
舌先が痺れてもつれた。カルロがその場から動けないのは明らかだったし、アミュウが何を言っても動かなかっただろう。カルロが川を見つめる目は、透きとおっていた。その目に映るドメニコの姿は、もしかしたらアミュウの見たドメニコの姿とは違うのかもしれない。彼にとっては、ドメニコこそがブリランテの明日を担うべき存在だったのだろう。アミュウの知る、気障で軽薄な優男とは違う姿に、見えていたのかもしれない。
その場からどうやって離れたのか、アミュウは覚えていなかった。河岸に来たときのように杖には乗らず、自分の足で穴だらけの戦場を走っていた。傷付き倒れたブリランテの人々を見ないようにして、ひたすら逃げ続けた。
そうしていくらか川から離れたある時、不意に背中が引っ張られる感覚を覚え、反射的にアミュウは身を伏せた。空気中の精霊が急速に減少し、魔力が体外に流出したのだ。
ヴォマーノ川の向こうから閃光が迸り、アミュウの背中を舐めて駆け抜けていった。髪が逆立ち、頭に巻いていたスカーフがはじけ飛ぶ。耳を塞いでいてもなお鼓膜を震わす爆音が長く尾を引き、でこぼこの地面を震わせた。
振動がやんでも、アミュウは伏せてうずくまったままなかなか起きあがれなかった。
ロサの呼んだ時雨が、いつしか本降りになっていた。川から招いた水の精霊たちが、また川に還っていくのだと、アミュウは思った。






