219 魔法青年は誤魔化しきれない
よろしくお願いいたします。
「先生、大変です!」
赤ん坊を取り上げ、産湯を使わせに行った助産師が戻ってくるなり、控室に飛び込んできた。
チェルシーは、後産も終えて、今は赤ちゃんに初乳を与えているようだ。
「赤子か、母体に何かあったのか?」
腰を浮かせた産医に、助産師が興奮したように言った。
「いいえ、ご子息もチェルシー様もいたって健康です!比較的安産でしたし、お休みになるだけで十分でしょう。それより、ご子息のことですよ」
「どういうことだ?健康なのに何が問題なんだ」
産医がいぶかしげに聞くと、助産師はごくりと唾をのんだ。
「ご子息は、途中から逆回転で生まれてきたんです!」
「ん?」
首をひねって理解していないらしい産医に、助産師はもどかしげに告げた。
「ですから、最初は普通に、左回転でお生まれになろうとしていたんです!ですが、途中から逆に回って出てきました。ありえないことですよ!」
「逆回転は、まあないことはないだろう」
彼らの会話を聞きながら、コーディは神妙な顔でうなずいた。
「それだけではないんです!途中から逆に回ったおかげで、へその緒が絡みつかずにご無事でした。もしあのまま左に回転し続けていたら、へその緒が絡まって出産が困難になっていたかもしれません!」
助産師は、ぐっと両手を握りしめて力強く語った。
「そうか、そうか。つまり、お生まれになったのはご子息で、途中から逆に回転して生まれたおかげで母子ともに健康、と。出産とは神秘なのだよ。たまにはそういうこともある」
産医はカルテにそれらを記入し、助産師の肩をポンと叩いた。
「お二人ともご無事で良かったです。では、男爵とスタンリーにも伝えてきますね」
隣の部屋から危険に気づき、魔法で赤ん坊の回転をそっと補助していたコーディは、何食わぬ顔で席を立とうとした。
「男爵様とチェルシー様のご夫君には、メイドが連絡に向かいました。もう来られるでしょう。でも、本当に。私、誰かに言わないとと思って」
さすが、仕事が速い。
コーディは、浮かしかけた腰をソファに戻した。
「もちろん、素晴らしいことだ。だがね、知識や経験や魔法をもってしても理解できないことというのは、案外起こるものなんだよ。特に出産のように、命にかかわるところでは」
うん、うん、と産医がうなずき、助産師はほう、とため息を吐いた。
実際は魔法だが、はっきりした理由の分からないことは、思っているよりも多い。
「それでは、私たちは男爵家の奇跡に立ち会ったんですね」
「まあ、そう捉えてもいいだろう」
産医としてはそこまで大げさに言いたくないようだったが、埒が明かないとみたのか、諦めてうなずいた。
助産師がチェルシーたちの元へ戻り、そのまま待機していると、すぐに廊下をかけてくる足音が近づいてきた。
扉の向こうから、先ほどの助産師の声が響いた。
「廊下を走らないでください!奥様とご子息のお顔を見たいなら、まずは息を整えて、あちらで手を洗って、この前掛けを付けてからですよ!」
すぐにでも産室に押し入ろうとした二人は、有無を言わさず引っ張られていったようだ。
コーディは思わず産医と目を合わせ、小さく噴き出した。
「ご夫君と男爵様が面会してから、少しだけ診察します。カーヤ様にも伺いますが、助産師の言ったとおりほぼ安産だったようですし、この後は控えておく必要はないでしょう」
ぬるくなった紅茶を一口流し込んだ産医は、隣室の様子を窺いながら言った。
スタンリーが号泣したりチェルシーが楽しそうに笑ったり、少し落ち着くまで待ってから、産医と一緒に産室に入った。
カーヤは助産師と一緒に部屋の隅に落ち着き、お茶を貰って一息ついているようだった。
生まれたときには元気な泣き声をあげていた赤ん坊は、チェルシーのベッドの隣に置かれたベビーベッドでぐっすりと眠っていた。
チェルシーは疲れた様子ではあったが、穏やかに微笑んでいた。
一通りチェルシーを診察した産医は、一月ほどは安静にするように告げてから帰っていった。
助産師は、メイドに今後のことを指示するために部屋を後にした。
カーヤたちと一緒に出産を手伝っていた男爵夫人は、おろおろするばかりの男爵を引っ張って部屋を出て、室内は少し静かになった。
スタンリーは、チェルシーの手を握ったまま座っており、ときおり赤ん坊を見ては鼻をすすっている。
コーディもそろそろ下がろうかと思ったところへ、チェルシーが声をかけた。
「カーヤさん、タルコット君。本当にありがとう」
「いいえ。ご無事に出産されてようございました」
カーヤは、少しくたびれつつも充実した表情で答えた。
「僕は何もしてないけどね。隣の部屋にいただけだから。チェルシーさんと赤ちゃんが頑張ったんだよ」
カーヤの隣に立ったコーディがそう言うと、チェルシーはゆっくりと瞬きをしながらこちらをじっと見た。
その様子を見たスタンリーが、何かに気づいたように息をのみ、チェルシーの手をぎゅっと握った。
チェルシーは、一度スタンリーにうなずいてから、もう一度コーディを見た。
「……危なかったのね?」
チェルシーが言うと、スタンリーは口を開きかけて、しかし声にならずに口を閉じた。
驚いた様子のカーヤは、両手を握って赤ん坊とコーディを見比べていた。
「場合によれば、その可能性があったっていうくらいだよ。少し補助したら、もう大丈夫だったから」
「やっぱり。私だって、スタンと一緒に訓練を続けていたんだから。気づかないわけないでしょう」
スタンリーの手を撫でたチェルシーに、コーディは肩をすくめた。
「隠したわけじゃないよ。本当に、大したことはしてないんだ」
チェルシーはコーディの言葉を信じていないようで、目を細めてこちらを確かめるように見た。
「そうね。私とこの子の魔力がこんがらがったのを解いて、生まれやすいように動きを補助して、あとは私の出血を抑えてくれたのもタルコット君かしら」
にこにこと笑みを浮かべたまま、チェルシーは指を折りながら言った。
「出血を抑えたのはカーヤだよ。僕はそこは本当に何もしてないんだ」
「何も?」
「……見守ってはいたけど、魔法は使ってなかったよ」
でしょうね、と納得したようにうなずくチェルシーの隣で、スタンリーが声をかすれさせながら言った。
「コゥ、もう大丈夫なの?チェルシーも、うちの子も」
「いたって健康だよ。もちろん、チェルシーさんはしばらく休まないといけないし、赤ちゃんの世話も気を抜けないだろうけど」
安心させるように言うと、スタンリーは少し肩の力を抜いた。
「良かった……。コゥ、ありがとう。カーヤさんも、チェルシーを助けてくれてありがとう」
「いいえ、わたくしはできることをしただけですので」
カーヤはそっと微笑んで答えた。
「どういたしまして。もし、今後も何かあったらすぐに呼んでほしい。飛んでくるから」
手紙でもなんでも、知らせてくれればすぐに来れる。
少しでも不安を取り除ければと思って言ったのだが、それを聞いたチェルシーとスタンリーは顔を見合わせ、ぷっと噴き出した。
「ふふふ。やっぱり」
「あははは。さすがコゥだね」
その声を聞いたのか、赤ん坊もひと声笑った。
ガスコイン邸を辞して歩いて帰る道すがら、カーヤは前を向いたまま口を開いた。
「コーディ様。わたくし、もっと学びたいです。わたくしの手で救える人は多くないかもしれませんが、少しでも増やせるように。たくさん治療を学んで、身につけたいです」
その横顔には、憧れと期待が入り混じり、アルピナ皇国で見たような諦めは全く見当たらなかった。
読了ありがとうございました。
続きます。




