2-2. 護衛報酬の精算
最後の荷が第一倉庫へ運び込まれたあとも、荷捌き場の仕事は終わらなかった。
空になった荷車は、車輪や車軸を調べるため敷地の奥へ移されていく。長い旅のあいだ荷を引いてきたワトは、革具を外されると厩の方へ連れていかれた。腹帯が外れた場所だけ毛が寝ており、汗の乾いた白い跡が残っている。水桶へ向かおうとして人足を引くものもいれば、立ち止まったまま首を垂れ、鼻先をわずかに動かすだけのものもいた。
荷下ろし台では、書記が帳簿の末尾へ受領の印を押していた。旅の帳簿と商館側の帳簿が重ねられ、紐で綴じられる。途中で破れた幌、傷んだ車輪、減った保存食、失われた七番車。出発したときには先のことだった一つ一つが、数字と短い言葉に置き換えられていた。
全損した機械人形を載せた台車も、右脚を角材に替えた黒髪の機械人形も、すでに第二倉庫の中へ消えている。
ロアンは、荷捌き場の端に立ったまま、商館側の責任者が最後の帳面を閉じるのを見ていた。
そこでようやく、護衛として見張るべきものがなくなった。
荷は商会へ渡った。人員の到着も損失も記録された。十五台の荷車は、もはや一つの隊列ではなく、修理を待つ車、次の輸送へ回される車、部材を外される車に分けられている。
エルデンを出た日から続いていた護衛の仕事は、そこで終わった。
あとは報酬の精算だけが残っていた。
そう理解しても、身体はすぐには切り替わらなかった。
人足が背後を通るたびに、ロアンの視線は一度そちらへ向いた。台車の車輪が石の溝に落ちれば、積荷が崩れないか確かめる。大きな声が上がれば、何が起きたのかを無意識に探した。
長いあいだ、荷車の異音やワトの鳴き声、人間の足取りの変化に注意を向け続けてきた。契約が終わったという事実だけで、その習慣まで消えるわけではなかった。
「精算を始めるぞ」
商館の書記が荷捌き場へ出てきて声を上げた。
旅に同行していた護衛たちが、壁際や空になった荷車のそばから顔を上げた。報酬を受け取るまで残っていたのは護衛だけではない。御者や荷役、修理役も、それぞれの契約に応じた精算を待っている。
書記は商館の一階にある脇口を開けた。
「名前を呼ばれた者から入れ。受取札を忘れるな。紛失した者は最後だ」
何人かが腰袋や上着の内側を探った。受取札を荷の中へ入れたままだった男が、人足に頼んで空車を調べに戻っていく。
ロアンは急がなかった。
人の流れから少し離れたまま、棒剣の帯を肩から外した。完全に下ろすのではなく、柄へ手を添え、帯の掛かる位置をずらす。右肩の同じ場所へ一日中革が当たり続けていたため、触れられるだけでも鈍い痛みがあった。
肩を軽く動かしてみる。
前へは上がる。横へ開いても、途中までは問題ない。それ以上動かすと、肩の奥で筋が引かれた。
明日、治療所へ行けばよい。
骨が折れているような痛みではない。ここまで歩けた以上、今夜のうちに悪くなることもないだろう。
そう判断して、ロアンは剣を背負い直した。
荷捌き場の片隅には、簡素な水場が設けられていた。石の流し台と、その上を通る金属管。荷役の一人が栓を捻ると、水が細く流れ出した。男は両手を洗い、腕まで濡らしてから顔を拭った。落ちた水は床の溝へ流れ、荷車が運び込んだ砂を黒く濡らしていく。
ロアンも水を使おうかと思ったが、精算所の扉から最初の名が呼ばれた。
「ベック・ラード」
「いる」
重弩を荷車脇へ置いたベックが返事をし、人の間を抜けて商館へ入った。
扉の向こうには、荷捌き場より狭い部屋があった。開いた扉から、長い卓と、帳簿を積んだ棚の一部が見える。壁は石で、床と天井には木材が使われていた。窓には細い金属格子が入り、その向こうに大通りへ続く建物の隙間が見えた。
それぞれの卓で、精算は一人ずつ行われた。
中へ入った者が受取札を渡し、書記が契約内容と日数を確認する。危険手当や特別な作業があれば、ヴァルドか商隊の記録係が事実を確かめる。最後に金額を読み上げ、受け取り方を決める。
すべて現金で受け取る者もいた。
一部を商会へ預ける者もいた。
宿代や装備の修理費を先に差し引くよう頼む者もいる。ワトを借りていた御者は、その賃料と革具の損耗分を巡って書記としばらく話していた。
ベックが出てきたとき、手には小さな革袋を持っていた。
袋を一度上へ投げ、重さを確かめるように受け止める。
「減っていたか」
待っていた若い護衛が尋ねた。
「増えていたら商会が潰れる」
ベックは答え、革袋を上着の内側へ入れた。
「今夜はどうする」
「まず身体を洗う。そのあと酒だ」
「逆じゃないのか」
「逆にしたら、明日まで洗わなくなる」
二人はそんな話をしながら、まだ精算を待つ仲間の方へ歩いていった。
次に呼ばれたのはダリオだった。
短い槍を持つ大柄な男で、沈み道では荷車へ寄ったサンドワームをほかの護衛と押し返していた。
ダリオは部屋へ入る前にロアンを見た。
「肩はどうだ」
「動く」
「そういう話はしていない」
「なら、少し痛む」
ダリオは鼻を鳴らした。
「明日まで動けばいいと思っている顔だな」
「明日、診せる」
「ならいい」
書記にもう一度名を呼ばれ、ダリオは片手を上げて部屋へ入った。
荷捌き場に残る人数は、少しずつ減っていった。
報酬を受け取った荷役は、そのまま通りへ出ていく。商館の契約宿へ向かう者もいれば、ベルグラートに住む知人を訪ねる者もいる。傷の重い者は、すでに商会の治療係によって治療所へ運ばれていた。自分で歩ける者も、順に荷捌き場を離れている。
荷車ごとに分かれていた御者たちは、それぞれの厩や修理場へ向かった。荷役は賃金を受け取り、道具を返す。
ダリオはベックより大きな袋を手にして戻ってきた。中を覗きもせず、腰の荷物へ押し込む。
「今度は東へ戻るのか」
ベックが尋ねた。
「そのつもりだ。帰りの仕事があればな」
「明日、ギルドを見る」
「俺も行く」
二人はロアンへ視線を向けた。
ロアンがエルデンを拠点にしていることは知っている。だが、同じ帰路につくとは限らなかった。
「おまえは」
ダリオが聞いた。
「決めていない」
「そうか」
それだけだった。
一緒に仕事を探そうとは言わない。帰路を共にしようとも言わない。条件が合えば同じ依頼に入ることはあるだろうが、先に約束を交わす理由はなかった。
「ロアン・ハルヴァ」
精算所から名を呼ばれた。
ロアンは扉へ向かった。
部屋へ入ると、荷捌き場の物音が一段遠くなった。
石壁に囲まれた室内には、長い卓が二つ置かれている。入口に近い卓では、御者と荷役の精算が行われていた。奥の卓にはヴァルドと二人の書記が座り、旅の帳簿、契約書、損失記録を広げている。
壁際の棚には、背表紙へ番号を振った帳簿が隙間なく並んでいた。棚そのものは木製だが、重さを支えるため金属の枠が組まれている。窓から入る夕方の光はすでに弱く、天井から下げられた灯具が卓上を白く照らしていた。
荷捌き場の広さに比べると、室内の空気は動かなかった。
紙と革、乾いた木、金属についた油の匂いが混じっている。
ロアンは卓の前へ立ち、受取札を差し出した。
書記が札に刻まれた印と契約書を照合する。
「エルデン出発。ベルグラートまでの全区間護衛」
指先で行を追いながら読み上げた。
「基本報酬。砂海区間の危険加算。沈み道での臨時危険手当」
書記は途中で一度計算板へ手を伸ばし、並べられた小片を動かした。別の書記が合計を帳簿と見比べる。
「二百五十二クレド」
ロアンは金額を聞き、契約時に想定していた額と比べた。
通常の報酬に、サンドワームとの戦闘に対する臨時危険手当が加算されている。商隊側が負担した食料と水は、報酬とは別に処理されていた。
不自然な差し引きはない。
「間違いないか」
ヴァルドが尋ねた。
「ああ」
「受け取りはどうする」
「二十を現金で。残りは預かりへ入れてくれ」
書記が顔を上げた。
「二百三十二クレドを、ベルグラート支店の預かり勘定へ入金。名義は従来どおりでいいですか」
「ああ」
書記は受取帳へ数字を書き込み、ロアンの名が記された頁へ印をつけた。それから別の紙片へ預入額を記し、商会の印を押す。
もう一人の書記が卓の下にある金属箱を開けた。
鍵を二度回し、内部から硬貨を取り出す。十クレド貨を二枚、木の受け皿へ置いた。金属の外輪と中央の陶芯が触れ、低い音を立てる。
書記は二枚の重さと印を確かめてから、小さな革袋へ入れた。
「二十クレド。確認を」
ロアンは袋を受け取り、口を開いた。
硬貨を一枚ずつ取り出し、表裏と縁を見る。商会の帳場で偽貨を渡されることはまずない。それでも、受け取ったときに確かめるのは金額の大小とは関係のない習慣だった。
二枚を袋へ戻し、腰袋の内側へ収める。
預かり証も折り、別の場所へ入れた。現金と同じ袋へまとめれば、一度の紛失ですべてを失う。
「これで精算は終わりです」
書記が言った。
ロアンはうなずいた。
本来なら、そのまま部屋を出るところだった。
ヴァルドが広げていた帳簿を閉じず、片手をその上へ置いた。
「ロアン」
ロアンは扉へ向けかけた身体を戻した。
ヴァルドの前には、今回の商隊の記録とは別に、薄い紙の束が置かれていた。荷の一覧ではなく、次の輸送に使うための覚え書きらしい。空欄が多く、紙の上には消された数字や書き直された線が残っている。
「近いうちに、エルデンへ小さな便を出す」
ヴァルドは言った。
ロアンは返事をせず、その先を待った。
「条件が合えば、おまえにも入ってもらいたい」
窓の外で台車の音がした。
鉄を巻いた車輪が石床を転がり、途中で一度止まる。人足の声が重なり、再び動き始めた。
ロアンは卓上の紙へ視線を落とした。
荷車の台数も、積荷も書き切られていない。出発日を示す欄は空白で、護衛人数も決まっていなかった。経路についても、通常の沈み道を使うのか、北側へ寄せるのか判断できる段階ではない。
いま受けるとも断るとも言える仕事ではなかった。
ヴァルドも返事を求めてはいない。
ヴァルドは紙の束を指先で揃えた。
「今回よりは小さい。だが、砂海を通る以上、護衛の責任は変わらない」
「荷と人員を見てから決める」
「ああ。そのつもりで条件をまとめる。まとまり次第、ギルドへ指名依頼を出す」
話はそれで終わった。
今回の旅について、ヴァルドは長く礼を述べなかった。
ロアンも、次の仕事を回してもらうことへ感謝を口にしなかった。
ヴァルドは報酬を支払い、次に必要な仕事の予定を伝えた。ロアンは条件が整った段階で確認すると答えた。
二人の関係には、それで十分だった。
ロアンが扉へ向かうと、ヴァルドがもう一度声を掛けた。
「肩は診せておけ」
ロアンは振り返らなかった。
「明日行く」
「依頼を受けてもらえなくなるのは、こっちとしても困るんだ」
「分かっている」
背後で、ヴァルドが帳簿をめくる音がした。
精算を終えたロアンが部屋を出ると、荷捌き場に残る人間はさらに減っていた。
荷車の多くはすでに奥へ移され、先ほどまで敷地を埋めていた隊列の形は消えている。石床には、荷車から落ちた砂と、荷を固定していた短い縄、割れた木片が残っていた。商会の人足が箒と木の板を使い、それらを一か所へ集めている。
ベックとダリオは、搬入口の近くにいた。
精算を終えたあと、ベックは荷車脇に置いていた商会装備の重弩を、自分の荷物のそばへ一時的に移していた。外套の留め具を外し、肩へ掛けている。重弩は足元の荷物へ立てかけ、弦を緩めていた。
ダリオは荷物を足元へ置き、槍の柄にできた傷を指でなぞっていた。
ロアンが近づくと、ベックが顔を上げる。
「終わったか」
「ああ」
「ダリオが泊まったことのある宿を案内してもらうことになった」
ダリオが槍を持ち上げた。
「残っていればの話だ」
街道沿いの宿も店も、いつまでも同じ場所にあるとは限らない。持ち主が変わることもあれば、水や建物の問題で閉まることもある。
ロアンはうなずいた。
「またな」
ダリオが言った。
「ああ」
ベックは片手を上げた。
別れは済んだ。
三人で酒を飲む約束も、翌日に会う場所も決めない。エルデンへ戻る仕事を探せば、ギルドや商館で顔を合わせる可能性はある。別の依頼を選べば、数か月は会わないかもしれない。
ベックとダリオは搬入口を出て、夜に包まれようとしている通りへ紛れていった。
少し離れた場所では、七番車の御者だった男が、同じ車を扱っていた荷役と話していた。御者には預けるべきワトも、修理を待つ荷車も残っていない。
男は報酬の袋を何度か握り直したあと、荷役と別れた。片方は商会の契約宿へ向かい、御者は反対方向へ歩いていく。
別の若い荷役は、商館の門前で年上の男に呼び止められた。二人は短く言葉を交わし、連れ立って通りを横切った。
報酬を受け取った者から、商隊を離れていく。
旅の途中では、先頭が動けば後方も動き、誰かが止まればその理由が隊列全体へ伝えられた。食事の時間も、出発する時刻も、眠る場所も同じだった。
いまは、それぞれが自分の行く先を選んでいる。
荷役の一人がロアンに気づき、声を掛けずに手を上げた。ロアンも同じように返した。
その男の名を、ロアンは覚えていた。
砂海で二度、夜番を交代した。灰境の宿砦では、傷んだ荷縄を一緒に張り直したこともある。
それでも、次に会うかどうかは分からない。
同じ商会で働き続けるなら、別の荷運びで顔を合わせるかもしれない。仕事を変えるかもしれない。街道へ出たまま帰らないこともある。
何かを今、確かめる必要はなかった。
荷捌き場の奥では、商会の仕事が続いている。
受け取った荷は倉庫へ収められ、明日には検品や仕分けが始まる。修理が必要な車は工房へ送られ、ワトは休ませたあと別の輸送へ使われる。破壊された機械人形の部品も、第二倉庫の中で検査を待つ。
黒髪の機械人形も、商会の管理へ戻っている。
ロアンには、もうその場に残る理由がなかった。
棒剣の帯を左手で少し持ち上げ、右肩へ掛かる重さを減らす。
搬入口をくぐると、白い街灯が点いた通りへ出た。荷車、人足、仕事を終えた者、これから夜の仕事へ向かう者が、途切れることなく行き交っている。
背後では、商館の荷捌き場からまだ声が聞こえていた。
ロアンは振り返らず、そのまま通りを歩き始めた。




