5-1. 三日後
継暦六百二十七年 十月三十日
宿舎へ戻ったとき、食堂には昼を終えたあとの匂いが残っていた。
厨房では、マルタが洗った器を布で拭いている。ガルドは管理室の前へ椅子を出し、膝の上に帳面を開いていた。
窓際にはダーレスがいた。
卓の上へ薄い茶の器を置き、外を通る荷車へ顔を向けている。
ロアンとリゼが食堂へ入ると、最初にマルタが振り返った。
「早かったね」
「ああ」
ロアンは入口の近くで足を止めた。
リゼも隣に並ぶ。
二つの靴底が止まったあと、右足首の金属筒が元の長さへ戻り、小さな音を立てた。
ガルドが帳面から顔を上げる。
「何の呼び出しだった」
「指名依頼だ」
「遠いのか」
「片道七日」
マルタの手が止まった。
拭いていた器を、作業台へ静かに戻す。
「いつ出るんだい」
「三日後だ」
「ずいぶん急だね」
「行方不明者が出てる」
ガルドが帳面を閉じた。
「どこだ」
「北東の丘陵。登録番号四十二の遺跡だ」
窓際で、器が卓へ触れた。
ダーレスがこちらを見ていた。
「四十二番か」
「ああ」
「中へ入るのか」
「周辺の調査と、行方不明者の確認だ」
「何がいる」
「分からん」
ロアンは上衣の内側に入れた仮の依頼書へ手を添えた。
「機械生命かもしれない。機械人形の可能性もある」
ダーレスはしばらく何も言わなかった。
右手で器を持ち上げたが、口へ運ばず、また卓へ置く。
「動いてる人形なら、倒そうとするな」
声は低かった。
「ああ」
「声を掛けてきてもだ」
「分かってる」
「人間の言葉を話すからって、話が通じるとは限らん」
ロアンはダーレスを見る。
遺跡の中で、動かなかった機械人形。
区画へ入った人間を襲い、ダーレスの前にいた男を殺した個体。
以前に聞いた話を、ここでもう一度尋ねる必要はなかった。
「討伐の依頼じゃない」
ロアンは言った。
「何がいるかを調べて戻る」
「戻れればな」
マルタがダーレスへ顔を向けた。
「縁起でもないことを言うんじゃないよ」
「片道七日の遺跡だ。遊びに行くわけじゃない」
「だからって、いま言う必要はないだろ」
「必要があるから言ってる」
ダーレスはロアンへ視線を戻した。
「一体止めたからって、次も同じだと思うな」
「ああ」
「倒れたやつに近づくな」
「ああ」
「それから――」
「もういい」
ロアンが止めると、ダーレスは口を閉じた。
怒った様子はなかった。
器を手元へ引き寄せ、今度は茶を一口飲む。
ガルドが尋ねた。
「帰りはいつだ」
「何もなければ二十日ほどだ」
「何かあれば」
「遅れる」
「一月は超えるか」
「可能性はある」
ガルドは再び帳面を開いた。
頁を何枚か戻し、指先で日付を確かめる。
「部屋代は先に払うか」
「ああ」
「食事代は帰ってからでいい」
「払っていく」
「日数が分からんだろ」
「一月分置いていく」
ガルドはロアンを見たが、反対はしなかった。
「好きにしろ」
マルタは布を作業台へ置いた。
「リゼは残るんだね」
「はい」
リゼが答えた。
「メリダの店と、孤児院へは通常どおり行きます」
「脚の調整は」
「十一月六日です」
「一人で行けるかい」
「問題ありません」
「問題があったら、問題ないって言わずにネラへ言うんだよ」
「はい」
「セルは」
「現在の残量で不足はありません。必要であれば動力商へ行きます」
マルタは頷いた。
それでも、すぐには厨房へ戻らなかった。
ロアンとリゼを交互に見たあと、ロアンへ言う。
「最近は、日帰りの仕事ばかりだったのにね」
「そうだな」
「断れなかったのかい」
「断ることはできた」
「じゃあ、自分で受けたんだね」
「ああ」
マルタは小さく息を吐いた。
「なら、止めても行くんだろうね」
ロアンは答えなかった。
答える必要もなかった。
「食べるものは持っていくのかい」
「ギルドが用意する」
「ギルドの保存食だけじゃ、腹を悪くするよ」
「何でも同じだ」
「同じじゃない」
マルタは厨房の奥へ戻り、棚を開けた。
「明日、持っていけるものを見ておく。受け取るかどうかは、そのとき決めな」
断っても用意するのだろう。
ロアンは何も言わなかった。
リゼが、
「ありがとうございます」
と答えた。
マルタは振り返らず、片手だけを上げた。
ガルドは帳面へ何かを書き始めた。
ダーレスはもう外を見ている。
食堂で伝えるべきことは、それで終わった。
ロアンは階段へ向かった。
リゼがあとへ続く。
一段目へ左足を載せる。
右脚が次の段へ上がる。
二つの靴底が交互に床板を踏み、金属筒の小さな音が間へ混じった。
ロアンは先へ行かなかった。
リゼも遅れなかった。
二階へ上がり、二〇三号室へ入る。
扉を閉めると、食堂から聞こえていた器の音が遠くなった。
ロアンは棒剣を壁へ立て掛けた。
上衣の内側から、仮の依頼書と編成表を取り出す。机へ置き、椅子へ座った。
リゼは肩掛けを外した。
一番下の棚へ収め、机の向かいへ座る。
「明日は、正式な契約ですか」
「ああ」
「七人全員が集まりますか」
「その予定だ」
「知っている人はいますか」
ロアンは編成表を開いた。
自分の下に、六つの名前が並んでいる。
「ティナ。ガレス。ミラ」
「三人とも、以前の商隊にいました」
「ああ」
「ほかの三人は」
「知らん」
遺跡調査員。
案内人。
野外救護員。
名前と役割だけが書かれていた。
詳しい経歴は、明日聞くことになる。
リゼは編成表へ視線を向ける。
「七人のうち、戦闘を主な役割とする人間は四人ですか」
「全員、武器は持つ」
「戦闘を主な役割とする人間は」
「俺とガレスとティナとミラだ」
「四人です」
「ああ」
「機械人形が複数いた場合は」
「戦わない」
ロアンは依頼書を開いた。
行方不明者の捜索。
脅威の確認。
活動範囲。
街道封鎖の必要。
より大きな部隊を送るべきかの判断。
倒した数を書く欄はない。
「確認して戻る」
「戻れない位置で確認した場合は」
「そこまで行かない」
「行方不明者の痕跡が、奥へ続いている場合は」
「状況を見て決める」
「生存者がいる可能性は」
ロアンは紙から顔を上げた。
「まだ分からん」
「はい」
リゼはそれ以上尋ねなかった。
ロアンは依頼書の頁をめくった。
仮契約の最後に、補償についての項目がある。
負傷。
死亡。
装備の喪失。
依頼中に死亡した場合、指定された相手へ支払われる金額。
その下に、所有財産の処理についての欄があった。
以前、エダから説明を受けた。
自分が死亡した場合、リゼは所有財産として扱われる。
引渡先を指定できる。
指定がなければ、ほかの財産とともに処理される。
ロアンは空欄を見た。
以前は、リゼを誰へ渡すべきかを考えた。
ネラ。
エルナ。
ギルド。
どこへ渡すとしても、ロアンが一人で決めることではないと思った。
リゼ自身が何を望むか。
どこにいたいか。
それを尋ねず、紙の上だけで決めることはできなかった。
しかし、明日には正式な契約を結ぶ。
死亡補償の受取人。
所有財産の引渡先。
空欄のまま出せるかは、エダへ確認する必要がある。
ロアンは紙を閉じた。
棚の奥へ手を伸ばす。
蓄えを入れた革袋を取り出し、机の上へ置いた。
紐を解く。
硬貨を並べた。
リゼが手元を見る。
「宿舎代ですか」
「違う」
ロアンは一クレド硬貨を分けていった。
十枚。
さらに十枚。
二十クレド。
別の小さな布袋へ入れ、口を縛る。
机を滑らせ、リゼの前へ置いた。
「持っておけ」
リゼは袋を見た。
「いくらですか」
「二十クレド」
「何に使用しますか」
「留守中に必要なものだ」
「具体的には」
「セル。脚の調整。修理。ほかに何かあったときに使え」
リゼは袋へ手を触れなかった。
「私の所持金があります」
「それはお前の金だ」
「これも、ロアンの金です」
「ああ」
「必要な費用は、自分で支払えます」
「こっちを使え」
「二十クレドは多すぎます」
「余ったら返せ」
「すべて使用した場合は」
「必要だったなら構わん」
「セルの通常充填と仮脚の調整だけでは、二十クレドを使用しません」
「通常で済むとは限らん」
「大きな故障が起きることを想定していますか」
「想定してない」
「では、なぜ二十クレドですか」
ロアンは残った硬貨を革袋へ戻した。
以前、六十クレドを取り出したときより、袋は軽い。
そのあとも仕事を続け、少しずつ戻してきた。
それでも、リゼを買う前ほどの蓄えはない。
「何かあったとき、金がないから動けないのが一番困る」
「マルタやガルドへ借りることもできます」
「借りるな」
「ネラは、支払いを後にすることがあります」
「させるな」
「なぜですか」
「俺が払う金だからだ」
リゼはロアンを見る。
「私のために使用する金です」
「ああ」
「では、私が払っても同じです」
「同じじゃない」
「何が異なりますか」
ロアンは答えなかった。
リゼは自分の金を持っている。
メリダの店で働き、得た金だった。
その金を何に使うかは、リゼが決める。
留守中に必要になる費用まで、自分の金で払わせるつもりはなかった。
それだけだった。
少なくとも、リゼへ説明できるのはそこまでだった。
「持っておけ」
ロアンはもう一度言った。
リゼは布袋へ手を伸ばした。
持ち上げる。
中で硬貨が重なり、鈍い音を立てた。
「使用した金額を記録します」
「好きにしろ」
「用途も記録します」
「ああ」
「ロアンが帰還しなかった場合は」
ロアンの手が止まった。
リゼは袋を持ったまま、続ける。
「返すことができません」
「帰る」
「帰還しなかった場合について尋ねています」
「そのときは使え」
「いつまでですか」
「なくなるまでだ」
「そのあとは」
ロアンは机に置かれた契約書を見た。
死亡補償。
引渡先。
空欄。
「明日、エダに聞く」
「何をですか」
「補償の受取先だ」
リゼの視線が契約書へ移る。
「私が受け取ることはできますか」
「分からん」
「所有物は、所有者の財産を受け取れませんか」
「ああ」
「では、誰が受け取りますか」
「それを聞く」
「私の引渡先も記載しますか」
ロアンは答えなかった。
リゼは机の上にある紙を見ている。
以前、同じ話をした。
ロアンが死んだあと、リゼがどこへ渡されるのか。
誰かを指定することはできる。
ただし、リゼがその相手を望むかは別だった。
「まだ決めてない」
ロアンは言った。
「はい」
「明日、どう書けるか確認する」
「分かりました」
リゼは二十クレドの袋を、自分の巾着とは別に棚の一番下へ収めた。
赤い花の刺繍がある巾着。
セル関係のもの。
新しい布袋。
そこはリゼの場所だった。
ロアンは契約書を閉じ、編成表の上へ置いた。
窓の外から、水路の音が聞こえる。
昼を過ぎた通りでは、荷車の数が減っていた。
しばらく、部屋の中に声はなかった。
ロアンは、壁際の棒剣を見る。
機械生命の外殻へ打ちつけた跡が、鉄の表面に残っている。
刃物とは呼びにくい形だった。
長い鉄塊。
先端だけがわずかに細い。
斬るより、打つ。
隙間へ差し込む。
関節を捻る。
人間の剣とは違う使い方をするため、何度も直してきた。
「リゼ」
「はい」
「聞きたいことがある」
リゼは椅子へ座り直した。
「機械人形についてだ」
「はい」
ロアンは棒剣から視線を戻した。
「遺跡で動いてる個体に、何度か会ったことがある」
「機械人形ですか」
「ああ。機械生命のほうが多いが、人形もいる」
「どのような個体でしたか」
「全部違う」
最初に見たものは、人間より頭一つ大きかった。
外殻は黒く、片腕が壊れていた。
遺跡の入口で立っていたが、近づいても動かなかった。
護衛の一人が扉へ触れた瞬間、顔を上げた。
警告は短かった。
そこから出ろ。
従わなければ排除する。
「区画を守っていた可能性があります」
リゼが言った。
「扉へ触れたことで、侵入または設備への干渉と判断したのかもしれません」
「出たら追ってこなかった」
「行動できる範囲が決められていた可能性があります」
「外まで追ってくるやつもいた」
「異なる命令を受けていたのでしょう」
「見分けられるか」
「行動する前に正確に判断することは困難です」
ロアンは椅子の背へ寄りかからなかった。
「人間の言葉を話す個体もいた」
「会話できる機械人形は珍しくありません」
「話せば止まるのか」
「分かりません」
リゼの返答は早かった。
「言葉を理解することと、要求に従うことは別です」
「警告したあと、人間を殺すこともあるか」
「あります」
「何のために警告する」
「規則に従う機会を与えるためです」
「従わなければ」
「拘束、排除、処分へ移行します」
声は変わらなかった。
自分のことを話しているわけではない。
残っている知識から答えているだけだった。
「人間を憎んでるわけじゃない」
ロアンが言うと、リゼは少し考えた。
「機械人形は、人間が定めた目的に従って行動します」
「全部か」
「分かりません」
リゼは答えた。
「私が持っている知識は、完全ではありません」
「どこまで覚えてる」
「多くが欠落しています」
「作られた場所は」
「分かりません」
「いつ作られた」
「分かりません」
返答に迷いはなかった。
「どこで動いていた」
「分かりません」
「誰に使われてた」
「記録がありません」
ロアンは黙った。
リゼがどこで見つかったかは知っている。
旧時代の遺跡。
回収業者に運び出され、何人かの手を経て、エゼル商会へ渡った。
しかし、それより前のことを聞いたことはなかった。
必要がなかった。
リゼも話さなかった。
話さなかったのではなく、話せることがなかった。
「遺跡から回収されたことは知っています」
リゼが言った。
「回収後の記録に残っていました」
「その前は」
「分かりません」
「目を覚ました場所は」
「回収後の保管場所にいました」
「遺跡の中は覚えてないのか」
「はい」
リゼは両手を膝の上へ置いた。
「私は、人間によって作られました」
それは、思い出したことを話す声ではなかった。
最初から与えられている情報を読み上げるような言葉だった。
「人間の命令を受け、人間の作業を補助し、人の役に立つために作られています」
「誰の命令でも聞くのか」
「命令権限や登録によって異なります」
「お前は」
「回収後の登録情報に従っていました」
エゼル商会。
商隊護衛。
倉庫での荷役。
売却。
ロアン。
命令を受ける相手は変わった。
それ以前に誰の命令を受けていたかは、残っていない。
「その知識は、誰かに教えられたのか」
「初期情報として保持されています」
「ほかには」
「人間の言葉。物の名称。基本的な作業。危険の判別。人間へ危害を与えないための制御。機械人形や施設についての一般的な情報」
「昔のことがわかるのか」
「多くの情報が欠落しています」
「自分でも分からないのか」
「尋ねられた内容に対して、情報が存在するかを確認できます。ただし、失われた情報の総量は判断できません」
「穴が空いてるようなものか」
リゼは少し考えた。
「近いと思います」
「作られた時代のことは」
「ほとんど分かりません」
「人間がどう暮らしてたかも」
「一部は知っています」
「一部?」
「道を走る機械に乗って人々は移動していました。セルを消費し、高速で移動します」
似たような遺物の話を聞いたことがあった。
「都市には高い建造物。そこに何十万もの人々が暮らしています。空を飛ぶ手段、星々を移動する手段を人類はもっていました」
「絵本みたいな話だな」
「私に保存されている記録がおかしいのだと思います」
「それだけか」
「それ以外にも情報はあります。ただし、現在の生活との違いを正確に説明できません」
「なぜだ」
「比較するために必要な情報が欠落しているためです」
ロアンは机の上の契約書を見る。
紙。
硬貨。
木板。
旧時代の人間が何を使い、どう暮らしていたのか。
リゼの中に残る言葉と、失われた意味。
それを聞く必要が、これまではなかった。
リゼはリゼだった。
どこで作られたかを知らなくても、いまは二〇三号室にいる。
「機械人形には、どんな種類がある」
ロアンが尋ねた。
「用途によって異なります」
「何がある」
「室内作業。荷役。人間の随伴。警備。救護。危険区域での作業。設備の保守」
リゼはそこで言葉を切った。
「ほかにも存在したと思われます」
「覚えてない」
「はい、正確には記録が保持されていません」
「お前は」
「複数の用途に対応するよう作られています」
「防護型じゃないのか」
「『防護型』というのは、私が回収されたあとに私に付けられた分類の名前です」
「技師が分類している呼び方ということか」
「はい。正確には、汎用型という呼び方が正しいかもしれません。細かい作業も、力仕事も、戦闘も、救護も行えます」
会議室でも、戦闘は可能だと答えた。
右脚があるから戦えると言ったのではない。
身体そのものに、その機能がある。
「それは覚えてるのか」
「はい」
「使ったことも」
「回収後にはあります」
「回収される前は」
「記録にありません」
ロアンは右肘を覆う布を見る。
その下には、古い外殻がある。
どれだけ長く保管されていたのかも、何年前に作られたのかも分からない。
作った人間の名前もない。
用途の一部だけが残り、過去は抜け落ちている。
「強い個体は、見れば分かるか」
「推測できます」
「何を見る」
「外殻。骨格。関節の構造。接地時の重量。動作速度。武器。駆動音」
「動力は」
「外部セルや、施設から供給される動力を使用する個体があります」
「お前と同じか」
「外部セルを使用する点は同じです」
「それ以外は」
「分かりません」
「セルを使わず、何年も動く機械人形はいるのか」
リゼの返答が止まった。
これまでより、わずかに長い間だった。
「知識にありません」
「存在しなかったのか」
「分かりません」
「知らないだけか」
「はい」
リゼは否定も肯定もしなかった。
「私が持つ知識にはありません。ただし、私の知識は多くが欠落しています」
「作られたあとに、新しい人形が作られた可能性は」
「あります」
「どれくらいあとかは」
「分かりません」
「見れば分かるか」
「構造を確認できれば、私と異なる技術が使用されていることは判断できる可能性があります」
「いつ作られたかは」
「判断できません」
ロアンは腕を組まなかった。
机の上へ両手を置いたまま、リゼを見る。
「同じ機械人形でも、お前が知らないやつがいる」
「はい」
「命令の仕組みも違うかもしれない」
「はい」
「会話できるかは」
「人間の言葉を使用する個体であれば可能です」
「お前の言うことを聞くか」
「その理由がありません」
「同じ人形でもか」
「同じ人間であることを理由に、すべての人間がロアンの言葉へ従いますか」
ロアンは少し黙った。
「従わんな」
「同じです」
リゼの声は平坦だった。
諭そうとしたわけではない。
分かりやすい例へ置き換えただけだった。
「相手のほうがお前を知ってる可能性は」
リゼは少し考えた。
「あります」
「お前は相手を知らなくても」
「後に作られた個体が、以前の型式や構造に関する情報を持っている可能性はあります」
「お前の弱点も」
「記録されていれば、知っている可能性があります」
外部セル。
有限の動力。
厚い外殻。
古い関節。
右脚の補修。
相手がどこまで理解できるかは分からない。
リゼにも分からない。
「ロアン」
「何だ」
「機械人形を停止させたことがありますか」
「ある」
「一人でですか」
「違う」
「何人で行いましたか」
「覚えてない。四人か五人だ」
「相手の状態は」
「片脚が壊れてた」
「完全な状態ではありません」
「ああ」
「ほかには」
「足止めしただけだ。狭い通路へ落として、そのまま逃げた」
「停止していません」
「追ってこなければ同じだ」
「同じではありません」
「生きて戻るには同じだ」
リゼはしばらく黙った。
「機械生命から逃げたこともありますか」
「そっちのほうが多い」
「倒せる場合でもですか」
「倒す必要がなければな」
「今回も、そうしてください」
「ああ」
「敵を確認した場合は、戦わずに戻ってください」
「状況による」
「バルガスは、倒そうとするなと言いました」
「ああ」
「ロアンも、調査隊の人間へ同じことを伝えますか」
「伝える」
「自分も従いますか」
ロアンは答えるまで、わずかに間を置いた。
「従う」
「分かりました」
リゼは机の上の編成表を見る。
七人の名前。
四十二番遺跡。
片道七日。
「私の知らない機械人形がいる可能性があります」
「ああ」
「ロアンが対峙したことのない個体もいる可能性があります」
「ああ」
「七人でも、対抗できない可能性があります」
「分かってる」
「それでも行きますか」
「行く」
リゼはロアンの顔を見た。
「帰ってきますか」
会議室から宿舎へ戻る途中にも、同じことを聞かれた。
ロアンは帰ると答えた。
そのあとで、留守中の金を渡した。
死亡補償の欄を見た。
引渡先を考えた。
帰ると言いながら、帰れなかった場合の準備をしている。
どちらか一方が嘘なのではなかった。
帰るために行く。
帰れなかったとき、リゼがすぐに困らないようにする。
両方とも必要だった。
「帰る」
ロアンは言った。
リゼはすぐには返事をしなかった。
棚の一番下には、二十クレドの入った袋がある。
「はい」
やがて答えた。
階下から、マルタが夕食の準備を始める音が聞こえた。
鍋の蓋。
薪。
器を並べる音。
まだ夕方には早い。
それでも、宿舎の一日は、いつもの順序で進んでいた。
ロアンは仮契約書をもう一度開いた。
死亡補償の受取先。
所有財産の引渡先。
空欄の上へ指を置く。
明日、エダへ聞くことにする。
向かいでは、リゼが木板と炭を取り出した。
孤児院で使う文字を確かめるためだった。
炭が木を擦る音が、二〇三号室に続いた。
三日後、ロアンはこの部屋を出る。
リゼはここに残る。




