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灰都の剣士と機械人形  作者: NOEU
4. ここにいたい
47/65

4-10. 看病

継暦六百二十七年 八月七日


目を覚ましたとき、喉の奥が焼けるように乾いていた。


ロアンは天井板を見たまま、しばらく動かなかった。窓の隙間から差し込む光はすでに明るく、水路を流れる音に、通りを行く荷車の軋みが重なっている。いつもなら、とっくに寝台を出ている時刻だった。


昨夜、孤児院から戻ったあと、喉にわずかな違和感があった。


水を飲めば治まる程度だと思い、そのまま寝た。ところが朝には、乾きは痛みへ変わり、身体の内側には熱がこもっていた。毛布から出ている手まで重い。


隣で椅子が軋んだ。


机の前にいたリゼが顔を上げる。


「起きましたか」


「ああ」


返した声は掠れていた。


リゼはすぐに立ち上がった。左足のあとを角材の右脚が追い、寝台の横まで来る。


「声が昨日と異なります」


「寝起きだ」


「昨日、喉へ手を当てていました」


「見てたのか」


「はい」


右手が伸び、ロアンの額へ触れた。


人工皮膚に覆われた掌は、熱のこもった額より冷たかった。


「何をしてる」


「体温を確認しています」


「手で分かるのか」


「平常時より高いです」


「寝てたからだ」


リゼは手を離さなかった。


淡い青の瞳が、間近からロアンの顔を見ている。


「喉は痛みますか」


「少しな」


「頭痛は」


「ある」


「吐き気はありますか」


「ない」


「呼吸は苦しくありませんか」


「ない」


「身体は」


「重い」


質問が途切れる。


リゼはようやく手を離した。


「発熱しています」


「分かってる」


ロアンは片肘を寝台へつき、身体を起こした。


頭の奥が鈍く揺れた。目を閉じ、治まるのを待っていると、背中へ左手が添えられる。


「もう一度、横になってください」


「水を飲む」


「私が持ってきます」


「自分で行ける」


寝台の端へ脚を下ろし、床へ足をつけた。


立ち上がろうとした瞬間、身体が前へ傾く。


リゼの腕が背中へ回った。損傷した右肘を寝台へ当てないよう角度を変え、左手で胸元を支える。


「転倒するところでした」


「してない」


「私が支えたためです」


「なら、してないだろ」


「支えなければ転倒していました」


「同じことを何度も言うな」


ロアンは寝台へ手をつき、息を整えた。


リゼは身体を離さない。


「水を持ってきます」


「薬もあるか聞け」


「はい」


「何か食えるものもな」


リゼは一度頷いた。


昨日、孤児院で熱を出したリルへ、エルナが水や薬を与えていた。その手順を、まだ細かく覚えているのだろう。


「そのまま待っていてください」


「分かった」


「横になってください」


「聞こえてる」


「返答が異なります」


ロアンはリゼを見た。


リゼも視線を逸らさなかった。


「横になればいいんだろ」


「はい」


背を寝台へ戻すと、リゼは毛布を胸元まで引き上げた。肩の下へ入り込んだ端を持ち上げ、敷き直す。


「そこまでしなくていい」


「皺になっています」


「寝られれば同じだ」


リゼは答えず、毛布を整えた。


水差しを持って部屋を出ていく。


左足と角材の音が廊下を進み、階段を一段ずつ下りていった。


ロアンは目を閉じた。


昨日、孤児院で寝台へ横たわっていたリルの顔が浮かぶ。


頬を赤くし、リゼに身体を支えられながら、少しずつ水を飲んでいた。帰り道でも、リゼは薬の量や呼吸の変化について何度も尋ねていた。


面倒なことになると思った。


階下からマルタの声が聞こえた。


しばらくして扉が開き、リゼが水差しと器を載せた盆を持って戻ってくる。


「マルタが、麦粥を持ってくると言いました」


「薬は」


「宿舎に常備されているものがあります。食後に一包服用します。次の服用までは半日空けます」


「分かった」


「二包を同時に服用してはいけません」


「しない」


「マルタは、ロアンが面倒くさがって二包飲むかもしれないと言いました」


「余計なことを」


リゼは寝台の横へ盆を置いた。


水を器へ注ぎ、両手で持ち上げる。


「身体を起こします」


「自分で起きる」


ロアンが上体を起こすと、リゼは背中へ腕を入れた。断っても離すつもりはないらしい。


「一人で水くらい飲める」


「飲んでください」


器が口元へ差し出される。


ロアンは取ろうとしたが、リゼは手を離さなかった。


「離せ」


「落とさないことを確認します」


「落とさない」


「一口飲んでください」


言い返す気力もなく、器へ口をつけた。


水が喉を通ると、乾いた部分に痛みが走った。


リゼはすぐ器を離す。


「痛みましたか」


「少しな」


「では、少量ずつにします」


二口目を飲み、ロアンは器を押し戻した。


「もういい」


「三口飲んでください」


「なぜ三口だ」


「リルより身体が大きいためです」


「根拠になってない」


リゼは器を持ったまま待った。


しばらくしても離れない。


ロアンは諦めて三口目を飲んだ。


「よくできました」


「それを俺に言うな」


「ティナがリルへ言っていました」


「俺はリルじゃない」


「はい」


返事だけは素直だった。


リゼはロアンの背を支えたまま、ゆっくり寝台へ戻した。首の後ろへ手を入れ、頭が枕へ落ちないようにする。


毛布を掛け直し、また額へ掌を当てた。


「さっきと変わらん」


「継続して確認します」


冷たい手は心地よかった。


ロアンが何も言わずにいると、扉が二度叩かれた。


思わず、リゼの手を額から退かす。


マルタが盆を持って入ってきた。湯気の立つ麦粥と、小さな薬包が載っている。


「ずいぶん大人しく寝てるじゃないか」


「寝かされてる」


「ちょうどいいね」


マルタは寝台のそばへ盆を置き、額へ手を当てた。


リゼも反対側から手を伸ばそうとする。


「二人で触るな」


「比べられるだろ」


マルタは気にせず、しばらく熱を確かめた。


「高いけど、いまのところ治療所へ運ぶほどじゃないね。息が苦しくなったり、水も飲めなくなったりしたら、すぐ呼ぶこと。明日になっても下がらなければ、治療所へ行くんだよ」


「分かった」


「あんたに言っても仕方ないから、リゼに言ってるんだよ」


「記憶しました」


「汗をかいたら布を替えてやりな。窓は開けすぎないこと」


「分かりました」


「食べられそうかい」


ロアンは麦粥を見る。


柔らかく煮た麦に、塩が少し入っている。匂いは弱く、食欲がなくても口へ入れられそうだった。


「少しなら」


「薬を飲めるくらいは食べな」


「はい」


リゼが答えた。


「お前じゃない」


「私が補助します」


「自分で食う」


ロアンが起き上がろうとすると、すぐ背中へ腕が入る。


マルタはその様子を見て、口元を緩めた。


「任せてよさそうだね」


「任せるな」


「病人は大人しく甘やかされてな」


「誰が病人だ」


「鏡を見てから言いな」


マルタは空の盆を抱え直し、部屋を出ていった。


扉が閉じる。


リゼは麦粥の表面を匙で混ぜた。湯気を確かめ、一匙すくって口元へ運ぶ。


「自分で持つと言っただろ」


「身体を支えながら器を持つことはできません」


「そんなにふらついていない」


「必要です」


「必要ない」


「でも、心配なので看病します」


リゼは、それが当然であるように答えた。


ロアンは何か返そうとしたが、目の前へ匙が差し出される。


「口を開けてください」


「聞け」


「冷めます」


しばらく抵抗したあと、ロアンは口を開けた。


麦粥は熱かったが、火傷するほどではない。薄い塩味が喉を通る。


「熱くありませんか」


「大丈夫だ」


「次を取ります」


「少し待て」


リゼは匙を器へ戻した。


十を数えるほど待ち、再びすくう。


「早い」


「先ほどより待ちました」


「そういう意味じゃない」


「必要な時間を教えてください」


「分からん」


「では、同じ時間にします」


三口目を飲んだころには、反論するのも面倒になっていた。


リゼは一匙ごとに熱さを確かめ、ロアンが飲み込むまで次をすくわなかった。口元へ麦がつくと、布を取って拭こうとする。


ロアンは顔を背けた。


「自分で拭く」


「持てますか」


「持てる」


布を受け取り、自分で口元を拭く。


リゼはその動きを最後まで見てから、また器を持ち上げた。


半分ほど食べたところで、ロアンは首を振った。


「もういい」


「まだ残っています」


「食えない」


「吐き気は」


「ない。ただ、いらん」


リゼは器の中身を確かめたあと、盆へ戻した。


薬包を開き、水と一緒に差し出す。


粉を口へ入れ、流し込む。


喉に苦みが残った。


リゼがもう一度水を寄せた。


ロアンは何も言わずに飲んだ。


食事と薬を終えると、身体を寝台へ戻される。枕の位置を直され、毛布を掛けられた。


リゼは窓へ向かった。


「何する」


「空気を入れ替えます」


窓を指二本分ほど開ける。


外の冷たい空気が細く入り込んだ。


風が寝台へ直接当たらないことを確かめたあと、リゼは水を入れた器と布を持ってくる。布を濡らし、硬く絞った。


「額へ置きます」


「手でいい」


言ってから、ロアンは口を閉じた。


リゼも動きを止める。


「手のほうがよいですか」


「布でいい」


「はい」


額へ濡れた布が置かれた。


冷たさが熱を吸い、目の奥の痛みが少しだけ薄れる。


リゼは椅子を寝台のそばへ寄せ、腰を下ろした。


「寝てください」


「言われなくても寝る」


「視覚を停止してください」


「目を閉じろと言え」


「目を閉じてください」


ロアンは目を閉じた。


しばらくすると布が持ち上げられ、水へ浸し直す音がする。硬く絞られ、また額へ戻された。


何度か同じことが続いた。


そのたびに意識が浮かんだが、声を出すほどではなかった。


やがて音が遠ざかっていった。


次に目を覚ましたとき、部屋の光は少し傾いていた。


額の布はなく、寝台の横にリゼが座っている。


ロアンの左手は、リゼの上衣の袖を掴んでいた。


いつからそうしていたのか、覚えていない。


指を離そうとすると、リゼが顔を向けた。


「起きましたか」


「ああ」


袖から手を離す。


布地には、握った跡が細く残っていた。


「なぜ、そのままにしてた」


「ロアンが掴みました」


「外せばよかっただろ」


「必要がありませんでした」


リゼはそう答え、右手をロアンの額へ置いた。


「まだ高いです」


「さっきよりはましだ」


「水を飲んでください」


「あとで飲む」


「三口です」


ロアンはしばらく器を見たあと、何も言わず身体を起こした。


三口飲む。


リゼは器を盆へ戻した。


「寝ますか」


「厠へ行く」


「同行します」


「来るな」


「階段があります」


「一人で行ける」


立ち上がり、扉へ向かう。


二歩目で膝へ力が入りにくくなり、足が止まった。


リゼが横へ立ち、腕を差し出す。


「使ってください」


「お前の脚がもたない」


「全体重を支える必要はありません」


「転んだら巻き込む」


「壁も使用します」


「何のための同行だ」


「反対側を支えます」


譲るつもりはないらしい。


結局、ロアンは左手を壁へつき、右腕をリゼの肩へ掛けた。


厠から戻るころには、それだけで息が上がっていた。


寝台へ腰を下ろすと、水が差し出される。


今度は反論せず、三口飲んだ。


リゼが背へ腕を回す。


「自分で横になれる」


「はい」


返事をしながら、手は離れなかった。


寝台へ戻され、毛布を掛けられる。


しばらく眠り、目を覚ます。


暑くなって片脚を毛布の外へ出すと、リゼが掛け直した。


「暑い」


「では、腹から下へ掛けます」


毛布を折り、窓を少し広げる。


「風が当たる」


すぐ狭められた。


「水は」


「いらん」


「分かりました」


珍しく引き下がった。


ロアンが目を閉じると、額の布だけが静かに交換された。


夕方近く、熱はまだ残っていたが、頭痛は朝より軽くなっていた。


ロアンは寝台の上で身体を起こし、机に置かれた依頼札の写しへ手を伸ばした。


リゼがすぐに立ち上がる。


「何をしますか」


「明日の予定を見る」


「明日確認してください」


「一枚見るだけだ」


「寝てください」


「もう十分寝た」


「治らなくても知りませんよ」


ロアンの手が止まった。


以前、自分がリゼへ言った言葉だった。


「俺は子どもじゃない」


「寝ない場合は、同じです」


「何が同じだ」


「治りません」


「見るだけだ」


「明日は仕事を入れていません」


「今後の予定だ」


「回復してから確認できます」


話が朝へ戻っている。


ロアンは依頼札へ手を伸ばすのをやめ、寝台へ背を預けた。


リゼが毛布を持ち上げる。


「自分で掛ける」


「はい」


二人で同じ毛布を持ち、胸元まで引き上げた。


リゼは端を整え、額へ手を置いた。


朝から何度目か分からない。


「まだ高いです」


「明日には下がる」


「下がらない場合は、治療所へ行きます」


「ああ」


「一人では行かないでください」


「お前も来るのか」


「はい」


「歩くのが遅い」


「私より早く歩けるのなら、治っているので、治療所へ行く必要はありません」


言い返す言葉が浮かばなかった。


額に置かれた手は、朝と同じように冷たい。


「リゼ」


「はい」


「もういい」


「手ですか」


「ああ」


リゼは額から手を離した。


代わりに新しく湿らせた布が置かれる。


椅子の軋む音が、寝台のすぐそばで小さく鳴った。


ロアンは目を閉じた。


そのあとも、リゼがそこにいることだけは分かった。


水路の音と、額の冷たさが、少しずつ遠ざかっていった。

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