4-1. リゼ、仕事を探す
継暦六百二十七年 七月二十二日
朝食を終えて二〇三号室へ戻ると、リゼは壁際の棚から清掃布を取り出した。
長く使われていなかった棚の一段には、折り畳んだ上衣と下衣、肩掛け、交換用の革、固定に使う布が収められている。携行箱は床へ置かれ、蓋を閉じたまま棚の下へ寄せてあった。
最初に空けたときより、置かれているものは増えている。
それでも、棚の半分にも満たなかった。
ロアンは椅子へ腰を下ろし、ギルドから持ち帰った依頼札の写しを机へ置いた。
城壁外の水路に沿って半日歩き、壊された距離標を確認する仕事だった。依頼料は低いが、危険も少ない。
依頼を受けるなら、昼前にはギルドへ戻る必要がある。
写しに書かれた日付と場所を見比べていると、背後で布を畳む音が止まった。
「ロアン」
振り返る。
リゼは棚の前に立っていた。
新しく買った上衣の袖が手首までを覆い、右肘の裂けた人工皮膚は隠れている。右脚には以前と同じ角材が固定されていたが、下衣の右側が開く仕立てになったため、緩みが出たときに直しやすくなっていた。
「どうした」
「仕事をしたいです」
ロアンは机の上の依頼札の写しを見た。
「これには連れていかない」
「その仕事ではありません」
リゼは答えた。
「賃金を受け取れる仕事をしたいです」
ロアンは依頼札の写しから手を離した。
宿舎へ来てから、リゼが何もしていないわけではない。
食堂で食器を運び、共有部の掃除を手伝い、マルタに頼まれれば水場から布を持ってくる。廊下で住人に呼び止められれば、荷物を部屋まで運ぶこともあった。
仕事というより、お手伝いといった方が適切かもしれない。当然賃金は支払われない。
「金がいるのか」
「はい」
「何に使う」
リゼは答えなかった。
聞こえなかった様子ではない。薄い青色の瞳はロアンへ向けられたままだった。
「何か買うのか」
「はい」
「何を買う」
短い間が空いた。
「説明しません」
ロアンは眉を寄せた。
これまで、リゼが質問に答えられないことはあった。命令の範囲が分からないときや、何を選ぶべきか判断できないときには、返答までに時間が掛かる。
答えを知りながら、言わないと決めたことはほとんどない。
「俺に言えないものか」
「言えないものではありません」
「なら、どうして言わない」
リゼは一度、棚の下に置かれた携行箱を見た。
黒化十二型セルを検査へ出したときに買った、中古の箱だった。いまは予備のセルと検査札が収められている。
それから、再びロアンへ顔を向ける。
「ロアンが支払う可能性があるため、説明しません」
「俺が払うかどうかは、聞いてから決める」
「聞けば、支払う可能性があります」
同じことだった。
リゼは自分で金を得て、自分で何かを買おうとしている。
その必要があるなら、ロアンが金を出せば済む。服もセルも、角材へ巻く革も、いままでそうしてきた。
しかし、それを言えばリゼは目的を話さない。
「いくら必要なんだ」
「それも説明しません」
「金額まで隠すのか」
「金額を伝えた場合、ロアンが支払う可能性があります」
ロアンは椅子の背へ身体を預けた。
理由を言えと命じれば、リゼは答えるのだろう。
ベルグラートで売買の書類へ名を書いたときから、リゼはロアンの所有物になっている。部屋へ入れと命じれば入り、待てと言えば待つ。何を買おうとしているのか話せと命じても、それだけを拒むとは思えなかった。
だが、自分から働きたいと言ったリゼへ、その理由を命じて話させることには、別の何かが混じる。
ロアンは口を閉じた。
「できる仕事は考えているのか」
「決まっていません」
「その脚で運搬は無理だ」
「軽い物であれば運べます」
「長く立つ仕事も避けた方がいい」
「緩んだ時に巻き直せれば大丈夫です」
「町の外へ出る仕事は認めない」
「はい」
そこはすぐに答えた。
ロアンが一緒でない状態で、リゼを町の外へ出すつもりはなかった。右脚だけが理由ではない。機械人形を一人で歩かせれば、何が起こるか分からない。
町の中でも同じことは言えたが、すべてを避けて部屋へ閉じ込めれば、リゼが賃金を得る方法はなくなる。それ以前に、閉じ込めるようなことはロアンもしたくない。できれば好きなことをして、好きに過ごしてほしい。
「ギルドの仕事は受けられない」
「護衛登録がないためですか」
「それもある」
ギルドは人間以外の働き手を一律に拒むわけではない。商会の所有する機械人形が、護衛や荷運びや工事の補助へ入ることはある。
ただし依頼を受けるのは所有者か所属組織であり、機械人形が自分の名で依頼札を持っていくわけではなかった。
ロアンの名で仕事を受け、リゼだけを働かせることもできない。依頼を請け負う場合、それを他人に任せることは規則上できない。
「マルタに聞いてみる」
ロアンが立ち上がると、リゼは清掃布を棚へ戻した。
「同行します」
「ああ」
二人で部屋を出た。
階段を下りると、食堂では朝の片づけが続いていた。
住人の姿はもう少ない。マルタが濡れた布で卓上を拭いている。窓が開けられ、水路を流れる水の音と、通りを行く荷車の軋みが入ってきていた。
ロアンが入口で立ち止まると、マルタは手を動かしたまま顔を上げた。
「忘れ物かい」
「聞きたいことがある」
「食事のメニューについて文句があるなら、ガルドに言いな」
「違う」
ロアンは隣に立つリゼを見た。
「こいつが、金のもらえる仕事を探している」
マルタの手が止まった。
驚いたというより、聞いた内容を確かめるようにリゼを見る。
「ロアンが買ってくれないのかい」
「違います。私が買いたいのです」
マルタは布を折り返し、卓の端へ残った水滴を拭った。
「何か欲しいものでもあるのかい」
「説明しません」
「私にも?」
「はい」
マルタはロアンを見た。
「喧嘩でもしたのかい」
「してない」
「なら、あんたが出してやれば済むだろう」
「それをさせたくないらしい」
マルタはしばらく二人を見比べていたが、やがて小さく息を吐いた。
「重いものは持たせられない」
「持てます」
「持てるかどうかじゃない。転んだら、床と品物まで壊すって話だよ」
リゼは自分の右脚を見た。
「転倒しない仕事を探します」
「そんな都合よく仕事の方から避けちゃくれないさ」
マルタは布を流し台へ置き、濡れた両手を前掛けで拭った。
「南水路の渡り橋へ行く手前に、メリダの店がある。旅道具と日用品を置いてる店だよ」
「知り合いか」
「古い友人だよ。食堂で使う布や紐も、あそこで買うことがある」
マルタはリゼの手元へ目を向けた。
「細かい品が多い。紐、留め具、針、金属環、包帯布。荷が入ったあとは、数を揃えたり、傷んだものを分けたりする手が要る。いつでも雇ってるわけじゃないけどね」
「紹介してもらえるか」
「私の名を出すくらいなら構わないよ。雇うかどうかはメリダが決める」
マルタはリゼへ向き直った。
「客に同じことを何度も聞かれても、勝手に黙っちゃ駄目だよ」
「同じことを聞かれたら、同じ回答を繰り返します」
「そりゃ、客が怒るね」
「回答を変更する必要がありますか」
「そういうところも含めて、あっちに見てもらいな」
マルタは再び卓を拭き始めた。
話は終わったらしい。
ロアンは昼前に戻るつもりだったギルドの依頼を諦め、リゼを連れて宿舎を出た。
南水路へ向かう通りは、朝の荷運びがまだ続いていた。
水路沿いに並ぶ店の戸が開けられ、木箱や籠が軒下へ運び出されている。狭い橋の前では、荷車が一台ずつ車輪の幅を確かめながら渡っていた。
リゼはロアンの半歩後ろを歩いた。
角材の先に巻いた革が、石敷きへ触れるたびに乾いた音を立てる。以前より布の擦れる音は減っていたが、歩幅は変わらない。左脚を先に出し、右の角材を運び、身体の位置を整えてから次へ進む。
「毎日通えるのか」
ロアンが尋ねると、リゼは歩いたまま答えた。
「距離に問題はありません」
「雨の日は滑る」
「速度を下げます」
「帰りが遅くなる仕事なら断れ」
「なぜですか」
「夜の通りを一人で歩かせない」
リゼは少し間を置いた。
「ロアンが迎えに来る場合は可能ですか」
「仕事を受ける前から、俺を帰りの予定へ入れるな」
「では、遅くなる仕事の場合は断ります」
言葉だけは素直だった。
渡り橋の手前で通りを折れると、軒先から革紐の束を吊した店があった。
扉の脇には、補修用の木板、杖の石突き、巻いた布が立て掛けられている。開いた窓の内側には、小さな金具を入れた浅い箱がいくつも並んでいた。
五人も入れば窮屈になるような、小さな店だった。
「ここのことだったのか」
ロアンも何度も利用している店だった。
荷車の覆い布や大型の水樽を売る場所ではなく、旅へ出る前に足りないものを買い足し、戻ってきた者が傷んだ道具を交換するための店だ。
ロアンが中へ入ると、戸についた金属片が短く鳴った。
店内には、乾いた革と布の匂いが混じっている。
左右の壁には棚が作りつけられ、縄、革帯、包帯布、木釘、金属環、留め具、小さな刃物の鞘が並んでいた。天井近くからは肩掛け袋や水袋が吊され、奥の卓には、仕分け途中らしい金具が広げられている。
卓の向こうにいた女が顔を上げた。
年はマルタよりいくらか若い。灰色の混じった髪を後ろで束ね、袖を肘まで捲っている。手には小さな金属環を一つ持っていた。
女は最初にロアンを見た。
次にリゼの顔へ視線を移し、淡く光る瞳を確かめる。そのまま右脚へ目を下ろした。
驚いて見直すことはなかった。
「ロアンだ。マルタの紹介で来た。あんたがメリダであっているか? 仕事を探している」
「そうだけど、あんた、確かギルドの有名な──いつも客として来てただろう。やめたのか?」
「働くのは俺じゃない。こいつだ」
一歩後ろに下がり、リゼを見せる。
「私です」
リゼが答えた。
メリダは再び右脚を見た。
「一日立っていられるのかい」
「大丈夫です」
「重いものは」
「持てます」
「持てるって答えは聞いてないよ。その脚で運んで、落とさない重さを聞いてる」
リゼはすぐには答えなかった。
店内の棚と、床へ置かれた木箱を見る。
「両手で持つ場合、箱の大きさと移動距離を確認する必要があります」
「分からないときに、分かるふりはしないんだね」
「はい」
メリダは卓の端に置かれていた浅い箱を持ち上げた。
中には、指先ほどの金属環が無造作に入っている。
「これを持って、あっちの棚まで行ける?」
リゼは箱を受け取った。
両手で底を支え、右脚を運ぶ。床板の継ぎ目で一度止まり、角材の先を置く位置を確かめてから、指定された棚まで歩いた。
箱の中で金属環が触れ合ったが、落ちるものはなかった。
「戻して」
リゼは同じ道を戻り、卓の上へ箱を置いた。
メリダは今度は、その中から二種類の金属環を取り出した。
一つは黒ずみがあり、もう一つは縁がわずかに歪んでいる。
「違いは」
「左は表面が変色しています。右は形状が変わっています」
「売れないのは」
リゼは二つを見比べた。
「どちらも、正常な商品とは異なります」
「答えになってないね」
メリダは黒ずんだ方を指で弾いた。
「こっちは見栄えが悪いだけで、使える。安くして売る。こっちは紐を通すと擦り切れるから売らない。そういうのを覚える仕事だよ」
「記憶できます」
「文字は読めるかい」
「はい」
「数は」
「数えられます」
「金の計算は」
「可能です」
メリダは卓の上の金属環を五つ並べ、その横へ革の留め具を三つ置いた。
それぞれの値を告げ、まとめて買った場合の金額を尋ねる。
リゼは間を置かず答えた。
メリダは棚の下から小さな板を取り出し、書かれた価格を確認する。
「合ってるね」
「はい」
「客の前でも、そんなふうに答えるのかい」
「質問の内容が同じであれば、同じように答えます」
「気に入らない客がいても」
「仕事に必要な応対をします」
「怒鳴られたら」
「発言の内容を確認します」
「分からないことを聞かれたら」
「メリダへ確認します」
「勝手に値段を下げろと言われたら」
「拒否します」
メリダは片方の眉を上げた。
「私に確認しないのかい」
「値段を変更する権限が私にない場合、変更できません」
「そこは先に確認しな」
「はい」
メリダはロアンへ顔を向けた。
「この人形は、あんたのものかい」
「ああ」
「働かせるのも、あんたの考えかい」
「違う。本人が言い出した」
「給金は誰に渡す」
「こいつに渡してくれ」
メリダはリゼを見た。
「何に使うんだい」
「説明しません」
「借金でもあるのかい」
「ありません」
「持ち主に取られるわけでもない」
「取られません」
「それは、ずいぶん怪しいね」
リゼは答えなかった。
メリダは笑わなかったが、追及もしなかった。
卓の上へ広げていた金属環を箱へ戻し、蓋のない木箱を奥へ押しやる。
「朝から夕方まで置くつもりはないよ。最初は荷が入ったあとの仕分けだけだ。その足だ。立たせっぱなしにもしない。働いた時間だけ払う」
「はい」
「客の前へ出せるかは、それを見てから決める」
リゼはメリダの言葉を聞き終えたあと、ロアンを見た。
許可を待っているらしい。
ロアンは店の中を見回した。
刃物はあっても、ほとんどは鞘へ収まっている。重い荷も少ない。宿舎から離れすぎておらず、昼間なら通りに人も多い。
メリダがどういう人間かは、まだ分からない。
だが、リゼの顔や髪より先に右脚と手元を見た。
少なくとも、珍しい機械人形を店先へ置きたいだけではないようだった。
「頼む。ただ、無理はあまりさせないでくれ。あと問題を起こした場合はマルタのいる宿舎に連絡をくれ」
メリダは卓の上に残った金属環を一つ拾い、縁の歪みを指先で確かめた。
「明日の朝からでいいね?」
「はい、良いでしょうか」
もう一度リゼがロアンの顔を見上げる。
「好きにしていい。ただ、他の人に迷惑はかけるな」
「はい」




