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灰都の剣士と機械人形  作者: NOEU
4. ここにいたい
38/65

4-1. リゼ、仕事を探す

継暦六百二十七年 七月二十二日


朝食を終えて二〇三号室へ戻ると、リゼは壁際の棚から清掃布を取り出した。


長く使われていなかった棚の一段には、折り畳んだ上衣と下衣、肩掛け、交換用の革、固定に使う布が収められている。携行箱は床へ置かれ、蓋を閉じたまま棚の下へ寄せてあった。


最初に空けたときより、置かれているものは増えている。


それでも、棚の半分にも満たなかった。


ロアンは椅子へ腰を下ろし、ギルドから持ち帰った依頼札の写しを机へ置いた。


城壁外の水路に沿って半日歩き、壊された距離標を確認する仕事だった。依頼料は低いが、危険も少ない。


依頼を受けるなら、昼前にはギルドへ戻る必要がある。


写しに書かれた日付と場所を見比べていると、背後で布を畳む音が止まった。


「ロアン」


振り返る。


リゼは棚の前に立っていた。


新しく買った上衣の袖が手首までを覆い、右肘の裂けた人工皮膚は隠れている。右脚には以前と同じ角材が固定されていたが、下衣の右側が開く仕立てになったため、緩みが出たときに直しやすくなっていた。


「どうした」


「仕事をしたいです」


ロアンは机の上の依頼札の写しを見た。


「これには連れていかない」


「その仕事ではありません」


リゼは答えた。


「賃金を受け取れる仕事をしたいです」


ロアンは依頼札の写しから手を離した。


宿舎へ来てから、リゼが何もしていないわけではない。


食堂で食器を運び、共有部の掃除を手伝い、マルタに頼まれれば水場から布を持ってくる。廊下で住人に呼び止められれば、荷物を部屋まで運ぶこともあった。


仕事というより、お手伝いといった方が適切かもしれない。当然賃金は支払われない。


「金がいるのか」


「はい」


「何に使う」


リゼは答えなかった。


聞こえなかった様子ではない。薄い青色の瞳はロアンへ向けられたままだった。


「何か買うのか」


「はい」


「何を買う」


短い間が空いた。


「説明しません」


ロアンは眉を寄せた。


これまで、リゼが質問に答えられないことはあった。命令の範囲が分からないときや、何を選ぶべきか判断できないときには、返答までに時間が掛かる。


答えを知りながら、言わないと決めたことはほとんどない。


「俺に言えないものか」


「言えないものではありません」


「なら、どうして言わない」


リゼは一度、棚の下に置かれた携行箱を見た。


黒化十二型セルを検査へ出したときに買った、中古の箱だった。いまは予備のセルと検査札が収められている。


それから、再びロアンへ顔を向ける。


「ロアンが支払う可能性があるため、説明しません」


「俺が払うかどうかは、聞いてから決める」


「聞けば、支払う可能性があります」


同じことだった。


リゼは自分で金を得て、自分で何かを買おうとしている。


その必要があるなら、ロアンが金を出せば済む。服もセルも、角材へ巻く革も、いままでそうしてきた。


しかし、それを言えばリゼは目的を話さない。


「いくら必要なんだ」


「それも説明しません」


「金額まで隠すのか」


「金額を伝えた場合、ロアンが支払う可能性があります」


ロアンは椅子の背へ身体を預けた。


理由を言えと命じれば、リゼは答えるのだろう。


ベルグラートで売買の書類へ名を書いたときから、リゼはロアンの所有物になっている。部屋へ入れと命じれば入り、待てと言えば待つ。何を買おうとしているのか話せと命じても、それだけを拒むとは思えなかった。


だが、自分から働きたいと言ったリゼへ、その理由を命じて話させることには、別の何かが混じる。


ロアンは口を閉じた。


「できる仕事は考えているのか」


「決まっていません」


「その脚で運搬は無理だ」


「軽い物であれば運べます」


「長く立つ仕事も避けた方がいい」


「緩んだ時に巻き直せれば大丈夫です」


「町の外へ出る仕事は認めない」


「はい」


そこはすぐに答えた。


ロアンが一緒でない状態で、リゼを町の外へ出すつもりはなかった。右脚だけが理由ではない。機械人形を一人で歩かせれば、何が起こるか分からない。


町の中でも同じことは言えたが、すべてを避けて部屋へ閉じ込めれば、リゼが賃金を得る方法はなくなる。それ以前に、閉じ込めるようなことはロアンもしたくない。できれば好きなことをして、好きに過ごしてほしい。


「ギルドの仕事は受けられない」


「護衛登録がないためですか」


「それもある」


ギルドは人間以外の働き手を一律に拒むわけではない。商会の所有する機械人形が、護衛や荷運びや工事の補助へ入ることはある。


ただし依頼を受けるのは所有者か所属組織であり、機械人形が自分の名で依頼札を持っていくわけではなかった。


ロアンの名で仕事を受け、リゼだけを働かせることもできない。依頼を請け負う場合、それを他人に任せることは規則上できない。


「マルタに聞いてみる」


ロアンが立ち上がると、リゼは清掃布を棚へ戻した。


「同行します」


「ああ」


二人で部屋を出た。


階段を下りると、食堂では朝の片づけが続いていた。


住人の姿はもう少ない。マルタが濡れた布で卓上を拭いている。窓が開けられ、水路を流れる水の音と、通りを行く荷車の軋みが入ってきていた。


ロアンが入口で立ち止まると、マルタは手を動かしたまま顔を上げた。


「忘れ物かい」


「聞きたいことがある」


「食事のメニューについて文句があるなら、ガルドに言いな」


「違う」


ロアンは隣に立つリゼを見た。


「こいつが、金のもらえる仕事を探している」


マルタの手が止まった。


驚いたというより、聞いた内容を確かめるようにリゼを見る。


「ロアンが買ってくれないのかい」


「違います。私が買いたいのです」


マルタは布を折り返し、卓の端へ残った水滴を拭った。


「何か欲しいものでもあるのかい」


「説明しません」


「私にも?」


「はい」


マルタはロアンを見た。


「喧嘩でもしたのかい」


「してない」


「なら、あんたが出してやれば済むだろう」


「それをさせたくないらしい」


マルタはしばらく二人を見比べていたが、やがて小さく息を吐いた。


「重いものは持たせられない」


「持てます」


「持てるかどうかじゃない。転んだら、床と品物まで壊すって話だよ」


リゼは自分の右脚を見た。


「転倒しない仕事を探します」


「そんな都合よく仕事の方から避けちゃくれないさ」


マルタは布を流し台へ置き、濡れた両手を前掛けで拭った。


「南水路の渡り橋へ行く手前に、メリダの店がある。旅道具と日用品を置いてる店だよ」


「知り合いか」


「古い友人だよ。食堂で使う布や紐も、あそこで買うことがある」


マルタはリゼの手元へ目を向けた。


「細かい品が多い。紐、留め具、針、金属環、包帯布。荷が入ったあとは、数を揃えたり、傷んだものを分けたりする手が要る。いつでも雇ってるわけじゃないけどね」


「紹介してもらえるか」


「私の名を出すくらいなら構わないよ。雇うかどうかはメリダが決める」


マルタはリゼへ向き直った。


「客に同じことを何度も聞かれても、勝手に黙っちゃ駄目だよ」


「同じことを聞かれたら、同じ回答を繰り返します」


「そりゃ、客が怒るね」


「回答を変更する必要がありますか」


「そういうところも含めて、あっちに見てもらいな」


マルタは再び卓を拭き始めた。


話は終わったらしい。


ロアンは昼前に戻るつもりだったギルドの依頼を諦め、リゼを連れて宿舎を出た。


南水路へ向かう通りは、朝の荷運びがまだ続いていた。


水路沿いに並ぶ店の戸が開けられ、木箱や籠が軒下へ運び出されている。狭い橋の前では、荷車が一台ずつ車輪の幅を確かめながら渡っていた。


リゼはロアンの半歩後ろを歩いた。


角材の先に巻いた革が、石敷きへ触れるたびに乾いた音を立てる。以前より布の擦れる音は減っていたが、歩幅は変わらない。左脚を先に出し、右の角材を運び、身体の位置を整えてから次へ進む。


「毎日通えるのか」


ロアンが尋ねると、リゼは歩いたまま答えた。


「距離に問題はありません」


「雨の日は滑る」


「速度を下げます」


「帰りが遅くなる仕事なら断れ」


「なぜですか」


「夜の通りを一人で歩かせない」


リゼは少し間を置いた。


「ロアンが迎えに来る場合は可能ですか」


「仕事を受ける前から、俺を帰りの予定へ入れるな」


「では、遅くなる仕事の場合は断ります」


言葉だけは素直だった。


渡り橋の手前で通りを折れると、軒先から革紐の束を吊した店があった。


扉の脇には、補修用の木板、杖の石突き、巻いた布が立て掛けられている。開いた窓の内側には、小さな金具を入れた浅い箱がいくつも並んでいた。


五人も入れば窮屈になるような、小さな店だった。


「ここのことだったのか」


ロアンも何度も利用している店だった。


荷車の覆い布や大型の水樽を売る場所ではなく、旅へ出る前に足りないものを買い足し、戻ってきた者が傷んだ道具を交換するための店だ。


ロアンが中へ入ると、戸についた金属片が短く鳴った。


店内には、乾いた革と布の匂いが混じっている。


左右の壁には棚が作りつけられ、縄、革帯、包帯布、木釘、金属環、留め具、小さな刃物の鞘が並んでいた。天井近くからは肩掛け袋や水袋が吊され、奥の卓には、仕分け途中らしい金具が広げられている。


卓の向こうにいた女が顔を上げた。


年はマルタよりいくらか若い。灰色の混じった髪を後ろで束ね、袖を肘まで捲っている。手には小さな金属環を一つ持っていた。


女は最初にロアンを見た。


次にリゼの顔へ視線を移し、淡く光る瞳を確かめる。そのまま右脚へ目を下ろした。


驚いて見直すことはなかった。


「ロアンだ。マルタの紹介で来た。あんたがメリダであっているか? 仕事を探している」


「そうだけど、あんた、確かギルドの有名な──いつも客として来てただろう。やめたのか?」


「働くのは俺じゃない。こいつだ」


一歩後ろに下がり、リゼを見せる。


「私です」


リゼが答えた。


メリダは再び右脚を見た。


「一日立っていられるのかい」


「大丈夫です」


「重いものは」


「持てます」


「持てるって答えは聞いてないよ。その脚で運んで、落とさない重さを聞いてる」


リゼはすぐには答えなかった。


店内の棚と、床へ置かれた木箱を見る。


「両手で持つ場合、箱の大きさと移動距離を確認する必要があります」


「分からないときに、分かるふりはしないんだね」


「はい」


メリダは卓の端に置かれていた浅い箱を持ち上げた。


中には、指先ほどの金属環が無造作に入っている。


「これを持って、あっちの棚まで行ける?」


リゼは箱を受け取った。


両手で底を支え、右脚を運ぶ。床板の継ぎ目で一度止まり、角材の先を置く位置を確かめてから、指定された棚まで歩いた。


箱の中で金属環が触れ合ったが、落ちるものはなかった。


「戻して」


リゼは同じ道を戻り、卓の上へ箱を置いた。


メリダは今度は、その中から二種類の金属環を取り出した。


一つは黒ずみがあり、もう一つは縁がわずかに歪んでいる。


「違いは」


「左は表面が変色しています。右は形状が変わっています」


「売れないのは」


リゼは二つを見比べた。


「どちらも、正常な商品とは異なります」


「答えになってないね」


メリダは黒ずんだ方を指で弾いた。


「こっちは見栄えが悪いだけで、使える。安くして売る。こっちは紐を通すと擦り切れるから売らない。そういうのを覚える仕事だよ」


「記憶できます」


「文字は読めるかい」


「はい」


「数は」


「数えられます」


「金の計算は」


「可能です」


メリダは卓の上の金属環を五つ並べ、その横へ革の留め具を三つ置いた。


それぞれの値を告げ、まとめて買った場合の金額を尋ねる。


リゼは間を置かず答えた。


メリダは棚の下から小さな板を取り出し、書かれた価格を確認する。


「合ってるね」


「はい」


「客の前でも、そんなふうに答えるのかい」


「質問の内容が同じであれば、同じように答えます」


「気に入らない客がいても」


「仕事に必要な応対をします」


「怒鳴られたら」


「発言の内容を確認します」


「分からないことを聞かれたら」


「メリダへ確認します」


「勝手に値段を下げろと言われたら」


「拒否します」


メリダは片方の眉を上げた。


「私に確認しないのかい」


「値段を変更する権限が私にない場合、変更できません」


「そこは先に確認しな」


「はい」


メリダはロアンへ顔を向けた。


「この人形は、あんたのものかい」


「ああ」


「働かせるのも、あんたの考えかい」


「違う。本人が言い出した」


「給金は誰に渡す」


「こいつに渡してくれ」


メリダはリゼを見た。


「何に使うんだい」


「説明しません」


「借金でもあるのかい」


「ありません」


「持ち主に取られるわけでもない」


「取られません」


「それは、ずいぶん怪しいね」


リゼは答えなかった。


メリダは笑わなかったが、追及もしなかった。


卓の上へ広げていた金属環を箱へ戻し、蓋のない木箱を奥へ押しやる。


「朝から夕方まで置くつもりはないよ。最初は荷が入ったあとの仕分けだけだ。その足だ。立たせっぱなしにもしない。働いた時間だけ払う」


「はい」


「客の前へ出せるかは、それを見てから決める」


リゼはメリダの言葉を聞き終えたあと、ロアンを見た。


許可を待っているらしい。


ロアンは店の中を見回した。


刃物はあっても、ほとんどは鞘へ収まっている。重い荷も少ない。宿舎から離れすぎておらず、昼間なら通りに人も多い。


メリダがどういう人間かは、まだ分からない。


だが、リゼの顔や髪より先に右脚と手元を見た。


少なくとも、珍しい機械人形を店先へ置きたいだけではないようだった。


「頼む。ただ、無理はあまりさせないでくれ。あと問題を起こした場合はマルタのいる宿舎に連絡をくれ」


メリダは卓の上に残った金属環を一つ拾い、縁の歪みを指先で確かめた。


「明日の朝からでいいね?」


「はい、良いでしょうか」


もう一度リゼがロアンの顔を見上げる。


「好きにしていい。ただ、他の人に迷惑はかけるな」


「はい」

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