3-11. 仕事の準備
継暦六百二十七年 七月十六日
翌朝、食堂へ下りると、リゼは昨日と同じ席へ座った。ロアンは向かいへ腰を下ろした。
マルタが朝食を運んできた。
ロアンの前には固いパンと豆の煮込みが置かれ、リゼの前には何も置かれない。
「今日は出かけるのかい」
「ああ。動力商へ行く」
ロアンが答えると、マルタの視線がリゼの腰へ向いた。
「昨日話してたやつかい」
「いま使ってる方を充填に出す。明日は仕事でいないから、その前に済ませておきたい」
「戻るのはいつだい」
「明後日の夕方だ」
「なら、あとでガルドにも言っておきな。あの人、聞いてないことまで察してくれるような性格じゃないよ」
「そのつもりだ」
ロアンはパンを煮込みへ浸した。
向かいにいるリゼは、何も置かれていない卓へ両手を揃えている。窓の外では、荷車が水路沿いを通り過ぎていた。
明日の朝には、ロアンも同じ方角へ出る。
食事を終え、椀を卓の端へ寄せた。
「行くぞ」
「はい」
リゼが椅子から立ち上がる。
角材の先が床へ触れ、短い音を立てた。
食堂を出る前に、ロアンはマルタへ顔を向けた。
「昼過ぎには戻る」
「分かったよ」
「戻ったら、明日のことを話す」
「ああ。忘れるんじゃないよ」
忘れるつもりはなかった。
それでもマルタは、ロアンが言わなければ、そのまま明日の朝に出ていくと考えているらしい。
否定できなかった。
好きなタイミングで依頼を請け負い、帰る日を誰かに伝えておくといった習慣がロアンにはなかった。しかし今後はリゼを残すことになる。その間に何か問題が起きたとき、ガルドとマルタであれば最低限必要なことをしてくれるだろう。
ただ、してくれるはずだというだけで任せるべきではない。
何を頼むのか。
何か起きたとき、どこまで動いてもらうのか。
そのために増える手間を、誰が負うのか。
先に決められるものは、決めておいた方がよかった。
宿舎を出ると、朝の空気にはまだ冷たさが残っていた。
水路の表面を風が渡り、建物の影を細かく揺らしている。通りを行く者は昨日の昼より少ないが、店の戸は開き始めていた。食料店の前では木箱が積まれ、道具屋では店主が板戸の内側へ品物を並べている。
動力商は、宿舎から中央通りを越えた先にあった。
ベルグラートで入った店よりは近いが、歩いてすぐという距離でもない。南水路に沿って進み、二つ目の大きな橋を渡る。そこから工房の集まる通りへ入り、さらに北へ向かう必要があった。
リゼはロアンの半歩後ろを歩いた。
昨日、一人で町を歩いたためか、交差路へ来るたびに周囲を見る時間が短くなっている。宿舎へ戻る道だけでなく、中央通りやギルドへ向かう位置も把握しているらしい。
「ここは、昨日通りました」
「一人でか」
「はい。あちらへ進むと、古い道具を売る店があります」
リゼが水路の先を示した。
昨日聞いた露店や孤児院がある方角だった。
「道は覚えたんだな」
「はい」
「動力商までの道も覚えておけ。俺がいないときに行けとは言わないが、何かあった場合に場所を知っている方がいい」
「分かりました」
橋を渡る。
下を流れる水には、空の明るさがそのまま落ちていた。欄干の一部は新しい木材へ替えられ、古い部分との境目だけ色が違っている。
工房通りへ入ると、石を叩く音と、金属を削る音が建物の間から聞こえてきた。
通りに面した店の多くは、前に小さな売り場を持ち、奥を作業場にしている。戸口には修理を待つ道具や、部品を外された機械が並んでいた。動かなくなった給水器。柄の折れた切断具。車輪だけを外された小さな運搬台。用途の分からない金属製の箱。
動力商の看板は、その中ほどにあった。
板へ描かれているのは、十二型セルの断面を簡略化した印だった。その下に、充填と検査を示す文字がある。
隣には、別の入口があった。
一方は動力商。
もう一方は遺物工房。
入口は分かれていたが、建物の奥はつながっているらしい。動力商の内側から、白い外殻を持つ機械の一部が見え、その周囲を工房の職人たちが行き来していた。
開いたままの戸を潜ると、乾いた金属と砂の匂いがした。
受付の奥には格子があり、その向こうに充填設備が並んでいる。壁際には、形の異なるセルを収めた箱が積まれ、札には型と状態が記されていた。
店員が帳面から顔を上げた。
五十を少し過ぎたくらいの男だった。片目へ拡大鏡を留める細い金具を掛け、袖を肘まで捲っている。
「充填か」
「ああ。十二型を一本。検査も頼みたい」
ロアンは中古の携行箱を受付へ置いた。
蓋を開けると、内側に挟んでいた検査札が見える。ベルグラートの動力商でもらったものだった。
店員は札を取り、書かれている内容を順に読んだ。
「灰等一本、黒化一本。灰等は実効四十一。黒化は三割前後か」
「ああ。いまは灰等を使ってる」
店員は札から顔を上げた。
「私はニールだ。ここの充填と検査を見てる。預かり札にも名前を書いておく」
「ロアン・ハルヴァ」
ロアンが答える。
ニールは帳面へ名前を書き、今度はリゼを見る。
「人形の名前もいる」
「リゼです」
「リゼ、と」
ニールはその名も書き加えたあと、格子の外へ出てきた。
リゼの前でしゃがみ、左腰にある挿入口を外から確かめる。触れる前に一度顔を上げた。
「蓋を開けるぞ」
「はい」
リゼが上衣の裾を少し持ち上げる。
ニールは外蓋の留め具を外した。内側の表示を見て、残量を確かめる。
「動作は安定してるな。出力の落ちも、いまのところは大きくない」
「あとどれくらい動ける」
「この表示だけじゃ分からん。灰等でも、使い方と人形の状態で変わる。歩かせるだけなら数日は持つだろうが、明日から留守にするなら、いま満たしておく判断でいい」
ニールは検査札へ目を戻した。
「抜いてから黒化へ替える。保持電源は?」
「およそ十分です」
リゼが答えた。
「十分あれば足りる。椅子へ座れ」
リゼは壁際に置かれた背の低い椅子へ腰を下ろした。右脚の角材だけが前へ伸びる。
ニールは携行箱から黒化セルを取り出した。
表面は焼けたような暗い色へ変わっている。端の一部には細かな膨らみがあり、金属面の光沢も均一ではなかった。
「こいつは、次に充填したら終わる可能性があるな」
「ベルグラートでも言われた」
「それでも使うか」
「予備がなければ困る」
「なら、今日は入れ替えるだけにする。灰等が戻ってから、黒化を検査へ回せ」
ロアンは頷いた。
ニールが灰等セルの固定を外す。
小さな音がして、リゼの目の光がわずかに弱まった。
灰等セルが引き抜かれる。
ニールはすぐに黒化セルを差し込み、奥まで押して留め具を戻した。
数秒のあと、リゼの目が元の明るさへ戻る。
「動作確認を」
リゼは椅子から立ち上がり、左腕と右腕を順に動かした。首を左右へ向け、右肘を曲げる。店の中を数歩進み、角材の先で向きを変えて戻ってきた。
「問題ありません」
「出力に変化は」
「歩行時の補正が、灰等セルよりわずかに遅れます。通常動作に支障はありません」
ニールは帳面へ記した。
「黒化ならそんなもんだ。無理に力を出すな。転びそうになっても、身体を支えるために急な出力を掛けると、そのまま落ちることがある」
ロアンはリゼの角材を見た。
「今日は宿舎へ戻るだけだ」
「なら問題ない。灰等は検査してから低速充填へ回す。早ければ夕方。状態次第では明日の朝になる」
「明日の朝には仕事へ出る」
「何刻だ」
「日の出から少しあとだ」
ニールは店の奥を見た。
充填槽の前では、別の職人が二本のセルを砂へ埋めている。空いている槽も一つあった。
「今日の夕方までには終わらせる。日が落ちる前に来い」
「料金は」
「検査と低速充填で七クレド。内部に異常が見つかった場合は、充填を止めて検査だけの料金をもらう」
ロアンは七クレドを数え、受付へ置いた。
ニールは硬貨を確かめ、引換札を差し出す。
金を渡せば、何を頼んだのかが残る。
いつまでに仕上げるのか。
できなかった場合に、どこまで料金を取るのか。
預けたものを、誰が返すのか。
頼む側と引き受ける側で、それぞれが負うものが決まる。
口約束でも仕事は成り立つ。
それでも、金と札があれば、どこまでが相手の役目なのかを疑わずに済んだ。
ロアンは引換札を上着の内側へ入れた。
ニールは灰等セルを布で包み、格子の向こうへ運んでいく。
ロアンはその後ろ姿を見送ったあと、隣の遺物工房へ続く開口部へ目を向けた。
「身体も見てもらえるのか」
ニールが振り返った。
「どこだ」
「右肘と右脚。応急処置のまま使ってる」
ニールはリゼの右側を見る。
「人形を扱える技師はいる。ただし、直せるとは限らんぞ」
「見るだけでいい」
ニールは工房の方へ顔を向けた。
「ネラ。少し来てくれ」
奥から、女の声が返った。
しばらくして、厚い革の前掛けをつけた女が出てきた。髪は顎のあたりで短く切られ、両手には白い粉が付着している。指先だけが、金属を触ったように黒く汚れていた。
女はリゼの右脚を見たあと、ロアンへ顔を向けた。
「これを見ろって?」
「ああ」
「私はネラ。この工房で遺物の外殻と駆動部を見てる」
そう言ってから、リゼへ視線を移す。
「あなたの名前は?」
「リゼです」
「分かった。リゼ、少し触るよ」
「はい」
ネラは角材と残った脚部の境目を見た。
「誰が付けた」
「俺だ」
女はもう一度、固定された部分を確かめる。
「よく歩けるね」
褒めているというより、意外なものを見た声だった。
「座って」
リゼが椅子へ戻る。
ネラは巻きスカートの右側を開き、固定している布を外から確かめた。指で押し、角材へ力を掛け、残ったフレームとのずれを見る。
「布はまだ持つ。でも、力がいつも同じ場所へ掛かってる。歩き方が安定してるから、すぐ折れるような状態ではないけど、このまま何月も使うものじゃない」
「脚を作れるか」
「部品があればね」
「いくら掛かる」
ネラはリゼの膝上から残った断端までを見た。
「合う関節と駆動部。外殻は形を合わせて作れるけど、中のフレームまで同じ型を探すとなると、金だけの問題じゃない。遺物の在庫次第だよ」
「この工房にはないのか」
「似た寸法のものはある。でも、似てるだけで入るとは限らない。無理につないだら、残ってる方まで壊す」
ネラは立ち上がり、今度はリゼの右肘を見た。
「袖を上げて」
リゼが左手で袖を捲る。
裂けた人工皮膚の下から、白い外殻が見えた。表面には亀裂があり、一部は欠けている。外殻を覆う保護布の端が、わずかにずれていた。
ネラは布をほどかず、指先で位置だけを直す。
「外殻は割れてるけど、動作部までは届いてない。肘も曲がる。人工皮膚は、材料があれば塞げる」
「直す必要はありますか」
リゼが尋ねた。
ネラは少し考えた。
「動かすだけなら、いま直さなくてもいい。けど、砂や水が入らないようにはしておいた方がいい。服で隠れていても、擦れ続ければ布が切れる」
「今日できるか」
ロアンが聞く。
「保護布を巻き直すくらいなら。人工皮膚の補修は材料を選ぶ。色も厚さも違うものを貼れば、そこだけ動きが悪くなることがある」
「今日は布だけ頼む」
ネラは頷いた。
作業台から薄い布と細い留め具を持ってくる。古い布を外し、外殻の欠けた部分へ触れないよう、新しい布を重ねていった。
リゼは動かず、ネラの手元を見ていた。
「痛みは?」
「ありません」
「圧力は分かる?」
「はい」
「強すぎたら言って」
ネラは布を締め、肘を何度か曲げさせた。
袖を戻しても引っ掛からないことを確かめる。
「これでしばらくは持つ。ただ、濡れたら外して乾かして。やり方は見た?」
最後の言葉はロアンへ向けられていた。
「ああ」
「毎日巻き直す必要はない。緩んだときと、汚れたときだけでいい。外殻の割れが広がったら持ってきな」
ロアンは追加の料金を尋ね、言われた分を払った。
ネラは硬貨を前掛けの袋へ入れ、もう一度リゼの右脚を見る。
「脚は、すぐにどうにかできるとは言えない。型の印が残っていれば、探しやすくなるんだけどね」
「型は分かりません」
リゼが答えた。
「記録もない?」
「遺跡で停止していた以前の記録はありません」
ネラはそれ以上聞かなかった。
工房の棚へ目を向ける。そこには、人の腕に似た白い部品や、関節だけを外した金属製の部材が並んでいた。どれも埃を被り、札には寸法と回収された場所だけが記されている。
「似たものが入ったら、宿舎かギルドへ知らせてもらえるか」
ロアンが言う。
「預かり金を置いていくなら、探す品の記録を作る。知らせるだけなら、名前と居場所を残して」
「預かり金はいくらだ」
ネラが金額を答える。
ロアンは財布から硬貨を取り出した。
ネラは少しだけ眉を上げた。
「見つかる保証はないよ」
「分かってる」
「似たものが入ったときに照合するだけだ。合わなければ、そのままになる」
「ああ」
「探すのをやめるなら、預かり金は返す」
「それでいい」
ネラは硬貨を受け取り、記録用の紙を出した。
金を置けば、依頼は工房の帳面へ残る。
ネラが忘れても、記録は残る。
誰か別の技師が棚を見ても、探すべき寸法が分かる。
見つからない可能性は変わらなかった。
それでも、ただ覚えておいてくれと頼むよりは確かだった。
ロアンは名前と宿舎の場所を書いた。
ネラは紙を読み、棚の端へ留める。
「ロアン・ハルヴァ。リゼ。右脚膝下、関節と駆動部」
一つずつ読み上げ、紙を留め具で固定する。
「似たものが入ったら知らせるよ」
「ああ」
店を出たころには、朝の冷たさは消えていた。
工房通りを行き交う者も増えている。荷を背負った男が二人の横を通り過ぎ、開け放された工房の戸から、削られた白い粉が風に混じって流れてきた。
ロアンは引換札を上着の内側へ入れ直した。
「動きに問題はないか」
「ありません」
「黒化へ替えたあとだ。宿舎へ戻るまで、変な感じがしたらすぐ言え」
「変な感じとは、何ですか」
「いつもと違うなら何でもいい」
「歩行時の補正は、すでに少し遅れています」
「それ以外にあれば言え」
「分かりました」
二人は来た道を戻った。
橋へ差しかかったところで、リゼが足を止めた。
ロアンも数歩先で止まり、振り返る。
「どうした」
「遺物工房へ、私の脚に合う部品が入ることはあるのでしょうか」
「分からない」
「なければ、角材を使い続けますか」
「ああ。使えるあいだはな」
「使えなくなった場合は?」
ロアンは橋の欄干へ目を向けた。
流れの中で、光が細かく崩れている。
「別の角材を付けるか、ほかの方法を考える」
「合う部品を見つけるのは難しいと言っていました」
「ああ」
「それでも探すのですか」
ロアンはリゼを見た。
「見つかるかもしれないだろ」
「見つからない可能性もあります」
「それは、探さない理由にはならない」
リゼはしばらくロアンを見ていた。
淡く青い瞳に、橋の上の光が重なっている。
「分かりました」
二人は再び歩き始めた。
宿舎へ戻ると、ガルドは裏口のそばで戸板を削っていた。昨日動かしていた木箱は壁際へ積み直され、空いた場所に古い扉が横たえられている。
ロアンが声を掛けると、ガルドは手を止めた。
「明日の朝から仕事へ出る」
「いつまでだ」
「明後日の夕方には戻る予定だ。水門外の補修警護だから、大きく遅れることはないと思う」
ガルドはリゼを見る。
「こっちは置いていくのか」
「ああ」
「部屋にいるなら、別に構わん」
「食堂や、少しくらいなら町へ出るかもしれない。出るときは、ガルドかマルタへ言わせる」
「俺に許可を取らせるのか」
「許可じゃない。どこへ行ったか分かるようにするだけだ」
ガルドは削りかけの戸板へ視線を戻した。
「門限を決めておく必要はあるか?」
ロアンは少し考えた。
「日が傾く前には宿舎へ戻れ。暗くなっても帰っていなければ、ギルドへ知らせてくれ」
「分かった」
「身体かセルに異常が出た場合も頼む。動けるなら動力商へ。動けないならギルドへ連絡して、誰か呼んでもらいたい」
「場所は知ってるのか」
「今日行ってきた。店の名前と道順は、あとで紙に書く」
ガルドはようやく戸板から顔を上げた。
「二日だろ」
「ああ」
「ずいぶん細かいな」
「何かあったときに困る」
「何かあれば、そのとき考える」
「俺がいないだろ」
「俺はいる。ロアン、そんなにおまえは神経質なやつだったか」
ロアンは口を閉じた。
ガルドはしばらくロアンを見ていたが、やがて短く息を吐く。
「食堂にいれば目に入る。外へ出るときに言わせる。戻らなければ探す。動かなくなったら、ギルドへ知らせる。それでいいな」
「ああ」
ロアンは上着の内側へ手を入れ、一クレドを取り出した。
削りかけの戸板の脇へ置く。
ガルドの視線が硬貨へ下がった。
「何だ」
「二日分だ」
「何の」
「いま頼んだことの分だ。何もなければ、見ておくだけでいい。何かあれば、ギルドか動力商まで動いてもらうことになる」
「たった二日だぞ」
「ああ」
「宿舎にいる者を見ておくくらいで金は取らん」
「何も起きないとは限らない」
「起きてから払えばいい」
「起きたあとで、俺が払えるとは限らない」
ガルドが顔を上げた。
ロアンは硬貨から手を離していた。
頼むだけなら、ガルドは引き受けるだろう。
金がなくても、異常があればギルドへ行く。
戻らなければ探す。
そうする人間だということは分かっていた。
だが、それを善意のまま受け取る理由はなかった。
金を渡せば、頼んだことになる。
ガルドが引き受け、ロアンがその手間を買う。
どちらが何を負うのかが分かる。
「預かっておけ」
ロアンが言う。
ガルドは硬貨とロアンを交互に見た。
「面倒なやつだな」
ガルドは鼻から息を吐いた。
硬貨を指で取り、上着のポケットへ入れる。
「分かった。何もなければ、戻ったときに返す」
「返さなくていい」
「これは余分な金だ」
ガルドはそれだけ言うと、戸板を削る作業へ戻った。
リゼがその横で尋ねる。
「ガルドへ伝えたあと、外へ出ればよいのですか」
「ガルドかマルタだ。必ずどっちかはいると思うが、二人ともいなければ、その日は出るな」
「分かりました」
「行き先も言え」
「はい」
ガルドは戸板を削りながら、二人の会話を聞いていた。
「それも紙に書いとけ」
「そうする」
食堂では、マルタが昼の支度を始めていた。
大きな鍋の前で豆を選り分け、欠けたものや石を小さな器へ移している。ロアンが明日の仕事について話すと、マルタは手を動かしたまま聞いていた。
「二日ね」
「ああ。明日の朝に出て、明後日の夕方には戻る」
「この子は食事をしないし、寝床を用意する必要もない。食堂に座ってるくらいなら、何も困りゃしないよ。暇そうだったら、何か手伝わせてもいいかい」
ロアンはマルタの手元を見る。
「本人が何かしたいと言ったら、危なくない範囲で頼んでもいい。ただし、重いものは持たせるな。水場へ長く立たせるのも駄目だ。床が濡れてると角材が滑る」
「はいはい」
「外へ出るときは――」
「ガルドから聞くよ」
マルタは手を止め、ロアンを見た。
「二日だろう。あんたが半年も帰ってこないみたいな顔をするんじゃないよ」
「そんな顔はしてない」
「してるよ」
ロアンは反論しようとしたが、何を言っても続けられそうだったため、やめた。
マルタはリゼへ向き直る。
「朝はいつもどおり食堂へおいで。あんたは食べないけど、部屋へ一人でいるより、何かあれば分かりやすい。昼も夜も、ここにいたければいればいい」
「はい」
「外へ出るなら、先に私かガルドへ言う。行く場所と、戻る頃合もね」
「分かりました」
「分からないことがあれば聞く。知らない人についていかない。暗くなるまで外へいない」
「はい」
マルタはロアンを見た。
「これでいいかい」
「ああ」
ロアンは財布から一クレドを取り出し、卓の端へ置いた。
マルタの手が止まった。
「何だい、これは」
「留守のあいだの分だ」
「何の分さ」
「何かあったら、頼ることになる」
マルタは硬貨を指先で押し戻した。
「この子を食堂に座らせておくくらいで、金なんか取れないよ」
ロアンは受け取らなかった。
「外へ探しに行かせるかもしれない。ギルドへ走ってもらうこともある」
「そんなことがあれば、金なんかなくてもするよ」
「それは分かってる」
「分かってて出すのかい」
「ああ」
マルタはロアンを見た。
その視線は、ガルドよりも長く留まった。
「頼むって言えば済むことまで、あんたは金にするね」
「頼んだだけじゃ、どこまで頼んだのか分からない」
「私は分かるよ」
「俺が分からない」
マルタの表情が、わずかに変わった。
ロアンは卓の硬貨を見る。
金額があれば、手間の大きさを決められる。
支払った側は頼むことができる。
受け取った側には、引き受けたことが残る。
後になって、どこまでしてもらってよかったのかを考えずに済む。
善意でしてもらったことは、その外側が分からなかった。
どこまで返せばいいのか。
何を返せば同じになるのか。
そもそも返すことを求められているのか。
金なら、そういうことを考えずに済んだ。
マルタはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
硬貨を押し戻していた指を離す。
「分かったよ。何かあって、外へ探しに行くことになったときの分として預かっておく」
「ああ」
「何もなければ返すからね」
「返さなくていい」
「それは私が決めるよ」
ガルドと同じことを言われた。
ロアンはそれ以上、口を挟まなかった。
マルタは一クレドを前掛けのポケットへ入れ、リゼへ向き直る。
「だからって、わざと面倒を起こすんじゃないよ」
「わざと起こすことはありません」
「分かってるよ」
マルタは笑った。
「なら、あんたは自分の仕事の心配をしな」
ロアンは返事をせず、食堂を出た。
階段を上りながら、後ろから聞こえる仮脚の音を数えた。




