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灰都の剣士と機械人形  作者: NOEU
3. 帰る場所
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3-9. リゼと帰り道

継暦六百二十七年 七月十五日


ロアンは二枚の依頼札を手にしたまま、柱の方へ歩いてきた。


広間を行き交う者たちが、その前を横切っていく。依頼について受付へ尋ねる声や、壁から札を外す音が重なる中でも、ロアンの視線はこちらから外れなかった。


ティナが、リゼにだけ聞こえる声で囁いた。


「ほら。見つかった」


リゼは柱の横に立ったまま、近づいてくるロアンを見ていた。すでに視線が合っている以上、柱の後ろへ戻る意味はない。広間の外へ移動しても、呼び止められる可能性が高かった。


ロアンは二人の前で足を止めた。最初にティナを見てから、リゼへ視線を移す。青い上衣と、腕に抱えた服の包みを確かめ、そのあとで二人が立っている柱を見た。


どうして二人がここに並んでいるのか、事情を測りかねているようだった。


「何してる」


「ロアンが選んでいる依頼を見ていました」


リゼが答えると、ロアンは広間の奥にある掲示場所を振り返った。そこから柱までの距離を確かめたあと、もう一度リゼを見る。


「何で柱の後ろから見るんだ」


「話しかけると、ロアンが困るかもしれないと思いました」


「どうしてそう思った」


リゼは隣にいるティナへ顔を向けた。


ティナは悪びれた様子もなく、書類を持っていない方の手を軽く上げる。


「私が、そんなところで見てたら飼い主に怒られるよって言ったの」


「飼い主ではありません。所有者です」


「そこは大事なのね」


ティナの口元には、まだ笑いが残っていた。


ロアンは一度、二人を見比べた。何か言いかけて息を吐き、先にリゼへ向き直る。


「ひとまず言っておくが、別に怒るわけないだろう」


リゼはロアンの表情を確認した。


「怒りませんか」


「ああ。町を歩いていて、ここへ来ただけだろ」


「はい」


「なら、それで怒る理由はない」


それでも柱の後ろへ移った行動については、まだ説明が必要らしかった


ティナは少し残念そうに肩を竦めた。


「怒られなかったわね」


「おまえが余計なことを言うからだ」


「ちょっとからかっただけよ。こんなに真面目に受け取るとは思わなかったの」


「少しは思っただろ」


ティナはリゼを見てから、笑みを深くした。


「少しはね」


「なら言うな」


ロアンは短く言い、リゼへ顔を戻した。


「町を見てこいと言ったのに、何で俺を見てた」


「町を歩いている途中で、この建物へ着きました。入口からロアンが見えたため、中へ入りました」


「見つけたなら、声を掛ければいい」


「今日は同行しなくてよいと言われました」


「ついてくるなとは言ってない。俺が困るかどうかも、おまえが先に決めなくていい。聞きたいことがあるなら、そのまま聞け」


リゼは柱からロアンを見ていた理由を整理した。


「どの依頼を選ぶのか知りたかったのです」


ロアンの手にある札には、それぞれ依頼の内容が記されていた。一枚は、水門外にある取水設備の補修へ同行する二日の警護。もう一枚は、北の集落へ薬品を運ぶ荷車を守る三日の護衛だった。


長距離の商隊護衛や、帰還時期の定まらない回収隊の依頼は、掲示場所へ戻されている。


「仕事を受けると、ロアンはエルデンを離れます」


「ああ」


「そのあいだ、私がどこにいて、何をすればよいのか決まっていません」


リゼがそう言うと、ロアンの表情から、先ほどまでの困惑が少し消えた。


「それは、仕事を決めるときに話す」


「私を宿舎へ残す場合もですか」


「ああ。おまえだけ置いて、何日も勝手にいなくなったりはしない。宿舎に残すなら、何をしていればいいか、困ったときに誰へ聞けばいいか、戻る予定が遅れたらどうするかも決めてから出る」


ロアンの返事は早かった。


リゼは二〇三号室を思い浮かべた。寝台と机、一脚の椅子、棚の下段。ロアンがいない部屋で、指示のないまま待ち続ける状態にはならないらしい。


「何日待てばよいかも分かりますか」


「分かるようにしておく。長い仕事も、しばらくは受けない」


「なぜですか」


「戻ったばかりだからだ。それに、おまえのことで決めてないことが多い」


最後の言葉だけ、ロアンは少し言いにくそうに付け加えた。


ティナは何も言わなかったが、ロアンを見たまま口元を緩めている。その視線に気づいたロアンが顔を向けると、ティナは何事もなかったように広間の奥を見た。


「ロアンさん」


柱の向こうからエダの声がした。


受付にいたエダが帳面を胸元へ抱え、こちらへ歩いてくる。青い上衣を着たリゼへ一度目を向けたものの、最初に注意したのはロアンの手だった。


「まだ依頼を決めていないのでしたら、その札は戻してください。手に持ったまま話を続けられると、ほかの方が内容を確認できません」


ロアンは二枚の札を見た。


「あとで戻す」


「いま戻してください」


「また見る」


「そのとき、もう一度取ってください」


エダの口調は穏やかだったが、譲る余地はなかった。


ロアンはしばらくエダを見たあと、何も言い返さず掲示場所へ向かった。二枚の札を元の位置へ掛け、柱のそばへ戻ってくる。


ティナが小さく笑った。


「ロアンも、言われたことを聞くのね」


「札を戻しただけだ」


「それを、言われたことを聞いたっていうのよ」


ロアンは答えず、壁側へ少し寄った。


エダも柱のそばまで来ると、改めてリゼへ顔を向けた。青い上衣から巻きスカートへ視線を移し、最後に淡く光る目を見る。


「かわいい服ですね。よく似合っています」


「ありがとうございます」


「一人でここまで来たんですか」


「服屋まではロアンと一緒でした。そのあと、町を歩く許可を得ました」


エダはリゼへ視線を戻す。


「町を歩いてみて、困ったことはありましたか」


「何を見るべきか分かりませんでした」


「それでも歩いたんですね」


「目的がなくても歩いてよいと言われました。町を記録すれば、あとで一人でも動けるとも言われました」


「道は覚えられましたか」


「はい。宿舎まで戻ることができます」


「それはよかったです」


エダの言葉には、ロアンのような追加条件も、ティナのようなからかいもなかった。リゼが何をしたかを聞き、できたことをそのまま認めている。


ロアンが尋ねた。


「どこまで歩いた」


リゼは通った場所を順に思い返した。


「南水路に沿って進み、橋を一つ渡りました。古い道具を売る店と、磨いた石や木の小物を売る露店を見ました。そのあと、子どもが複数いる家の前を通りました」


「子どもがいる家?」


「二階建てで、正面に窓が四つあります。入口の脇には低い柵がありました」


三人とも場所が分かったらしい。


「南水路の先にある孤児院ですね」


エダが言った。


「孤児院ですか」


「身寄りのない子どもを引き取っている家です。大きな施設ではなく、普通の家を少し広くしたようなところですが、何人かが一緒に暮らしています」


ティナも頷いた。


「庭先でよく遊んでる子たちでしょう。三人くらいいなかった?」


「女の子が一人、男の子が二人いました」


「あの家で合ってるわ」


ロアンも場所を知っているようだった。


「あそこまで行ったのか」


「許可された範囲の内側でした」


「責めてない」


ロアンはすぐに言った。その返答が早かったため、リゼはそれ以上、自分の行動が条件に合っていたことを説明しなかった。


「子どもと話したのか」


「はい」


「何を言われた」


「きれいで、お人形のようだと言われました」


ティナの顔が明るくなる。


「さすがお姫様。私も一度くらい言われてみたいわ」


リゼはティナを見た。


「前にもティナがお姫様と言っていました。お姫様とは何ですか」


「言葉は知ってるんでしょう?」


「どのようなものか見たことはありません」


「絵や芝居でも?」


「ありません」


ティナは少し考え、説明する言葉を選ぶように視線を上へ向けた。


「身分の高い家に生まれたきれいでかわいい女の子。大きな屋敷や城で暮らして、きれいな服を着てるのよ。物語だと、怪物にさらわれたり、悪いやつに閉じ込められたりして、誰かが助けに来ることも多いわね」


「さらわれるのですか」


「必ずじゃないわよ」


「さらわれない場合は、何をするのですか」


「国を守ったり、誰かを助けたり、自分で怪物を倒したりする話もあるわ。大人しく助けを待ってるお姫様ばかりじゃないの」


「内容が一定ではないのですね」


「物語だからね。いろいろあるのよ」


リゼは、先ほど聞いた説明と、自分へ向けられた呼び方を結びつけようとした。


「私は身分の高い家の娘ではありません」


「知ってるわ」


ティナは気のいい笑みを浮かべた。


「でも、人形のように綺麗なお姫様なら、物語に出てきそうでしょう?」


物語を知らないため、判断できなかった。


「人形は綺麗なのですか?」


エダの口元にも、わずかな笑みがあった。


「リゼは、物語に興味がありますか」


「どのようなものかは知りたいです」


「文字を読むことはできますか」


「はい」


「でしたら、子ども向けのものを探してみましょうか。ギルドへ寄贈された読み物を、孤児院へ回すことがあります。その前に借りられるかもしれません」


「借りてもよいのですか」


「確認は必要ですが、読んだあとに返せるなら問題ないと思います」


リゼは少し考えた。


物語は、作業にも移動にも必要ではない。しかし、何であるかを知るには実際に読む必要がある。ロアンがどんな顔をしているか気になり見上げる。


「借りてもいいものでしょうか」


「問題ないと言われているのならいいだろう」


「じゃあ、お願いします」


「分かりました。見つけたら、ロアンさんか宿舎へ知らせます」


エダは約束を帳面へ記すように、一度頷いた。


その横で、ロアンは会話が区切れるのを待っていた。


「ほかには何もなかったか」


「男の子に、右脚が木なのか、蹴れば折れるのかと聞かれました」


ロアンの表情が変わった。


「蹴られたのか」


声が低くなり、リゼの返答を待たずに右側へ視線を下ろす。巻きスカートの下に見える部分を確かめ、身体を少し屈めようとした。


「いいえ」


ロアンの動きが止まった。


「本当に?」


「はい。蹴らないでください、と伝えました」


「触られてもいないか」


「はい」


「転ばされなかったか」


「何もされていません」


ロアンはそれでも、しばらくリゼの右側を見ていた。外から見える異常がないことを確かめてから、ようやく身体を起こす。


「何かされそうになったら離れろ。相手が子どもでも同じだ」


「分かりました」


ティナが、半ば呆れたようにロアンを見る。


「聞いただけでしょう?」


「実際に蹴るかもしれない」


「本人が何もされてないって言ってるのに」


「次に同じことを聞かれた場合の話をしてる」


ロアンは譲る様子がなかった。


エダは口元へ手を添え、少し俯いていた。笑っているのかどうか、声は聞こえなかった。


「ほかには?」


エダが表情を戻し、リゼへ尋ねる。


「巾着の中身を聞かれました」


ロアンの視線がすぐに腰の巾着へ移る。


「何て答えた」


「五十ミルです」


三人の動きが、短いあいだ止まった。


ティナが先に口を開く。


「言っちゃったの?」


「はい」


「知らない相手に、金を持ってることを言うな」


ロアンの声には驚きが残っていた。


「子どもにも同じことを教えられました」


「なら覚えろ」


「はい」


エダは帳面を抱え直した。


「その子たちのほうがものを知ってそうね」


「そういう言い方をするな」


「わかったわよ」


今度はティナが声を立てずに笑った。


リゼは、露店で老人と話したことも説明した。何か探しているのかと尋ねられ、探していないと答えたこと。見るだけでも構わないと言われたこと。別の場所へ誘われたり、後をついてくるよう求められたりはしていない。


ロアンは一つずつ確かめたあと、考え込むように口を閉じた。やがて、思いついた順に条件を並べ始める。


「次に一人で歩くときは、知らない人間についていくな。人の少ない道へ入るな。金を持ってることを言うな。街門へ近づくな。暗くなる前に戻れ。道が分からなくなったら、水路へ出るか、宿舎かギルドへ来い」


リゼは内容を順に記録した。


確認のため口に出そうとすると、ロアンが先に手を上げる。


「全部復唱しなくていい」


「忘れません」


「ならいい」


ロアンはそこで終えようとしたが、まだ足りないと思ったらしい。わずかな間を置いて、さらに付け加えた。


「声を掛けられて、どうすればいいか分からなかったら、近くの店へ入って誰かに聞け。自分だけで決めるな」


ティナがついに声を上げた。


「最初から全部言っておけばよかったんじゃない?」


ロアンは真顔のまま答えた。


「街がこんなに危険だとは思ってなかった」


ティナは一瞬、何を言われたのか分からないように目を瞬き、そのあと堪えきれずに笑い出した。書類を持った手で腹を押さえ、柱へ肩を預ける。


「ちょっと、ロアンさん。本人が一人で町を歩いて、ここまで来ただけでしょう」


エダも顔を伏せた。すぐに表情を整えようとしたものの、口元の笑みは消えていない。


「危険だったのは街ではなく、ロアンさんが想定していなかった会話ではありませんか」


「金を持ってることを知らない相手に言った」


「子どもに教えられて、すでに覚えています」


「蹴られるかもしれなかった」


「聞かれただけです」


ティナの笑いがさらに大きくなった。


「それで危険な街になるの?」


ロアンは二人を見たあと、反論を諦めたように息を吐いた。


「もういい」


怒っているのではなかった。次にリゼが一人で歩いたとき、安全を確保できるよう、思いつく限りの条件を定めようとしているだけだった。


「ロアンは、まだ宿舎へ戻らないのですか」


リゼが尋ねる。


「依頼の詳しい話を聞いてから戻る」


「どれくらいですか」


「長くはかからない。昼過ぎには戻る」


今度は、判断に必要な情報が足されていた。


リゼが頷くと、ティナが持っていた書類を軽く振った。


「私の用事は終わったから、リゼと一緒に戻ってもいい?」


「宿舎へ?」


「ええ。どんなところか見てみたいし」


リゼはすぐには答えなかった。


宿舎の食堂へ外部の者が入ることは禁じられていない。だが、二〇三号室へ案内してよいかは確認していなかった。


「食堂までは案内できます。二〇三号室へ入ってよいかは分かりません」


ティナがロアンを見る。


「ロアンさんは、どう?」


「俺は構わない」


ロアンは迷わず答えた。しかし、すぐに宿舎の管理が自分だけの判断ではないことを思い出したようだった。


「ただ、一応ガルドに聞いておけ。俺の部屋ではあるけど、宿舎の中だからな。ガルドが構わないと言うなら、部屋へ来てもらってもいい」


「分かりました」


「断られるとは思わないけどな」


リゼは、ロアン自身はティナを二〇三号室へ入れても構わないという部分も記録した。


ティナは嬉しそうに笑う。


「じゃあ、遊びに行っていいのね」


「騒ぐなよ」


「子どもじゃないんだから」


エダが二人の会話へ静かに加わった。


「宿舎側へ確認する判断で問題ありません。ロアンさんがよくても、建物を管理する方の規則は別ですから」


「はい」


リゼが答えると、ロアンはまだ言い足りないように、リゼとティナを交互に見た。


「寄り道するな」


「はい」


「服を落とすな」


「落としません」


「ティナから離れるな」


ティナが眉を上げた。


「さっきまで一人で歩かせてたのに、急に細かくなったわね」


「おまえも余計なところへ連れていくなよ」


「まっすぐ宿舎へ行くわよ」


「本当だな」


「信用ないわね」


「ない」


ティナは傷ついた様子もなく笑った。


受付から、ロアンを呼ぶ声がする。エダも帳面を開きながら、そちらへ身体を向けた。


「ロアンさん、今度こそ依頼の相談を始めますよ」


「ああ」


ロアンはリゼへ顔を戻す。


「戻ってろ。あとで行く」


「はい」


「何かあったらティナに言え」


「分かりました」


「私も、信用されてるのか疑わしいんだけど」


ティナが言うと、ロアンは真顔のまま返した。


「一度一緒に仕事をしただけだが、おまえのことは信用している。何かあったら、すぐギルドか宿舎へ連れていってほしい」


「わ、分かってるわよ」


リゼは服の包みを抱え直し、ティナと並んで開け放たれた入口へ向かった。広間を出る前に振り返ると、ロアンはまだこちらを見ていた。


目が合う。


ロアンは入口の外を顎で示した。


宿舎へ戻れ、という意味だと判断し、リゼは前へ向き直った。


中央通りへ出ると、ギルドの中よりも光が強かった。荷車が連なり、その隙間を人が行き交っている。ティナは通りの流れを見たあと、リゼの歩幅に合わせるように速度を落とした。


「どっち?」


「水路へ戻ります」


「じゃあ、案内して」


ティナは半歩後ろへ下がった。


帰路を知っているのはリゼだった。来た道を選び、店先へ張り出した荷や、通りを横切る者を避けながら進む。ティナは先へ出ようとはせず、ときおり左右の店へ視線を向けていた。


「何か店を見たりはした?」


「古い道具を売る店がありました。曲がった釘、刃の欠けた小刀、片方だけの手袋、別の箱から外した留め具が売られていました」


「片方だけの手袋なんて、買う人いるのかしら」


「片手だけ必要な場合は使えます」


「そうなんだけど」


ティナは自分の両手を見たあと、片方を軽く握った。


「片方をなくした人なら、ちょうどいいかもしれないわね」


「はい」


「ほかは?」


「磨いた石と、木で作った小さな動物を売る露店がありました」


「何か買わなかったの?」


「何を選べばよいか分かりませんでした」


「欲しいものはなかった?」


「欲しいとは、どのような状態ですか」


ティナはすぐには答えなかった。


歩きながら、軒先に吊られた小さな革袋へ目を向ける。しばらく見たあと、何も買わずに通り過ぎた。


「持って帰りたいと思うもの、かな」


「何のために持って帰るのですか」


「使ったり、置いて眺めたり、人にあげたり。理由は何でもいいのよ」


「必要ではないのに、金を払うのですか」


「そういうこともあるわ」


「なぜですか」


ティナは少し困ったように笑った。


「難しいことを聞くわね。見てたら欲しくなった、で済ませることも多いのよ」


十分な理由には聞こえなかったが、ティナ自身も明確な条件を持っているわけではないらしい。


二人は水路へ戻る角を曲がった。行きに見た店が、今度は反対側に並んでいる。同じ品物でも、見る方向と光の当たり方が変われば、輪郭や影の位置が違って見えた。


少し歩いたところで、ティナが尋ねた。


「ロアンって、部屋でもあんな感じ?」


「あんな感じとは何ですか」


「これは駄目、あれも気をつけろって、次々言うところ」


思い巡らすようにリゼが間を置いて口を開く。


「そうかもしれません」


ティナは声を立てずに笑った。ギルドでのロアンを思い出しているらしい。


「普段は、何を話すの?」


リゼは二〇三号室で交わした言葉を思い出した。


座れ。立て。出るぞ。そこを使え。何かあれば言え。


必要な会話は、多くなかった。


「行動に必要な指示を受けます」


「それだけ?」


「服について、嫌ではないかと聞かれました」


ティナは少し意外そうにリゼを見る。


「ロアンが?」


「はい」


「へえ」


「なぜですか」


「そういうことも聞くのね。何も言わず、自分で勝手に考えてそうな人だから」


リゼはロアンが話す前に黙った場面を思い出した。


「言う前に、止まることはあります」


「やっぱり」


ティナは楽しそうに笑った。


「商隊でもそうだったわ。何か言いたそうな顔をして、結局、気をつけろくらいしか言わないの」


「顔で分かるのですか」


「なんとなくね」


「私は分かりません」


「そのうち分かるようになるわよ」


「どれくらいですか」


「それは決まってないわ」


橋を渡ると、水面へ昼の光が落ちていた。流れに合わせて細かく崩れ、橋の影へ入ると消える。行きに布をすすいでいた石段には誰もおらず、空の桶だけが伏せられていた。


宿舎へ続く道へ入る。戸板の一部が白く削れた道具屋を通り、水路から二つ目の交差路を曲がる。昨日と今日で、何度も通った道だった。


やがて宿舎の入口が見えた。戸は開いていたが、静かだった。


ティナは入口の前で足を止め、建物を見上げた。


「ここが、ロアンとお姫様の住んでるお城?」


リゼも宿舎を見た。


「宿舎です」


「ええ」


「お姫様については、まだ十分に理解していません」


ティナは少し笑った。


「じゃあ、いつか物語を見せてあげる」


「お姫様の物語ですか」


「お姫様が出てくるもの。エダなら何か探してくれるでしょうけど、私も知ってる人に聞いてみるわ」


リゼは先に戸口をくぐった。


廊下の奥から、誰かがこちらへ顔を向ける気配がした。


ティナの足音が、そのあとに続いた。

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