↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰都の剣士と機械人形  作者: NOEU
3. 帰る場所
30/65

3-8. リゼの冒険

継暦六百二十七年 七月十五日


ロアンの姿が角の向こうへ消えたあとも、リゼはしばらく分かれ道に立っていた。


南水路は左右へ伸びている。宿舎へ戻るなら、先ほど来た道をそのまま辿ればよい。中央通りへ近づく道も、ロアンが示した範囲に含まれていた。どちらを選ぶかは指定されていない。


腕の中には、ヘルマから受け取った服の包みがある。腰には五十ミルと引換札を入れていた巾着が下がっていた。引換札はすでに渡しているため、いま中にあるのは硬貨だけだった。


リゼは周囲を見た。


水路沿いを歩く者の多くには、進む理由があるようだった。籠を抱えた女は食料店へ入り、道具袋を提げた男は橋を渡って工房の並ぶ方角へ向かう。荷車は荷を積んでいるか、荷を下ろした場所から戻る途中だった。店の前で足を止める者は、並べられた品物を見ている。


リゼには、服を受け取ったあとの用事がなかった。


それでもロアンは、目的がなくても歩いてよいと言った。


リゼは水路の流れに沿い、宿舎とは反対の方向へ歩き始めた。


左足が石へ触れ、続いて角材の先が乾いた音を立てる。ロアンと歩いていたときにも同じ音はしていたはずだったが、彼の足音がなくなると、自分の歩行だけが周囲から切り離されたように聞こえた。


左足。角材。左足。角材。


その間へ、通行人の靴音や荷車の軋みが入り込む。音が重なっても、角材が石へ触れた瞬間は、身体へ返る振動によって分かった。


水路の幅は、宿舎の近くより少し広くなっていた。流れへ下りる石段が何か所か設けられ、桶へ水を汲む者や、布をすすぐ者がいる。石段の端には濡れた跡が残り、水の表面では建物の影が細かく崩れていた。


橋にも違いがあった。人だけが渡れる細い橋。荷車一台分の幅を持つ橋。二本の木材へ横板を渡しただけのもの。同じ水路を越えるための構造でも、使う者と荷の大きさによって形が異なっている。


リゼは一つずつ位置を記録した。


通りの店も、宿舎と服屋のあいだにあったものとは少し違っていた。食料を扱う店が減り、代わりに古道具や日用品を並べた店が増えている。曲がった釘を束にしたもの。刃の欠けた小刀。取っ手を付け替えた鍋。片方だけの手袋。長さの揃わない紐。別の箱から外したらしい留め具。


新品に見えるものは少なかった。


壊れた部分を取り除き、別の部品を付け、用途を変えて売られている。昨日ヘルマが直した服も、最初からリゼのために作られたものではなかった。別の者が着ていた上衣の肩と脇を詰め、幅の広い下衣を巻く形へ変えた。


店先に並ぶ道具と、自分の服には似たところがある。


それがよいことなのかは分からなかったが、使えるものを使える形にすることは、この町では珍しくないらしい。


小さな露店の前で足を止めた。


木の板の上に、磨かれた石がいくつか並べられている。白、茶、灰色。青いものもあったが、色は薄く、形も揃っていない。隣には木を削った小さな動物や、穴を開けて紐を通した金属片が置かれていた。


売り手の老人がリゼを見た。


「何か探してるのかい」


「いいえ」


「見るだけでも構わないよ」


リゼは品物へ視線を戻した。


見るだけでよいと言われても、何を見るべきかは分からない。石の形、色、表面の傷なら記録できる。しかし、どれを選ぶべきかを決める条件はなかった。


腰の巾着へ手を触れる。


五十ミルは自分のものだと、ロアンは言った。


使うことを禁じられてはいない。けれど、何を買うべきかも決められていない。


リゼは石を買わず、老人へ顔を向けた。


「見ました」


「ああ」


老人は少し笑った。


「また見たくなったら来な」


リゼは返す言葉を考えた。


「はい。また」


露店を離れ、さらに水路沿いを進む。


建物の並びが少し途切れた場所に、周囲より広い敷地を持つ家があった。二階建てではあるが、商館や宿舎ほど大きくはない。正面には窓が四つ並び、入口の脇には低い木の柵がある。庭と呼べるほど広くはない空地に、三人の子どもがいた。


男の子が二人、石を積んで小さな囲いを作っている。女の子は少し離れたところで、細い枝を何本か地面へ並べていた。


何を作っているのかは分からなかった。


リゼは家と子どもたちの位置を見ながら通り過ぎようとした。


最初に気づいたのは、枝を並べていた女の子だった。


顔を上げたまま動かなくなる。


それから、隣にいた男の子の腕を引いた。


「見て」


二人の男の子もリゼを見た。


視線はまず角材へ向かい、次に上へ移った。三人とも作っていたものをそのままにして、柵の近くまで来る。


リゼは歩き続けていたが、子どもたちが自分を見ているため、足を止めた。


女の子は柵へ両手を掛け、リゼの顔を見上げた。


「きれい」


リゼは周囲を確認した。


近くを歩く者はほかにもいたが、女の子の視線はこちらへ向いている。


「私ですか」


「うん。お人形さんみたい」


「私は機械人形です」


女の子は目を丸くした。


「本当にお人形さんなの?」


「はい」


男の子の一人が柵の隙間から身を乗り出す。


「でも喋ってるぞ」


「話すために作られています」


「動くし」


「移動もできます」


もう一人の男の子は、巻きスカートの下から伸びる角材を見ていた。


「そっちの脚、木なの?」


「右膝から下だけです」


「折れない?」


「強い衝撃を受ければ、破損する可能性があります」


「じゃあ蹴ったら折れる?」


「蹴らないでください」


男の子は伸ばしかけていた足を戻した。


「蹴らないよ。聞いただけ」


女の子は男の子たちを気にせず、リゼの顔を見続けていた。


「目もきれい」


「発光しています」


「青い」


「はい」


「暗いところだと、もっと光る?」


「周囲が暗ければ、見えやすくなります」


「見たい」


「いまは暗くありません」


女の子は少し考えたあと、両手で目の周りを覆い、指の隙間からリゼを見た。


「これなら暗い」


「周囲の明るさは変わっていません」


男の子の一人が笑った。


「それじゃ駄目だろ」


女の子は手を下ろし、もう一度リゼを見る。


「本当に人間じゃないの?」


「機械人形なので、人形です」


「でも、普通のお人形は喋らないよ。こんなに大きくないし」


「私のようなものを見たことはありませんか?」


「見たことない、人形はみんなきれいなの?」


「分かりません」


リゼは、朝の食堂で教えられた返答を思い出した。


「ありがとうございます」


女の子が笑う。


「いまの、うれしかった?」


「分かりません」


「きれいって言われたのに?」


「その言葉が肯定的であることは分かります」


「じゃあ、うれしいんじゃない?」


リゼはすぐには答えなかった。


女の子も、返事を長く待つつもりはないらしい。今度は腰の巾着へ目を向けた。


「それもかわいい」


白い布に赤い糸で花が縫われている。


「ヘルマにもらいました」


「誰? 中に何が入ってるの?」


「服屋の店主です。五十ミル入ってます」


男の子二人が同時に顔を上げた。


年上らしい方が、すぐに言った。


「そういうの、人に言わない方がいいぞ」


「なぜですか」


「盗るやつがいるから」


「あなたは盗りますか」


「盗らないよ」


「じゃあ、言っても問題ありません」


「俺たちが盗らなくても、ほかのやつが聞いてるかもしれないだろ」


男の子は通りを見回した。


「金を持ってるって、知らない人に言うなよ」


リゼは周囲の人の位置を確認した。


会話へ注意を向けている者はいないように見えたが、聞いていないとは断定できない。


「分かりました」


「ほんとか?」


「次からは言いません」


男の子は満足したように頷いた。


もう一人の男の子が、地面に作りかけの囲いを指した。


「これ、何だと思う?」


リゼは石と枝の配置を見た。


四角く積まれた石。


その内側へ、女の子が並べた枝が置かれている。


「小さな建物ですか」


「違う」


「囲いですか」


「違う」


「では、分かりません」


男の子は胸を張った。


「灰喰い獣を捕まえる罠」


リゼは囲いを見る。


高さは指二本分ほどしかない。入口に相当する箇所もなく、枝を動かす仕組みも見当たらなかった。


「この大きさでは、灰喰い獣を捕らえることはできません」


「子どもの灰喰い獣なら入る」


「幼体でも、これより大きい可能性があります」


「じゃあ、もっと小さいやつ」


「灰喰い鼠?」


女の子が言った。


「それなら入るかも」


男の子は少し不満そうだったが、すぐに石を一つ追加した。


「大きくすればいい」


三人は再び地面へ戻っていく。


女の子だけが途中で振り返った。


「お人形さん、また来る?」


「ここを通れば」


「じゃあ、通って」


それは命令なのか、希望なのか分からなかった。


「分かりました」


女の子は満足そうに頷き、男の子たちのところへ走っていった。


リゼは家を見た。


窓の数が多く、入口も通常の家より広い。庭にいた子どもは三人だけだったが、建物の中からは、ほかにも複数の足音と声が聞こえていた。


大人の声は聞こえない。


子どもたちだけが住んでいるとは考えにくいが、誰が管理しているのかは分からなかった。


リゼは家の位置を記録し、歩き出した。


少し進んだところで、腰の巾着へ触れる。


中身を尋ねられても、次からは答えない。


水路沿いの道は、やがて中央通りへ近づいていった。店の数が増え、建物の間口も広くなる。食料や日用品だけでなく、工具、革具、武器の手入れ道具、旅支度に使う品を扱う店が並んでいた。


通りを歩く者の出で立ちも変わった。


道具袋を背負う者。


腰へ剣や短槍を下げる者。


複数人で紙を見ながら話す者。


荷車の御者と料金を交渉する者。


声の中には、宿舎の食堂で聞いた言葉が混じっていた。


護衛。


補修。


荷運び。


三日。


二名。


水門。


依頼。


リゼは足を止めた。


通りの先に、人の出入りが絶えない大きな建物があった。


入口は通常の扉四枚分ほどの幅があり、分厚い戸は左右へ開け放たれている。外からでも、内部の広間が見えた。


正面には長い受付台がある。


壁際には多くの札が並べられ、その前で何人もの人間が立ち止まっていた。紙を読む者。受付で話す者。道具袋を床へ置き、仲間と相談する者。武器を持つ者だけでなく、木槌や縄、測量具らしい棒を持つ者もいる。


宿舎で聞いた、ギルドの仕事に関係する場所だと判断できた。


ギルド。


ロアンが向かった場所だった。


リゼは入口の外から広間を見た。


人の位置を順に確認する。


受付の前。


掲示された依頼札の前。


柱の近く。


壁際の長椅子。


その中に、暗い上着があった。


ロアンだった。


広間の奥にある掲示場所の前で、札を一枚ずつ見ている。服屋で別れたときと同じ上着。腰には短剣だけを下げている。


リゼは入口の前で止まった。


ロアンの現在位置は確認できた。


ギルドの中にいる。


それ以上の確認は必要ないはずだった。


けれど、ロアンが手に取った札へ目が向いた。


一枚を外す。


読む。


元へ戻す。


別の札を取る。


それを手に残す。


どの依頼を見ているのか、入口からでは文字までは読めない。


ロアンが仕事を受ければ、町を離れる可能性がある。期間も、リゼが同行するのか宿舎へ残るのかも、まだ決まっていない。


確認する必要がある。


そう判断したときには、リゼは広間の中へ足を踏み入れていた。


入口が広いため、境界を越えた感覚は小さかった。外の通りと内部の広間が、音と人の流れによって連続している。誰かに止められることもない。


それでも中へ入ると、いくつかの視線が向いた。


青い上衣。


巻きスカート。


角材の脚。


珍しいものを見る視線だったが、宿舎の食堂ほど長くは留まらない。ギルドにいる者たちは、それぞれ自分の用事を持っていた。


リゼは服の包みを抱えたまま、広間の端へ移動した。


屋根を支える太い柱が並んでいる。その一つの後ろへ立つと、ロアンの位置を確認しながら、正面から見られにくくなった。


隠れるよう命じられたわけではない。


しかしロアンは、今日は同行しなくてよいと言った。


ここにいることが見つかれば、なぜ来たのか尋ねられる可能性がある。尋ねられても問題は何もないはずだった。


町を歩いている途中で偶然ギルドへ着き、中にロアンを見つけた。


その説明に誤りはない。


それでも、ロアンは怒るかもしれなかった。


なぜ怒るのかは、明確には分からない。


一人で歩いてよいと言ったのに、結局自分のところへ来たから。


同行しなくてよいと言ったのに、ギルドまで入ってきたから。


あるいは、柱の後ろから見ているから。


最後の行動には、怒られる理由があるように思えた。


自分がどうしてそんな行動をとってしまうのか理解できないまま、リゼは柱から顔を少しだけ出した。


ロアンは依頼札を見ている。


長い札を一枚取り、内容を読んで戻す。


別の札も戻す。


そのあと、比較的小さな札を二枚手に残した。


受付の近くにいた人。エダという名前の女がロアンへ声を掛ける。


周囲の声が重なり、言葉のすべては聞き取れなかった。


「戻ったばかり」


「見るだけだ」


「長いのは?」


「今はいい」


断片だけが届く。


ロアンは長い仕事を選ばなかった。


理由は分からない。


エルデンへ戻ったばかりだからかもしれない。ほかの用事があるのかもしれない。報酬や危険が合わなかった可能性もある。


「何してるの?」


すぐ後ろから声がした。


リゼは振り返った。


ティナが立っていた。


旅の途中と同じ革具を身につけ、片手に細い書類の束を持っている。リゼを見たあと、その新しい服へ視線を下ろし、再び顔へ戻した。


「リゼ?」


「はい」


「見違えた。服、買ったんだ」


「ロアンに買ってもらいました」


「似合ってるじゃない」


「ありがとうございます」


ティナは少し笑った。


「それで、何してるの?」


「ロアンの位置を確認しています」


ティナは柱の向こうを覗いた。


依頼札を見るロアンがいる。


もう一度リゼを見る。


「それ、隠れてるつもり?」


「ロアンからは見えていません」


「今のところはね」


ティナは柱からはみ出している巻きスカートと、角材の先を見た。


「脚、丸見えだけど」


リゼも足元を見た。


柱は上半身の大部分を隠しているが、右側へ伸びた角材までは隠していない。


「ロアンは、こちらを見ていません」


「見つかったら怒られるよ」


リゼはロアンへ視線を戻した。


「怒りますか」


「たぶん」


「なぜですか」


「ついてくるなって言われたんでしょ」


「言われていません。今日は同行しなくてよいと言われました」


「同じようなものじゃない?」


「違います」


ティナは口元を押さえた。


「そんなにはっきり言うんだ」


「内容が違います」


「じゃあ、何も悪くないんだ?」


「町を歩く許可を得ています。ここは指定された範囲の内側です」


「ギルドの中まで入っていいって?」


「入ってはいけないとは言われていません」


ティナは声を立てないよう肩を揺らした。


「あなた、ほんと面白いね」


「何がですか」


「そのままのところ」


意味は分からなかった。


ティナはリゼの横へ移動し、同じ柱からロアンを覗いた。


「何を見てるの?」


「ロアンが選ぶ依頼です」


「聞けばいいじゃない」


「ティナが、見つかれば怒られると言いました」


「今さら気にするの?」


「ティナに言われるまでは、怒る可能性を高く見積もっていませんでした」


ティナはまた笑った。


「じゃあ、余計なこと言ったかな」


「可能性を知ることは必要です」


「あれなら、遠出じゃないよ」


ティナがロアンの手にある札を見た。


「分かるのですか」


「札の端に印があるでしょ。あっちは近郊で終わる仕事。長くても二日か三日じゃないかな」


リゼは札を見た。


入口からでは分からなかった印が、言われてみれば端に付いている。


「ロアンは長い依頼を戻しました」


「戻ったばかりだしね。しばらく休みたいんじゃない?」


「休むと言っていません」


「ロアンは言わないかもね」


ティナは柱へ肩を預けた。


「それで、いつまでここから見てるつもり?」


「ロアンが依頼を決めるまでです」


「見つかる方が先かも」


「その場合は、説明します」


「何て?」


「町を歩いていたらギルドへ着き、ロアンを見つけたため、現在位置と行動を確認していました」


ティナはしばらく黙った。


「それで許してもらえると思う?」


「命令には違反していません」


「そういう問題じゃないんだけどなあ」


ティナは楽しそうだった。


リゼには、何が楽しいのか分からない。


そのとき、ティナの持っていた書類の端が柱へ触れた。


乾いた音が広間に響く。


大きな音ではなかった。


しかし、リゼには、ロアンの動きが止まったことが分かった。


依頼札を持ったまま、顔を上げる。


視線が広間を横切る。


「まずい」


ティナが小さく言った。


「何がですか」


「見つかる」


ロアンの視線が柱のあたりで止まった。


最初に見たのは、ティナだった。


次に、柱の横から見えている青い袖。


さらに下へ移り、巻きスカートと角材を確認する。


リゼと目が合った。


ロアンはしばらく動かなかった。


リゼも柱の横に立ったまま、ロアンを見ていた。


隠れる必要はなくなった。


すでに発見されている。


ティナが、口元だけを動かした。


「ほら、怒られる」


ロアンは二枚の依頼札を持ったまま、こちらへ歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。