1-2. 襲撃
砂が盛り上がった。
一番車の前方、旧舗装が細く途切れた場所で、砂の面が長く膨らんだ。地中を太い何かが横切り、下から路面を押し上げている。
「右へ寄せろ!」
ダリオの声が飛んだ。
前方の御者が手綱を引く。
一台目のワトが硬い路面へ上がろうとした。二台目が続く。車輪が旧舗装の縁へ当たり、荷台が大きく揺れた。
砂が割れた。
最初に見えたのは、濡れた石に似た暗い外皮だった。
その下から、頭部が立ち上がる。
サンドワームの口が開いた。
円形に並ぶ歯の奥は暗く、砂と粘液が糸を引いている。頭部だけで荷車の高さを越えていた。身体の大半はまだ砂中にあり、盛り上がった砂が前方の轍を横切っている。
一台目のワトが鳴いた。
前脚を持ち上げ、荷車を引いたまま身体を捻る。
御者が手綱へ体重を掛けた。
「切れ!」
ダリオが叫ぶ。
荷役が荷台の脇へ飛びついた。
短刀が牽引縄へ入る。
一度では切れない。
張り詰めた縄が刃を弾き、荷役の手が滑った。
サンドワームが頭を振る。
砂が横殴りに飛んだ。
ロアンは七番車の脇から前方を見ていた。
距離がある。
今から走っても間に合わない。
前にはダリオがいる。ベックもいる。赤髪の機械人形も前方右側に配置されていた。
ロアンが離れれば、中央が空く。
「動かすな!」
七番車の御者が手綱を引こうとするのを止めた。
前方が乱れたからといって、後ろまで一斉に動けば、荷車同士の間隔が潰れる。深い砂で向きを変えれば、横倒しになる車両も出る。
七番車のワトが前方の鳴き声へ反応し、首を振った。
ロアンは手綱の根元を掴んだ。
「そのままだ」
御者の顔に砂が当たる。
目を細めながら、うなずいた。
前方で重弩が鳴った。
弦の音というより、厚い板が割れたような音だった。
太い矢が飛ぶ。
サンドワームの開いた口の縁へ刺さった。
頭部が反れた。
ベックが巻き上げ具から手を離し、荷車を飛び降りる。次の矢を待つ時間はない。
弓へ持ち替えた。
短い矢をつがえ、引く。
「目があるなら、そこだろうな」
誰へ言ったのでもない。
矢が外皮へ当たり、弾かれた。
長柄武器を持つ護衛が二人、前方の荷車とサンドワームの間へ入る。倒すためではない。頭部が荷台へ届く前に向きをずらすためだった。
赤髪の機械人形が、その横を抜けた。
白い脚が砂を蹴る。
長杖を両手で持ち、開いた口の横へ突き入れた。
杖の先端が外皮の継ぎ目へ当たる。
人形は止まらない。
身体ごと押し込み、サンドワームの頭部を右へ逸らした。
その間に荷役が縄を切った。
解かれたワトが横へ走る。
空になった牽引具が砂へ落ちた。
一台目の荷車だけが、旧舗装の縁へ残る。
御者は荷台から飛び降り、硬い路面へ転がった。
サンドワームが口を閉じる。
赤髪の機械人形は杖を抜き、後ろへ下がった。
重弩の矢が刺さったまま、サンドワームの頭部が砂へ沈む。
砂面が激しく崩れた。
逃げたのか。
潜り直しただけか。
分からない。
「前を詰めるな!」
ダリオが叫んだ。
「一台目から離れろ! 退避しろ!」
声が隊列を渡っていく。
前方の護衛が御者を引き起こす。
ベックは弓を構えたまま、沈んだ場所から目を離さない。
赤髪の機械人形が杖を持ち直した。
そのとき、七番車の下で音がした。
低い音だった。
木が軋んだのではない。
車輪の下から、砂を擦るものが近づいてくる。
ロアンは手綱を放した。
「離れろ!」
御者が振り向く。
七番車の左側が持ち上がった。
荷台が傾く。
積まれた陶器箱が荷縄へ食い込み、木枠が悲鳴を上げた。
ワトが前へ飛び出す。
車輪が一度だけ回った。
砂が爆ぜた。前方で沈んだサンドワームが、七番車の下から再び現れた。
荷車の底板が下から突き上げられる。
左の車輪が浮き、右の車輪だけが深く沈む。
七番車が横倒しになった。
木箱が荷縄を破り、砂へ落ちる。
陶器の割れる音が続いた。
染料の樽が一つ、荷台から転がり落ちた。栓が外れ、黒に近い液体が砂へ広がる。
ワトが横へ引かれた。
牽引具が首へ食い込む。
御者が縄へ短刀を入れる。
ロアンも駆け寄った。
縄は荷車の下で張り詰めている。
切る位置を誤れば、弾けた端が御者の顔へ飛ぶ。
「下がれ」
「ワトが――」
「切る」
ロアンは短刀を抜いた。
御者の手より前へ出る。
一度。
革と繊維が半ばまで裂けた。
二度目で縄が切れた。
張力を失った端が砂を打つ。
ワトは前へ倒れた。
立ち上がろうとしたが、後脚が砂へ沈んでいる。
地面の下で何かが動いた。
ワトの身体が横へ引かれた。
鳴き声が途切れる。
砂が赤黒く染まり、すぐに崩れて覆った。
御者が動こうとした。
ロアンは胸を押して止めた。
「無理だ」
「まだ――」
「できることはない」
御者の口が閉じる。
顔に浮かんだものを、ロアンは見なかった。
荷役二人が倒れた車両の反対側から這い出してくる。
一人は額から血を流していた。もう一人は右腕を押さえている。
黒髪の機械人形が、その二人の側へ回った。
片腕で一人を支え、硬い路面側へ押し出す。
人間より力はある。
だが、急かすようには扱わない。
荷役の足が砂へ取られるたび、立つ位置を変えていた。
「後ろへ送れ!」
ダリオが中央から走ってくる。
短槍を持ったまま、倒れた七番車と周囲を見た。
「負傷者は八番へ。荷は後だ」
七番車の下が動いている。
一度現れた頭部は、また砂へ潜った。
完全には離れていない。
倒れた車両の重さと、暴れたワトの振動を追っている。
後方から笛が鳴った。
ネリクが人を下げている。
八番車の御者が水樽を守ろうとして手綱を引いた。
「八番を右へ!」
ダリオが命じる。
「水は動かすな! 九番から後ろを止めろ!」
指示が飛ぶ。
御者と荷役が動く。
七番車は捨てるしかない。
だが、積荷のすべてを諦めるには早い。
硬い路面側へ転がった箱だけなら回収できる。
染料より先に、割れていない陶器より先に、負傷者を動かす。
その次に水。
薬。
補修材。
順番は決まっていた。
赤髪の機械人形が前方から走ってきた。
長杖の先には、暗い粘液が付いている。
「七番車の外側へ入れ!」
ダリオが指示した。
人形は速度を落とさない。
倒れた荷車を回り込み、砂の盛り上がりと硬い路面の間へ立った。
ロアンは棒剣を抜いた。
鞘から出た刀身に、砂が擦れる。
肩へ重さが掛かった。
砂の下を走る筋が、倒れた荷車の周囲を回った。
赤髪の機械人形が長杖を構える。
ロアンは反対側へ回る。
「出たら頭を上げさせろ」
ダリオが言った。
「下で動かれる方がまずい」
ロアンはうなずいた。
砂面が沈む。
次の瞬間、七番車の残骸の下から頭部が飛び出した。
荷台が持ち上がる。
木枠が割れ、積荷が宙へ散った。
赤髪の機械人形が踏み込む。
長杖を横から口へ差し入れた。
口を閉じさせないためだった。
両腕へ力が掛かる。
人形の足が砂へ沈む。
外殻の下で駆動音が高くなった。
ロアンはサンドワームの側面へ回ろうとした。
だが、頭部が振られる。
赤髪の機械人形の身体が浮いた。
杖を離さない。
サンドワームが首を捻る。
長杖ごと、人形の上半身が口の正面へ引き込まれた。
「離れろ!」
ダリオの声が飛ぶ。
人形は離れなかった。
命令が届かなかったのか。
杖を抜く時間がなかったのか。
顎が閉じた。
硬いものが砕ける音がした。
人間の骨とは違う。
陶器を厚い布の中で割ったような、短く鈍い音だった。
赤髪の機械人形の胸部が潰れた。
白い外殻が弾ける。
その下から黒い繊維束と金属フレームが露出した。
頭部が横へ振られ、身体が二つに折れる。
片腕が外れた。
長杖も曲がり、口の外へ弾かれた。
赤髪の機械人形は砂へ落ちた。
もう動けないことは状況から明白だった。
ロアンはその姿を追わない。
一歩入る。
棒剣を両手で持ち、サンドワームの側面へ叩き込んだ。
刀身の角が外皮へ食い込む。
浅い。
押し込めない。
サンドワームが頭を振る。
ロアンは棒剣を抜き、下がった。
ダリオの短槍が口の端へ入る。
穂先が滑り、外皮に傷を残す。
「硬い方へ寄せろ!」
ダリオが言う。
倒す必要はない。
砂から引き離し、硬い路面へ身体を出させれば、動きは鈍る。
だが、サンドワームは七番車の下へ潜ろうとしていた。
荷車の残骸が揺れる。
砂へ沈み始める。
「荷役を下げろ!」
ロアンは振り返った。
黒髪の機械人形が、最後の一人を硬い路面へ押し上げている。
額から血を流した荷役は、八番車の横まで退いていた。
もう一人がまだ近い。
右脚を引きずっている。
機械人形はその腰を支え、前へ運んでいた。
サンドワームが再び頭を上げる。
今度は赤髪の残骸ではなく、動いている人間へ向いた。
「そいつを先へ!」
ロアンが叫ぶ。
黒髪の機械人形が荷役を押し出す。
その間に、ロアンは倒れた車両の側へ移った。
七番車の御者がまだ残っている。
切れた牽引縄の近くに膝をつき、砂へ沈んだ荷物を見ていた。
「立て」
御者は反応しない。
ロアンは襟を掴んだ。
「行くぞ」
「帳面が」
御者が荷台の下を指した。
積荷の札と損失記録を入れた革鞄が、倒れた御者台の近くに挟まっている。
「後だ」
「商会の――」
「死ねば書けない」
ロアンは引き起こした。
御者の左脚がもつれた。
足首を傷めている。
走れない。
ロアンは御者の腕を肩へ回し、硬い路面側へ向きを変えた。
そのとき、足元が落ちた。
倒れた七番車の下に残っていた空洞が崩れた。
砂が流れ込む。
ロアンの右脚が膝近くまで沈んだ。
御者を路面側へと突き飛ばす。
硬い路面まで、あと十歩ほどある。
ネリクが駆け寄り、御者の手を引いた。
「連れていけ!」
ロアンは砂から脚を抜こうとした。
動かない。
足首の周囲へ砂が締まる。
棒剣を地面へ突き、支点にする。
その下から、音がした。
近い。
砂を押し分ける湿った音。
一度引いたように見えたサンドワームが、七番車の下を回っていた。
荷車の残骸が浮く。
ロアンは棒剣を抜こうとした。
砂に深く入っている。
右脚もまだ抜けない。
車体の下から、口が現れた。
近すぎた。
歯の並びが見える。
その奥に、赤髪の外殻片が挟まっていた。
ロアンは棒剣を手放さなかった。
身体を左へ捻る。
避けられる幅はない。
硬い路面へ飛ぶには、右脚を抜く必要がある。
間に合わない。
黒い影が横から入った。
黒髪の機械人形だった。
第七車両の外側から、砂を蹴ってくる。
長杖を両手で持っていた。
ロアンとサンドワームの間へ身体を入れる。
命令された位置を守っただけなのか。
危険に近い人間を優先したのか。
ロアンには分からなかった。
人形が長杖を突き出す。
先端が開いた口の奥へ入った。
両腕が伸びきる。
杖の石突きが人形の脇へ当たる。
サンドワームの頭部がわずかに止まった。
その一瞬で、ロアンは右脚を抜いた。
靴が砂の中へ残りかける。
身体を前へ倒し、棒剣を引き抜いた。
サンドワームが顎を閉じる。
長杖が軋んだ。
人形は手を離さない。再び顎を開いたサンドワームの重量に、杖ごと押された人形が後ろへ倒れる。
右脚を引こうとしたが遅かった。
顎の端が、膝下を挟んだ。
白い外殻が割れた。
細かな破片が砂へ散る。
その下の金属フレームが、圧力に耐えきれず折れ曲がる。
音がした。
乾いた木を折る音とも、鉄を曲げる音とも違った。
短く、硬い音だった。
右脚の膝下が失われた。
人形の身体が横へ倒れる。
長杖はサンドワームの口に挟まれたまま、中央から曲がっている。
隙ができた。
ロアンは踏み込んだ。
棒剣を両手で持ち上げる。
開いたままの口の脇。
赤髪の人形が潰されたときに割れた外皮。
ダリオの短槍が傷を残した口の端。
硬い外殻の継ぎ目。
そこへ先端を入れた。
棒剣が止まる。
浅い。
柄へ体重を掛ける。
一歩。
さらに押す。
刀身の角が内部へ食い込む。
サンドワームが頭を振った。
ロアンの両腕へ衝撃が返る。
手を離さない。
棒剣を捻る。
傷口が広がった。
暗い液体が噴き出す。
サンドワームが砂を撒き散らした。
頭部が持ち上がる。
ロアンの身体も引かれる。
足元を踏み直す。
硬い路面へ片足を置く。
もう一度柄を押し込むと、更に奥へと入っていった。
奥で何かが潰れた。
サンドワームの動きが止まる。
完全には止まらない。
頭部が痙攣し、口が開閉を繰り返す。
ロアンは棒剣を抜いた。
横へ跳ぶ。
サンドワームの身体が砂へ落ちた。
重い音がした。
周囲の砂が波のように崩れる。
しばらく、誰も近づかなかった。
ダリオが槍を構えたまま動きを見ている。
ベックが前方から戻り、弓を引いた。
ネリクは御者を八番車の陰へ運んでいた。
サンドワームはもう一度だけ頭を持ち上げようとした。
上がらなかった。
口の端から暗い液体が流れ、染料のこぼれた砂へ混じった。
「止まった」
ダリオが言った。
誰もすぐには武器を下ろさなかった。
ロアンは呼吸を整えた。
右肩が痛む。
左手の指が痺れている。
棒剣の先端には粘液と砂が固まっていた。
それらを確認してから、倒れた黒髪の機械人形を見た。
右脚は膝下からなくなっている。
砕けた白い外殻の下で、折れ曲がった金属フレームと暗い繊維束が残っている。細い配線が数本、砂の上へ垂れていた。
両腕は動いている。
人形は上体を起こそうとしていた。
ロアンは近づかなかった。
まず周囲を見る。
砂面に動きはない。
七番車。
横倒し。
ワトは失った。
負傷者は退避している。
赤髪の機械人形は動かない。
ダリオが短槍の先でサンドワームの口を押した。
反応はない。
「終わりだ」
その言葉で、ようやく護衛たちが動き始めた。
誰かが負傷者の名を呼ぶ。
荷役が水を持ってくる。
書記が震える手で帳面を開く。
ロアンは黒髪の機械人形へ目を戻した。
護衛用の機械が、護衛動作を行った。
人間が攻撃される位置へ入り、長杖で止めようとした。
その結果、右脚を失った。
それだけだった。
恩を受けたわけではない。
助けようと思ったとも限らない。
命令と、登録された役割に従っただけかもしれない。
それでも、自分とサンドワームの間へ入った位置は覚えていた。
長杖が口へ入った角度。
顎が閉じる直前、人形の右脚が引かれた方向。
白い外殻が砕けた音。
その一瞬がなければ、棒剣を抜く時間はなかった。
攻撃する場所へ踏み込むこともできなかった。
ロアンは棒剣を下ろした。
黒髪の機械人形が、淡い青白い目をこちらへ向けた。
何かを言う様子はなかった。
ロアンも何も言わなかった。
砂の上には、曲がった長杖が残っていた。




