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灰都の剣士と機械人形  作者: NOEU
2. 灯火の都
17/65

2-13. 検分と購入

「分からん」


ロアンがそう答えたあと、記録室には荷捌き場の音だけが残った。


閉じた木戸の向こうを台車が通り、金属を載せた車輪が石の継ぎ目を越える。低い振動が床から卓の脚へ伝わり、積まれた紙の端をわずかに震わせた。


ヴァルドは椅子へ座ったまま、ロアンを見ていた。


問いを聞き返すことも、笑うこともしなかった。


ロアン自身にも、それ以上の答えはなかった。


黒髪の機械人形が、現在のセルを使い切れば停止すること。そのあと検査され、両腕や左脚を外されること。


それを聞いたあとで、買えるのかと尋ねた。


その順序だけは確かだった。


ヴァルドは卓の上へ視線を落とし、契約書の角を揃えた。商会保管分の木箱へ収め、蓋を閉じてから、その上へしばらく手を置いた。


「売ること自体はできる」


やがて言った。


「もともと、停止すれば解体へ回す予定だった。現状のまま買う者がいるなら、商会にとっても手間は減る」


ロアンは扉から手を離した。


「ただし、俺の見立てだけで値は決められん。一度、技師に検分させる。どの部品が動き、どこまで損傷しているか。セルも含めて、現在の価値を出す」


「どれくらい掛かる」


「時間か、金額か」


「時間だ」


ヴァルドは荷捌き場の方へ目を向けた。


「技師が空いていれば、今日中に終わる。分解して内部まで見るわけではない。動作確認と、外からできる検査だけだ」


「内部は見ないのか」


「見れば値が上がる」


「なぜだ」


「開けるにも人が要る。閉じたあと正常に動く保証も要る。部品へするなら、いずれ解体するから構わん。だが、一体のまま渡すために分解し、また組み直すのは無駄だ」


ヴァルドは立ち上がった。


「外から分からない損傷は、分からないまま売る。動作保証もつけない。買ったあとで停止しても、返品は受けない」


「それでいい」


即答すると、ヴァルドが一度だけ目を細めた。


「まだ値も聞いていないぞ」


「検分してからだろう」


「ああ」


ヴァルドは扉を開けた。


渡り廊下へ出ると、荷捌き場の音が一気に近くなった。


午前より荷車は減っていたが、作業は続いている。第一倉庫の前では、人足が長い木箱を台車から降ろしていた。検査台には封を切られた荷が並び、書記が中身を帳面へ記している。


第二倉庫の扉は片側だけが開いていた。


内部から差す灯りは弱く、入口を数歩入ったところまでしか見えない。黒髪の機械人形の姿はなかった。


ヴァルドは第二倉庫の前へ立つ警備役へ声を掛けた。


「倉庫技師は中か」


「検査室におります」


「赤札をつけた黒髪の人形がいるだろう。護衛補助型だったか、それを現状売却の検分へ回す。倉庫番にも伝えろ」


警備役はヴァルドと、その後ろにいるロアンを見た。


「一体での売却ですか」


「そうだ。許可はこれから出す。先に検分を行う」


「承知しました」


警備役の一人が倉庫へ入っていく。


ヴァルドは近くの書記を呼び止め、短い指示を書いた木札を渡した。


「倉庫責任者へ。現状売却の査定を一件。買い手はロアン・ハルヴァ。検分後、価格をこちらへ回せ」


書記は札を読み、ロアンを一度見た。何も尋ねず、本館側の通路へ急いでいった。


新しい柄革が、肩の動きに合わせて背へ触れた。


胸当ての右脇には、昨日交換されたばかりの留め具がある。


黒髪の機械人形も、まだ動いていた。


右脚を失い、角材を当てただけの状態で歩いている。人足に蹴られて緩んだ布を、締め直したのも自分だった。


だから買うのか。


違う気がした。


金なら払える。


それだけでもなかった。


商会が解体を決めた理由は分かる。倉庫仕事なら人間を雇う方が安く、劣化したセルを充填してまで使う価値はない。


間違った判断ではなかった。


それでも、まだ動いている。


ロアンはそこから先を考えなかった。


「ここで待つのか」


「検査室へ入る。買うつもりなら、状態を自分で見ておけ」


ヴァルドは第二倉庫の扉へ向かった。


警備役が道を空ける。


倉庫へ入った瞬間、外より冷えた空気が肌へ触れた。


厚い石壁と高い天井のため、昼の熱が中まで入り込んでいない。柱や棚の脇へ固定された白い灯りだけが、狭い範囲を照らしている。光の届かない棚の間には、深い影が残っていた。


第一倉庫より静かだった。


人の声は低く、荷を置くときも床へ投げる者はいない。金属箱、セルを収めた容器、布で何重にも包まれた部品が、種類ごとに棚へ並べられていた。


すべてに札がついている。


回収地。


持ち込んだ者。


動作確認の有無。


用途。


危険性。


外から中身の分からない箱にも、赤や黄の印が記されていた。


右手には、金属格子で区切られたセルの保管区画があった。二人の作業員が長い器具を使い、充填前後のセルを一本ずつ移している。


ヴァルドはそこを通り過ぎ、倉庫の奥へ向かった。


最奥の壁には、通常の保管扉より低い鉄扉が三つ並んでいる。中央の扉の上には、検分を示す白い札が掛けられていた。


中から出てきたのは、灰色の作業着を着た男だった。


五十を越えているように見える。額から右のこめかみにかけて古い火傷の跡があり、腰には大小の工具を収めた革帯を巻いていた。


「何だ」


男はヴァルドを見た。


「予定にない検分を入れるな。夕方までに四十型セルを二本見なきゃならん」


「長くは取らせない。右脚膝下を失った機械人形だ」


「何を目的とした検分だ」


「一体のまま買いたい者がいる」


技師はロアンへ視線を移した。


背負った棒剣。


胸当て。


外套の下から覗く黒い染み。


最後に顔を見て、ヴァルドへ戻る。


「現状でか」


「ああ」


「物好きだな」


ロアンは答えなかった。


技師も返事を求めていなかった。


「商会用と売却用で記録を二通作る。今の状態を見て判断してもらう。動作保証はしない」


ヴァルドの最後の言葉はロアンに向けられたものだった。


「分かっている」


技師はロアンを見た。


「聞いたことと、分かったことは同じじゃない。今日動いても、明日動くとは限らん。開けずに見るなら、内部の割れも断線も、制御部の損傷も分からない」


「ああ」


「返品も修理も、商会へ持ち込めると思うな」


「分かった」


「なら入れ」


技師は鉄扉を押し開けた。


検査室は、記録室より広かった。


中央の石床へ白い線が引かれ、壁際には高さの異なる台と椅子、工具棚、金属机が並んでいる。奥には大小の印と色の違う石片を貼りつけた黒い板があり、反対側の壁には小さな鐘や金属板が吊られていた。


「そこへ立て」


技師は、まだ誰もいない入口へ向かって言った。


少し遅れて、木の先が床を打つ音が近づいてきた。


黒髪の機械人形が、倉庫番とともに現れた。


両腕には何も持っていない。


作業を中断させられたためか、衣服と裂けた右肘に細かな埃がついている。肩より少し長い髪も乾いた空気を含み、毛先が作業着の襟へ触れていた。


右脚の仮脚には、ロアンが巻き直した布が残っている。


緩みはなかった。


左脚を前へ出し、仮脚を引き寄せる。歩みは遅いが、身体は大きく揺れなかった。


機械人形は検査室の入口でヴァルドを見た。


次に技師。


最後にロアンへ目を向けた。


表情は変わらない。


「検分を行う。指示に従え」


「はい」


人形は白い線の中央へ進んだ。


「向こうまで歩いて戻れ。普段どおりでいい」


「承知しました」


左足が前へ出る。


腰が移動し、遅れて仮脚の先が床へ下りた。


硬い音が検査室へ響いた。


人形は線の端まで進み、左脚を軸に身体の向きを変えた。仮脚を浮かせて置き直す動作には時間が掛かるが、途中で姿勢を崩すことはない。


同じ速度で戻ってきたところで、技師が手を上げた。


「止まれ。足を揃えろ」


人形は左足の隣へ仮脚を置いた。


技師は右膝の前へしゃがみ、作業着の裾を上げた。


人工皮膚の裂けた縁は固まり、その下から白い外殻と金属フレームが露出している。外殻は割れ、断面の一部が細かく砕けていた。


残ったフレームには窪みと張り出しがあり、角材はその形へ合わせて削られている。


技師は布の巻き方を確かめ、角材へ上下左右の力を掛けた。


動かなかった。


「これをつけたのは」


ヴァルドがロアンを顎で示した。


技師は角材をもう一度見た。


「工房の人間か」


「違う。荷車の補修材を削っただけだ」


「刃物だけでか」


「ああ」


技師は角材の上部を指でなぞった。


フレームへ当たる面だけが削られ、下側には太さが残されている。先端には、旅の途中で当てた革片も残っていた。


「見た目よりまともだ」


褒める調子ではなかった。


検査した結果を、そのまま口にしているだけだった。


「固定は安定している。残った膝関節も動く。角材には駆動がないから、歩行は腰と残る脚で補っている」


技師は人形の左側へ回った。


左足へ体重を掛けさせ、踵とつま先を順に上げさせる。膝を曲げ伸ばしさせたあと、腰の外側へ細い金属棒を当てた。


「動作抵抗は」


「ありません」


「右脚を失う前と比べて、左脚か腰に負荷は」


「多少あるかもしれません」


精密な機械という想像とは裏腹に、返答はぼんやりとしていた。技師は器具の印を見た。


「左脚と腰に明確な異常はない。姿勢を戻す制御が増えているぶん、電力は余計に使う」


ヴァルドが訊いた。


「このまま歩かせられるか」


「歩行自体は続けられる。速くはならんがな」


技師は椅子を示した。


「座れ」


人形がゆっくり腰を下ろし、仮脚を前へ伸ばした。


両腕を上げさせ、肩、肘、手首を順に動かす。左右の手で細い金属輪をつまませ、棒へ通させたあと、握力を測る器具を持たせた。


「両腕と手指、正常範囲。目立つ反応遅延なし」


右肘の裂けた人工皮膚へ灯りを寄せる。


技師は肘を曲げ伸ばしさせ、露出した外殻を指で押した。


「ここは表面の擦過傷だ。関節には影響していない」


前腕や肩口にも、旅と倉庫作業で増えた傷があった。左膝の外側には古い損傷痕が残り、脇腹の人工皮膚も一部が剥がれている。


技師は灯りを動かしながら、外殻を金属棒で軽く叩いた。


場所によって音が違った。


「人工皮膚は、商品外観として値をつけられる状態じゃない。外殻も腕と脇腹に亀裂がある」


「内部まで割れているのか」


ロアンが尋ねた。


「開けなければ分からん。外殻だけで止まっているかもしれない。内側の固定部へ届いているかもしれない」


「動作には出ていない」


「今はな」


技師は立ち上がった。


「脚を失うほどの衝撃が右側へ入っている。歩けて腕が動き、話せるからといって、内部まで無傷とは言えない」


機械人形は椅子へ座り、両手を膝へ置いていた。


右の仮脚だけが前へ伸びている。


黒髪の隙間から、淡く青白い目が技師の動きを追っていた。


「目と耳を見る」


技師は椅子を黒い板の正面へ向けた。


明るさを変えながら、大小の印と色の違う石片を示す。人形はそれぞれの色と位置を答え、視線は技師の動きへ遅れずついていった。


続いて、左右と背後で小さな鐘や金属板を鳴らす。


人形は正しい方向へ顔を向けた。


「視覚、聴覚とも正常範囲。距離と音の位置に大きな誤認なし」


技師は正面へ戻った。


「登録名を」


「リゼです」


ロアンは顔を上げた。


特別な調子で告げられたわけではなかった。


検分項目の一つへ答えただけだった。


技師は紙へ記す。


登録名、リゼ。


ロアンは初めて、黒髪の機械人形に呼ぶための名があることを知った。


商隊に同行していたあいだ、その名を聞いた覚えはない。


人足も御者もヴァルドも、黒髪の方、壊れた方、人形と呼んでいた。


ロアンも同じだった。


砂海で角材を固定したときも、名前を訊かなかった。


「所属識別」


「エゼル商会。ベルグラート第二倉庫管理下です」


「現在の作業」


「倉庫内運搬です」


短い文章を読み上げさせても、声や言葉の間に異常はなかった。


「発声も正常範囲」


技師は記録へ印を入れた。


「次はセルだ。自分で外せるか」


「はい」


リゼは服の左側の裾をめくり、腰にある交換口の留め具を外す。


技師が砂時計を置く。


「保持電源へ移れ」


リゼの目の光が一瞬弱くなり、すぐに安定した。


内部の固定が外れる音がした。左手を腰の左側にあるつまみに持っていき引っ掛けるようにして、セルが引き出された。


十二型セルは角の落ちた六角柱状をしていた。かつては灰白色だった外装の大半が黒ずみ、暗い斑点と筋が内側から浮いている。


汚れではない。


黒化していた。


技師はセルを検査具へ載せ、複数の端子を接続した。


針が動く。


「残量は少ない。倉庫作業を続ければ、今日か明日には保護停止へ入っていただろう」


「俺の見積もりと同じだな」


ヴァルドが言った。


「残量だけならな」


技師は別のつまみを回した。


セルの内部から低い音が生じ、針が大きく振れてから戻る。


「十二型。黒化。実効容量は新品時の三割前後。最大出力も落ちている」


「充填はできるか」


ロアンが尋ねた。


「今まではできている。次もできるとは言わん。黒化セルは充填時に熱を持つ。内部の劣化が進めば、充填所に断られることもある」


「満たしたら、どれくらい動く」


技師はリゼを見た。


「この脚なら、待機だけで二十日前後。軽い仕事をさせて九日から十五日。街道を歩かせるなら、休憩を入れて七日から十日だ」


「前回はそれ以上歩いている」


「途中で替えている」


ヴァルドが答えた。


「ナディルで商隊へ加わったあと、シャルガとダハムで交換した。ベルグラートへ着いたあとも、倉庫用の黒化セルへ替えている」


技師は続けた。


「荷を持たせるか、長時間歩かせれば短くなる。戦闘のような高出力は当てにするな。途中で出力が落ちるか、保護停止する可能性がある」


「残りの寿命は」


「分からん」


技師は明確に言った。


「次の充填で使えなくなるかもしれん。十回使えるかもしれん。値をつけるなら、黒化セルとして最低限の価値だけだ」


主セルを外してから数分が経っていた。


リゼは椅子へ座ったまま、目と耳を保ち、技師の動きを追っている。


技師は右腕を上げさせ、片方の指を動かさせた。


動作は主セル使用時より遅いが、指示には従った。


「保持電源も生きている。十分前後。交換には足りる。保持電源中は歩けず、重い物も持てない。時間を越えれば順番に機能を落として休止する」


「休止したら」


「記憶は残る。ただ、自分ではセルを戻せない。他人が入れるまで、そのままだ」


技師は検査具からセルを外し、リゼへ渡した。


「戻せ」


「はい」


リゼはセルの向きを合わせ、交換口へ差し込んだ。固定を閉じると、目の青白い光が元の明るさへ戻る。


蓋と作業着を元へ戻すまで、一連の動作に迷いはなかった。


「自己交換は正常」


技師は記録へ印を入れた。


そのあと、首の付け根、肩、胸部、脇腹、腰を外から調べた。リゼへ腕と腰を動かさせ、内部の駆動音を聞く。


ロアンには違いが分からなかった。


技師は右腰で同じ動きを何度か繰り返させた。


「歩行時、右腰に小さな摩擦音がある」


「故障か」


「故障とまでは言えない。仮脚を運ぶため、通常より腰を使っている音かもしれん。衝撃で内部の部品が歪んだ可能性もある」


「すぐ直す必要は」


「今すぐ停止させる音ではない。だが、保証はできない」


技師は金属棒を机へ置いた。


「思考と制御に明らかな異常は見えない。指示も理解している。姿勢制御も、右脚がない状態へ合わせて動いている」


「内部の損傷はないのか」


技師はロアンを見た。


「分からん」


ロアンが聞きたかったかもしれない答えを、先に断つような言い方だった。


「外から確認できる範囲では、致命的な異常はない。左脚も両腕も動く。目も耳も声も正常。セル交換もできる。保持電源も残っている」


技師はリゼの右脚を示した。


「だが、これだけの損傷を受けている。内部の線が切れかけているかもしれない。固定具に亀裂があるかもしれない。制御部が衝撃を受け、今は動いていても後から止まるかもしれない」


「調べるには」


「全部開ける」


「費用は」


「安い機械人形を一体買えるほど掛かることもある」


ヴァルドが言った。


「だから、商会はやらない」


技師は記録紙を机へ置いた。


「検分はここまでだ。立て」


リゼは椅子から立ち上がった。


左脚へ体重を移し、仮脚を床へ置く。


検査室の中央へ立った姿は、検分前と変わらなかった。


技師は記録を読み返した。


「右脚膝下欠損。角材による代用。固定良好。歩行は遅いが、現在は安定」


次の欄へ進む。


「左脚と腰に明確な異常なし。仮脚歩行に伴い、姿勢制御動作と電力消費が増加。両腕、手指、視覚、聴覚、発声は正常範囲」


さらに続ける。


「人工皮膚は多数損傷。外観上の価値はほぼない。外殻に複数の亀裂。内部損傷の可能性は除外できない」


セルの欄。


「十二型黒化セル一本。現在残量少。実効容量は新品時のおよそ三割。高出力動作と次回以降の充填は保証不能。保持電源はおよそ十分。自己交換可能。街道移動は、満充填時に七日から十日を目安。ただし地形、荷重、歩行時間によって短くなる」


技師は紙の下へ署名した。


「これで査定を出す」


「いくらになる」


技師は棚から別の帳面を取り出した。


部品ごとの最近の売却額と在庫数が記されているらしい。


「一体として正常に売る値じゃない。解体した場合に使えると見込める部品の値から、解体、検査、保管、売却の手間を引く」


両腕と手指。


左脚。


視覚と聴覚に関わる部品。


内部の駆動部と制御補助部品。


外殻と残ったフレーム。


そこから、解体と選別に掛かる人件費、ほかの機体へ適合するか調べる費用、売れるまでの保管費、内部損傷が見つかる可能性を差し引く。


技師が数字を書いた。


「本体は二百」


「セルは」


「四十」


ヴァルドが計算を確かめた。


「合計、二百四十クレド」


ロアンはリゼを見た。


二百四十。


今回の商隊護衛で得た報酬に近い。


一月を費やし、棒剣と胸当てを傷め、右肩を痛めて得た金だった。


安いとは思わなかった。


高すぎるとも思わなかった。


ヴァルドが検分記録を受け取る。


「商会が解体して得ると見込む正味額と変わらない。値引きではない」


「ああ」


「一体のまま渡せば、部品を外し、買い手を探し、在庫へ置いておく手間がなくなる。その分を含めた値だ」


「分かった」


技師は帳面を閉じた。


「これ以上、俺から言うことはない」


ヴァルドは検査室の扉を開け、外の警備役へ書記を呼ぶよう命じた。


待つあいだ、リゼは白い線の中央に立っていた。


検分が終わったからといって、倉庫作業へ戻るよう命じられたわけではない。


両腕を身体の横へ下ろし、ロアンとヴァルドの間へ視線を置いている。


自分につけられた価格を理解しているのか。


どう受け取っているのか。


ロアンには分からなかった。


顔には何も表れていない。


それは機械人形だからというだけではなかった。人間であっても、何を考えているか分からない者はいくらでもいる。


足音が近づき、契約と精算を担当する痩せた書記が検査室へ入ってきた。


手には売却用の帳面と数枚の紙がある。


「現状売却の許可が下りました」


倉庫責任者の署名と印がついた紙をヴァルドへ渡す。


ヴァルドは技師の検分記録を添えた。


「買い手はロアン・ハルヴァ。売却額は二百四十クレド。機体一体と、現在装着中の十二型セル一本を含む」


書記が記入する。


「支払い方法は」


「商会の預かり金から払う」


ロアンが答えた。


エゼル商会の預かり勘定には、今回入れた二百三十二クレドのほかに、以前の仕事で残した分があった。


書記はロアンの名義を確認し、別の帳面を開く。


二百四十を差し引き、残高を示した。


「こちらで間違いありませんか」


「ああ」


書記が印を押す。


硬貨を積むことはなかった。


帳簿の一方から数字が減り、売却欄へ同じ額が移る。それで支払いは終わった。


次に売却条件が読み上げられた。


現状のまま引き渡す。


動作保証なし。


内部損傷について保証なし。


セルの容量、出力、充填成功について保証なし。


購入後の故障、停止、部品破損について、商会は責任を負わない。


返品不可。


買い戻しの義務なし。


ロアンは一項ずつ聞いた。


書記が紙を回す。


売却対象の記録が記されていた。


防護・護衛補助型機械人形、一体。


登録名、リゼ。


右脚膝下欠損。


十二型黒化セル一本を装着。


作業着一式。


角材による仮脚を含む。


ロアンは登録名の文字をもう一度見た。


リゼ。


技師の問いへ、本人がそう答えた名だった。


紙の末尾へ署名する。


ヴァルドが担当者として名を書き、倉庫責任者、技師、エゼル商会の印が順に押された。


最後に書記が細い木札を二枚取り出した。


一枚は商会へ残す。


もう一枚は購入者へ渡す所有証だった。


表にはエゼル商会の印。裏には登録名、売却日、購入者の名が記されている。


「これで売却手続きは完了です」


ロアンは札を受け取り、腰袋へ入れた。


ヴァルドがリゼへ向き直った。


「エゼル商会の管理を外れる。いまから、おまえの所有者はロアン・ハルヴァだ」


リゼはロアンを見た。


淡く青白い目が、正面から彼の顔へ向けられる。


砂海で仮脚をつけたときにも、同じ目で見られた。


いまは白い検査灯の下にいる。


裂けた右肘。


外殻の亀裂。


布を巻いた角材。


何一つ直ってはいなかった。


違うのは、商会の帳簿からロアンの所有証へ、名が移ったことだけだった。


リゼは数秒、ロアンを見ていた。


それから、わずかに頭を下げた。


「かしこまりました」


声に喜びも、拒絶もなかった。


ヴァルドは検分記録をまとめ、書記へ渡した。


「写しを一通、ロアンへ」


書記はうなずき、検査室を出ていく。


技師はすでに工具を片づけ始めていた。


「セルは早めに扱う店へ持っていけ」


器具を戻しながら言う。


「この残量なら、宿まで歩く程度にしておけ。遠くへ連れ出すな」


「ああ」


「充填するなら低速だ。状態によっては断られる」


「交換用のセルは」


「買える。良いものは、人形本体より高い」


「黒化なら」


「安いが、同じ問題を抱える。どれを選ぶかは、どこまで使うつもりか決めてからにしろ」


どこまで使うのか。


ロアンには、まだ答えがなかった。


技師はリゼの仮脚へ目を向けた。


「右脚の布は毎日見ろ。ずれたまま歩かせれば、残ったフレームが歪む」


「ああ」


「人工皮膚の裂け目と外殻の亀裂へ、砂と水を入れるな。すぐ止まるものではないが、良くもならん」


ロアンは聞いたことを覚えた。


ヴァルドは記録室へ戻るため、扉へ向かった。


途中で足を止める。


「本当に買ったな」


「ああ」


「理由はまだ分からないか」


ロアンは答えなかった。


分からないままだった。


ヴァルドも、それ以上聞かなかった。


「商会の仕事は明後日の顔合わせからだ」


リゼを見る。


「これを連れていくつもりなら、そのとき連れてこい。先にラウルへ話を通す」


「まだ決めていない」


「なら、決めてからだ」


ヴァルドが検査室を出た。


ロアンとリゼが残った。


技師は次の検査の準備を始めている。机へ別の器具を出し、セルを調べた端子を布で拭っていた。


「そこに立っていられると邪魔だ」


ロアンは入口へ向かった。


数歩進んでから、背後の足音がないことに気づく。


振り返る。


リゼは白い線の中央へ立ったままだった。


命じられていないため、動いていない。


名前を知ったからといって、何と言えばいいのか急に分かるわけではなかった。


商会の者なら、倉庫へ戻れと言う。


人足なら、荷を持てと命じる。


所有者になった者が、最初に何を言うべきなのか。


ロアンは考えたことがなかった。


技師が工具を置く音がした。


ロアンは扉の外を示した。


「来い」


「はい」


リゼが歩き出した。


左脚と仮脚の音が交互に白い床へ響く。


ロアンのところまで来ると、二人で第二倉庫の通路へ出た。


作業員たちは、脇を通る黒髪の機械人形を見た。売られたことを知らない者もいるのだろう。いつもの作業場所へ戻ると思ったのか、声を掛ける者はいなかった。


少し遅れて出てきた書記が、倉庫番へ売却札を渡した。


倉庫番は内容を読み、リゼを見る。


「もう荷を運ばせなくていいのか」


「商会の管理から外れました」


倉庫番は短くうなずき、手元の作業札から一枚を抜いた。


それだけだった。


リゼが運ぶ予定だった荷は、近くにいた人足へ回される。


第二倉庫は何事もなかったように作業を続けた。


ロアンは入口へ向かった。


その後ろを、リゼが仮脚の音を立ててついてくる。


外へ出ると、荷捌き場へ午後の光が差していた。


高い建物に囲まれた敷地の中央だけが明るい。第一倉庫の前では荷の積み替えが続き、整備場からは木槌の音が聞こえている。


四日前、リゼが押され、蹴られた場所を通った。


そこには別の台車が止まっていた。


床には何も残っていない。


ロアンは歩く速度を落とした。


振り返らなくても、仮脚の音でリゼとの距離が分かった。


自分の歩幅のまま進めば、少しずつ離れる。


二つの足音が遅れれば、立ち止まる。


荷捌き場の出口へ着くまで、ロアンは普段より短い歩幅で歩いた。


受付の広間を通る。


正面扉の前で、書記が検分記録の写しを持って追いついた。


「こちらをお持ちください」


ロアンは紙を受け取り、折らずに上着の内側へ入れた。


「商会の印は所有証にあります。都市を出る際に確認される場合がありますので、なくさないようにしてください」


「ああ」


扉が開く。


ベルグラートの大通りが見えた。


荷車。


露店。


商会の使い。


歩く者。


白い街灯の柱。


ロアンは外へ出た。


リゼも続く。


背後で商館の扉が閉じた。


ロアンは通りの端で足を止めた。


これから向かう場所は決まっている。


技師に言われたとおり、まずセルを扱う店へ行く。


その先のことは、まだ何も決まっていなかった。


隣では、リゼが仮脚を床へ置き、静かに立っている。


ロアンは初めて、その名を口にした。


「リゼ」


淡く青白い目が、彼へ向いた。


「はい」


それだけを確かめ、ロアンは南商業区の方角へ歩き出した。

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