2-12. 最終行程の確認
継暦六百二十七年 六月七日
翌日の昼前、ロアンは宿を出た。
朝は宿でパンと煮汁を食べている。昼食は、商館から戻ってから取ればいい。
棒剣を背負い、胸当てを身につけていた。新しい留め具は動かず、歩いても縫い直した脇へ不自然な力は掛からない。右胸から脇へ残った黒い染みは半分ほどが外套の下へ隠れていたが、隠すために外套を着ているわけではなかった。
右肩は、昨日よりわずかに重かった。工房で棒剣を振った影響だろう。
日常の動作に支障はない。出発までにはまだ数日あるため、そのあいだ、必要もないのに振らなければよかった。
エゼル商会へ着き、受付で名を告げると、書記は札を確かめ、今日は荷捌き場へ回さずに奥の通路を示した。
「ヴァルドとラウルが、記録室でお待ちです」
ロアンは渡り廊下を進んだ。
荷捌き場からは、荷車を整備する音が聞こえてくる。木槌が車輪を打ち、御者が車軸の状態を確認していた。第二倉庫の扉も開いていたが、ロアンは中を見ず、その前を通り過ぎた。
最奥の記録室へ入ると、卓の上に地図と数種類の書類が広げられていた。ヴァルドは前回と同じ側に座り、ラウルはその向かいで積荷の一覧を確認している。
ロアンが入ると、ラウルは紙を揃えた。
ヴァルドが、護衛五人の名と経歴を記した書類を差し出す。
カイム、レナート、ガレス、ミラ、ティナ。
二人は商会との継続契約者で、残る三人はギルドを通して雇われていた。
ロアンは、それぞれの武器、都市間護衛の回数、負傷歴を確認した。砂海を越えた経験がない者は一人だけで、そのことも隠さず記録されている。
ダリオとベックにも声を掛けたらしいが、二人とも日程の合う別便を取っていた。
名前と経歴は分かった。顔や身体の動かし方、指示への反応は、明後日の顔合わせで見ればよい。
「最終の行程表ができた」
ラウルが一枚目の紙を差し出した。
ロアンは卓の脇へ立ったまま受け取る。
行程には、前日に決めた条件が反映されていた。沈み道は使わず、白塔から北側岩盤路へ入り、砂路衆の案内人をつける。途中の貯水設備は補給地点として数えず、シャルガで、白塔を経てナディルへ届くまでの水を積む。
標杭の確認や砂地の通過に時間が掛かった場合に備え、二日までの遅れも見込まれていた。橋は明るいうちに渡り、ナディルで充填待ちが出る可能性も行程へ含まれている。
経路そのものについて、もう説明を聞く必要はなかった。
「水と荷は」
ロアンが尋ねると、ラウルは別の紙を出した。
「出発時に水樽を二つ増やす。シャルガでは、ナディルへ着くまでに必要な量へ積み増す」
「予備車両の空きは」
「六割を残した」
「何を下ろした」
「セルを二箱。精密工具を一箱だ。次の便へ回す」
医薬品と浄水設備の部品は減らしておらず、密閉材も数量はそのままだった。ただし、一台へまとめず、複数の荷車へ分けられている。書類も二つの箱へ分散され、一台を失っても、同じ種類の重要な荷をすべて失わないようにしてあった。
予備車両には、水、補修材、交換用の車輪と車軸を積む。それでも、負傷者を横たえ、故障した車両から荷を移せるだけの空間が残されていた。
ロアンは一覧へ目を通した。
「これならいい」
紙を卓へ戻すと、ヴァルドが一枚の木札を差し出した。
砂路衆の案内人との契約だった。
名は、ロアンが隊商宿で話を聞いた男のものになっている。白塔からナディルまで同行し、標杭と通過地点について助言する。食事と水は商隊が負担する。
現地の状況が、契約時に知らされていたものを大きく超えていた場合、案内人は引き返しを提案できる。ただし、隊列を進めるか止めるかの最終判断は、護衛責任者が行う。
「報酬は」
ロアンが尋ねると、ヴァルドは札の下部を指した。
金額は妥当で、必要な条件も揃っていた。
「問題ない」
ロアンは札を返した。
ヴァルドは卓の端に置いていた金属皿を、ロアンの前へ押した。三日間の調査手当と、記録の閲覧料、砂路衆へ出した酒代が入っている。
ロアンは依頼書の控えと金額を照らし合わせた。事前に決めた上限を超えてはいない。
「確認した」
硬貨を腰袋へ入れる。
最後に、ヴァルドが護衛契約書を広げた。
依頼主はエゼル商会。目的地はエルデン。商隊責任者はラウルで、護衛責任者はロアン・ハルヴァ。護衛は六人。荷車五台と予備車両一台を使い、北側岩盤路を通る。
基本報酬、護衛責任者としての加算、危険手当、予定日数を超えた場合の追加日当も記されていた。
商隊の停止、撤退、隊列の分割、戦闘については、護衛責任者の判断を優先する。積荷の放棄は原則として商隊責任者と協議するが、その時間がなく、人員へ差し迫った危険がある場合は、護衛責任者の判断で荷を捨てることができる。
事前に確認した権限が、文面へ明記されていた。
ロアンは一項ずつ読んだ。
「予定より遅れて、宿駅を変更した場合の費用は」
「商会が負担する」
ラウルが答えた。
「案内人が引き返しを提案し、俺が進めると判断した場合は」
「最終判断はおまえだ。ただし、案内人の意見は記録へ残す」
「荷を捨てる順番は」
ラウルは別紙を出した。
医薬品、浄水設備の部品、密閉材、書類、精密工具、セル。
保全する優先順位と、放棄する場合の基準が記されている。現場の状況によって変える必要はあるが、何も決めずに出るよりはよかった。
「いい」
ロアンは契約書へ名を書いた。
ヴァルドが商会の担当者として署名し、ラウルも商隊責任者の欄へ名を入れる。最後に、エゼル商会の印が押された。
契約書は同じ内容で三通作られ、一通は商会、一通はギルドへ送られ、残る一通をロアンが受け取った。
「護衛の顔合わせは明後日の朝だ」
ヴァルドが言った。
「東の車両整備場で行う。荷車も一度動かす」
「ああ」
「肩はどうだ」
「動く」
ラウルが、ロアンの背にある棒剣を見た。
「振れるのか」
「必要なら」
ヴァルドは書類を揃えながら言った。
「必要になる前に確かめておけ。ただし、壊すな」
「剣をか」
「おまえをだ」
バルトと同じことを言われた。
ロアンは契約書を折り、上着の内側へ入れた。
行程、水と積荷、案内人、護衛の人員、報酬、現場での権限。確認するべきことは、すべて終わった。
ラウルは積荷の一覧を持って立ち上がった。
「俺は荷札を直してくる」
ヴァルドがうなずく。
ラウルはロアンへ短く頭を下げ、記録室を出た。
扉が閉まると、ヴァルドは商会保管分の契約書を木箱へ入れ、蓋を閉じた。
ロアンも帰ろうとした。
扉へ向かい、手を掛ける。
明後日の朝まで、商会へ来る用事はない。そのまま扉を開き、宿へ戻ることができた。
だが、ロアンは足を止めた。
「もう一つある」
ヴァルドが顔を上げた。
「何だ」
ロアンは振り返った。
「あの人形は、買えるのか」
ヴァルドの手が止まった。
すぐには答えず、ロアンの顔を見たあと、記録室の外――第二倉庫がある方角へ視線を向ける。
「あの黒髪の人形か」
「ああ」
「部品が欲しいのか」
「違う」
「腕か、目か」
「違う」
「セルが欲しいのか」
「違う」
ヴァルドは椅子へ座り直した。
「一体のまま欲しいということか」
「ああ」
「修理するつもりか」
ロアンは答えなかった。
「脚だけでも安くはない。部品を探し、適合を調べ、取りつけたあとで全身を調整する必要がある。脚以外にも故障が見つかるかもしれん」
「ああ」
「それでも直すのか」
「決めていない」
「転売か」
「しない」
「分解して部品を使うわけでもない。セルが欲しいわけでもなく、転売もしない」
ヴァルドは、一つずつ確かめた。
「何に使う」
ロアンには答えがなかった。
荷を運ばせるための倉庫など持っていない。護衛として役に立つかもと思うわけでもなく、どこかで働かせることも考えていなかった。
脚を直せるのかも知らない。修理にどれほどの金が掛かり、どこへ持ち込めばよいのかも分からない。
買ったあと、どうするのか。
そこまで考えてはいなかった。
ヴァルドは返事を待った。
「では、なぜ買う」
ロアンは言った。
「分からん」




