2-9. 経路調査
継暦六百二十七年 六月四日
調査を始める朝、ロアンは旅袋から二枚の預かり札を取り出した。
棒剣はその日の夕方、胸当ては翌日の午後に仕上がる予定になっている。日付を確かめたあと、札を元の場所へ戻した。
完成した日に受け取らなければならないわけではない。工房へ置かれているかぎり、宿の部屋へ放置しておくより保管も確かだった。受け取りに行けば、棒剣は柄の締まりと重心を確かめ、胸当ては身体へ合わせて留め具を調整することになる。大きな手間ではないが、工房区は今日回る場所とは反対側にあった。
先に済ませるべき仕事がある。
ロアンはヴァルドから受け取った調査依頼の紙を上着へ入れ、部屋を出た。
帳場へ寄ると、ロームが宿帳を開いていた。
「延ばす」
「何日までだ」
「六月十二日の朝まで」
ロームは日を数え、追加の宿代を告げた。ロアンはその場で支払い、朝食も宿で済ませた。パンを煮汁へ浸し、水を一杯飲んだだけだったが、記録室で昼まで過ごすには足りる。
最初に向かったのは、ベルグラートのギルド支部だった。
街道報告を保管する部屋は、依頼受付よりさらに奥にある。窓の少ない細長い室内へ棚が並び、区間と日付ごとにまとめられた紙や木札が収められていた。
ロアンは閲覧料を払い、沈み道と北側岩盤路に関する記録を出させた。
書記が運んできた報告には、徒歩の旅人、騎乗した使者、軽荷の荷車二台、十台を超える商隊と、条件の異なるものが混じっている。同じ場所を通った記録でも、人数、車両数、荷の重さが違えば、そのまま比べることはできない。
ロアンは日付の新しいものから読み、報告者、通過日、車両数、積載状況を脇の紙へ書き移した。
六月二日にベルグラートへ戻った小商隊は、二十日ほど前に沈み道の西側で引き返している。荷車は三台。砂が車軸の下まで達する区間があり、先頭車を引き戻すためにワトを二頭追加していた。標杭は四本続けて上部しか見えず、その先では完全に砂へ埋まっている。
サンドワームそのものは確認していない。ただし、荷車より幅のある新しい移動痕が二か所あった。別の報告には、沈み道の南側へ寄った夜、地面の下を何かが移動する振動を感じたとある。
北側岩盤路について、最も新しいまとまった報告は十八日前だった。
荷車二台の軽い隊で、標杭の三割ほどが倒れている。岩盤から砂地へ下りる地点を一度間違え、戻るために半刻近く使っていた。途中の貯水設備は開けられたが、水は底に近く、二台の荷車と十人が十分に補給できる量ではなかった。
その先の区間についても、必要な情報を拾った。
白塔から東の小橋は通行可能。ただし片側の欄板が外れており、暗い時間に大型車両を通すのは避けた方がよい。白塔の充填設備は一型までで、十二型には対応していない。ナディルでは十二型を扱えるが、二基のうち一基が停止しているため、商隊が重なれば待つことになる。
ロアンは、記録に書かれた事実と、報告者の判断を分けた。
危険だった、通るべきではない。そうした言葉だけでは、経路を決める材料にならない。
何台で通ったのか。どれだけの荷を積んでいたのか。どこまで進み、何を見て引き返したのか。いつの報告か。
必要なのは、そちらだった。
昼を過ぎるまで記録を読み、東門外の隊商宿へ向かった。
途中の露店で焼いた根菜を紙へ包んでもらい、歩きながら食べる。包みは東門の手前で捨てた。
門の外には、市内へ入る前の荷車や、翌朝の出発を待つ小商隊が集まっている。厩、修理場、飼料置き場、安い宿が並び、昼でも人とワトの声が途切れなかった。
ヴァルドの紹介状を見せると、宿の主人は砂路衆が使っている奥の卓を教えた。
そこには三人いた。
ロアンは薄い酒を三杯頼み、卓へ置いた。二人は北側岩盤路を知っていたが、最近通ったのは一人だけだった。
「標杭は」
「使えないわけじゃない」
男は杯を取った。
「ただ、砂へ下りる場所を示す杭が二本倒れてる。日が高ければ岩の形で分かるが、曇りや砂風の中なら見落とす」
途中の貯水設備については、ギルドの報告と同じだった。水は残っているが、底に近く、次の補充日も決まっていない。
「五台に予備一台なら、あれを水場として数えるな」
男は言った。
「残っていれば、積んだ水を使わずに済む。そのくらいに考えろ」
「案内人は出せるか」
「日が合えば一人。二人欲しいなら、ほかの隊を崩す」
「出発は六月十二日だ」
男は指を折って日を数えた。
「それなら一人出せる。名を回しておく」
「一人でいい。商会から契約できるようにしてくれ」
「話は通しておく」
ロアンは紹介状の裏へ男の名を書かせた。
沈み道について尋ねると、最年長の男が首を振った。
「今は入らん方がいい」
「砂が深いからか」
「深さが定まってないからだ」
風が続き、旧舗装の上へ不規則に砂が積もっている。浅い場所と深い場所が短い距離で入れ替わり、先頭車が通れても、後続が同じ轍へ沈む可能性があるという。
「虫の痕は」
「ある。数は分からん。一匹が回った跡かもしれんし、三匹いるのかもしれん」
ロアンはそのまま記録した。
分からないものを、分かったようには書けない。
六月五日
二日目は、西から到着した御者と街道護衛を探した。
東門外の宿だけでなく、荷車の修理場と飼料売り場も回る。西から来た者は、荷を下ろせばそれぞれ別の宿や仕事場へ散る。待っていれば一か所へ集まるわけではなかった。
六月二日に戻った三台の小商隊の御者には、修理場で会えた。男は車輪の外輪を交換させているところだった。
「砂が深かったと報告にある」
ロアンが言うと、御者は車体の下へ顎を向けた。
「深いだけなら進んだ。底が取れない場所があった」
「どういう意味だ」
「右の車輪だけ沈む。抜いて二歩進めば、次は左だ。舗装が割れているのか、下を掘られているのかは分からん」
「振動は」
「昼にはなかった。引き返したあと、後ろの護衛が地面の動きを見たと言っていた」
その護衛にも話を聞いた。
砂面が盛り上がったのではなく、細い波が長く地面を走った。距離があったため大きさは分からない。ただし、風で生じた動きではなかったという。
ロアンは時間、場所、見た方向を聞き、御者の証言とは別に記録した。
灰境方面から来た商人には、砂海より東の情報を尋ねた。
商人が灰境を通ったのは二十日以上前だった。その時点では宿砦の水に問題はなかったが、一つ手前の小さな宿駅では井戸の巻き上げ機が壊れていた。人力で汲んでいるため、大きな商隊が重なると時間が掛かる。
盗賊については、灰境の東で武装した六人ほどの集団を遠くに見たという。襲撃はなく、商隊を見て退いたのか、最初から別の目的だったのかも分からない。
同じ区間を通った別の護衛は、その集団を見ていなかった。ただし、街道脇には野営跡が残っていたという。人数は五人から八人。火を使った跡は古く、現在も同じ場所にいるとは限らなかった。
二つの情報は一致しているとは言えないが、互いに否定するものでもない。
ロアンは武装集団の目撃と野営跡を別項目にし、どちらも経路変更を必要とするほどの確証はないと書いた。
夕方、宿へ戻る前に隊商宿で煮込みを一杯食べた。味は濃かったが、腹へ入ればよかった。
六月六日
三日目の朝、エゼル商会が保管していた宿駅連の報告の写しが宿へ届いた。
ロアンは一階で受け取り、部屋へ戻って紙を広げた。朝食は、写しを読みながらパンで済ませる。
報告には、現地で確認された日と、ベルグラートへ届いた日が記されていた。最も新しいものでも、確認日は十日以上前になる。
白塔の貯水槽は十五日前の時点で通常量の七割。シャルガ井戸砦は十二日前まで異常なし。ナディルの充填設備は、二十日前にも一基が停止中。橋は通行可能。北側岩盤路の貯水設備には補給予定がなく、灰境の宿砦は二十日前の通過時点で水と寝床を使用できる。
灰境では南の灰域から風が吹いていたが、季節の変わり目で、風向きは安定していなかった。
これまで集めた情報と照らし合わせても、大きな食い違いはない。
残った時間で、ロアンはもう一度ギルドへ行った。新しい報告が入っていないことを確認し、北側岩盤路を通った商隊の古い記録を調べる。
二か月前、荷車五台の商隊が同じ経路を抜けていた。今回と近い規模だった。
その隊はシャルガで通常より多くの水を積んでいる。白塔には立ち寄ったが、水樽は満たしておらず、途中の貯水設備も補給地点としては使っていない。
白塔の水は常住者と遭難者のために残される。北側岩盤路の設備も、水が残っていても、先に通った者が使えばなくなる。どちらも使えれば手持ちを減らさずに済むだけで、最初から行程へ含めることはできなかった。
二か月前の商隊は、シャルガを出る時点でナディルまでの水を積んでいる。今回も同じ条件で組む必要があった。
問題は、水を載せる場所だった。
今回の隊列は荷車五台と予備車両一台。予備車両には交換用の車輪、車軸、補修材を積むが、それでも故障車の荷や負傷者を受け入れる空間を残さなければならない。
必要な水を増やせば、その空きは減る。予備車両の余裕を保つには、五台の積荷を組み替えるか、優先度の低い荷を下ろすしかない。
そこから先は、商会側の判断だった。
ロアンは宿へ戻り、集めた紙を床へ並べた。
沈み道、北側岩盤路、水、標杭、サンドワーム、宿駅、橋、充填設備、盗賊。報告者の名と、実際に通過した日。
確認できた事実と、そこから判断したことを分ける。
沈み道は使わない。
理由は、単に砂が深いからではない。旧舗装の状態が不明で、車輪ごとに沈み方が変わる。新しいサンドワームの活動痕があり、前回の襲撃後、同程度の車列が通過した記録もなかった。
北側岩盤路は一日、状況によっては二日長くなる。標杭にも不備があり、途中の貯水設備は補給地点として計算できない。
それでも岩盤上を進む区間が長く、荷車五台と予備車両一台が通れる幅はある。
砂路衆の案内人を一人つける。シャルガで、白塔を経てナディルへ着くまでの水を積む。ナディル以東は、増えた日数に合わせて宿駅へ入る予定を組み直す。
橋は明るいうちに渡り、ナディルの充填設備では待ち時間を見込む。盗賊の目撃はあるが、経路を変更するほどの確証はない。
ロアンは提案を紙へまとめ、参照した報告の日付と、確認できなかった点も記した。
最後に紐で綴じる。
棒剣と胸当ては、すでに仕上がっているはずだった。預かり札の日付も過ぎている。
工房へ寄ってからでも、約束の昼には間に合うかもしれない。だが、受け取った装備を宿へ戻すか、そのまま背負って商館へ行くことになる。
先に行程を決める。
棒剣も胸当ても、あと半日遅れたところで変わらない。
ロアンは報告書だけを持ち、宿を出た。




