エピソード2 初登校?
玄関の扉を開けると、そこには見知らぬ世界が広がっていた。
目の前には、似たような形をした建物がいくつも並んでいる。近くには三階建てや四階建てほどの低い建物が多いが、遠くに目を向ければ、空に向かってそびえ立つ高層ビルやマンションがいくつも見えた。
どうやら、先ほどまで自分がいた部屋は、あの建物の三階にあるらしい。
「な、なんということでしょう……!」
彼女は思わず声を上げた。
「山も草原もありません! それどころか、見たことのない建物ばかりです!」
きょろきょろと周囲を見回しながら、彼女は感嘆の声を漏らす。
しかし、ふと何かを思い出したように、ぽんっと手を打った。
「……あっ。夢ではないことは、先ほど確認したのでしたね!」
そうだった。
頬をつねって痛みを確かめたばかりではないか。
「うーん……。やはり、分からないことだらけですね」
少しだけ首を傾げたものの、彼女はすぐに顔を上げた。
「大学とやらは、どこにあるのでしょうか。まあ、悩んでいても仕方ありません! まずは歩いてみましょう!」
こうして彼女は、マンションの廊下を抜け、階段を下りていった。
そして、建物の外へ出る。
そこには、見たことのない景色が広がっていた。
舗装された道。整然と並ぶ建物。道の脇には、見慣れない看板や標識が立っている。
人々はそれぞれの目的地へ向かって歩き、時折、手元の小さな道具を眺めていた。
まるで、誰もが当たり前のようにこの世界で暮らしている。
けれど、彼女にとっては、そのすべてが初めて見るものだった。
「……不思議ですね」
彼女は歩きながら、小さく呟いた。
「何も覚えていないはずなのに……」
記憶はない。
見覚えもない。
それなのに、不思議と足は迷わず進んでいく。
まるで、どこかへ向かうべきだと、心の奥底で知っているかのように。
「こちらへ行けば、何か分かるのでしょうか……?」
もちろん、答えてくれる人はいない。
それでも彼女は、胸の内に湧き上がる奇妙な感覚に従い、歩き続けた。
やがて、細い道を抜けた先で、大きな道路に出た。
その瞬間――。
ブロロロロロッ!!
「ひゃああああっ!?」
彼女は飛び上がった。
目の前を、巨大な鉄の塊がものすごい勢いで通り過ぎていったのだ。
「な、ななな、なんですか今の音は!?」
慌てて道の端へと身を寄せ、彼女は目を丸くした。
道路には、次から次へと奇妙な乗り物が走っている。
大きなものもあれば、小さなものもある。
四角いもの、丸みを帯びたもの、荷物をたくさん積んだものまで、実にさまざまだ。
しかも、どれも驚くほどの速さで移動している。
「……す、すごいです!」
恐怖が驚きに変わるまで、そう時間はかからなかった。
彼女は目を輝かせながら、道路を走る乗り物を眺め始めた。
「なんでしょう、あれは……?」
ちょうどそのとき、一台の乗用車が信号待ちで停車した。
彼女は、その車をじっと見つめる。
そして、あることに気がついた。
「……あっ!」
ぽんっと手を打つ。
「なるほど! 人が乗っていますね!」
彼女は、まるで世紀の大発見でもしたかのように頷いた。
「そういうことでしたか! つまり、あれは馬さんと同じように、人を運んでくれる生き物なのですね!」
違う。
まったく違う。
しかし、彼女はまだ、その重大な事実に気づいていなかった。
興味津々といった様子で、彼女は停車中の車へと近づいていく。
そして、車体の前面を覗き込んだ。
「まあ! お目々があります!」
ヘッドライトを指さし、感心したように声を上げる。
「こちらがお顔でしょうか? それとも、こちらが……?」
今度はフロントガラスを見上げた。
中には、運転席に座る男性がいる。
特に気にする様子もなく、車に向かってにっこりと微笑んだ。
「こんにちは〜!」
ぺこり。
丁寧にお辞儀までしてみせた。
当然、車は何も答えない。
「……?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「お返事がありませんね……。もしかして、お休み中なのでしょうか?」
違う。
ただの車である。
だが、彼女は真剣だった。
そして、その一部始終を見ていた通行人たちは、別の意味で彼女に注目していた。
「ねえ、あの子……車に話しかけてない?」
「えっ、ほんとだ。何してるんだろう……」
「こら、見ちゃいけません!」
母親に手を引かれた子どもが、名残惜しそうに彼女を振り返る。
運転席の男性も、困惑した表情で彼女を見つめていた。
しかし、当の本人は、周囲の視線などまるで気にしていなかった。
「ふふっ! 不思議な生き物がいるものですね!」
満足げに頷くと、彼女はくるりと踵を返した。
「さて、次はどんな発見が待っているのでしょう!」
そして、再び歩き始める。
見知らぬ世界を前にして、彼女の足取りは軽かった。
不安よりも好奇心が勝っているのだろう。
彼女はまるで、未知の大陸を探検する冒険者のように、目に映るものすべてを楽しんでいた。
彼女は、目に映るものすべてに興味を示しながら、楽しそうに歩き続けた。
見たことのない乗り物。見たことのない建物。そして、見たことのない道具を手にした人々。
どれもこれも、彼女にとっては新鮮な発見だった。
「ふふっ! この世界には、面白いものがたくさんあるのですね!」
不安がないわけではない。
自分が何者なのかも、どうしてここにいるのかも、何一つ分かっていないのだから。
それでも、彼女は立ち止まらなかった。
歩いていれば、きっと何かが分かるはず。
そんな、根拠のない確信があった。
そして、歩くこと数分。
彼女は、ひときわ大きな建物の前にたどり着いた。
正門の上には、大きな文字でこう書かれている。
『桜山大学』
「……さくらやま、だいがく?」
彼女は、書かれた文字をゆっくりと読み上げた。
大学。
そういえば、先ほどの不思議な板にも、そんな言葉が書かれていた気がする。
「なるほど! ここが大学という場所なのですね!」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
「いったい、どんなところなのでしょう! 楽しみです!」
そして、何のためらいもなく正門へと足を踏み出した。
――このときの彼女は、まだ知らなかった。
この場所で出会う人々が、自分の人生を大きく変えていくことを。
そして、自分自身もまた、知らず知らずのうちに、彼らの人生を変えていくことを。
第2話です!




