第6話 同い年の嵐
祈りの言葉――祈り言には正式と略式の二種類がある。
基本的には、格式高い場所での挨拶や敬虔な信徒は正式を、日常的には略式を使う。やはり正式は普段使いするのには少し長い。略式でも意味が伝わるのなら、それは当然短い方がいい。
そして、そんな長い正式の祈り言にはより丁寧なニュアンスがあり、略式でいいような時にわざわざ使われたら、正式で返すのがマナー……らしい。
ということを、前に家族で町に来た時だったか、村に外の人が来た時だったかに聞いた覚えがあったルレアは、きちんとできて少しご機嫌だった。
冒険者でごった返している協会。特に用がなさそうにぶらついていたりお喋りしている人たちもいて、一種のたまり場みたいなものなのだろうか、と端っこの方の長椅子に座って一人思う。
することもなく手持ち無沙汰で、元から良い眼にさらに強化魔法を施して、掲示板に張られているものをざっくり眺める。
依頼の方は、昼過ぎなせいか、相場を知らないルレアをもってしても割に合わないと思うようなものくらいしか残っていない。中にはすっかりくたびれている紙もあって、長い間放置されているのが察せられた。
対して連絡板は頻繁に更新されているようで、くすんでいるものは一枚もなかった。相談室、新人講習、昇級申請について、他。
さすが大都市というか、設備も充実していて、村にひとつしかなかった魔法の練習用の道具なんかもいくつか置いてあるらしかった。なかなか順番が回ってこず、苦労した幼い頃の思い出が懐かしい。
ちなみに、本当の最初の最初に補助代わりに使っただけでその後はむしろ色々と扱いにくくて邪魔なくらいだったが。
その連絡板の横の募集板も活発だ。日付を見る限り頻繁に更新されている。募集対象の役職は様々だが、法士――魔法使いの募集が特に多い。内容的にルレアではまだまだ実力が足りないと思うが、将来的に仕事に困ることはなさそうだ。よかった。
「木漏れ日の希望を!」
と、ルレアが胸を撫で下ろしたところで、自分に向けられた声に魔法を解いてそちらを見る。同い年くらいの女の子がいた。
ルレアの方を見ているので間違いなく彼女だろう。
「ま、魔法は万象に帰す」
突然のことに少し驚きつつも返すと、少女はにぱっと笑みを深めた。
少女は座っているルレアに視線を合わせるために少し屈んで、そのまま首を傾げる。
「さっき協則もらってたよね? 新人ちゃん?」
「協則?」
「うん。協会規則のことを略して協則って呼ぶの」
それ、とルレアが片手に持った手帳のような冒険者協会規則を指さす。わたしも持ってるんだと少女は同じものを懐から出した。
「続けるかは分かりませんが、一応登録だけ」
「じゃあ後輩だね! わたし、エリ・スティクム。六級の冒険者だよ」
「アンティルレア・プレナです」
「アンティルレアちゃんね。冒険者はみんなそんな丁寧に話さないし、歳も同じくらいだろうからもっとフランクな感じでいいよ」
「そう? なら、私のことはルレアって呼んで」
修道女のような白を基調とした格好とは裏腹、快活で親しみやすい。
エマが隣に座って携えていた長い杖をベンチに立てかけたところで、こちらは動きを阻害しないようにだろう、体にそわせた服の少女が二人の前に来る。
「ちょっとエリ、先輩風吹かさないの」
「吹かせてないよ。新人ちゃんがいたから声かけただけだし」
「知らない人にいきなり声かけられたらびっくりするでしょ。……治安がいいとは言っても冒険者だから、女の子がひとりでいると狙われやすいの」
エリとは反対側に座って、後半を耳打ちしながらルレアに周りを見てみるよう促す。不自然に視線が逸れる人たちが何人かいたから、それがそうなのだろう。
納得しながら同時に、やっぱり都会怖いと思っているルレアに少女は優しく微笑んだ。
「ルーシー・フィラム。斥候よ」
「アンティルレア・プレナ。『魔法使い』だよ」
「わたしは神官だよ。こう見えて神殿出身なんだ」
ふふんどやぁと誇らしげにエリ。
言動は確かに神官らしからぬが、修道服のような白地の服に白い帽子と、格好だけ見たら――服装だけでなく杖の装飾部分も含めて――しっかり神官である。
と、神官ならばなぜ、先刻の挨拶で祈り言が略式だったのかとふとルレアに疑問がよぎる。一般人ならおかしくないことだが、神殿に入るほど敬虔な神官であれば、多くの人は正式を使うはずだ。――ルレアの覚え違いでなければ。
恐らくはそういう疑問を抱かれたことが以前にもあったのだろう、ルレアが口にする前にルーシーが言う。
「この子、神殿やめちゃったんだよね」
「え? それは、その、信仰が嫌になったとか?」
一度は神殿に入っていたほど敬虔なのにそれを自らやめるというなら、ルレアに考えられるのはそれくらいだ。
が、少女の答えは違った。
「ううん、今でも主神は予知の神スタンデュリアだよ。木漏れ日の希望があなたを導くまで、スタンデュリアの便りが途絶えませんように」
エリが祈ってみると、なかなか様になっている。
さすが神殿出身というべきか、淀むことなくすらすらと口から出てきた。
ますます分からなくなってくるルレアに、エリは目を輝かせて言った。
「わたしね、好きな人がいるの!」
「……うん?」
「で、アタックしたら付き合えちゃったから、じゃあ神殿にいなくてもいいかなって。神殿で使ってる治癒魔法とか支援魔法はだいたい使えるし」
さらっとすごいことを言っている。
エリはそのまま非常に幸せそうな笑顔で彼氏のいいところを滔々と語り始めて、ルーシーは頭を抱えた。優しく人懐こい性格はいいのだが、こうして彼氏のこととなると暴走する節がある。
ルーシーとしては何度も聞いた話だが、ルレアには物珍しいのか熱心に聞き入っている。そのせいもあってエリの話にも熱が入る。
あーあ、終わらないなこれとルーシーは諦めた。
自分たちの用事も終わったし、登録が終わったのにここにいるということはこの新人も人待ちだろうし、それまで楽しくさせておいてあげよう。
エリがルレアの向こうから体をぐいと乗り出す。
「ちょっと、ルー、聞いてる?」
「はいはい、聞いてますよ。フィリかっこいいよね」
「わたしの彼氏だからね! ルーでもあげないよ!」
「毎日あれだけいちゃいちゃされたら奪う気になんてなれるわけないでしょ」
もうすっごいんだから、とルーシーもルレアに説明する。エリはそれを恥じらうわけでもなく、なんなら追加情報までルレアに教えてくれた。
エリの暴走は止まらず、ちょっと人前で話すのが憚られる夜の営みの話にまでいきそうになった時には、さすがにルーシーから待ったがかかった。
「エマ、その話するなら店の個室とか行かないとダメ。あと初対面でそこら辺の話までしちゃダメ」
「え、じゃあ今から行く? 行っちゃう?」
「フィリのこと置いてくわけにもいかないでしょ。それにルレアも人待ちだろうし」
彼氏のことになるとこれなんだから、まったく。
と、ルーシーが受付の方に目をやると、当のフィリ少年がそろそろ手続きを終わらせそうで、話し足りない暴走列車をルレアから引き剥がす。
「そろそろ終わりそうだから行くよ」
「えー、じゃあこの後みんなでごはんとか」
「あなたはともかく、急に知らない異性に夜のこと話されるフィリの身になりなさい」
いいから、と無理やりにでも引き連れて行こうとするルーシー。
エリも観念したらしく、名残惜しそうになんどもルレアにまた会おうねと念を押して、渋々ながら別れを告げることにした。
エマがベンチから立ち上がって杖を構える。
「木漏れ日の希望があなたを導くまで、スタンデュリアの便りが途絶えませんように」
「輝かしいあなたの行く末のそばに、万物に宿る神々がありますように」
「浴後に湯けむりに佇む。魔法は万象に帰す」
この場合はどちらなのだろうと少し迷って、まあ、初めてあったわけだし、と正式な挨拶をした。元は敬虔らしいエリはともかく、ルーシーもそうだったから間違ってはいないだろう。
それにしても本当に祈り言も信仰も神様も多種多様なんだな、なんて思っているルレアの目の前、別れの挨拶をしたにも関わらず、エリがぽかんとしていた。
隣のルーシーも困惑気味で、ルレアは何かやらかしただろうかと少し心配になる。
「えっと、ごめんね、村から出てきたばっかりで町のマナーとか分かってないんだ。私何かしちゃった?」
ルレアの疑問に、ルーシーが重ねて返す。
「今のって、挨拶?」
「今のって……『魔法は万象に帰す』?」
「そう、それ」
「そうだよ。魔法の神ウァイストのお祈り」
神話において主要な神ではない――魔法の探究にしか興味がなかったために逸話がほとんど残っていないのだ――から、知らなくても無理はないかと思う。
これで知ってくれたらなとかのんきなルレアに、ルーシーが申し訳なさそうに言う。
「神々への祈りの言葉の割に、祈ってないなって」
そう言われて、思い返して、理解した。
祈り言のしっぽの箇所の話だろう。確かに、ルレアの知っている他の神の祈り言は全て、主神に対してこの人に祝福を授けてくださいと祈っていた。
他方、ウァイストの祈り言は祈りではない。
これは、神話の時代の神々への祈りの中で唯一の例外である。
そういえばルレアもそんなことをいつかに聞いたことがあるような気がする。多分両親と城下町に来た時だったと思う。
「ウァイストは魔法を探究する人全員に祝福を授けてくれるから。私はあなたの後を継ぎますって意味を込めて、ウァイストの言葉を引用するの」
『浴後に湯けむりに佇む』の箇所は、ウァイストが湯浴み終わりに湯けむりの中で考え事をしている時に魔法を極めたとする神話に拠っている。
『魔法は万象に帰す』は、ウァイストが魔法を極めた時に言った言葉だ。
ルレアの言葉に、ルーシーが感心げに呟いた。
「へー、やっぱり神様の数だけ信仰があるんだね。いいこと知れたよ、ありがと」
エリは手を振って、ルーシーはそれを引っ張って去っていく。向こうにいてそれを待っているのがどうやら件のフィリ少年で、ルレアとお互いに会釈をした。
嵐のような二人だった。




