第22話 『魔法使い』
ちょっとごめんね、とエマはルレアとルーシーの許から離れた。一人で考える時間が欲しいそうだ。
エマの行った木の向こう側を気遣わしげに見ているルレアに、エマの相談の間は黙っていたルーシーは肩を竦めた。
「そんなに気にしなくても大丈夫よ」
「そうかもしれないけど……信仰の在り方を変えようとするのは、やっぱり勇気がいると思うし」
「ならまた今度相談に乗ってあげて。あの子、ひとりで抱え込むタチだから」
「うん、もちろんそのつもり」
村にいた頃から、悩み事をひとりで抱えてよかった試しがない。それは抱える側でも、抱えられる側でもそうだ。
もちろん、人に知られたくない個人的な悩みというものは往々にして存在するが、それに悩んでいるのを知っている時点でもはや他人事ではないのである。
尤も、知っているのと、それを解してあげたいと思うのとには大いに隔たりがあるが。
ちょっとしんみりした、真面目な雰囲気を打破すべく、ルレアは両手をぱちんと合わせてわざと明るい声を出す。
「それじゃあ、次はルーシーの番?」
「私? 私は別に相談事はないけど」
「あ、そうなんだ。てっきり二人とも聞きたいことあるのかと思ってた」
「今はフィリがグレイスのとこに行ってるから、まあエマのお守りみたいな感じ。そもそも、あの子と違って私のはゴリゴリの信仰魔法だし、主神の魔法を使うのに別の神様の信者に頼ってたらお笑い草でしょ」
ルーシーは言いながら、ルレアにはここ数日で見慣れたグラシゥスのそれと似た動きで印を切って、目の前に水玉を二つ浮かせた。ちょうど一口で食べられる大きさだ。
ルレアの口までふよふよやってくるので、好意に甘えて食べさせてもらう。
飲み込んで、ルレアはルーシーの方を向いて笑った。
「うん、やっぱり冷たいお水は美味しいね」
「そうだね、これで少なくとも野営の間はエマに私のご飯まで食べられずに済む」
どうやら人質(物質?)にするらしい。
前に焼き鳥を食べた時にもそうだったが、エマは性格のわんぱくっぷりに負けず劣らず食べるタイプのようである。
村で両親から知り合いから散々食え食え言われて育ったルレアだが、そもそも勧められた食事を全て平げられた記憶がない。いっぱい食べられる人はすごい。
顔に出ていたか、ルーシーがジト目を向けてくる。
「感心してるみたいだけど、野営の時はほんとに命懸けだからね。気づいたらなくなってるんだから」
「あはは……、覚えとくよ。みんなとご飯食べる時は気をつけるね」
二人で木の向こうを見やったが、敬虔な予知の神の信徒は、まだ悩んでいる最中だった。
はーあ、と大きく伸びをしながらルーシーが倒れ込む。ルレアもそれに倣った。
もう少ししたら寒くなる時期だが、まだ陽は暖かくて風は涼やかだ。今日のように天気のいい日に草っ原に寝転がると気持ちいいのは、ルレアは子供の頃から当然知っている。
六感が心地よく刺激されるのだ。全身で自然を浴びている気分になれる。
ルーシーが寝返りを打ってルレアの方に体を向ける。
「ルレアはどう? 修行は順調?」
「やってることがやってることだからね……」
――だから、修行の話になるとするその遠い目はなに。
町の外で訓練をする冒険者というのはルーシーはルレア以外は知らない。城門近くは冒険者や行商人がまあまあな頻度で通るから、ここでドンパチやっていたら噂のひとつやふたつは立っていいはずだが、協会でそんな話は聞いたことがない。噂話やら与太話やらが大好きな冒険者としては異常だ。
とはいえ、個人の修練について深入りするのもなんだろうと、ルーシーは気になりつつも訊けずにいる。今度見学してもいいかグラシゥスに頼んでみよう。
ちなみにあれだけ派手にやっても目撃者がいないのはグラシゥスが結界を張っているからである。
隠密が生業の三級冒険者の結界だ。索敵で飯を食っておらず、しかも見つけようとすらしていない人間では察知できようはずもない。
「一応、弟子入りして一ヶ月になったら討伐依頼受けてみようかって話はしてる」
「ちょっと過保護じゃない?」
「そうなのかな? 一ヶ月じゃ全然足りないと思うんだけど……」
「魔法は使えるんでしょ? なら最初の方の鼠なんか普通は一日対策したらすぐ行くわよ」
ルレアはやけに慎重になっているが、一体何と戦うつもりなのか。
斥候はあまり戦闘を主とする職業ではないが――他方でルーシーが外れ値なのもあるが――、それでもルーシーは協会に登録して一週間以内にはネズミを討伐して六級に上がっている。
今でこそ非人型の魔物は二桁いる群ればかりと戦っているが、七級で受けられるような依頼は大抵一匹、いて三匹だ。どういう順番で倒すかと万が一しくじった時の対処法だけ決めたら次の日には行って討ち取ってくるものだ。
ひと月も戦闘訓練をする、それも元々魔法を使えた人間にというのは、どうも慎重すぎる気がする。
世の中には魔物に対する極端な恐怖心を抱えている人もいるようだし――しかもそういう人に限って冒険者にならざるを得ないことも少なくない――その類だろうか。
だとしたらさっさと行けと言うのはちょっと酷だったかなとルーシーが思っていると、おもむろにルレアが魔法を使った。
火球。
「でも、グレイスさんすごい人みたいだし、何か考えがあるんでしょ。それで失敗した人を見てきたとか」
言いながら、ルレアは毛玉から糸を取り出すように細く火の糸を伸ばすと指先をくるくる回して回転させる。できあがるのは火の輪っかだ。
輪にした火は今度は指を振るたびに小さくなっていって、指先にロウソクほどの大きさにする。
ふっ、と。ロウソクの火を消すように、あるいは指先についた粉雪を散らすように息を吹くと、瞬間、確かに燃えていたはずの魔法が、いつの間にか細雪となって舞った。
そこまでを無意識にやっていたルレアは、陽の光が雪に反射して煌めくのを眺めている途中、視界の端でルーシーがぽかんと見てくるのに気づく。
「あ、ごめん」
「大丈夫。急に魔法使うから何かと思っただけ」
「癖でさ、お母さんからはやめなさいって言われてたんだけど、どうしても無意識にやっちゃうんだよね」
「魔法ってそんな無駄遣いしてもいいんだ」
「うーん、無駄遣いっていうか……、あれかな、魔法の捉え方の違いかも。『魔法使い』と、あなた達との」
魔法が生活の中にあるのが当たり前で人生の目的にすらなっているルレアと、冒険者稼業で必要だからどうにか使えるようになろうとしているルーシーとの。
現代の魔法戦闘は高度化の一途を辿っており、魔法戦闘のための魔法には当然それに特化した理論や理屈がある。それは、その考え方だけを高めようとする世の魔法使いと、魔法そのものに親しんできた『魔法使い』とでは接し方は違うだろう。
だからきっとルーシーからすると今のも、生命線となる魔力をいたずらに浪費する意味がわからない、となるのだ。
ルレアにとっては寂しい考え方だが、それも含めて全て魔法だ。ウァイストならそんな魔法であっても極めようと、高めようと努力する限り祝してくれる。ならば、ルレアが拒絶する理由はない。
「最近は修行の時に魔力がなくなるからあんまりやってなかったんだけど、余ってる時は無意識にやっちゃうかも。ごめんね」
「気にしないで。もっと細かいのを作ったりはしないの?」
「暇な時はするよ、魔法の操作感の向上になるし」
ほら、とルレアはまるでそれが当たり前かのように魔法を使って水を生み出して、なにか丸いようなものに形を変えた。
楽しそうに見せてくる。
「金魚鉢」
「分かるわけないでしょ」
猫とか魚とかならまだしも、なんでそんな単調すぎるものを作るんだ。
文句を言われて「えー、いいじゃん金魚鉢」と不服そうにして、じゃあ、とまた水で何かを作り出した。今度はさっきより複雑そうだ。
……ちょっと待て、なんかおかしい。
とルーシーが思ったのもつかの間、できあがった《《それ》》を自信満々に見せてくる。
「ウァイストの神紋」
「なんで覚えてるのよ」
万物に宿る神々の神紋を描けと言われてもルーシーにはなんとなくでさえ思い浮かばない。神殿で教育を受けていたエマがぎりぎり描けるか描けないかだろう。
それを、恐らくは精密に細部まで再現している。
もうこれを職業にすれば冒険者になんかならなくていいんじゃないかとすら思った。金属細工とか町でも人気あるし。
すると久々に元気なはしゃぎ声が聞こえてきた。
二人を上から覗き込む影。
「すごい! これ神紋だよね?」
「うん。ウァイストのだよ。綺麗でしょ」
「すっごくきれい! わたし最近描いてないからスタンデュリアの描けるか分からないや」
エマのとんでも発言にルーシーは半ばぎょっとして尋ねる。
「昔は描けたってこと?」
「うん、神殿で覚えさせられるから」
さらっと答えられた。
さすが、筋金入りはひと味違う。
「あ、それでね、見て!」
じゃん、と広げた両の手のひらの上で小さく水の球が浮かんだ。
それぞれ起き上がった、ルーシーが控えめに、ルレアが嬉しそうに拍手を送る。
「おおー! よかったね」
「うん! ……でね、えっと、教えてもらっておいて自分勝手だとは思うんだけど、やっぱりわたしは『木漏れ日の贄人』だし、元とはいえ神殿の人間だから、使う魔法は決めようって思うの」
「それはもちろん、エマのことだからエマが決めていいんだけど、……にえびと?」
知らない単語、どころかどうやらエマはそういう自称をしているようで、ルレアは首を傾げた。
何か組織に属しているのだろうか。あるいはスタンデュリアに関係するものか。
見てとったエマが教えてくれる。
「あ、聞き慣れないよね。特に敬虔な予知の神スタンデュリアの信徒、って言えばいいのかな。『木漏れ日の贄人』っていうの。組織名とも個人の称号ともちょっと違うんだけど、うーん……まあ、集団の名前だと思ってくれればいいよ」
冒険者のエマ、みたいな。
とその例まで言われて、ルレアは思った。
「……もしかして、『魔法使い』みたいな?」
なんとなく、町に来てから違和感があった。
ルレアの自称する『魔法使い』とそれの定義――ウァイストの後を継ぎ魔法を極めようとする者たち――と、町の人たちが言う魔法使いとに隔たりがあった気がしていた。
町の人はどうやら、魔法を使える人、あるいはそれを戦闘で主に使う人をそう呼んでいるらしかった。
そもそも、《《魔法使い》》を自称することはルレアには絶対にできない。それは魔法の神ウァイストの尊称だ。『魔法使い』はウァイストを――魔法を極めた者を追う者たちの総称で、主神を崇めるために尊称を借りた呼び方だ。
外の人には理解されにくいかもしれないが、村を、集団を『魔法使い』と呼ぶことはあれど、個人が《《魔法使い》》になることはない。
ウァイストの信徒がそれを自称すれば、それはすなわち魔法の神への冒涜だ。
万死に値する。
「そうかも。ただ、一般名詞を名前にしてるのは珍しいね。……あれ、じゃあ最初に会った時って」
エマが思い返すのに頷く。
「私が《《魔法使い》》って言葉を名乗る時は、絶対に『魔法使い』だよ」
「そうだったんだ! てっきり冒険者の区分の話だと思ってた」
法士というのは協会における制度の関係でつけられた名前で、冒険者間では好きなように呼ばれているらしい。魔法使いが最も一般的だそう。
今思い返すとなかなか紛らわしい答え方をしている気がするし、そう思っても仕方ないだろう。間違えられても特段怒ることではない。
信仰は自分の心を示す言葉であり、他人に強要するものではないのだから。
それを聞いて、んっん、とエマが喉を鳴らした。
軽く服を払い、帽子を整え、杖を構える。
「改めて、『木漏れ日の贄人』のエマ・スティクムだよ。よろしくね」
「『魔法使い』のアンティルレア・プレナです。こちらこそ」
立って応じたルレアとエマは言い合ってから小さく笑った。
取り残されたルーシーがぽつり。
「……私、そういうのなんにもないんだけど」
というか、神紋のこともそうだが、この二人が例外なだけで多数派は私の方ではなかろうか 。
……そのはずである。




