第21話 信仰の違い
依頼は予想外にも早く終わった。
これなら朝あんなに急がなくても午前中に終わったなと思いながら、報告を終えたルレアは冒険者協会の入口を背に、もらったノートを片手に息をついた。
もらったノート。
村の大人たちの魔法が書かれた。
ルレアにとっては有り金を全て叩いてでも手に入れたい代物で、当然そのつもりでいたのだが、依頼報酬に報酬金に加えて『掃除中に発見した本のうちの一冊』と書かれていた。サプスの配慮だろう。協会に申請した報酬を支払わないと依頼者にペナルティが生じてしまうので、申し訳なく思いながらもありがたくいただいた次第である。
どこぞの店と違って魔法が阻害されないので、ルレアはいつも通り索識魔法を広げる。行儀が悪いかもとは思いつつ、我慢できないので歩きながらノートを開いた。
サプスは立式主義者だから魔法を教えてもらえたと言っていた。それは確かに幸いなのだが、他方で、立式主義者なのが災いして、『魔法使い』の魔法を相当に噛み砕かないと理解できなかったらしい。
ノートの記述はぼんやりとしていて、とてもそのまま継承できるようなものではない。まずは、復元して自分なりの解釈を加えるところから始めなければ。
……そう思っていたのだが、どうやら、相当にざっくりとした記述しかできなかったらしい。どのページも表面的な話ばかりで、魔法の根幹がほとんど書かれていない。元が概念寄りの母のそれが一番マシなくらいだった。
もちろん、だからといって誰が悪いわけでもないのだけれど。
はてさて、どうやら解釈は本腰を入れないとできなさそうである。
ルレアが残念がりながらペラペラとめくっていると、最後の数ページ。どうやら個々人の魔法ではなさげな魔法の一覧があった。
先刻は依頼中だからとあまり真面目に読み込まなかったし、目次にもなかったから見落としていたのだろう。何かと思って目を通す。
――大人が使う一般的な魔法の一覧だった。
「えっ、……えっ!」
思わず立ち止まって凝視する。
間違いない。多くが聞いたことのある魔法だ。名前だけで効果は知らなかったが故に使えなかった魔法。
そして一部の、聞いたことすらない魔法。
ざっくりとした分類に従って名前と簡単に効果が一文で書いてあるだけだが、十分だった。ウァイストの信徒は発生する事象さえ分かれば、その魔法を使えるか否かは、あとは本人の技量次第なのだから。
無意識に早足になりながら必死に目を運ぶ。
足は勝手に都市の外に向かっていた。新しい魔法を知ったら使いたくなるのは『魔法使い』の性だ。昼食はパス。これから予定もないし、ひとまず夕食の時間までは――。
「ん?」
足をひたりと止める。
後方、二つ先の角。見覚えのある二人がなぜか遠巻きにルレアを見ているのが分かった。
振り返ると、尾行でもしているのか壁から頭だけ覗かせていたエマとルーシーと目が合って、二人は少し気まずそうな表情で顔を見合せた。
ルレアが不思議に思って首を傾げていると二人は何かを諦めた様子でこちらに来る。
「二人とも、どうしたの?」
「えっとね、ちょっと聞きたいことがあったんだけど、邪魔したら悪いかなって」
エマが言うからルレアは逆側に首を傾げる。
わざわざ探してまで要する友達の用事を邪魔と切って捨てるほど人間が腐っているつもりはないのだが。
エマが少し申し訳なさそうにルレアの持っているノートを示した。
「ルレアちゃん必死になってそれ読んでたから……」
「あ、あー……あはは、そんな必死だった?」
「うん。万物に宿る神々がやめとけって言ってたから相当だよ」
ルーシーのその言葉に引っかかって、ルレアは話が逸れるのを承知で尋ねる。
「ロドリアンサスって神様じゃないの?」
「えーっと、万物に宿る神々は一柱の神様のことじゃなくて、中央諸島で信仰されてる神様たちの総称……って言えばいいのかな。名前の通り、身の回りにたくさんいるの」
中央諸島での信仰は、神の名前が表す通り万物に神が宿っているという信仰だ。神話の時代に中央諸島に集まった神々が、その数の膨大さからあらゆるものに宿ることができたという神話が伝えられている。
ちなみに、万物に宿る神々の一柱ひとはしらにも名前があったりするが、中央諸島の神官でも高位も高位の人でもない限りは、神官自身の所属する神殿が祀っている神の名前以外はほとんど知らない。もちろんルーシーも知らない。
そんなウァイストにも負けず劣らず珍しい神様だが、ルーシーの奇跡はその万物に宿る神々を知覚できることだった。
知覚し、交信する。
中央諸島の神官には当然のことらしいが、ルーツとはいえ血はかなり薄まっているルーシーには先祖返りが奇跡として現れた。
ルレアの魔覚よろしく他者の性格や情動、魔法なんかに敏感な万物に宿る神々――ルーシーが警戒役をやっている理由の一つだ。あとは他二人が他人に甘すぎるから――だが、あれほど必死に「やめた方がいい」「近寄っちゃダメ」と伝えてきたのは初めてだった。
ということをルーシーがかいつまんで説明しているうちにいつもの城門をくぐる。見知りの門衛に三人で挨拶をしながら、街の外の草原にぽつんと生えているいつもの木の許へ向かう。ルレアがグラシゥスと鍛錬をしているところだ。
エマがまだ少しだけ申し訳なさそうにしている。
「それで、聞きたいことがあるんだけど……」
「私なら大丈夫だよ。……うん、大丈夫」
半ば自分に言い聞かせるように、このノートはなくなったりしないから、と握り直しながら心の中で言って、よし、とルレアは気を入れ直す。
金魚鉢の一件があって、早急に練習をして使えるようになった収納魔法でノートをしまった。やはり便利だ。手も空くし、何よりもなくさない。
ルレアはエマとルーシーに向き直る。
「何が聞きたいの?」
「えっとね、魔法のことについて聞きたくて」
「魔法? それならグレイスさんに教えてもらった方がいいんじゃ……」
エマが学んでいるのは理論魔法だからグラシゥスの領分だ。ルレアは、理論魔法については彼に教わったいくらかしか知らない。むしろ、ちゃんと勉強しているエマの方が知っていることが多いだろう。
エマが首を横に振った。
そのまま魔法式を立ててみせる。
「見て」
ぱっと手のひらを上に向けて開いて、ルレアは火の玉でも出るのかと思ったが、何も起こらなかった。
「…………?」
と、火が熾った。
しかも、ルレアが思っていたよりも火が強い。今しがたエマが使った魔力に対してかなり高い火力だ。
そう思ったのが伝わったのか、エマはしゅんとしながら言う。
「わたしの主神はスタンデュリアで未来のことが得意って言うのは前に言ったよね。だからだと思うんだけど、魔法もこうやって時間差じゃないとどうしても出せなくて……」
理論魔法の基礎理論の一つに『条件が厳しくなればなるほど消費する魔力に対する効果が高くなる』というものがある。その常套の一つが『時間差』だ。
直近の魔法戦が不利になる一方で後々の戦闘を有利に運べること、タイミングが非常に読みにくいこと、消費魔力の節約になることなどから使うことがままあるらしい。日常生活で使うことがほとんどなかったから、ルレアはグラシゥスに教わって最近知ったばかりだ。
エマの話を聞いて最初の依頼の老婆を思い出す。そういえばあの人もスタンデュリアの信徒だった。
魔法の神が主神のルレアにとっては、主神によって使えない魔法があるというのはなんとも想像しがたいが、実際に見てしまったのだからそうなのだろう。
「ルレアちゃんはこういうことなかったよね」
「うん。私は主神が魔法の神だから。それに、村の人でも他のことができないって話は聞いたことが……」
そこまで言ってからルレアは少し不思議に思った。
魔法の神は、しばしば武術の神と対比される。言ってしまえば、スタンデュリアに対する記憶の神――未来志向のスタンデュリアに対して、記憶の神は過去志向だから対にされる――のようなものだ。
だが、村では剣を振るうことは普通のことだった。
中には物好きにも剣術をやっている人もいたし、その人もサピマにもらったノートに名前と魔法が書かれていた。信仰に支障はなかったはずだ。
「エマ、スタンデュリアが過去とか現在を嫌ったって話はある?」
「ううん。むしろ大切にしてる。記憶の神とも己悦の神とも仲が良かったから」
過去を司る神と現在を司る神。
いずれも、スタンデュリアと仲の良かった二柱だ。
ウァイストにとっての、武術の神と学識の神のような。
魔法、武術、学識の神は互いに仲が良かった。だから少なくともルレアの村では法以外にも、術にしろ識にしろ、基本的なことは教わった。
であるならば、なぜ、スタンデュリアの信徒はこうも頑なに未来に固執しているのだろうか。
「これを聞いていいか分からないんだけど、それじゃあ、なんでそんなに未来にこだわってるの?」
「スタンデュリアの信者って結構多い方なんだけど、そのせいで解釈は教会に委ねられてるの。教会には基本的に神殿で修行をした神官がいるから、神殿の解釈が主流になる。……多分、その神殿の解釈が今までと今よりもこれからを大切にしてるから、それが染み付いてるんだと思う」
そのエマの言葉を聞いて、先日の老婆の時から気になっていたことがひとつ、ルレアの中ではっきりとした。
主神を信仰するというのはルレアにとって息をするように当然のことだが、信仰のために何かをしないという感覚はない。
ウァイストは魔法以外には風呂といくらかの友人くらいにしか興味のなかった神だ。だからウァイストの信徒にとって、信仰といえばそのまま魔法を極めること――『何かをすること』だった。
信仰のために何かをしないことはルレアには直感的に理解し難いし、加えて、その理由が自己ではなく他者にあるというのなら、それはなおさら、分からないだろう。
言う前に一瞬、果たして、他人の信仰について首を突っ込んでいいものかと逡巡して、けれど、エマは頼ってくれたのだから、と意を決した。
嫌われたら嫌われたでその時に考えればいい。
恐らく返る言葉を待っているのであろうエマに、言葉を選びながら慎重に言う。
「信仰は当たり前のことだし、そのために何かをしないというのもとても美しいことだと思う。……けど、信仰を口実に何かをさせてもらえないっていうのは、違う気がする」
ましてそれが、主神やその神話ですらない、神殿の解釈とやらのせいならば。




